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基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

後宮の女たち、国家をやる──『あとは野となれ大和撫子』

あとは野となれ大和撫子

あとは野となれ大和撫子

本書『あとは野となれ大和撫子』は宮内悠介さんの最新作。いやーこれはおもしろかった! 無数の方向性がある宮内作品だから、それぞれの作品に突き抜けた良さがあり「これが一番好き」を決めるのは難しいんだけど、本書はそれに近いものがある。

後宮の女たちが、とある事情から突如国家を運営するはめになる──。そのあらすじだけを聞くと、ギャグ寄りの話なのかなと思いきや、運営することになる国家はカザフスタンとウズベキスタンに挟まれたガチ危険地帯。領土と経済圏を巡る政争をはじめとする、政治、経済、軍事、と国家運営上の取り扱うべき内容はじっくりポップに描きこまれていく。ノリの軽いところもあるが、それは中心人物となっている女性らの性質、性格によってであって、実態としてはドシリアスな国家運営譚である。

それに加えて、今回の舞台は中央アジアに存在するアラル海に建国された"砂漠の小国アラルスタン"という架空国家である。国家こそ架空のものだが、アラル海は実在する場所。かつてソビエト連邦による綿花栽培のための大規模灌漑によって、海の面積は減少し、塩分濃度が上昇。周囲の植生は砂漠地帯の物となり、周辺環境への悪影響が大きくなっていった。20世紀最大の環境破壊といわれる事象の発生場所だ。

"人間によって環境が破壊された砂漠"を舞台にするが故に生まれた、"技術"による環境および地球の変革、その是非というテーマ。また、地球温暖化への対策や人為的な気候の操作まで含めて、"この地球環境の中で一つの国家をどう位置取り、運営していくのか"の視点が、物語を一回り以上大きな存在としており、充分にまとまっている一冊の物語としては信じがたいほどに広く、また深い物語に仕上がっている。

いくらかあらすじとか舞台とかの紹介

それではまずは舞台やあらすじを紹介してみよう。国の具体的な位置はウズベキスタン共和国の左上で、同時にカザフスタンと国境を面している。砂漠化しているために水を筆頭に何もかも足りない立地だ。だからこそ、皮肉なことに水蒸気を捕らえる点滴灌漑、食物の遺伝子改良などの現代技術によってかろうじて資源を確保している。

そもそもの建国が行われたのはソビエト時代の末期。干上がった土地に、新たな緑を芽吹かせるため"最初の七人"と呼ばれる人々によってその礎がつくられた──のだが、彼ら(七人)の背景が政治屋というよりかは"技術者"であるところにこの国の思想的な部分にまで接続されている。技術で死んだ土地を、技術で作り変えたのだ。

 マグリスは"最初の七人"の一人で、元は西ドイツからソビエトへ拉致されたロケット工学者であったと噂される。死の土地であったこの場所が居住可能となったのは、彼の力によるところが大きい。
 そのためか、この国では昔から技術者の力が強い。

さて、そんな特殊な経緯を持つ場所だが、中心となる後宮の女性らも一筋縄ではいかない。まず"後宮"の女性たちとはいうものの、その実態はハレムとは程遠い。一代目大統領の時はハレムとしての機能も持っていたのだが、二代目大統領のアリーは女を囲うことに興味を示さず、後宮を後に国家中枢の頭脳とするための高等教育の場所と作り変えたために、物語開始時点では後宮の女性らは教育を経たエリートなのだ。

物語が大きく動き出すのは、名君とみなされていたパルヴェーズ・アリーの暗殺事件からだ。アラルスタンは国際的に認められつつはあるが、まだ成立したばかりの混乱の中にある国家だ。アラルスタンが独立を宣言するきっかけになった領内の油田。周辺国家であるイラン、カザフスタン、ロシア、ウズベキスタンに欧米の思惑も加わった微妙な軍事均衡。世俗派と保守派の亀裂──などなど内外に政治的課題を抱えている今、強烈なリーダーシップをとっていたアリーの死は国の致命傷になりかねない。

国軍による議会の武力制圧、中央アジアのリーダーシップを狙うカザフスタン・ウズベキスタンの権益争い。PKFだなんだのの軍隊が参戦し十中八九はじまってしまう戦闘状況が長引けば、国情は安定せず人が死に続けるのは容易に想像できる。その上、議員たちは我先にととんずらこいてしまった──そんな破壊的な状況下。無茶は承知の上で動き出すのはアリーのお気に入りで、後宮のトップに近かったアイシャであり、その下で重要なポストに就くことになるのは後宮で高度な教育を受けた女たち。

「何やらご指名みたいでね。ほかに、誰も手を挙げそうにないし……。こんな状況だから、誰も矢面に立とうとはしない。それで、しょうがないから、国家をやることにしようかなと」
 まるでバンドかなにかを結成するみたいに言う。
「どのみち、このままじゃろくな未来も描けそうにない。それで、ちょっと動いてみたってわけ。わたしたちがやるほうが、まだいいだろうと思ってね」

もちろんトップが死んだからといってやりたいです! と手を上げればやらせてもらえる、弱小サークルのような国家ではなく、お粗末ながらも策謀が存在する。アリーの遺言を捏造しアイシャを大統領代行とした臨時内閣を発足させ、各省庁により異なる温度差を宥めすかしながら物事を前に進めていく。内政・外交をやる暇もなく、まず対処すべきは議会の制圧を目論むアラルスタン・イスラム連合(反政府組織)との戦闘で、独立国家共同体、平和維持軍の派遣まで議会堂を死守する防衛戦である──。

千年先を見据える。

と、超特急で国の危機、国家運営、防衛戦と波乱の日々を駆け抜けていく。対処すべき目前の問題はいくらでもあるが、国家を運営する上では"どこに向かっていくのか"という長期的な理念も必要だ。アイシャは国体と信仰、人権による三権分立の確立を。孤児となり後宮に引き取られ、国防相となった日本人のナツキは技術による環境の改変を望む。植物を改良し、気候を操作し(アラビア海の湿気のルート変更など)といったことは技術的には可能かもしれないが、そこには必ず世界が関わってくる。

湿気のルートを変えれば、元々雨が降っていた地域にはふらなくなってしまうだろう。今は農作物も育たない、塩の土地であっても、太陽光を反射することで温度を下げ、地球温暖化への対抗手段となっている可能性もある。つまり、そこを豊かな水の土地に変えるという一見素晴らしい一手も、世界にとってはいい迷惑ということになりかねない。巨大な相互作用の中にあるこの地球において、"どのように技術で世界を変革するべきなのか"という困難な問いかけがナツキの前には広がっていく。

おわりに

国家運営譚としておもしろいのはもちろん、次々とその正体が明らかになる"最初の七人"の胡散臭さとスケールのデカさも愉快だし、苛烈な展開だけではなく途中にはほのぼのとした場面もあり、"千年先"と"地球"を射程に入れた物語の広さもたまらない──と最初の1ページめから最後の1ページめまでおもしろくてたまらない、完全無欠のエンターテイメントである。そのうえ、装丁と本のデザインも素晴らしいので電子書籍で買った人も本屋で手にとってみてもらいたいところだ。

ケン・リュウの第二短篇集、信じがたいくらいにおもしろい──『母の記憶に』

母の記憶に (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

母の記憶に (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

ケン・リュウの第一短篇集『紙の動物園』は作品水準としても異様にレベルが高く、各所で話題になり評価も上々。ただ、日本オリジナル編集だったこともあって(傑作だけ選り好みでいるし)、続きが出たとしてこの水準を維持できるのか疑問に思っていたが……この第二短篇集である『母の記憶に』を読んで、その心配は吹き飛んだ。

何しろこれがもう信じがたいぐらいにおもしろく、読み始めたら止まらずに最後まで読み切ってしまったのだ。全16篇、長い作品もあれば短い作品もあり、500ページを飽きさせずに読み切らせるとは並大抵の筆力ではこうはいかない。個人的には完全に前作の水準を上回っている。半分以上の作品は書かれた時系列的に『紙の動物園』時以降の作品が収められていることもあって、技量の円熟もあるのかもしれない。

中国で生まれ、現在アメリカで暮らしている著者の経歴を存分に活かした多国籍な文化と歴史が入り乱れる独特の作品もあれば、鮮明なアイディアを元にまとめあげる作品あり、わりと使い古されたアイディアをケン・リュウ流に描写した作品もあり(それがきちんとおもしろい!)、とにかくその自力の高さを実感する一冊となった。

紙の動物園 (ケン・リュウ短篇傑作集1)

紙の動物園 (ケン・リュウ短篇傑作集1)

というわけで第一短篇集を読んだ人は必読だし、そうでない人にも本書からオススメしたいぐらいだ(とはいえ、その場合はやっぱり文庫の方が安いし良いだろう)。以下、本当は全作紹介したいぐらいにどれも独特で、なおかつ好きなのだが、一作一作語り始めるとキリがないので個人的な偏愛もこめて何篇か紹介してみよう。

鳥蘇里羆

まず絶対に外せないのが本書でも最初に収録されている「鳥蘇里羆」。読み方は特殊な機械化技術が進んだ別の歴史を進んだ1907年の満州を舞台とし、身体の一部を機械化した日本軍の男とウスリーヒグマ(600キロを超える)の戦いを描く。人間vs熊!

時計じかけ⇛電気駆動⇛蒸気タービンで動く腕、と技術レベルと共に動力が移り変わる独特の技術変容の素描も素晴らしいが、そうした技術が「熊狩り」「1900年代初頭の激動の時代」「獣と機械」というプロット/テーマと組み合わさると古さと新しさの共存した、「良い狩りを」などにも見られた独特の読み味に繋がってくる。

獣と機械がたがいに突進し、雪のなかでぶつかった。爪が金属の表面をこする耳障りな音がし、同時に熊の荒い息と馬のボイラーから発せられる息んだいななきが聞こえた。二頭はおのれの力を相手にぶつけた──かたや古代の悪夢、かたや現代の驚異。

無数の読みどころがある本作だが、個人的にはもうこうした描写の素晴らしさだけでお腹いっぱい、胸いっぱいになれる。本書の中でも特にお気に入りの一篇だ。

草を結びて環を銜えん

「草を結びて環を銜えん」は1645年の中国揚州を舞台に、クレバーで心優しき遊女と、雑用係雀の運命を描く。史実ではこの年、揚州では清と南明の戦闘により大規模な虐殺が起こっている。本作の主人公らはそこで重要な役目を果たすわけではないが、彼らは"小さな英雄として"生き、物語を後に残すことで真実を伝えようとする。

封印される歴史と、フィクションとして残る"真実"の物語。後半収録の「訴訟師と猿の王」も同様の主題を扱っているが、どちらも異なる雰囲気で素晴らしい出来。

重荷は常に汝とともに

人類は地球以外に高度な文明を持つ惑星ルーラを発見、しかしそこで産まれた文明は人類が遭遇する前に100万年以上前に滅亡してしまっていた……。物の考え方や捉え方、概念の持ち方が異なる可能性のある生命体と人類が持てる"共通項"は何なのか、といったとっかかりから文明を解釈していく"地球外考古学"のアイディアと、100万年残るものは何なのかなどディティールの書き込みっぷりが豊かでおもしろい。

レギュラー

人知れず何らかの基準によって売春婦を殺して回る一人の男と、依頼を受け殺人事件を調査することになる私立探偵ルース・ロウ(49才、女性)の戦いを描く探偵譚「レギュラー」。"調整者"と呼ばれる感情や思考の抑制技術、身体の一部が機械化されハイパフォーマンスな身体能力を誇るルース・ロウ、事件の真相にも最先端技術が関わっているなど、SF探偵譚として珠玉の出来。機械化されたおばさんによるぶっ飛びアクションも相変わらず最高で、これは本書の中でも特にお気に入りの一篇だ。

ループの中で

軍事用ロボットが敵に発砲するさいに、巻き添え被害は当然起こりえるリスクである。では、それをプログラムした人間はどのような責任、心理的負担を負うのか。「ループの中で」はそうしたロボットの倫理プログラムを構築する女性を中心とした一篇。子供は巻き添え対象として高い評価を与えられている=攻撃対象外になりやすいので過激派が子供を戦闘に使うようになるなど、描写のリアリティが素晴らしい。

状態変化

産まれた時に身体とは別に命の源泉たる「魂」が何らかの形をとる特殊な設定が加わった世界を描く「状態変化」。たとえば物語の主人公リナは産まれた時"アイスキューブ"が魂として出現し、「お気の毒です」と母親は医者に言われてしまう(魂は肉体と離すことができず、氷は保持するのが困難だから)。実際問題お前の魂は氷だ! と言われたら「や、やり直させてくれーーーー!!」と絶望するよね。

この設定がまず素晴らしいが、必死に毎日氷を溶かさないように生活するリナの描写がやけにおもしろいし、彼女が不平不満を漏らすのではなく自分の運命を受け入れ、あくまでも現実的に現実へと対処していくそのスタイルもたまらなく好ましい。で、他の物が魂の人たちの生き方も入り混じりながら(たとえば、タバコとか)タイトルである"状態変化"に収束していく流れがあまりにも見事。最高、素晴らしい!

細かくいろいろ

「残されし者」はケン・リュウ自薦の一篇で、シンギュラリティ以後にアップロードされ現実から消えていく人類、その状況を取り残されていく人類側から描く。去っていく者達への恩讐と生身ある生への執着といった描写の凄まじさが光る。"予知視"の能力者が悪役として覚醒していく様を描く「カサンドラ」はいわゆるスーパーヒーロー物なのだが、悪役の理屈の展開がスマートかつ破壊的な一篇。ラストには震える。

「万味調和──軍神関羽のアメリカでの物語」は関羽の物語が中国移民の物語と並行して語られ、"中国人"から"アメリカ人"へと変容していく物語。著者の来歴とあわさってジーンときてしまう。「『輸送年報』より「長距離貨物輸送飛行船」」は飛行船が主な輸送手段になっており、空を飛行船が飛び交っているちょっと変わった世界の夫婦の物語。プロットがどうこうというより、特異な風景が心地よい絶品。

おわりに

特にお気に入りをあえて3つに絞るなら、「鳥蘇里羆」、「ループの中で」、「状態変化」かなあ。状態変化ってそこまで評価が集まる作品ではないような気もするんだけど、異常に好きなんだよね。「レギュラー」もどうしても入れたいし、結局そんなこといっているとアレもコレもと止まらなくなってしまう。近年稀にみる傑作揃いの短篇集なので、本当におもしろい短篇が読みたいのなら他の何をおいても読むべし!

もののあはれ (ハヤカワ文庫SF)

もののあはれ (ハヤカワ文庫SF)

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犬ってすごい!──『ジャングルの極限レースを走った犬 アーサー』

ジャングルの極限レースを走った犬 アーサー

ジャングルの極限レースを走った犬 アーサー

人生の大半を犬と過ごしてきた。

だから心の底からの実感としていえるのだが、犬ってのは良いものだ。つらい時は慰めてくれるし、楽しい時間はさらに楽しくなる。撫でているとあっという間に時間が過ぎるし、心地がよい。というわけで僕は10でも20でも人類が犬を飼うべき理由を挙げられるが──、本書を読んだら、また犬を飼いたくてたまらなくなった。

本書はその名の通りに、極限レースを走った犬についての一冊である。極限レースを走った犬ってなんじゃそら、犬をわざわざレースに連れて行ったのか? と最初疑問に思ったが、そういう話ではない。エクアドルで行われた、登山からサイクリング、川下りまでなんでもありの約700キロ耐久レース。そのレースにスウェーデンから参加した4人のチームに、"勝手に"ついてきた野良犬の話なのだ。

 僕たちは約七〇〇キロものレースにのぞもうとしていた。一五八キロをトレッキング・登山・懸垂下降で、四一二キロをサイクリングで、それから一二八キロをカヤックで進む。想定では、勝者で一一〇時間を要し、ゴールにかかる標準的な時間は最大で一九〇時間。昼夜八日間にわたるレースということになっていた。

極限レースとは何なのか

本書が犬についての一冊なのは確かだが、その前半部は"犬が走ることになった極限レースとは何か"という話でもあり、臨場感あるレース描写はやけにおもしろい。700キロコースだから、数日がかりの旅である。天候が味方してくれるとも限らない。時には不足した物資を臨機応変に調達しなければならない。あらゆる状況に対応できるように準備していく必要もあるが、不測の事態は常にいくらでも発生する。

その対応方法も無数にある。ぬかるみを走った自転車を洗うため、現地の住民によく知りもしないスペイン語で話しかけ、ぼったくられる。レース中に重要なマップを紛失してしまった時は他チームに話しかけて情報を引き出そうとする。ある時は話しかけて敵チームの弱点をさぐったり、相手が負っている怪我について質問することで傷を意識させるなど、卑怯ともいえる様々な戦術が当たり前にとられるのだ。

犬との運命の出会い

そんな過酷なレースの最中、著者ミカエルをリーダーとしたチームが犬に出会うのは、困難が予想されるジャングル地帯へと踏み込もうと休憩をとっている時である。

食事をしている彼らを見つめる一匹の野良犬がいる。エクアドルでは野良犬は珍しくはないが、大抵身体のどこかを怪我し、現地住民に暴行を受けている。後にアーサーと名づけられることになるこの犬も例外ではない。背中に大きな傷を受けており、身体は傷と血だらけで、歯もボロボロ。そして当然、お腹が減っているようだった。

そこで、著者は犬に持っていた食事を一部分けてやることにする。与える側からしてみれば一時の気まぐれだっただろうが、犬の視点からすれば、逃すわけにはいかない神のように見えたことだろう。特に犬のことを連れて行こうともせずにジャングルを進むチームに、必死に食らいついてくる。過酷なレースだ。犬にかまってやる余裕なんてない。しかし犬は離れないし、チームはアーサーという名前までつけてしまう。

ジャングルを踏破するまではスピードもそんなに出るわけではないし、犬がついてくるのも、困難ではあるが不可能ではないといえる。しかし、その次にくるのは200キロを超えるカヤックでの川下りだ。勝手についてくるに任せるというわけにはいかないし、普通犬をつれていくなんてありえないと、誰もが当然そう判断する。犬はここで置いていこう、エクアドルの犬なのだから、自分で家まで帰れるに決まっている。

 シーモンが前に乗り、パドルの準備を整えてから、僕たちは出発した。そのころには、橋の上や川岸にさらにたくさんのアスリートたちが集まっていた。カヤックの上でバランスを取っているさなかにも、人々のざわめきが聞こえてくる。後ろを振り返るなと自分に言い聞かせた。無意味なことだ。振り返っちゃだめだ。
そのとき、ばしゃんという水しぶきの音が聞こえた。

アーサーの身体は死にかけというぐらいに傷だらけで、チームが引き上げなかったら死んでいたかもしれない。それでも犬は川へと飛び込み、もうこうなったら仕方がないとチームもこの過酷なレースへと、アーサーを連れて行く覚悟を決めた。『このレースは僕らにとっても厳しいものだった。だから、アーサーの傷と体調がすごく心配だった。でもアーサーは離れようとしなかった。チームの一員になっていたのだ。』

アーサーの写真はレースの最中の物が本書に幾つも載っているが、使い古された雑巾のようにボロボロだ(それは人間も同じだけど)。過酷なレースに同行し、その上死にかけていたはずなのに、どの写真でもアーサーの目はらんらんと輝いており、チームの後にきっちりとついている。映画のラストシーンみたいにチームの4人がゴールへ向けて横に並び歩いている、その足元で得意げに先導するアーサーの姿が写った写真など、チームの一員どころかまるでリーダーのようだ。かっこいい。

おわりに

本書の後半はレースを終えた後、アーサーをスウェーデンへと連れ帰るまでの騒動や、アーサーの治療の道のりについての話であるが、メディアの爆発や一匹の野良犬を国を超えて連れ帰ることの困難さなどこちらも読み応えがある。

レース中からレースが終わった後まで含め全てが感動的な話だ──とはいえ、アーサーはお腹が減っていて、死にかけていたから、食事をくれる相手に必死でついてきただけといえる。それを助けたミカエルも、スポンサーのついたプロの耐久レーサーとして、上位を目指せなくなったレースで宣伝になりそうな美談を見つけ(道中すでに大きな話題になっていた)、利用したのだと穿った見方をすることもできる。

しかしそれでもなお、読み終えて沸き起こってくるのは、"犬ってすごいな"、という純粋な感嘆だ。アーサーはどんな理由にせよ、ジャングルを走破し、川に飛び込んでまで、確かに人間についてきて、最後まで離れることなく走りきったのだ。それは、事実なのである。そして、本書を最後まで読めば、ミカエルとアーサーの絆が本物であることは嫌でも理解できるだろう。

ちなみに、その後のアーサーの姿は著者のInstagramで確認できる。めちゃくちゃかわいい。
www.instagram.com

笑ってしまって読み進まない──『鳥類学者だからって、鳥が好きだと思うなよ。』

鳥類学者だからって、鳥が好きだと思うなよ。

鳥類学者だからって、鳥が好きだと思うなよ。

本書は一言でいうと鳥類学者による研究生活をつづった鳥エッセイ集なのだが、これがまあ異様におもしろい。鳥類学者として著者がしてきた研究内容、体験談がそのまんまおもしろいのはもちろんだが、それ以上に文体がエキセントリックである。

 霧の中に点々と鳥の死体が落ちている。日常生活では、鳥の死体は反物質と対消滅してしまうため目にする機会は少ないが、南硫黄島には反物質がないので消滅しない。それどころか、ネズミやカラスなど死体を食べる脊椎動物もおらず、死体はゆっくり分解される。よく見ると、蔓や枝にも死体が引っかかっている。生体よりも死体が好きな私には、天国のような地獄絵図である。多産される死体は豊かな自然の証拠だ。結構結構。

一段落に一つはネタが挿入されており、時には鳥そっちのけでずっとネタを撒き続けている。一段落がだいたい1〜2ツイートぐらいの分量であることも相まって、大量のネタツイートを読まされている気分になる。笑ってしまって今なんの話をしていたのだがすぐにわからなくなるし、読み進まない。笑える学者エッセイというと土屋賢二さんが思い浮かぶが、土屋さんは自虐エッセイの極みであり川上さんは自他をネタにしながら漫画・ゲームネタを無尽蔵に投入していくフリースタイルといえる。

調査地が消滅し、頭に虫が入る。

まあとにかく笑えておもしろいんですよ、とそこで話を終わりにしてしまってもいいぐらいなのだが、内容の紹介も簡単にしておこう。日本鳥学会の人数は1200人ほどらしく、要するに専門家が少ないのもあって鳥類学者の日常に触れる機会は少ない。そのため出てくる話題のひとつひとつが新鮮で、笑いを抜きにしても充分におもしろい。たとえば、研究をしているうちに、時折調査地が消滅することがあるという。

 研究をしていると、たまに調査地が消滅する。私の調査班が、焼き畑で灰燼に帰したこともある。友人の調査地が、崖崩れに没したこともある。そして今回、鳥の生物相の謎を解く研究計画は、みるみる溶岩に飲まれていく。国内に2ヶ所しかないオオアジサシ繁殖地の一つは、すでに跡形もない。

何がどうなったら調査地が消滅するの? と思うかもしれないが、噴火によって新しい島が出来ることがあり、既存の島の近くで起こった場合は溶岩に飲み込まれて消えてしまうことなどがあるのだ。僻地に生息する生物を調査対象とする、生物学者ならではの悲劇ともいえるが、本書ではこのあとNHKの調査班に同行して島の生物相の様子を観に行く著者の体験談が描かれていて、そちらもなかなかに感動的である。

著者のメインフィールドは小笠原諸島なのだが、その調査記録は楽しそうだな、と思わせられる部分も多い。無人島へおもむき、動植物が生い茂る中調査をして回るのは、まるで冒険のようでちと羨ましい。ただ、読み進めるうちに、夜間の休憩中に突如頭のなかに虫が入ってきて頭がガンガン、バタバタ、ギチギチする時の描写などが出てくると「うわあ、絶対無理だわ」と思わずにはいられない。恐ろしさの極みのような事態だが、著者の文章はネタにまみれていてそっちには感動してしまう。

 いずれ鼓膜を突破し脳に侵入され、私はモスマンに成り果てる。ミュータントモスが腹を食い破り人類を恐怖のドン底に叩き込む。不吉な未来に怯えながら夜明けを待つ。長く戦いすぎて蛾と友情が芽生えてしまうかと不安になったころ、朝日の中に迎えの船が現れた。

モスマンに成り果てるっていったい何なんだ笑 この驚異的な発想力と、文章の圧倒的なリズムの良さよ。本当にただの鳥類学者なのだろうか。にわかには信じがたい。

生態系を保持する。絶滅危惧種を復活させる。

こうした調査探検記の部分も抜群のおもしろさだが、既存の生態系を破壊する外来種を殲滅したり、絶滅危惧種を保護したりといった活動もなかなかにおもしろい。たとえば小笠原諸島に生息する通称「アカポッポ」が絶滅しかけている(総数30〜40羽だったとか)ということで、著者含む120名が対策を練り、実行に移す。

最優先となるのは鳥を虐殺するネコ(これも外来生物)の駆除で、まず重い金属製の罠を担いだ駆除部隊が毎日山奥まで見回りをする。その他にも動物園での飼育技術の確立、生息環境を改善する外来植物駆除事業の実施など必要とされる準備は膨大で、一つの消えかけた生物を再び増やすのがどれほど困難か、その一端が理解できる。

また別の場所では、ミズナギドリを保護するためにネズミ駆除作戦が展開される。ミズナギドリは地中で営巣し、しかも動きが遅いのでネズミといえども襲われたらひとたまりもない。結局、殺鼠剤の空中散布によって根絶宣言がなされたが、ネズミは意外としぶとく、短距離(クマネズミで1kmぐらい)であれば海を泳いできてしまうらしい。ネズミって1kmも泳げるんだ!? とびっくりしたが、つまり一度ネズミを根絶しても1km〜2km以内の他の島から泳いできて、また繁殖する可能性があるのだ。

その上、ネズミのような生物の場合生態系の中でまた別の鳥類の餌となっていて"新たな生態系"を担っている可能性もあり、単に駆除していいのか(駆除することで別の鳥が生存できなくなるのではないか)という視点も必要になってくる。生物相手は計算通りにいかないことの連続で、読者としては(たぶん、研究者も)それがおもしろいところだが、研究するのも保護するのも一苦労だろう。

おわりに

ざっと紹介してきたが、何しろこうしたエピソードの一つ一つを語るのにその十倍以上のネタが投入されていくのでためにもなるし笑いもとまらない。というか、笑っているうちに何が語られていたか忘れてしまってもおかしくはない。そうなるともう何のための笑いなのかもわからないが、とにかくおもしろいのでいいのだろう。

本書には他にも鳥の糞を調べて(鳥は咀嚼せず丸呑みするので、糞として排出されるまでの時間生き延びればワープできる)、生きた生物がいないかを調査したり(実際、カタツムリの15%が生きたまま見つかった)やたらとおもしろい研究/実験成果が目白押しなので、別に笑いたくなんかないという硬派な鳥好きにもオススメである。

鳥類学者 無謀にも恐竜を語る

鳥類学者 無謀にも恐竜を語る

huyukiitoichi.hatenadiary.jp

約15万円の講座を圧縮して読めるハイパフォーマンスな一冊──『SFの書き方 「ゲンロン 大森望 SF創作講座」全記録』

SFの書き方 「ゲンロン 大森望 SF創作講座」全記録

SFの書き方 「ゲンロン 大森望 SF創作講座」全記録

  • 作者: 大森望,東浩紀,長谷敏司,冲方丁,藤井太洋,宮内悠介,法月綸太郎,新井素子,円城塔,小川一水,山田正紀
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2017/04/20
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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本書は東浩紀さん率いるゲンロンで一年間開催されていた、大森望さんによるSF創作講座をまとめた一冊になる。受講料は第一期が148000円、第二期が168000円(税別)となかなかのお値段がするが(とはいえ、物にもよるがこの手の講義からするとお手頃だと思う)、内容の充実度、その場所で副次的に得られるものを考えると安いものだろう。なにしろ、募集開始から枠がすぐに埋まってしまうのだから。

創作講座の充実度。

(ゲンロンの回し者のように見えるとアレだが)SF創作講座から得られるものを率直に考えてみると、まず講師陣が圧倒的。大森望さんが主任講師だが、色んな意味で日本SF界の中心にいるといえる人なので、その周囲をウロウロするだけで人脈が増える。実力ありきの世界とはいえ、人脈はないよりはあったほうが良い。面識があった方がまず何かあった時の頼みやすさ、頭に浮かぶかどうかってのが全然違うしね。

そして各回の講義にやってくる作家、編集者らがまた豪華だ。作家陣は長谷敏司、冲方丁、藤井太洋、宮内悠介、法月倫太郎、新井素子、円城塔、小川一水、山田正紀と小説で金をガンガン稼いでいる人たちで説明も不要だろうが、その裏方である編集陣もみんな凄い。仮に日本でSFを書きたくて、何らかの手段でデビューしたり、それに類することになった時、必ず関わり合いになってくる人たちが揃っているのだ。

講義の仕組み

本の内容に入る前に、ざっと講義の仕組みを紹介しておこう。講義は月に1回行われ、まず1コマ目に上述のゲスト講師による講義が行われる。2コマ目では受講者から提出された梗概に対する講評がなされ、選ばれた上位三篇は梗概の実作に進み、最後の3コマ目でその回に書かれてきた実作短篇への講評が行われる。

作家陣の講義は、実作にあたっての技術的な側面の指導はもちろん、企画を通すための梗概の重要性、執筆ツールは何を使っているのか(藤井太洋さんはScrivener)、純文学の選考員をやっている円城塔さんによる「ジャンル純文学の傾向と対策」など実践的かつ本質的な内容でめちゃくちゃおもしろい。正直、受講生らは小説を書かなくても、講義を聞けるだけで元がとれるだろう。とはいえ、その講義の内容の多くは本書で読める。約17万の講義が約1600円で楽しめるので、完全にコスパが良い。

本書の構成

基本的には各回の講演と講評が書き起こされていく。各回にはテーマが与えられており、たとえば第一回は東浩紀さん、編集者の小浜徹也さんにより"SFの定義"が。第三回ではゲストに冲方丁さんを迎え"構成"について講義が行われている。また、前回のゲストによって出された課題に対する、受講生の梗概も2篇収録。

梗概に関してはレベルが高いものもあれば低いものもあり、創作志望者の人は読んでいて「これなら自分の方が……」と意欲を掻き立てられる人も多いのではないか。そうでなくとも熱い創作論や未熟ながらも熱のある梗概を読めば、ついつい自分でも書きたくなってくるだろう。プロではない人の梗概がたくさん読める機会は普通そう多くはないので*1、これはこれで貴重。ちなみに梗概も短篇も、Webにアップロードされており、無関係なウォッチャーも作品についてアレコレ論評できる。

僕も時折目に入ってくるので梗概や短篇を読んでいたが、いきなり他者の目と率直な評価に晒されるわけで、嫌な人は嫌だろうが、最終的にプロを目指す以上避けては通れない。何より、他人の評価を得なければ"客観的な評価"を自分の中に持つことは難しいので、マイナス面もあるのは間違いないが、より"実践的"ではあるのは確かだ。

講義の内容

さあ、というところで講義録の内容にも触れていこうとおもうが、とにかくどれもおもしろい! 冲方丁さんの回なんか、のっけから『今回、受講生のみなさんの梗概をせっせと読んだんですけど……これまでに「梗概とは何か」教えてもらいました? 梗概は「ひとまとまりの、読んですぐわかるもの」です。』〜〜『はっきり申し上げますが、新人賞受賞レベルの人は仕事の現場では使い物になりません。もう一段上にいかないとダメです。』、などなど全体的に直球過ぎて笑ってしまった。

宇宙SFについて語られた小川一水回では、『密度とか硬度、ヤング率、熱伝導率、導電率。日常的にそういうものを意識すると、宇宙SFだってものすごくリアルに、かつ簡単に書けるようになると思います。』と率直に本質的な部分が述べられている。長谷敏司回では星新一賞は「AIの応募を受け付けます」といっているが、実際に十万超えの応募作が送られてきたらどうするんだとか、魅力的な話題が連続するので、作家を目指さない、各作家らのファンが読んでも充分に楽しめるだろう。

技術的な側面への言及を取り上げだすとキリがないが、変な世界を描く時には『キャラクターの土台となっているこの現実とは別の常識を描いていけると、形が固まっていくと思います。』という長谷敏司さんの言だったり、冲方丁さんによる『冒頭で謎を作る』『書き手は結論を明確に抱いて、それを伏せる。』というテクニックであったりと、かなり基本的な部分の講義が充実しているのも、本書の価値をあげている。

とはいえ、やはり書かなければ。

とはいえ、いくら講義を受けようが、結局は自分で書いてみて、技術的な課題を明確に認識し、人に読ませその反応をみることで自分の中に客観的な基準をつくりあげ、一個一個技術を積み上げていく──創作に関してはそういう地道なプロセスでしか得られない物も多く、"書かなきゃはじまらない"のはどの創作講義でも同じこと。

ゲンロンのSF創作講座はそういう意味では、梗概から先に進むのは実力勝負だから、実作のサイクルという観点からは弱いなと思う──が、勝手に書いてくるのは自由だし講評をしてもらえる場合もあるので(そもそも梗概も自由提出だし)、結局はやる気勝負。2017年開始の第二期募集はもう満員で終了してしまっているが、来年、再来年も開講するはずなので、興味がある人は頭に入れておくといいだろう。

いやしかしSFコンテストに創元SF短篇賞に、カクヨムにはSF部門があるし、この創作講座もあいまって今日本SFシーンは非常に(読者としては)おもしろいですね。

*1:Web小説投稿サイトを読めばたくさん上がっているとも言えるか……

奇妙なアンソロジー──『夜の夢見の川』

夜の夢見の川 (12の奇妙な物語) (創元推理文庫)

夜の夢見の川 (12の奇妙な物語) (創元推理文庫)

翻訳家である中村融さんが編者となって、〈奇妙な味〉と呼ばれるタイプの作品を集めた日本オリジナルアンソロジー。15年に同じく創元推理文庫から『街角の書店』が出ているが、その続篇的な扱いである(無論、内容的な繋がりはない)。

ちなみに"奇妙な味"とはジャンル名ではなく、複数ジャンルを横断する、展開が割り切れなかったり展開が異様だったりといった作品傾向を示すもの。まあ、本書を読めば「ああ、こういうもののことを奇妙な味っていうんだな」と一発で理解できるだろう。あるいは、この記事を読んでもある程度わかるようにするつもりである。

本書には12篇収録されており、そのうち本邦初訳は5篇。登場作家には『人間以上』のシオドア・スタージョン、ブラウン神父のG・K・チェスタトンあたりが揃っているけれども、知名度的には劣るケイト・ウィルヘルムやクリストファー・ファウラーなど、他作家陣もまったくひけをとらないおもしろさ。読んだことのない作家の作品や、埋もれていた作品を知れるのもこうしたアンソロジー物の大きな魅力といえる。

奇妙な味のおもしろさ

奇妙な味のおもしろさはどこにあるのか。「奇妙なところです」で済ませてしまってもいいわけだけれども、理屈でわりきれない、明確な解釈がもたらされない(もたらされるものもある)、独特の読後感がまず良い。何より個人的に好きなのは自分が今読んでいる物語が、どこに転んでいくのかさっぱりわからない不安定さにある。

見たこともない犬種の猟犬が現れたり、刺されても血が出ない人間が出てきたりと奇妙な味系の作品にはおおむね「なにかおかしなこと」が起こる。その事象はホラー装置なのか、幻想譚なのか、SFなのか、そっくりそのまま現実なのか。異常な事態、それが"なんなのか"がわからないままに揺らぎながら進んでいく物語の不安定さ、不気味さが好きなのだ。そして、そうした作品傾向は、長くは引っ張らずに短く走り抜ける短篇とは特によく合っているので必然的にアンソロジーもおもしろくなる。

下記でいくつか収録作を紹介しよう。

何篇か紹介する

クリストファー・ファウラー「麻酔」はまさに奇妙な味の体現者のような短篇だ。

歯医者にいって麻酔を打ってもらい、意識を保ったまま身体を委ねると、突如サイコパスじみた言動をしだす医者によって抵抗もできぬまま口の中をいいように切られ、器具を突っ込まれ、口から溢れるように血が流れ出す──。歯医者には何か目的があるのか、それともただ単に人の口をめちゃくちゃにするのが好きな異常者なのか。身動きもとれぬまま口の中をいじくりまわされるのはたとえまともな歯医者であっても恐ろしいものだが、相手が理解不可能な行動を取り始めると本当に怖い。

ハーヴィー・ジェイコブズ「バラと手袋」は珠玉のコレクター奇譚で、かつていじめられっ子だった極度の収集癖のある男が行き着いた、特異な境地が恐怖と共に描かれる一篇。フィリス・アイゼンシュタイン「終わりの始まり」は、死んだはずの母から電話がかかってきて、兄弟らに連絡をとると彼らはみな母親は死んでいないと言い張り現実感が失われていく。幻想譚かSFか、はたまたただ自分の記憶がおかしくなっていただけなのか──と最初から最後まで現実感が強烈に揺さぶられる一篇だ。

ケイト・ウィルヘルム「銀の猟犬」は、夫に付き従って今まで自分の望みをほとんど言ってこなかった女性の元に現れる、二匹の銀の犬についてのお話。夫を讃えながらも、不満が積み重なっていく女性心理、自分に執着してそれ以外の人間に目もくれない謎の美しい犬への恐怖、封印していた父への記憶──など複数要素が見事に混ざり合ってラストへと結実する。ウィルヘルムの洗練された技術が味わえる秀作だ。

シオドア・スタージョン「心臓」は心地よい割り切れなさが印象に残る小品で、愛する人を貧弱な心臓のせいで失いかけた女性が、彼の心臓へと憎しみをこめてナイフを突き立てた時に起こる奇妙としか言いようがない顛末を描く。フィリップ・ホセ・ファーマー「アケロンの騒動」はウェスタン物。女を取り合って殺されてしまった男が、最新の科学技術によって突如復活を果たす。果たしてこの技術は本物(SF)なのか、あるいは幻想譚か現実か? これはオチですっきりするタイプのお話である。

ロバート・エイクマン「剣」は次々と観客が女性の身体に剣を突き立てていくが、一切血のでない不可思議なショーについての物語。異様な雰囲気の描写がひたすら心地よく、色々と解釈が可能だが、最後まで読んでもその決定打はもたらされない。

カール・エドワード・ワグナー「夜の夢見の川」は護送車の事故によってとある屋敷に逃げ延びた女性が体験する不可思議な状況を通して、狂気と正気が判別不可能に入り混じっていく。狂っているのは彼女か、はたまた屋敷の住人か。架空の戯曲、フラッシュバックする異常な記憶などすべての要素が収束するラストがまた素晴らしい。

おわりに

中篇と短篇が程よくミックスされ、心地よい割り切れなさの残る作品が高いレベルで揃っている。本書を読めば奇妙な味とは何なのかが即座に理解できるし、そのおもしろさも無数の側面から体感できるだろう。有名どころだけではなく埋もれた名作、知られざる秀作を集めてきており、一言で言えば──良いアンソロジーだ。

街角の書店 (18の奇妙な物語) (創元推理文庫)

街角の書店 (18の奇妙な物語) (創元推理文庫)

知識やノウハウの分布から成長率を予測する──『情報と秩序:原子から経済までを動かす根本原理を求めて』

情報と秩序:原子から経済までを動かす根本原理を求めて

情報と秩序:原子から経済までを動かす根本原理を求めて

いろいろとしっくりこない一冊だ。

『宇宙はエネルギー、物質、情報でできている。』と壮大な始まり方をし、情報を基本的には「物理的秩序」という意味で使うといったり、シャノンをひきながら意味と情報を区別し、なぜ時間は不可逆なのかなど前半部では情報の本質的な議論をしていく。最初はワクワクさせられたものだが、後半の話とはあまり関係がない。

繰り返しが多く散漫で、たとえ話はわかりにくく、その上無駄に気取った読みづらい文章には(翻訳というか原文の問題)イライラさせられるし、「経済成長とはそもそも情報成長のひとつの表れにほかならない」という主張もだからなんなんだとしか思えず──と難癖ばかり思いつくのだが、それはそれとしておもしろいところはある。

何がおもしろいのか?

前半は情報とは何なのかとか、人間が作る製品は想像力を具象化したものだ、とかの話が続くが、後半の話とはあんまり関係がないので割愛する。発想としておもしろいな、と思ったのは、情報とは何なのかという最初の話を前提として行われる、経済についての話だ。前提となるところをざっと書き出すと下記のようになる。

  1. 複雑な製品を一から作り上げるには、知識やノウハウが必要である。
  2. ただし知識やノウハウは容易く伝達できるものではなく、長期間にわたって教えてもらわなければ出来ない物も多い。たとえば、(製品とは関係ないけど)一度も飛行機を運転したことがないのに本だけ読んでパイロットになるのは厳しい。
  3. パイロットになりたければすでに経験のある人から教えてもらうことが必要だろう。そのため、経験的な知識の習得については経験者を一定数必要とするので、地域的な偏りが生まれる(知識の保有者が少なければ知識も広まらない)。
  4. また、学習とは経験的なもので習得には時間がかかるので、個人が蓄積できる知識やノウハウの量には限度がある。たとえば一人の人間がiPhoneの部品をひとつひとつつくって、ソフトウェアまですべてを構築するのは到底不可能だ。
  5. 本書ではひとりの人間が蓄積できる知識やノウハウの量を、基本的な測定単位としてパーソンバイトと呼んでいる。

複雑な製品を作る能力は地理的にバラついているが(たとえばアフリカの企業がいきなりそこでiPhoneをつくろうとおもっても無理だ)これは2,3が原因であり、それに関連して4の単位で計算することで、人数あたりの生産ネットワークの規模と、最終的に実現できる知識やノウハウの量が予測できるようになるのではないか、という。

もちろんパーソンバイトと経験的な知識の習得に関しての地域的な偏りだけでは予測のためには足りず、生産ネットワークをつくるにあたっての関係構築コストの大小、製品製作とは無関係なパーソンバイト量の消費(煩雑で不可避な手続きとか)などによっていくらでも変わってくるのだが、その点についても本書では触れている。たとえば気安く交流が行われるシリコンバレーのような環境であれば、知識の伝達はよりスムーズに行われるだろうし、閉鎖的な社会では知識の伝達は遅れるだろう。

知識やノウハウの分布をどうやって可視化するのか

さあ、そうはいっても知識やノウハウの分布を可視化するのは難しい。それを数字として表すには、知識やノウハウを間接的に表してくれる何かが必要だ。著者は、その間接的な何かとして、輸出産業の地理分布に目をつけてみせる。たとえば下着、シャツなどはどこでもつくれるので、あまり知識やノウハウを必要としないといえるだろう。逆に世界的に珍しい産業は、知識やノウハウをより多く必要とするとみなせる。

また、知識の性質からいって産業の発展は基本的にそれまで内部で培われてきた産業と類似するものへと展開していくことが予測される。つまり、『大量の知識やノウハウを蓄積するには、その知識やノウハウを具象化するための巨大な人々のネットワークが必要だ。そして、巨大なネットワークを移転したり複製したりするのは、少人数の集団を移転するほどラクではない。その結果、産業・立地ネットワークは入れ子構造をなし、国々は製品空間のなかで隣接する製品へと目を向けるのだ。』

とまあこの辺の理屈を用いて産業発展を予測しよう! という発想はおもしろいし、実現性が高そうである。パーソンバイトの発想も凄い。で、本書ではこの後、この理論を実行して、国家が輸出する製品の構成から、将来の所得水準をかなり正確に予測できる(要はノウハウの量が輸出製品でわかり、パーソンバイト理論と組み合わせれば成長率も予測できるから)というのだけどこれはなんかなあって感じ。

そのグラフは複数の指標を用いてはじき出した経済複雑性と、期待値として出されたひとり当たりGDPをプロットした物で、実際のGDPが期待値よりも上か下の国はその後10〜15年のスパンの成長率でみると期待値に近づき、高い予測性を示すという。で、その図だと経済複雑性指標と期待値GDPがもっとも高い国の一つが日本なんだよね。だが、出されているデータは1985年から2000年の物。原書刊行は2015年なんだからもっと新しいデータは出せなかったんだろうかと思ってしまう。

日本の経済複雑性が最も高く、そのためひとり当たりGDPの期待値も最も高いです、実際に1985年から2000年までの成長率をみると期待値にそっていますと言われても現状の日本をみるとうーんとしか思えないが、提示されている図は1985ー2000年の物なので今は違うのかもしれない。僕がよく理解できていない面もあるように思うが、しっくりこない話である。まあ、でもおもしろい部分はおもしろい一冊。