基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

オールドスタイルなスペースオペラの土台に宇宙のすべてが乗っかった、圧巻のオープンワールドRPG──『Starfield』

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ベセスダの新作ゲーム『Starfield』、XboxGamePassに加入してプレミアム・エディションを追加購入した人は9月1日からプレイできた。現時点で35時間ほどプレイし、各勢力のミッションもいくつかたしなみながらメインミッションも一応クリアしたので、いったんファーストインプレッションとして感想を残しておきたい。

最初にざっとした総評

結論からいうと間違いなくベセスダのオープンワールドRPGであり、他スタジオが作ったオープンワールドRPGからは摂取できない栄養がここにはある。『Skyrim』と『Fallour4』をあわせたよりも多いセリフ量があり、8年の月日がかけられた。数多くの勢力が入り乱れるさなかに次々と道徳的に曖昧な選択を迫られ、それが世界に不可逆の変化をもたらす──そうしたSkyrimやらFalloutシリーズやらでこれまで散々味わってきたあの喜びとおもしろさがここにはあり、ここまで熱中してプレイした。

「宇宙を舞台にした冒険RPG」と説明されて、こんなことやりたいな、あんなことやりたいな、と想像することはだいたいなんでも可能にしたゲームだ。宇宙船を自分好みにクラフトし、宇宙船戦闘を繰り広げる。氷の惑星から砂漠の惑星まで数多の惑星に足を広げ、廃墟などを探索する。奇妙なエイリアンどもとやりあう。

宇宙海賊になって人から金を巻き上げる、財宝を追い求める。あるいは宇宙をめぐるパトロールになって悪いやつらをこらしめ、宗教までもが絡んだ大きなテーマに接続し──と、1960年代〜70年代ぐらいを彷彿とさせるオールドスタイルなスペースオペラのシンプルな土台に、あらゆる素材が載っている、本作はそんなゲームだ。

下記は開発者へのインタビュー記事の日本語訳(僕が適当に訳した)

Starfieldは最もロマンチックなサイエンスフィクションだ。1960年代の黄金時代の宇宙への夢が心に、そしてベセスダの親しみやすい感触が血管に流れてる。アートディレクターのIstvan Pelyは、本作のヴィジュアルを”NASA Punk”という造語で表現した。「ホログラムがいたるところにあるわけじゃない。ボタンがあって、触感がある。彼は親指で空気をつぶしながら言う。「未来的だと思わないで。時代劇だと思えばいい。これは実際にあったことなんだ。ゲームを300年後の未来に設定されているけど、人間性が変わったようにはしたくなかったという。「人は人のままだ。彼らは完璧じゃない」*1

これまでベセスダゲーを楽しんできた人はもちろん、FalloutもSkyrimもやったことないけど一回ぐらいやってみたいな、と思う人も手を出しやすい作品になっている。この手のゲームはボリュームが多いことが宣伝されるし、数十時間、100時間溶けたわ〜という人も多い(し隅々までやったらそれぐらいかかる)が、寄り道しつつもメインミッション中心でプレイすれば30時間もかからないはずなので(難易度もベリーイージーまであるし)、時間が心配な人も手を出してみるのも良いだろう。

一方で難点がないわけでもない。これまでの遊びの延長線上の作品であるのもまた間違いなく、新鮮味は多くない。また、宇宙を舞台にして「なんでも可能にした」と先に書いたが、その全部が全部素晴らしい体験になっているとはいい難い。宇宙船戦闘も最初は楽しいがすぐに飽きてしまう程度のものだし、移動の基本は惑星から惑星へのファストトラベルなので、物量は感じても宇宙の圧倒的な広さといったゲーム体験的なおもしろさに繋がっているかというと微妙な面もある。

宇宙を旅する

じゃあStarfieldは実質宇宙のガワをかぶせただけのSkyrimってこと? といえば、広大な宇宙を舞台にしたからこそのスケール感と魅力もきちんと存在する。

各勢力クエストのおもしろさやメインミッション後半の怒涛の展開は本作が宇宙ものであることの意義が発揮されている。いろいろな宇宙・都市は、サイバーパンク風だったり荒野だったりと多様な世界観を内包し、視覚的に楽しませてくれる。

各惑星はどれも美しい

総評としては、欠点がないわけではないが、そのゲーム体験は唯一無二のもので素晴らしい作品であることにかわりはない。本作をめぐっては10点満点中の7点が高評価か否かみたいな議論も発生しているが、僕がつけるなら8か9かな。以下、極力ネタバレを廃してストーリー部分を中心に、もう少し詳しい紹介をしていきたい。

ストーリー、世界観など

物語の舞台は2330年。人類は太陽系を離れ、数々の惑星に入植し独自の文化を発展させている。このゲームでは一般的なオープンワールドRPGのように数々のミッションが存在しクリアすることで物語が進行していくが、重要なのは「勢力」の概念だ。

この世界にはいくつもの勢力があって、基本的にはこれがミッションの柱になっていく。たとえば主人公が通常は最初に所属する「コンステレーション」は、アーティファクトと呼ばれる(おそらく)異星人が残した不可思議な物質を集める宇宙の探検家の集まりであり、このミッションを通してアーティファクトの収集、力の秘密を追うことになる。これがメインミッションになるが、他にも数多くの勢力が存在する。

コンステレーションの本拠地がある惑星ジェミソンのニューアトランティスでは、Starfield世界屈指の軍事力と影響力を持つコロニー連合に入ることもできる。コロニー連合に入ると下っ端で簡単な仕事から……と思いきや、紅の艦隊という無法者集団への潜入捜査を命じられ、いきなりハードなミッションをこなすことになる。海賊に信用されるために無法な行為にも手を染めねばならないが、やりすぎればコロニー連合の怒りを買い──と、ぎりぎりの綱渡りがこのミッションでは展開していく。

ある特殊な技術を開発する超大企業であるリュウジン・インダストリーズに所属することになればライバル企業の情報を盗んだりよからぬウイルスを紛れ込ませたり、社内政治に巻き込まれていく企業スパイもののストーリーが展開し──と、勢力ごとにテーマも題材も異なった物語が堪能できる。長篇をつぎつぎと読んでいくようなもので、”どちらの勢力を壊滅させるか”、”勢力内で誰の味方をするか”など、自分自身で不可逆に世界を変化させていく喜びがある。そこで得た力や情報はどれも攻略を楽にするもので、この辺の構築力はさすがのベゼスタゲーといったところだ。

メインミッションの味付けは薄い

僕のプレイ体験としてはコロニー連合ミッション⇛リュウジン・インダストリーズ⇛自由恒星同盟の順に勢力ミッションをクリアし、その後にメインミッションに着手した。メインミッションは基本的にはいろんな惑星をめぐってアーティファクトを集めるだけでそれぞれの色のある勢力クエストと見比べると単調でつまらない。

広大な宇宙を堪能してもらうために、宇宙の冒険・探検をテーマにしたオールドスタイルなスペースオペラの物語を中心軸に置くのは理解できるが、その中身がファストトラベル⇛惑星に降り立って数分で目的のものをゲット⇛帰宅の連続だと話が変わってくる。ドラマティックな展開もあるし味付けの薄い探索の連続の理由も推測できるのだけど、退屈なものは退屈だ。僕の場合この点が本作の評価を大きく下げている。

プロット的には本作の(というかベゼスタ製オープンワールドRPGとのだけど)ゲーム性ともよくあっていて、終盤の演出にぐっとくるポイントも多々あるんだけどね。

クラフトなどについても長々と書こうと思ったがもうけっこう長くなったしやめておこう。数多の惑星に降り立ち(たとえば月にもいける)そこに拠点を作ることができるのは思いのほか楽しい体験だ。ゲーム中では乗組員(クルー)をスカウトすることもできるのだが、彼らは自分の宇宙船だけでなく拠点にも配置できるので、彼らが居心地の良い空間を作ろうと思うと、けっこうやりがいはある。

おわりに

ディレクターを勤めたトッド・ハワードは現時点で52歳。これだけの作品を作り上げるには相当な困難があったことは間違いないが、次は『Skyrim』の続篇にあたる『The Elder Scrolls 6』に着手するというので、タフな仕事が続くわけだ。6にも『Starfield』と同じだけの時間がかかるなら60歳になってしまう。

そうするとそろそろ後継者育成に手を出すタイミングだろうが、先に引用したインタビューの中で彼は『「ずっとやっていきたい。私の仕事のやり方はおそらく進化していくと思いますが、宮本を見てください。任天堂の象徴は今年71歳になった。彼はまだやっています。』*2と語っている。トップクリエイター同士のリスペクトが感じられてかなりぐっときちゃったな。*3

いったんレビューを書いたがまだまだ僕も未プレイの膨大なクエストが残っているから、もっと遊ぼうと思う。本作は余白(広大な宇宙に散らばる惑星だったり)が大きいのも特徴で、DLCやMODにもいつも以上に期待がかかる。時間が経つことでもっともっとおもしろくなるのは間違いないゲームだ。今年はアーマードコア6も最高だったし、SFゲーム豊作の年として記憶されることになるだろう。

*1:https://www.gq-magazine.co.uk/article/starfield-todd-howard-interview

*2:“I want to do it forever,” he continues. “I think the way I work will probably evolve, but… look at Miyamoto.” The Nintendo icon turned 71 this year. “He’s still doing it.”

*3:宮本さんは後継者(というか自分がいなくても回る仕組みを)を作ってるんだけど

ただただ美しいゲーム──『ELDEN RING』

【PS4】ELDEN RING

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『ELDEN RING』をクリアした。すべてのボスを倒したり、何周もしたりしたわけではないが(本作には周回要素が存在する)、とにかくラスボスを倒しエンディングが流れた。文句がないわけではないが、素晴らしいゲームだった。やり終えた時はやったやった! といったきゃぴきゃぴした喜びよりも、人生史に残るゲームがまた一本増えた……というしみじみとした、静かな感慨が湧いてくるようなゲームであった。

宮崎英高氏の作るゲームにはいつも明確な思想というか、「このゲームはこれが肝なんだ!」という強い意志を感じるのだが、本作もその例に漏れない作品だ。アクションゲームとしての骨子には従来のフロムソフトウェアーダークソウル的なスタイルを引き継ぎながらも、世界観的には新鮮で(世界的なファンタジィ・SF作家ジョージ・R・R・マーティンの力も関わっているのだろう)、新たな境地をみせてもらった。

個人的に、ダークソウルやブラッドボーンなどの暗い世界観と雰囲気が苦手だった(プレイ済みではある)。今回オープンワールド(公式ではオープンフィールド)化し、世界観としては「黄金時代の過ぎ去った、次の時代の在り方を求めている世界」である。

そのため、旧来のダクソ的な雰囲気を残したフィールドもあれば、『SEKIRO』の色鮮やかな風景を思わせるようなフィールドあり、SF感のある場所も、王道ファンタジィらしい場所もあり……と、未知の領域を探索しに走り回っているだけでも楽しい、大好きな作品となってくれた。本当に、広大なマップのどこに行っても世界観の奥行きを感じさせるオブジェクトが転がっていて、いったいどうやってこうしたデザインを徹底できたのか……と驚くばかりであった。間違いなく、人生史に残る作品だ。

マップを走り回っていくだけで楽しい

オープンワールドゲームではその広大なマップをどのようにして隅から隅まで探索してもらうのか? というのが重要なテーマとなるが、『ELDEN RING』の場合は「強い敵(とそいつが落とす装備)を求めて」というのがその答えになる。行ったことがないマップを適当に馬で走っていると数分に一回ぐらいのハイペースでボスが急襲してきたり、まだ見ぬ未探索ダンジョン・フィールドが見つかったりする。

マップを普通に歩いているだけなのにドラゴンがいて道を塞いでいたり、巨人が歩いていたり、馬に乗った黒い騎士が橋の真ん中で歩いていたり、ヤバいやつらがいくらでも見つかる。そうした敵に挑んでもいいし、走り抜けて逃げても良い。挑んだ場合は、勝てば強い武器などの報酬が得られるのは間違いない──色彩が鮮やかに切り替わるマップをただただ走っていくだけで、数々の脅威と好奇心が刺激される。

一回だけ戦ってみるか……と軽い気持ちで戦いだしてみたら7割ぐらい削れたところで負けて、なにくそっと意地が出てきて何回も再戦をしたくなったりもする。正直、そうした戦いのときに頭にあるのは相手を倒していい装備が欲しいとかではなく「ただただ強いこいつを倒してえ」という悟空的な闘争心のみであり、そうした戦いを繰り広げていくうちに無限に時間が溶けてゆく。結局こいつには勝てん……と無念の撤退をしても、装備を整えレベルが上がると回避など何もしなくても勝てるようになっているので、強くなった後に俺TUEEE系主人公の気分を味わうことも可能である。

世界には膨大な未知とまだみぬ強敵があって、マップを眺め、遺跡や廃墟のようなマークを発見し、ここにはいったい何がいるのだろう……とかけていくと、必ず期待に沿うなにかがいる──あるいは、ある。そうした繰り返しが、RPGの本質的とさえいえる「手探りの探索の楽しみ」と「発見と踏破の喜び」に繋がっていく。

難易度調整の自由さ

個人的に本作のゲームとしてよかった点が、難易度調整が個々人でいろいろとカスタマイズできる点にあった。たとえば、最もわかりやすい難易度調整は同じく人間の協力者を呼び出すマルチプレイで、自分がどれほど弱かったとしても、強い人を呼び寄せればその人が倒してくれる(呼び寄せた人が死んでしまうこともあるだろうが)。

そのほかに、「遺灰」と呼ばれる協力者的なNPCを呼び出すシステムがあり、これが何十種類もあるので、強い遺灰を駆使すればぐっと攻略が楽になる。他にも、特別な攻撃を可能にする「戦技」(おなじみの要素である攻撃をタイミングよく弾いて反撃を行うパリィも今回は戦技のひとつ)もぶっ壊れと言われるほど強いものもあれば弱いものもあり、ネームドのNPCを呼び出すシステムもあり──と、RPGとらしい「自分自身を強化する」以外にも、攻略を楽にする要素が多様に用意されている。

「ぶっ壊れ」と言われ先日のアップデートでナーフされた要素(たとえば自分自身のコピーを生成する写し身という遺灰や、霜踏みという戦技)もあるが、攻略に有効な要素はたくさんの動画が上がっているので、調べればボスなどもそう苦労しないだろう。僕はまず最初の何戦かはいわゆる「ぶっ壊れ」系の要素は使わず、10戦を超えてまったく勝てる気がしなくなってきたら縛りをゆるめていく──という形でやっていたが、このように自分で難易度調整ができる自由さも本作はかなり気に入っている。

と、そんな感じで本作はイージーモードなどは存在しない代わりに勝手な難易度調整の自由度は高いので、難しいゲームなんでしょ? と思う人でもわりと気軽に手を出していいと思う。最悪(人間の)協力者をオンラインで呼び続けて全ボス倒してもらってもかまわんのだ。

配信を楽しむ

個人的にダクソやSEKIROをプレイしてきたのは、それがARPGとしておもしろいのはもちろんのことだが、これらのゲームで配信している人たちが非常に多いので、自分自身もプレイして配信をより楽しみたいという気持ちが大きかった。

実際、この手のゲームは自分がまったくやらない状態で配信をみて、配信者がなすすべもなく敵ボスにやられひとつのボスで2時間3時間と沼っていくことを楽しむこともできるが、自分がプレイしているとおもしろさはより増す。ああ、このボスは本当に発狂しそうなぐらいきつかったな……というボスで、配信者が同じように苦しんで「こんなんどうやって避けるんだよ! 避けれねえだろがい!!」と叫んでいると、「そうだよな、こいつは強いんだ」とにやにやが止まらなくなる。『ELDEN RING』もたくさんの人たちが実況をしていて、プレイしている最中も今もそうした人たちがどのようなルートでマップを制覇し、ボスに苦しめられるのかを楽しんでいる。

ビルドは多彩で、いわゆる「攻略最強ビルド」にすれば難易度はある程度下がる。そうした最強ビルドに一直線で進んでいく配信者もいれば、縛っている配信者もおり、難易度調整の自由度の高さはそのまま配信を見ることで人それぞれの攻略スタイルをみることの楽しさに繋がっている。何人もの配信を追っかけているがみな攻略順はバラバラで、苦しむポイントも縛りも多様、とにかく今はそれを漁るのが楽しい。

おわりに

まだ一周目が終わったばかりなのでこれからもっと遊ぼうと思うが、とにかく一周終えて浮かんできた感想は「ただただ美しいゲーム」だった。風景が美しいのはもちろん、一部のボスは恐ろしい造形だけでなく、その攻撃方法がまた壮麗だ。ボスとしてはラダーン祭のラダーン戦が何よりも印象に残っているが、その後のイベント、またそのあとに訪れることになる都市を発見した時の興奮と美しさときたら──。

本作もまた多くを語らないゲームだ。UIがは簡素で、デフォルトの設定だとHPやFPといった最低限のUIさえも移動中は消え失せてしまう。NPCも決して多くを語らない、曖昧クソ野郎ばかり。そうしたシンプルさがまた本作の「意志」であり、洗練された美しさに繋がっている──単に不親切なだけとの境目は微妙なところだが──。

あのボスはマジでクソだった、このゲームから削除してくれとかドラゴンなど大型ボスの視点移動&移動の面倒さはクソすぎとかモブの強さじゃねえだろ!! とか序盤のマップ密度と終盤のマップ密度の差ぁ!! とかあのボスの祝福の位置はゴミすぎだろとか文句も湧いてくるといえば湧いてくるが、終わってみればすべてよし。深い余韻を残す良いゲームだ。プレイ中の皆様はがんばってください。

サイバーパンクとは何か、その本質的特徴を、古典的代表作と現代のゲーム・映画・小説でみていく

文章の元はIGN japanに『サイバーパンク2077』発売直前に寄稿した原稿だが、今はもうゲームも出ているので、それを踏まえた内容に全面的に加筆修正している。

【PS4】サイバーパンク2077

【PS4】サイバーパンク2077

  • 発売日: 2020/12/10
  • メディア: Video Game
もうすぐ全世界待望のゲーム『サイバーパンク2077』が発売される(もう発売された)。今回はこれに備えて、サイバーパンクとは何なのか、どのようなジャンルかを紹介し、『ニューロマンサー』から、昨今のサイバーパンク小説/映画/ゲームを横断的に紹介することで、『サイバーパンク2077』へ期待を繋げていきたい次第である。

サイバーパンクとは何か

サイバーパンクとは何かといえば、語源的には生物と機械における制御と通信を一緒に扱う分野であるサイバネティクスと、パンクロックのパンクを合わせたもの。ブルース・ベスキという作家が1980年に発表した短篇小説のタイトルとして用いたのが初出だが、その後に、ウィリアム・ギブスンの記念碑的傑作『ニューロマンサー』が世に出て、ブルース・スターリングら他の(後にサイバーパンクと形容される世界の)書き手たちが現れ、作家のガードナー・ドゾワが彼らの新しい作風、思想のスタイルを表現する言葉として「サイバーパンク」をあてがったという経緯がある。

一種の「運動」に対して用いられた言葉であって、「こういうものがサイバーパンクである」という明確な定義があるわけではない。80年代に出てきたムーブメントだけあって、日本的な意匠、ドラッグ文化、ハッカーのアンダーグラウンド感、ヒップホップやスクラッチミュージックといった当時勢いのあった文化が多く取り入れられているのもサイバーパンクの特徴の一つ。ま、現状の用語の使われ方をみていると、『ブレードランナー』的な荒廃した世界に怪しげな日本語のネオンサインがあったら「サイバーパンクっぽいね」となるし、仮想世界が描かれていたり、サイボーグが出てきていたり意識をサーバ上にアップロードする要素が描かれていたら「サイバーパンクでいいっしょ」という雰囲気がある。そんな感じでも別にいいだろう。

ブルース・スターリングによって編まれた『ミラーシェード―サイバーパンク・アンソロジー』の序文では、サイバーパンクについて次のように語っている。今では絶版で中古価格もあがり手に入りにくい本でもあるのでちと長めに引用しておく。

 サイバーパンク作品の特徴は、その幻視の激しさにある。その作家たちは異様なもの、シュールなもの、以前は考えもつかなかったものを高く評価している。彼らは進んで──熱心なまでに──アイディアをつかみ、ひるむことなく、限界を超えてそれを展開させている。J・G・バラード──多くのサイバーパンクにとっては偶像視されている役割モデル──のように、しばしば感情を表にださず、ほとんど医学的なまでの客観性を用いる。それは科学から借り、古典的なパンクのショック志向を文学に応用した手法である、冷静なまでの客観的分析なのだ。
 このヴィジョンの強烈さによって、強力な想像力の凝集がもたらされる。サイバーパンクはその印象的なディティールの利用、入念に構成された複雑さ、エクストラポレーションを日常生活の構造にまで積極的にひろげてゆくことなどで、幅ひろく知られている。〝ぎゅうぎゅうづめ〟の文章が好きなのだ。スピーディな、目のまわるような小説情報の爆発、感覚の過負荷が読者を、ハードロックの、〝ウォール・オブ・サウンド〟にあたる文学上の相似物の中に埋めてしまうのだ。
 サイバーパンクはすでにSFの中に現れていた要素の、埋もれていたこともあるがつねに可能性にあふれている要素の、当然の延長なのである。サイバーパンクはSFジャンルの中から起こってきた。インヴェイジョンなどではなく、現代的リフォームなのだ。このゆえに、そのジャンル内にもたらした効果は急速で、強力だった。

何をいっているんだかよくわからない面もあるが、こういうテンションで語られるムーブメントだった、ということだ。こうした定義も映像作品やゲームにもサイバーパンクという言葉が使われるようになっていって、変化していくことになる。

ウィリアム・ギブスン『ニューロマンサー』

ニューロマンサー (ハヤカワ文庫SF)

ニューロマンサー (ハヤカワ文庫SF)

サイバーパンクで繰り返し扱われるテーマを、初期のサイバーパンク作品から見出してみよう。ジャンルの礎ともいえるウィリアム・ギブスンの『ニューロマンサー』(1984)は、電脳空間(サイバースペース)に自身の意識を投入(ジャックイン)することでハッキングなどの活動を行う、コンピュータカウボーイであるケイスが主人公。

電脳が中心となりテクノロジーは発展しているものの、犯罪がはびこり陰鬱な雰囲気を感じさせる、荒廃した未来世界を描き出していく作品だ。この作品が書かれた当時はサイバースペースという言葉が存在せず、言葉や概念を創造することからサイバーパンクの中心的なイメージを構築していった。2004年版の「Neuromancer」に寄せられた。ウォマックの解説の中では、ウィリアム・ギブスンにたいして次のように触れられている。『どの世代においても、アメリカの大衆心理には、一人のSF作家を認識するだけの余地がある。しばらくの間はブラッドベリがそこにいて、次にアシモフ、そして「スター・トレック/ウォーズを書いているあの人」がその立場だった。ギブソンはその役割をほとんど一気に超越した。』(訳は冬木)

この世界での人間は自身の身体を当たり前のように義体化し、企業の力は国を超えるほどに大きくなっている。高度なサイバネティック・インプラントを用いて他人の視覚をハッキングできる技術者や、人間の意識や言動をトレースして本人のように話せる疑似人格、主人公であるケイスは、現実よりも電脳世界である「マトリックス」で暮らす時間が長く、そこでの歓喜の為に生きているような人間であるなど、のちの『攻殻機動隊』、それからいうまでもなく『マトリックス』をはじめとしたサイバーパンク作品に受け継がれていく要素のほとんどは、すでにここに存在する。

GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊 (レンタル版)

GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊 (レンタル版)

  • 発売日: 2016/08/05
  • メディア: Prime Video
こうした諸要素に加えて、サイバーパンクのテーマ的に重要なのはやはり押井守による映画版第一作『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』(1995)だ。今さら語ることは多くはないが、身体の義体化、電脳化といったサイバーパンクではお決まりの要素に加え、身体を次々と電子機器に入れ替え、電子的な制御を加えることで感情や感性を完全に制御できるようになった世界で、わたしがわたしであるとはどういうことなのだろうか。感じ方や感情が自由に操作可能であるなら、どのステータスが本当のわたしといえるのだろうか? 我々が人間であると定義する、本質にあたるものとは究極的には何なのか? という、現代にも通じる根本的なテーマを問いかけている。

『マトリックス』(1999)でサイバーパンク的に重要なのは、「仮想世界で生きるか、過酷だがリアルな現実の世界で生きるのか」という問いかけだ。『これは最後のチャンスだ。先に進めば、もう戻れない。青い薬を飲めば、お話は終わる。君はベッドで目を覚ます。好きなようにすればいい。赤い薬を飲めば、君は不思議の国にとどまり、私がウサギの穴の奥底を見せてあげよう』と主人公のネオは問いかけられ、赤い薬を選ぶ。こうした、仮想と現実の対立、あるいはヴァーチャルなものとリアルなものが混交していく様(こっちも『Serial experiments Lain』など、描き出しているものは多数存在する)を描き出すことは、サイバーパンク作品では定番である。

ブレードランナー ファイナル・カット(字幕版)

ブレードランナー ファイナル・カット(字幕版)

  • 発売日: 2015/03/15
  • メディア: Prime Video
ヴィジュアルについては『ブレードランナー』(1982)に触れざるを得ない。主に原作の要素だが人間と人造人間であるレプリカントの区別が容易にはつかなくなった荒廃した近未来を舞台に、人間に紛れ込んだレプリカントをブレードランナーとして狩る過程で、自分自身もレプリカントである可能性も浮かび上がってくる。この、「自分は人なのか、レプリカントなのか」という自己存在に関する決定的な疑問は、サイバーパンクではおなじみの、「人とは何なのか」という問いかけに繋がってくる。

ネオンサインがきらめく陰気な近未来感のあるヴィジュアル・イメージや、デッカードが屋台で食事をとったり狭い家に帰ったりといった日常を通して近未来を描き出す演出手法は、現代の作品も依然として大きな影響下にある(刑事が消えた息子の行方を追ってビルに乗り込むSFホラー『Observer』とか)。今でもサイバーパンクでゲームと言うとほとんどこの『ブレードランナー』や『AKIRA』のイメージが中心になってしまうのは良いのやら悪いのやらという感じではあるが。デザイン的な観点でいうと、『サイバーパンク2077』はこうした歴史を踏まえつつも圧倒的な物量で新しい世界(特に、昼間の風景が実に印象的なのだ)を魅せていてよかった。

こうした作品たちから本質的な部分を抜き出すと、「テクノロジーによって変質していく人間」を描いているところになるだろう。仮想世界に生き、AIと融合し、身体を義体化し、といった時、人はどこまで人なのか。かつて『ブレードランナー』で描かれた未来像はとっくに過去のものになってしまったが、その問いかけ自体は、むしろAIやバイオテクノロジーの力が増し、サイボーグの存在が現実味をましつつある現代において、よりリアリティを持って現代のSFの中にも生き続けている。

 サイバーパンクには一定の中心テーマがくり返し現れる。肉体の侵略というテーマだ。人工四肢、移植回路、美容整形手術、遺伝子改造。さらに強力なテーマが、精神の侵略だ。頭脳=コンピュータ・インタフェース、人工知能、神経科学──人間性を、自己の性質を根元から定義しなおす技術だ。

上記は再度ミラーシェードからの引用だが、この「精神の侵略」の中にはドラッグによる精神の変容が入っていることも興味深い。ドラッグもまた先進的なテクノロジーの産物であり、薬によって苦痛をとりさる、幸福感を高める、幻覚を見るといった行為もまたサイバーパンクの範疇に入ってくる。たとえば、ディックの「スキャナー・ダークリー」およびその忠実な映像化である同名映画もそんな一作だ。

スキャナー・ダークリー (字幕版)

スキャナー・ダークリー (字幕版)

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video
この映画はロトスコープ技術(現実の俳優に演技をさせ、それをトレースしてアニメーションにする技法)で描かれている。現実の俳優をトレースしているので(主演はキアヌ)リアルなのだが、主人公は薬物中毒でもあって、徐々にそのリアルな世界に現実と判別つかない幻覚がまじり込んでくる。原作における主人公の「現実と幻覚が入り混じってわからなくなる恐怖」が見事に映像化されている、稀有な作品である。

現代のサイバーパンク:映画とゲーム

ブレードランナー 2049 (字幕版)

ブレードランナー 2049 (字幕版)

  • 発売日: 2018/01/31
  • メディア: Prime Video
現代のサイバーパンクはかつての問いを引き継ぎながらも、新しい趣向が凝らされている。たとえば、『ブレードランナー2049』(2017)では、前作の意匠や設定をアップデートしながら(ホログラムAIの彼女など)、海面上昇で沿岸部が失われ、内陸に後退した市街地が巨大な防波堤に囲まれ夏でも雪が降るロサンゼルスを舞台に、暗い陰鬱な空気が白い虚無感にとってかわった、新しいヴィジュアルに仕上げている。
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近年になってもサイバーパンク・ゲームは作られ続けている。『Observer』も良いゲームだが、欠かせないのは、ベネズエラのチームによって作られた『VA-11 Hall-A: Cyberpunk Bartender Action』(2016)だ。誰もが体を義体化できるようになった近未来。脳みそだけで生きている人間もいて、人々が体内にナノマシンを入れ、暴動が頻発するがゆえに監視社会化が著しいグリッチ・シティを舞台として、20代中盤の同性愛者でバーテンダーの女性ジルを主人公に、その日常を描き出していく。

サイボーグなどの道具立て自体は前時代から大きく変化しているわけではない。しかし、当然のように出てくる同性愛者たち、前向きに、楽しくセックス・ワークに勤しんでいる、幼女型のAIロボット。自分の(性的な面は有料で)私生活を365日配信している女性など、数々の要素に「現代性」が垣間みえる。ジル(プレイヤー)はバーで仕事をし、そこを訪れる人々の苦悩を聞き、時にうなずき、時に反発していくうちに、この腐ったサイバーパンク都市における”生活”が淡々と浮かび上がってくる。

また、本作はベネズエラに暮らしていた作者らがそこで経験してきた人生──あちこちで暴動が起こり、企業が機能しなくなり、といった過酷な日々の反映でもあって、ゲームであり、サイバーパンク作品でもあるが、同時にベネズエラの歴史とそこから地続きの現実を描き出す文学としても機能している傑作だ。

現代のサイバーパンク:小説

荒潮 (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

荒潮 (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

  • 作者:陳 楸帆
  • 発売日: 2020/01/23
  • メディア: 新書
小説に目を向けると、近年最大の成果は、『三体』の劉慈欣が「近未来SFの頂点」とまで言った、中国のSF作家陳楸帆による『荒潮』(2013)だ。舞台となっている中国南東部のシリコン島と呼ばれる場所には、世界中から電子ゴミが集まっている。そこでは中国各地から出稼ぎにやってきた「ゴミ人」と呼ばれる最下層民たちが価値のある部品を集め、溶かして貴金属を取り出し、売りさばくことで生計を立てている。

そのシリコン島にリサイクル技術の超大手企業が、自分たちの技術を用いてゴミ掃除を低汚染でより効率的にし、利益を分け合おうとやってくるのだが──という形で、ゴミ人ら底辺層と支配者層の戦い、これらの技術がもたらす先にある、生物と機械を超える新生命の誕生へと繋がっていく。おもしろいのが、宗族制度が依然としてビジネスの場で維持されている理由など、中国独特の商習慣が作中でよく描きこまれていること。そして、Googleや百度といった中国の先端テクノロジー企業に勤務してきた著者による、解像度の高い技術描写が展開することだ。

透明性

透明性

最後に、テーマから現代性を感じさせるサイバーパンクという観点から選ぶと、フランスの作家マルク・デュガンによる『透明性』(2019)がおもしろい。トランスパランス(透明性)という会社の元社長の女性とその12人の仲間たちが、世界の金融市場に前例のない攻撃をしかけ、全人類を新時代へと突入させることを画策する場面から始まるこの物語は、一言でいえば「不死とテクノロジー」をテーマにした物語だ。

トランスパランスは全情報を本人が提供することで、将来のパートナーとの相性や仕事の相性を判断できるマッチングサイトなのだが、これを通して個人のデータを大量に取得することで、トランスパランスの元社長カッサンドルは一人の人間をソフトウェア上で完璧に再現する、つまり事実上の「不死」を達成したと発表する。彼女は新しく設立した会社エンドレスで、この技術を適用して不死を得るのは、アルゴリズムが「死後も生きるに値する」と判断した人物のみだと宣言したことで、世界中の人々はその資格を得るために、行動を変容させはじめる(環境に良い行動をとったり)。

これと対比的に描かれているのがGoogle社(実名で、ほぼ悪の企業として作中に登場する)だ。作中におけるGoogleは自分たちの身体を機械などに置き換えて生き延びようとするトランスヒューマニスト的な価値観の集団で、アルゴリズムによって選別されるカッサンドル案とは違って、一握りのエリートのみに永遠の命を保証しようとしている。誰しも不死を熱望し、それを得るためなら行動を変える。不死を保証してくれる技術を最初に手に入れたものは、新しい時代の神になるといえるだろう。

人工知能が自己フィードバックで改良を加速させることで、人工知能が人類に変わって文明と技術を一変させるようになるポイントを指すシンギュラリティ(技術的特異点)や、トランスヒューマニズムの思想が、テクノロジー面から不死を保証してくれるものとして、事実上の宗教のように機能している側面がある今、「新時代の神になるのは、どんなテクノロジーなのか(人格をデータ上に再現するのか、人体改変による達成なのか)」という問いかけは、現代的なものとして我々に迫ってくる。

そして『サイバーパンク2077』へ

と、そして現代最先端の『サイバーパンク2077』へと繋がってくるわけだけれども、一通りプレイした感想としては下記記事の通り。凄まじい物量とヴィジュアルからくる「自分自身がサイバーパンク世界で暴れまわる」ことができる、圧倒的な快感がある傑作だ。一方、ストーリー的にはサイバーパンクが持つジャンル性と超大作オープンワールドゲームが求める要素が衝突しているように感じた。
huyukiitoichi.hatenadiary.jp
『サイバーパンク2077』ではプレイヤーは自分の体や見た目を自由に変更し、さらには一人称視点で物語を進めていく「没入型」をとっているが、その主人公たるVはストーリー上明確な個性のある存在で、まるで自分のことのようには感じられない。「自分なりの選択」をとりたくても、Vの個性とコンフリクトしてしまうのだ。このあたりの接続はうまくいっているとは言い難い。また、サイバーパンク・テーマが持つある種の「行き止まり」が本作でもラストに待ち構えていて、それで終わり? まあそりゃしょうがないけど……感はどうしてもあった。というわけでストーリー的には僕の期待を超えるものにはならなかったが、素晴らしいゲームなのは間違いない。

おまけ。映画について

IGN japanでは原稿だけでなくサイバーパンク映画紹介の動画にも出演させてもらっていて、そこでは有名ではないサイバーパンク映画を3作紹介させてもらった。一作はすでに紹介した『スキャナー・ダークリー』。もう一作は虚淵玄脚本・
水島精二監督の『楽園追放 -Expelled from Paradise-』。こちらはロボット・バトル物でもあるんだけれども、2vs多のバトルがトラップを駆使して市街戦で繰り広げられるアクション・シーンが圧巻の出来。またサイバーパンク・テーマとしてもコンパクトにまとまっているのでサイバーパンク感を味わいたいならおすすめだ。
チャッピー CHAPPIE (字幕版)

チャッピー CHAPPIE (字幕版)

  • 発売日: 2015/07/24
  • メディア: Prime Video
ニール・ブロムカンプの『チャッピー』。開発されたばかりの人工知能ソフトウェアとそれを搭載したロボットがギャングの手に渡り、何も知らない純粋無垢な人工知能がギャングによって悪いことを学習し、犯罪に手を貸していく様が描かれていく。ヌンチャクや手裏剣でgood night!といいながら人間をぶちのめしていくロボットの絵面がめちゃくちゃおもしろい。SF的にもこの「知能がいきなり完璧な状態で現れるなんてありえないんだから、人工知能であっても幼児から始めるべきなんじゃないの??」という問いかけはテッド・チャンの「ソフトウェアオブジェクトのライフサイクル」を筆頭にいくつも書かれていて、SF的にも攻めたことをやっていた作品だ。

おまけのおまけ。サイバーパンクとキアヌ・リーブス

サイバーパンクとキアヌ・リーブス。動画出演の時に言ったのだが、キアヌ・リーブスはよくサイバーパンク映画に出ている。ウィリアム・ギブスン「記憶屋ジョニィ」の映画である『Johnny Memonic』の主演も、『マトリックス』も、『スキャナー・ダークリー』もキアヌ主演だし、『サイバーパンク2077』も主人公の相棒役はなんといってもこのキアヌ。『レプリカズ』とかいう映画にも出ていた。

キアヌ・リーブスはサイバーパンク顔なのか? 確かにシュッとしてて電脳感(?)はあるし薄汚れてるのもボロボロになっているのも似合うし、サイバーパンク感はあるといえばある。

サイバーパンクのすべてが内包されているかのような傑作──『サイバーパンク2077』

【PS4】サイバーパンク2077

【PS4】サイバーパンク2077

  • 発売日: 2020/12/10
  • メディア: Video Game
『サイバーパンク2077』が発売された。もう何年待ったことか。幾度もの延期を繰り返し、ようやくマスターアップしたかと思いきやまさかのそこから再度の延期を繰り返し、と出る前から話題沸騰。そしていざ出てからも、バグがあまりに多すぎてドタバタの返金受付、PS Storeからの削除と悪い意味で話題がたえない。

めちゃくちゃな注目度

だがそれだけの話題が巻き起こるのも事前注目の高さ故。開発会社のCD PROJEKT REDのウィッチャーシリーズは世界累計販売本数が5000万本という異次元の売れ方をし、このサイバーパンクについても事前予約だけで800万本の売上を誇る(デジタル74%、物理26%)。その期待はただごとではないし、ここまで世界のゲーマーが盛り上がる自体がこれから先あるのだろうかというレベルで盛り上がっている。

サイバーパンクの夢がここにある

そんな良くも悪くも話題を集めまくっているこのゲーム、おもしろいのかどうかといえば──いやー、これがもうめたくそにおもしろい! サイバーパンク好きにとっては、これほどの作品はない。サイバーパンクの要素をこれでもかと世界に詰め込んでいて、道を歩けばどこに目を向けても身体を義体化した人間が歩いている。そこに一歩操作キャラクターのVとして踏み込んで見れば、俺は、俺はついにサイバーパンクの世界に入ったんだ!! という異常な興奮の波が押し寄せてくる。

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ザ・サイバーパンクというような風景

サイバーパンクの世界とは何か? 体を義体化し、体中に入れ墨を入れた人間が山程歩く街並み。妙な感じで日本語や漢字がブレンドされた看板。サイボーグ化されたギャングたち、それをハッキングして目を盗んだりクラッシュさせたりする電脳・バトル! 攻殻機動隊で皆の心を鷲掴みにした首の後ろからワイヤーを伸ばして情報を受け渡す描写!(本作では手首)サイバーパンクとはサイバネティックとパンクロックからきた造語であるが、それを体現するかのようにパンクな登場人物の数々! 

それらがすべて詰め込まれた舞台のナイトシティは、伝説になれる場所であると語られる。混沌としていて、変化を続け、その実態を掴ませない。歩けば歩くほど風景が変わっていき、建物は多層的に折り重なっていて、まるでアスレチック遊具のよう。どれもが我々の今知っている現代の未来像ではなく、サイバーパンクが生まれた80年代に夢想された、古くて、新しい未来像だ。物語の主人公であり我々の分身であるVは、あるバックグラウンドから出てきてこのナイトシティにたどり着いた一人のゴロツキであり、ナイトシティでデカい仕事=犯罪をやって名をあげようと企んでいる。

ナイトシティでは暴力が絶えず、勢力同士の抗争がたえず、都市の至るところに悪漢が潜んでいる。明らかに住むには適さぬこの都市には、世界を一変させうるほどのテクノロジーも眠っていて、度胸と能力で金をガンガン稼いでいけば、何の権力もない下っ端から”伝説”になることだってできる、無限の可能性が秘められた都市だ。命の安全性は保証されないが、だからこそ上に登ることもできる。

プレイをはじめて驚いたのは、サイバーパンク要素のすべてはここに詰められているのではないのか、というほどに圧倒的な物量だった。メイン舞台のナイトシティの名前は『ニューロマンサー』からの引用だし、途中で出てくるブードゥー教もギブスンの『カウント・ゼロ』との関連がある。街のデザインにこれまでのサイバーパンク系作品がありったけ盛り込まれているのは一目瞭然だが(日本語のネオンサイン、AKIRA的なバイク、腕から出るワイヤー)、シナリオ的にも自我を持ち始めたAIの暴走、洗脳じみたハッキング、人体改造と宗教の問題、ブレインダンスという人の過去の記憶を3D上で再現する装置、人間の精神をチップの中で再現する技術など、サイバーパンクではおなじみの要素、意匠がこれでもかというほどに盛り込まれている。

それも、メインシナリオに組み込まれているのはその一部でしかない。多くの要素は街を探索していく中、メインと関係がないサイドの中で展開していくので、それらを自由に受けたり断ったりしていく中で、「自分はこのサイバーパンク世界の中で生きているんだ!!」という感覚が巻き起こってくる。言ってしまえば、これまでの膨大なサイバーパンクの歴史を一つの都市に強引に盛り合わせたような作品だ。

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ナイトシティーは場所によってまったく違った風景を見せる

それって新しい要素はないってこと? と思うかもしれないが、ここまでの物量でサイバーパンク世界を現出させようとした作品などこれまで一つもないのだから、膨大なサイバーパンクからの引用の集積それ自体が新しい。やりながら、ほとんど奇跡みたいな作品だなと思っていた(………奇跡? の代償として凄まじい量のバグが盛り込まれてしまったが……それはまたあとで触れよう)

やることが……やることが多い……

我々プレイヤーは伝説となるためにナイトシティを駆け回るのだけれども、やることがとにかく多い。やることが多すぎ、それが楽しくて、最初の30時間は寝る間も惜しんでやっていたぐらいだ。少しでも街を歩くとやることが降ってくるのである。

たとえば、都市中に武装勢力が巣食っていて、そいつらを片っ端からぶちのめしていくのもいい。街を歩いていたら近くで銃声がするからどれどれと覗きにいってみたら警察と武装集団が殺し合いをしているなんてしょっちゅうだ。ちょっかいをだしたらそのまま仕事(サイドジョブ)が始まることも数多い。街中の至るところにサイドジョブが配置されていて、我々Vとしてはナイトシティの伝説になるのが目的なのだが、その過程でサイバネを体中に仕込んだ格闘家たちと殴り合いをして頂点を目指してもいいし、自慢の車でカーレースに挑んで頂点を目指してもいい。

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サイドジョブ中の一コマ

正義の心で市長選に望む夫妻の手助けをしていく過程で、市長をめぐるドロドロの内幕、技術戦に巻き込まれていくのもいい。心を病んで部屋から出てこなくなってしまった警官に寄り添ってやったり、神の啓示を受けた宗教家が、磔刑にあって死ぬ瞬間の記憶を取得し売りさばくために乗っかってもいいし、説得してもいい。警官と一緒に子どもたちを誘拐して回っている謎の誘拐犯をとっつかまえにいってもいい。

カッコいい車やバイクがいろんな場所で売っているので、車をコレクションして回るのもいい。自分の体にパーツを仕込めるので、腕にブレードを仕込んで敵を両腕で斬殺してもいいし、足にバネを仕込んで二段ジャンプできるようにしてもいい。二段ジャンプをできるように仕込んだ時は、嬉しくて街中ぴょんぴょん飛び回ってしまった。とにかく高低差の大きいマップなので、ジャンプで行ける範囲が広がるのだ。

戦闘スタイルも多彩に選択でき、ステルスキル、近接格闘、銃撃、ハッキング等様々な軸があり、自分なりに伸ばすことができる。僕はやっぱりサイバーパンクといえばトンチキ日本(忍者)とハッキングでしょ! という感じで刀を持った近接格闘ハッキング忍者を想定してこの2つの能力を伸ばしていたが、外部からハッキングをして撹乱・数を減らしてから、刀を持って敵陣に切り込んで片っ端から斬り殺していくのは楽しい経験だった。こうした育成・成長要素はこうしたRPG、ハクスラではありきたりなものだが、ハッキング主体で考え、自分の体を改造し、見た目と能力を大きく買えていく喜びは、「サイバーパンク」ならではのものだ。

ケチもつける──バグ

絶賛を続けてきたがケチもつけさせてもらう! まずバグは多すぎる! 僕がプレイしたのはパソコン版でスペックも高いから、条件としては最良だが、バグは当然起きる。フリーズも稀に起きる。バグが多いことの問題はバグだけでなく、自分が要素を見逃しているだけでもバグかな?? と思って切り分けが難しくなることだ。幸いメインクエストで進行に関わる問題は発生しなかったが、サイドでは幾度もおかしくなり、進行できなくなってセーブ&ロードを行ったのも一度や二度ではない

もちろん返金を受け付けたPS4版の評判はよくない。こちらは、バグを少なくすることは今後のアップデートでマシになっていくことが期待できるが、純粋なマシンスペック上の限界があり、特に初期PS4ではこのゲームのおもしろさのコアみたいな部分──この雑多な「都市」を体験するところ──に制限がかかることは覚悟する必要があるだろう。すでに大きなアップデートが繰り返されているし、プレイ中に落ちることを覚悟の上なら、遊べるのではないか(やってないのでわからん)。

こうした問題は、バグがあることよりも(この規模のゲームならバグがないなんてことはありえない)、ぎりぎりまでPS4などの動作がキツい、フリーズが多発することを隠していた点にあるわけだけれども、ゲームの出来とは関係ないのでおいておく。

ケチもつける──一人称とVについて

もう一点、これはゲーム・シナリオというか構成上つっかかったところだが、今作は自分の容姿を自由に決定できる一人称ゲームで、没入を前提としている。僕は自分がサイバーパンク世界に没入するのが夢だったから自分に似た形でカスタムして、自分なりのロールに従ってプレイしていたのだが(敵は皆殺し、選択肢は最も極悪非道なものを選ぶ)、このゲームにはVという強固なキャラクターが存在し、プレイしていくうちに自分が設定したキャラクターとVの乖離が大きくなっていった。このVのキャラクターが、つまんねえんだよね。プレイヤーの選択肢に任せるという前提があるから味付けが控え目になっているのはあるんだけど、その割には自己主張が強い。

ケチもつける──シナリオについて

シナリオに関しても、少し不満がある。僕は『ウィッチャー3』の壮大で長大なメインストーリーが好きだった。自分自身が世界の行末に大きな影響を与えていると感じられる、大きな分岐点となる選択肢の数々も最高だ。しかし、多くのプレイヤーから長すぎると苦情がきたことを反省し、本作はメインが刈り込まれて短くなってしまっている。メイン部分のみをプレイするなら15〜20時間程度で終わるだろう。

だから、ということもないのだろうけれど、このメインシナリオ部分だけでいえば、秀逸なサイバーパンク作品の範疇を出ない──というより、この規模の作品であることを考えると、ちゃちな終わりになってしまっているように感じる。これは作品の欠点ではなく、(長すぎると苦情がたくさん来ていたのは事実なのだし)僕の好みの問題ではある。何より、ゲームはナイトシティを満喫させることに重点を置いており、一本の縦軸であるメインストーリーの充実度は、そこまで重要ではないと感じる。

おわりに

と、不満も含めて述べてきたけれども、もはや二度と出ることのないレベルのサイバーパンクの傑作であることは間違いない。いつか、何年か経ったあとに2020年、あるいは2021年の体験として、バグの狂騒も含めて、『サイバーパンク2077』を遊んでいてよかった、と思うだろう。あの時代、あの空気の中で、このゲームを遊んだのだと。ゲームの発売とはお祭りであり、特に全世界で事前予約だけで800万も売れるようなゲームの場合は(オンライン要素がなかったとしても)なおさらだ。

プレイしている間、ずっとサイバーパンクの夢を見ているかのようだった。

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美しいナイトシティの風景

IGN japanで別途サイバーパンクとは何なのか、という記事を書いているのでこっちも読んでね。
jp.ign.com

究極の雰囲気ゲー、傑作サイバーパンクゲーム──『VA-11 Hall-A: Cyberpunk Bartender Action』

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IGN Japanから原稿依頼があり今度サイバーパンクについての大きめのコラムを書く予定があるので、昔やった『VA-11 Hall-A』を思い出すためにプレイし直していたんだけど、これがおもしろいよなあ。尋常ではないぐらいに「ノベルゲーム」としての文章がうまい。一瞬でこちらを惹きつけるテキスト、政治と性と暴力が絡み合った「危険な」社会の描き方、そうした社会で生きる人々の日常、そのすべてが。

当時プレイした時に書けばよかったのだけど(2017年ぐらいかな?)今回軽くやりなそうと思ったら最後までプレイしてしまったので、超今更ながらも軽く雑感を書いておきたい。どうしてもブログにこのゲームの記事を残しておきたかったのもある。

本作は、近未来のサイバーパンク都市における日常のやりとりを、バーテンダーとして生活する一人の女性ジルの視点を通して描き出していく物語、ゲームである。舞台は、腐敗しきった政府と大企業が仕切る未来の都市グリッチ・シティ。監視社会化の進展は著しく、人々は体内にナノマシンを入れており、それも監視に利用されようとしている。政府の腐敗や支配的な大企業・富裕層への抗議として、そこら中で暴動が起こっていて、外の銃声もそう珍しいことではない。そうした市民の暴動を止めるため、ナノマシンを用いた人体の緊急停止までもが検討されている荒れた社会だ。

ゲーム部分について

プレイヤーが視点者となるジルは27歳の同性愛者の女性で、それなりにしんどい過去を持ちながら、バー、VA-11 Hall-A(ヴァルハラ)で働いている。ゲームプレイとしては、彼女に同調して、毎日バーに出勤して、そこにやってくる人々にいろいろなカクテルを調合してお出しするという、ただそれだけのことをやる話である。カクテルを作る部分にはゲーム性があるが、項目を選んで何秒ふるかを選択するぐらいで、ほとんどゲームともいえないゲーム部分だ。しかし、凄まじく雰囲気が出る。

カクテルを作るのに、客は「ビールをくれ」とわかりやすい指定を言ってくるだけではない。時には「男らしいものをくれ」といい、時には「いつもの」をくれ、といって、まるで謎掛けのようなものになっている。そうした注文を受けて、プレイヤーは「なんだったっけ?」とか「男らしいっていったらこれかな?」と推測を重ねて酒を提供し、客の反応をみていく。常連がいつも注文しているものを覚えて、はいはいいつものあれね、と次第に客の個性を熟知していったり。カクテル調合はゲーム性があるとはとてもいえないようなゲーム部分だが、ゲームをやっている時のこっちの気分は完全にバーテンダーになっていて、雰囲気としては最高に際立っている。

VA-11 Hall-Aは儲かってもいない場末の横道にそれないと見つからないバーで、ワケアリの客しかこない。読者をバカにして、くだらない記事を量産している自嘲する新聞の編集長。水の中に浮かぶ脳みそだけの客、殺し屋を名乗る男、探偵、ロボアイドル、AI搭載のロボットだが、性産業に従事する幼女にしかみえない女の子、ハッカー、家出してきた女の子など。だが、日々そうした人々の日常や裏話を聞くうちに、この腐った都市における”生活”が淡々と浮かび上がってくる。

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自分の私生活を365日配信している女性(有料会員には自身の風呂や性交など性的な場面も配信)

サイバーパンク世界の日常

サイバーパンクといえば「大きな事件」を扱うもの、というイメージがある。だが、VA-11 Hall-Aが扱うのはサイバーパンク的な世界における「人々の日常」だ。隣に当たり前のようにAI搭載で人間にしか見えないロボットが過ごしている日常。脳の情報をサーバにアップロードして無限に生きることができるかもしれない世界の日常。体のほとんどが機械化されている人、能力を底上げするために肉体を切り離して機械に変える人がいる日常。そうした当たり前の日々が描き出されていくゲームなのだ。

ジルは淡々とした女性で、バーに立ちながら客の私情には立ち入らず、最初のうちはただ相手の話を聞き続ける。だが、物語が進むうちに彼女の物語が前景化する。それは、実を言えばそんなに大したことがない問題だ。昔付き合っていた女性と喧嘩別れしてしまっていて、謝れないままに数年経ってしまったとか、そうやってもやもやしている間に相手が亡くなってしまって、昔は仲がよかった彼女の妹に責められて苦しいとか。でも、そういうある意味では当たり前の葛藤を、この「サイバーパンク世界」で淡々と描き出していったところにこの物語、ゲームのおもしろさがある。

当たり前のように暴動が起き、外では爆発音が響き渡り、いったいこれは何の音なんだろう、何が原因なのだろうと恐怖しつつも話し合って賭けをする。そうした日常と非日常が混ざりあった世界で生きることの意味も同時にここには描かれている。

それは、サイバーパンク性とはあまり関係がなくて、このゲームの開発者らがベネズエラの人々であり、あちこちで暴動が起こり、企業が機能しなくなり、食べ物の価格が跳ね上がり、親族が職を失って食えなくなるような、過酷な人生のアップダウンを経験してきたことと関係している。ゲームであり、サイバーパンクではあるが、同時にベネズエラの歴史と、そこから地続きの現実を描き出す文学でもある。

Chris:まったくその通りです。確かにベネズエラに暮らしていると、非日常的なことが思い切り日常的に感じられるようになります。昔は生活が一時的に良かった時がありました。景気がよくなり、ちょうどティーンの頃はとても楽しかったです。ですが、また景気が落ちてくると、あちこちでデモが起きたりして……。その時の政権に反対する人々がデモを起こすのですが、そういう人々が捕まって死刑になることは普通にありますし、大規模なデモが起き、警察の手で140人ほど殺されたという事件もありました。この間、ニュースで見た動画なのですが、空港で誰かが爆弾をしかけたらしく大きな爆発がありました。その事件でも100名ほどが死んだのですが、周りの人の反応が驚くほど薄いのです。歩いている人は目の前で人が死んでいるのに動画を撮影したり、笑っていたり、「あ、そう。ボーディングパスちょうだい」といったような反応です。それを見て「なにこれ!」と笑っている人もいるし、今のベネズエラを見ると、何が日常的で何が非日常的なのかがわからなくなってきます。*1

人が死ぬことが常態化してしまっている社会。だが、人が死ぬことが日常ではあっても当たり前だと描いているわけではなく、そこには確かに悲しみと苦痛がある。なぜこのような社会なのかと嘆きながら、そこで生きていかねばならない理由もそこで暮らす人々にはあり、その日の家賃を稼ぐために、毎日バーに向かって出勤をする。

日常を描き出すといってもこのゲーム、主人公のジルの視点からみるとそうというだけで、断片的に明かされる情報を統合すると背後で起こっていた大きな事件の全体像がわかってくる……という配分のバランス感覚も絶妙なのだけれども。

おわりに

先に書いたように、ほんの一文でこの物語に読者を引きいれる手腕が並外れている。たとえば、親の期待が重くて、親の言う通りになりたくなく、アルコールの臭いをプンプンさせて帰りたくてバーにやってきた未成年の少女に、ノンアルのカクテルを出し、あなたは相手を傷つけるために自分を傷つけるべきじゃない、と諭してみせる。

人を傷つけるために何かをして、それでどうなるの? 好きなことをしてそれでお母さんががっかりするなら、あなたにはお母さんに抗議する権利がある。 でも、好きでもないことをして自分を傷つけてお母さんまで傷つけようとしてるんなら…

好きでもないことをして、自分を傷つけ、さらに他人を傷つけるなら、自分が好きなことを見つけて、それを貫き通すためにどうしようもなく他者を傷つけるべきだ、と諭してみせる。決して相手を否定しているわけではなく、かといって肯定しているわけでもなく、自分自身の人生を生きるためにどうしたらいいのかを伝える。

これは単なる少女への対応だが、新聞社に勤める女性、市民の平和を守るため、しかしそこで裏切りにあった女性、セックスワーカーのアンドロイド……様々な人の悩みや葛藤と相対し、時に解決法を提示し、時にただ話を聞いてやる。そうした一つ一つの描写が積み重なっていった先には、なんてことがないことなのに、大きなエモーションがある。もちろん、それを盛り上げる素晴らしいデザインに、音楽も外せない。

本作を久しぶりにプレイしたり、森博嗣の同じくサイバーパンク日常ものともいえる『彼女は一人で歩くのか?』から始まるWシリーズ、WWシリーズを思い出して、SF、というよりサイバーパンクは「日常」を重視してこなかったのかもしれないと思う。ここには、大きな鉱脈があるのではないか。10〜15時間で終わる、規模は小さい作品なのだけれどもここにある雰囲気は最高だ。もうプレイすべき人の多くはやっていると思うが、久しぶりにプレイして、思わず文章を書き始めてしまった。

もうすぐ続篇である『N1RV Ann-A: Cyberpunk Bartender Action』が出るから、そういう意味ではここで振り返っておけたのは良かったかな。制作では、途中ベネズエラで大規模な停電があったり、国情が不安定化したりで国外で散り散りになったりと大変な目にあっていた/いるようだ。*2
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複雑な人間関係・時代関係がカタルシスへと直結していく、尖りすぎた近年最高峰のSFアドベンチャーゲーム!!──『十三機兵防衛圏』

十三機兵防衛圏 - PS4

十三機兵防衛圏 - PS4

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: アトラス
  • 発売日: 2019/11/28
  • メディア: Video Game
いやはやこれは本当におもしろい、今年最高のゲームだった。『オーディンスフィア』などで知られるヴァニラウェア✗アトラスの新作だが、タイトルからもわかるように本作はいわゆるロボットゲームである。ゲームパートはRTSのタワーディフェンス型の仕組みが採用されていて、こちらも大変におもしろい内容に仕上がっているのだけれども、特筆したいのは、アドベンチャーパートのシナリオに各種演出だ!

物語冒頭、怪獣の侵攻によって街が破壊されつつあり、人々が逃げ惑う中一人の女子高生が太ももをすっとなでる/さらう動作をすることで、STARTの文字が浮かび上がり、街中の歩道橋越しに巨大な人型ロボットが、ばりばりばりという時空の歪みのあとに突如出現するという一連のシークエンスでぞっこん惚れ込んでしまって(街に直立するロボットはなんて格好良いんだろう!!)、その後はじめたらもう止めることができずに二日間で三十五時間ぐらいかけて一気にクリアしてしまった。
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今年はデスストもあったから、本作に対して2019年最高のSFゲーム! と見出しをつけることは難しかったけど、それにまったく別角度から比肩しうる最高のSFゲームだ。この五年単位でも、SF系のシナリオのゲームとしては最高峰ではないか。

十三人の視点から立ち上がってくる物語

というわけでここからは細かくそのおもしろさについて触れていこう。まずはシナリオ/世界観についてなのだけれども、物語の主な舞台となっているのは1945年、1985年、2025年、2065年、2105年である。40年刻みなのは、作中に存在するタイムトラベル装置が移動可能なのが40年単位でしか稼働できないからだ。

作中では最初、2188年で何かがあり、そこから街に対して建設機械のような外観をした怪獣のように見える機械が出現するようになる。2105年、25年、65年、そして1945年はそうした怪獣の襲撃により世界は壊滅的な状態となっていて無事に残っているのは退避してきた/最初からそこで暮らしていた機兵のパイロット適性を持つ13人が存在する、1985年のみである──というのが開始時点での大まかな状況。

本作の特徴はそうした13人一人一人に個別の物語が存在することだ。アドベンチャーパートでは自由に遊びたい人間を選択してシナリオを読み進めることができのだが、そうすることで13人の断片的な視点の集積から一つの物語が立ち上がってくる。たとえば南奈津乃というUFOマニア少女のパートでは、小さな喋るロボットと出会い、彼を完全に宇宙人と勘違いして、彼の言われるがままに各時代をめぐりながら特別な機兵を探し始める。比治山隆俊は1944年に日本軍の兵士として米軍に対抗するため機兵に登場する訓練をうけていたが、転移に巻き込まれ1985年に転移してしまってからは、戦争に負けた歴史を修正するためにも過去へ戻ろうとする。

こてこての80年代ヤンキーであるリーゼントヘアの緒方稔二はとある駅のホームから電車に乗ると怪獣に襲われ、何者かによって再度駅のホームにループさせられるという奇妙な現象に襲われそのループからなんとかして脱出しようと苦闘する──と、それぞれが何らかの漫画やアニメの主人公を張っていてもおかしくないぐらいにキャラ付けと展開する物語が濃い。普通13人の視点で物語が語られていくとなると、半分ぐらいはつまらなかったり数合わせ的な存在がいて萎えるものだが、本作の場合は本当に一人一人の物語の独自性が高く、誰一人として捨てキャラがいないのだ。

これでもかと詰め込まれているSFネタ

シナリオに関しては、SFネタがこれでもかと詰め込まれているのも凄い。タイムトラベルやロボットをはじめとして、並行世界にクローン、記憶の移植技術にループにAIに、ここでは明かせないあれやこれやも投入されて、それでいてそれらが未来表現のフレーバーなどではなく全部シナリオの根幹に関わってくるのが圧倒的に凄い。

そのおかげもあって同じ名前の登場人物が様々な理由から複数存在していたり、同じ見た目に見えていても別の存在であったりといった無茶苦茶なことが起こりまくってただでさえ主要人物が十三人以上いて複雑なシナリオがどんどん錯綜していくんだけど、そこまで複雑であるからこそ十三人の視点それぞれがおもしろいのである!

マジで読んでも読んでも謎が出て、次から次へと解決されていくので読みながら「ここまでのことをやる狂人がいるのか……?」と唖然としたもんね。完全に傑作であるのは前提として、もう二度とこの世に生まれ落ちない系の怪作でもあると思う。

キレッキレの演出

このアドベンチャー・パートのもう一つの特徴はこれが実際には「機兵」に乗り込むまでの物語である、というところにある。構成的にはまどか☆マギカ的で、覚悟を決めて自分の意志で「機兵に乗り込むぞ」と決意したシーンがだいたい全員のシナリオのラストにあてがわれていて、To The Last Battleが表示されて終わるのだ。

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街にそびえたつロボットが最高なわけですよ!
で、このラストシーンの機兵乗り込みシーンがあまりにも格好良すぎるわけですよ!!! 作中の人物らは身体の部位に機兵起動用のナノマシンが埋め込まれていて(額だったり、腹だったり、背中だったり、足首だったりする)そこをてでさっとなでることで機兵がばりばりと空間を歪ませて出現するのだけど、もうね、身体を屈めて格好良いセリフをいいながら足首をサッと撫でて街なかに超巨大な機兵がばばーん!!! と出現するだけでこちとら「うおおおおおおおおおおおおお」とド興奮状態になってるわけですよ!!! とにかく街の中に巨大な人型ロボットが直立している風景が最高だし、廃墟との相性も抜群なわけですよ!! それをみたら「次のシナリオに行くぞおらぁ!!!」みたいなテンションになっているわけですよ!!
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機兵を召喚するシーン。街にそびえたつ巨大な人型ロボットが今世紀最高にクール
そうした「ここから戦いだぁ!」みたいなテンションで各人のシナリオが終わるのだけれども、そういう構成になっているのにも理由がある。というのも、アドベンチャーパートと分かれているバトルパートもまた自由に進めることができるんだけど、このパートは基本的に全部アドベンチャーパート以後、1985年という時代で、怪獣に襲われたこの世界を機兵に乗って救うんだ、と決めた後の物語なんだよね。

バトルパートではあまり会話がないからネタバレを食らうということもなく、読んでいる方としては「この主人公たちはみなどのような理由からこんな関係性になって、こんな絶望的な戦いに挑んでいるんだろう」と疑問がさらに積み重なっていくことになる。これはうまいというか、ロボ物をやるうえでスマートなわけですよ。

ロボットの戦闘を文章で表現してもどうしてもおもしろさの限界があるのでそこは全部ゲームパートに投げ捨てていて、アドベンチャーパートは「なぜこのロボットが生まれたのか」「なぜ彼らはこのロボットで戦わねばならないのか」という動機の部分を描くものとして(シナリオ的な意味でもモード的な意味でも)完全に切り離されていて、おかげで話が読みたいのにまたバトルかよ、とか今はひたすらバトルをしたい気分なのにいつまで話を読まないといけないんだみたいなイライラがない。

おわりに

ちょっと長くなったのでこんなところにしておこう。ゲームパートは飛び抜けておもしろいわけではないが、大量に迫りくる敵を様々な広範囲攻撃とか遠隔攻撃、近接攻撃ユニットで使い分けてばんばん破壊していくのが爽快で、こちらも素晴らしい仕上がり。無心でやってしまった。2019年の数あるゲームの中でも、SF系が好きなら絶対にやってほしい一作だ。頼むから滅茶苦茶売れて欲しい、後に続いて欲しい。

本作をここまで応援したくなるのは単純におもしろいのに加えて、各種演出について細部に染み渡るような普通ではない執念と狂気を感じるからで、メジャーゲームというか非常にインディーズ、個人制作的な空気を感じさせるんだよね。

SFミステリアドベンチャーゲームの快作──『AI:ソムニウムファイル』

先日中国のミステリ/SF作家の陸秋槎さん(だけど金沢に住んでる)がこの『AI:ソムニウム ファイル』を中国のミステリーファンの間で話題だとツイートしていて気になってすぐ買ってやったのだが、確かにSFミステリとして抜群におもしろい。

陸秋槎 on Twitter: "三連休にこれをクリアした。最近中国のミステリーファンの中に結構話題になったが(中国語訳があるから)、日本であんまり注目されていないね。SFミステリー傑作だと思う。… "

最初の3時間ぐらいはえーこれほんとにおもしろいかー?? と訝しみながらやっていたのだけれども、6〜7割超えてメインギミックが明らかになると、もう続きが気になって気になってラストまであっという間だ。SF要素が含まれているミステリとしておもしろいのではなく、SF要素が欠かせない要素として謎解きに関わってきているという点で、SFミステリの快作なのだ。後述する理由もあって傑作というにはためらってしまうところがあるけれども、十分にオススメできる一作である。

ざっと全体像を紹介する。構成とか。

さて、この本作は一言でいえば推理物のアドベンチャーゲームである。基本的に、先進式人脳捜査部隊ABISというなんじゃそら感のある組織の捜査官の主人公を動かして、左目を生きたまま抜き取った後に殺していく謎の殺人鬼を追う捜査パートと、重要参考人の記憶に潜り込むソムニウムパートが交互にやってくる構成になっている。

捜査パートは普通な感じで、幾つかのマップを移動しながら怪しいところを調査してヒントを探ったり、鑑識官やその場に居合わせた人々と会話をしながら進めていく。このへんは目に当たるところを選択していけば終わる部分なので、実質ノベルゲー的な部分だ。もう一つのソムニウムパートは本作の特色にあたる部分で、Pyncシステムと呼ばれる、他者への深層記憶へと潜るための装置を使って重要参考人の秘められた記憶を解き明かしていく。この深層記憶へのアクセスを許可されているのがPyncerであり、主人公の役割である。安全性の観点からこのPyncが6分と制限がかかっていて、それがゲーム的な時間制約にも繋がっているのがなかなかうまい。
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ソムニウムパートでは他者の記憶に潜り込んで、様々な動作(ものをなげたり本をやぶったり)をすることで掘り起こしていくのだけれども、ここがいわばパズルゲーム的な箇所にあたる。6分という制約こそあるものの、何度か失敗前提で作られている。何かの行動の選択を取るたびに30秒や20秒といった時間のペナルティがつき、それらが6分以内に収まるようにすべての行動を綺麗に収めると最終的にはクリアとなる。

最初こそ楽勝なものの、特に最終盤はかなり綿密に行動計画を立てないと6分があっという間に経ってしまうので、正直パズルを解く快感よりも(というか内容的に考えてわかりようがない選択肢があって、謎を解くというよりかはトライアンドエラー的な側面が強く快感があまりない)いらいらさせられる面はある。

このゲーム部分についての手触り、快感については、悪くはないが最高ではないといったところ。分量的には、サクサクやって15時間程度といったところ。複数ルートに分かれているが、最後の解決篇以外は基本的に事件の真相の一端が明らかになるだけのバッドエンドなので、最後の解決篇までやるのが前提になっている。

シナリオ面について

本作においてシナリオは最大の推しポイントである。シナリオの打越鋼太郎のゲームは『Ever17』や『極限脱出シリーズ』などけっこうやっているが、その中でも最高傑作の部類ではないか。複数ルート制で、それぞれのルートで大きな事件の真相の一端が明らかになっていく──と一言でいっても、ルートひとつあたりにどれだけの真相を混ぜるのか、全ルートでワクワクさせられるかなど必要とされる技術は多いのだけれども、本作の場合そのシナリオ・コントロールが完璧に近いと感じる。

化学物質による汚染によって破棄された遊園地で見つかった、左目がくり抜かれた女性の殺人事件から本作は幕をあける。プレイヤーはPyncerである伊達捜査官になって捜査を進めるわけだが、この時点では謎がありすぎて何がなんだかよくわからない。殺される動機が特に見当たらないし、捜査線上にのぼってくる人物(女性の元旦那、主人公の友人など)もすぐに同様に左目をくり抜かれて殺されてしまう。

到達するルート毎に殺した犯人が異なっているように見え、果たして「真犯人」は本当にいるのだろうか? ただ単に複雑な愛憎関係の中でルート内で殺したり殺さなかったりしているだけなのではとさえ思えてくるぐらいなのだ(この序盤の伏線はりまくりパートは、後半の解決篇を観てからだとああなるほど、と思うのだけど、プレイしているときはかなり地味でノレないので評価しづらい面はある)、ある段階でPyncシステムの隠された機能が明かされ、推理の前提が根底から覆る快感がある。

また、Pyncに関連して脳科学的な知見や症状がシナリオやキャラクタに組み込まれているのもおもしろかった。具体的なキャラクタは明かさないが、幾人か脳腫瘍などの病気を患っているキャラクタが存在しており、そこから理屈の通らない言動や幻覚・妄想症状などに繋がっていて、ミステリ的には目眩ましとして機能しているのもうまい。普通そういう要素はウザいんだけれども、本作の場合はPyncシステムがそもそも脳に関連したシステムなので、わりと自然な流れに思えるんだよね。

シナリオについてのダメ出し

CEROZで人間が凄惨に死ぬ(そもそも目がくり抜かれるし、身体が真っ二つになったりする)わりに常に軽快というか、主人公である伊達がしょーもない下ネタを繰り返す(キャバクラ行きてーとか)のはいいのだけれども、シナリオ上重要な局面もわりとそうした下ネタ寄りのギャグで突破されるのがまったくノレなかった。

たとえば、銃撃戦が始まってどうやって乗り越えるのか──みたいな局面で秘蔵のエロ本を投げたら銃を持った兵士たちがエロ本に群がって突破できたりするの、メタルギアオマージュなのかわからんがちょっとなあ……。一回ならまだしも二回、三回と似たようなことをするのでさすがにそれはなんなんだと辟易してしまった。全体的にコメディの部分とはノリがまったく合わなかった印象がある。

おわりに

比較的コンパクトにまとまっているので、休日でガッとプレイしてすっきり満足したい人にはぜひオススメしたい。ちなみに、この記事が上がる日(10月03日)は陸さんの新刊『雪が白いとき、かつそのときに限り』の発売日でもあり、こちらも学園本格ミステリとして珠玉の出来なので一緒にどうぞ。これもすぐに記事を書きますが。

雪が白いとき、かつそのときに限り (ハヤカワ・ミステリ)

雪が白いとき、かつそのときに限り (ハヤカワ・ミステリ)

ループで人狼ゲームを打破せよ──『レイジングループ』

『レイジングループ』とは人狼を題材にとったホラーノベルゲームである。友人に強めにオススメされ、正直人狼題材のノベルゲームという点に対して特に惹かれるところはなかったんだけれども(全体的に低予算なのは明らかなのもあるし)、最近パッケージに移植されたばかりのPS4版をやってみたら、これがおもしろい。かなり長いんだけど、やり始めてからほぼ最後まで止まらずに一気にやりきってしまった。

しかし、低予算・少人数開発であるせいか同人ゲームのような自由さと悪ノリが詰め込まれているし(これは悪いわけじゃない)、テキストもすべてがおもしろいわけではなく日常会話パートと(人によるだろうが)ギャグのノリは恐ろしく寒い。だが、一度人狼ゲームが始まってしまえば、描写・会話のほとんどは”誰が狼で”、”誰が能力者なのか”という理屈の披露、異常な状態に陥った人間たちの感情の吐露の連続となって、日常パートのつまらなさがウソだったかのようにぐっとおもしろくなる。

そもそもなんで人狼題材のノベルゲームに惹かれなかったのかといえば、人狼ゲームで設定されているルールを物語として落とし込むのが厳しいだろうと思っていたからだが、本作の場合そこを一切逃げずに、土着信仰・宗教と絡めて「人狼ゲームが現実に成立する状況」を描き、いろいろと細かい穴を埋める・ちゃんと解釈して落とし込んでいる。たとえばなぜ人狼は一夜に一人しか襲わないのか? 狂人でもない普通の人間が狼に協力することはないのか? なんで怪しいやつを皆殺しにしないのか? そのへんを伝奇物の文脈で埋めていくというのがまず明確にオモシロイ点だ。

また、主人公である房石陽明青年は、ループを繰り返しながら「人狼ゲームでの勝利を目指す」だけではなく、「なぜこの村ではこんな特殊な儀式が行われるようになったのか?」という歴史的な観点まで含めて解き明かしていくのだ。

ループしてゲームに勝つのは難しくない

房石陽明青年は何も最初からループできるループ能力者というわけではなく、休水という山奥の集落に迷い込み、不可避的に人狼ゲーム(作中では「黄泉忌みの宴」)の舞台へ入ってしまい、初見ではゲームに参加する=議論に加わることすら出来ずにあっさりと死亡。しかし、房石青年はなぜか迷い込む時点に記憶を保持したまま巻き戻っているのだった──という「何らかの理由でループしてしまった人」なんだけれども、本来人狼ゲームの特性上、ループできればゲームで勝つのは難しくはない。

人狼ゲーム、汝は人狼なりや? とはざっと紹介すれば、プレイヤーは人狼陣営と村人陣営に分かれ、それぞれの能力を使って相手を殲滅するのが目的である。狼はお互いに誰が狼かを認識しているが、村人らは自分たちのうちの誰が人狼なのかがわからない。夜に人狼は人知れず村人を一人殺し、昼にプレイヤーらは話し合って誰か一人を人狼ではないかと推理して吊るし上げる。村人側には「占い師(夜の間にプレイヤーを一人指定し、人間か狼かを知ることができる)」、「狩人(夜の間にプレイヤーから一人指定し、狼に襲われた場合その襲撃をスキップできる)」などいくつかの役職が与えられており、そうした能力を駆使・人狼側は攪乱してゲームを進めていく。

で、ゲームが始まれば当然狼は議論を攪乱するし、役職者が名乗り出れば人狼側はそいつを狙ったり、あるいは自分も対抗で役職者であると名乗ったりする。そうすると誰が狼で能力者かという確定情報を持たない村人たちはどちらがより確からしいのかを議論や行動から推理していくのだが──と、つまりこれは情報ゲームなわけなので、ループして「あいつが狼で、あいつが占い師だ」というのがわかっていれば有利に立てるのである。だからこそ本作でループの果ての目標とされるものは”勝利”ではなく、もっとその背後にある”なぜこんな奇習が行われているのか”、そして”なぜ陽明はループしているのか”という人狼ゲームの背後にある謎の解明なのだ。

プレイヤーは何度も選択をして、吊るされたり殺されたりしながら情報を集めていくわけだけれども、ループした後に状況を大きく変えると配役も変わってしまう。つまり前回までのループで得た役職情報は一切使えないことになる。そうすると議論の方向性も変わっていくし、ループ者であることのアドバンテージも失われてしまう──ただし、ゲームに参加しているのは”人間”なのだから、それぞれに議論の傾向もあれば気質もある。「今回こいつがこういう立ち振舞をしているってことは、役職なしだろう」というまた別種の情報が増えていき、攻略の手管が増えていくのである。

陽明青年は最初こそ部外者として宴に参加できず、誰を吊るすかの投票権も与えられなかったが、物語が大きく変化する第二のルートからは自身もゲームに参戦し、そこでは占い師(作中ではへびの加護)の役職を得て、前回のゲームで得た人物プロファイルを元に生存を目指すことになる。役職の割り振りが異なるだけで状況も、推理の過程も大きく異なるのがループ物としてのおもしろさも増しているように思う。

本来人狼ゲームで”全員生存”なんていう状態はありえないが、本作で陽明青年は幾度もの市に戻りの果て、グランド・ルートともいえる最終ルートで、その奇跡的な状態を目指してみせる。普通に読み進めていてもそれをどう達成するのかぜんぜんわからんので、どうなるんだ? どうなるんだ? と終盤はぐいぐい読み進めるしか無い。解決方法については(あと、なぜ人狼ゲームがこの集落では行われているのか? どうやって? についても)かなりのウルトラCだが、わりと納得できる線である。

キャラクタについて

キャラクタの立て方や描写がうまいとは思わないが、それはそれとして人狼ゲームとして考えるといい感じに分散させている。感情を優先させるヤンキー、腕力と武力(銃を持っている)、そして過去に集落で行われた人狼ゲームの経験者であるジジイ。信仰深く伝統を重んじるタイプのババア。休水のことを最優先に考え時にそれが考えを誤らせる中堅のおっさん。息子のこと第一なおばさん。ひたすら理屈を押し通す高校生男子に理屈は伴わないため誰も説得できないがメタ的には常に正解を言い当てる異常な高校生男子など全年代に渡って思考と行動パターンがわりとばらけている。

造形がうまいなと思ったのは主人公の陽明青年で、彼、最初は普通に迷い込んだだけのイケメンで頭のキレる好青年風なんだけれども、物語を進めていくうちに「こいつけっこうイカれてんな……」というのがだんだんと描写されていく。で、状況が大きく変わるループを経る毎に役職も変わる人狼ノベルゲームといえば当然ながら陽明青年が人狼側に回るパートもあるんだけど──といったところで、ゲームとしてはわりと珍しいサイコパス系主人公の本領発揮となるのであった。

おわりに

小説で言えば京極夏彦の京極堂シリーズといったところか(これ自体がネタバレ気味だが)。ループという事象は存在するので、超常の力的なものは前提としてある世界なんだけれども、だからといって全てを超常のせいにはせず「黄泉忌みの宴」回りは現実的な理屈を持って描く、その線引の確かさなど感心するところの多い作品であった。異能力周りの設定もおもしろいので同社の他の作品もやってみることにする。

最高の青春時間SFゲーム──『ライフ イズ ストレンジ』

ライフ イズ ストレンジ - PS4

ライフ イズ ストレンジ - PS4

本作の発売日は海外版は2015年、日本版は2016年で最新作というわけではないんだけれども、非常に完成度の高いゲームなのであらためて記事を書いておきたくなった(別媒体で近々レビューを書く機会があるのでプレイし直していたのもあって)。

全体の雑感

舞台となるのはアメリカの架空の田舎町であるアルカディア・ベイ。

そこの学校に通うため、5年ぶりに戻ってきた女子高生であるマックスが、突如として時間を巻き戻すことのできる能力を発現することから物語は始まり、プレイヤーは何度も選択を選び、ダメだったら巻き戻して、よりよい未来を選択できるように人を、街を変えていく──という、シンプルなシステムである。ノベルゲーマーたちは選択肢があればセーブして、選ばなかったケースを必ず確かめてみるものだが、本作はそのセーブ&ロードがそのままゲームシステムに仕込まれているようなものだ。

マックスがその”時を戻す能力”を用いて、この街に訪れる危機、謎に迫っていくストーリィも本当に素晴らしい。全5エピソードから成り、毎回エピソードの終盤では強いヒキが用意されており、マジかよ、となるかマックスとクロエが織りなす光景が美しすぎる……となるかのどっちかで、エピソード1をやったらもう最後まで一直線だろう。それまで隠されてきた事実が明らかとなる終盤、そして時を戻すことのできるマックスが”最後の選択”を迫られる瞬間。その楽しさは、やはり自分でプレイヤーを動かし、一つ一つの選択を積み上げていくプレイヤーならではの物だ。

加えて、作中を流れる実在するフォークソングを中心とした楽曲選定の素晴らしさ。自分の選択によって、聖母のようにも悪魔にもなる主人公マックスの愛らしさ、その相棒でありちょっと友達以上恋人未満的な危うい雰囲気を持つ青髪のクロエ、イケオジの先生に最初は気に食わねえ奴らだと思っていた周辺の同期生たち──と魅力的なキャラクタ達と、テンポの良い会話の数々の中で暮らすうちに、本当に自分がアメリカの学校で女学生として生活を送っているような気分になってくるのも最高だ。

時を戻す能力を持っているとは言えマックスは普通の女学生なので、当たり前のように学校生活を送っているのがいいんだよね。授業を受けて、広い学校でワイワイガヤガヤ喋り、パーティに行き、クロエと一緒に夜のプールにしのびこんでキャッキャウフフし、寮の生活を楽しんで──と本筋無関係に学生生活を楽しんでしまう。

追いかける謎とは

アルカディア・ベイには、警察や学校に金をばらまいて、街への乗っ取りを仕掛けている富豪のブレスコット家が存在している。マックスは、ブレスコット家の子供であり権力を盾に偉そうな態度をとるネイサンと親友だったクロエの揉め合いを(時を戻す能力をここで発現)一時的に解決し、その後旧交を温め直すのと同時に、ネイサンがこの学校でしでかしてきた悪事の数々を追求するために共に動き出すことになる。

同時に、ネイサンが関わっているとみられる数ヶ月前から行方不明となったレイチェルの捜索、クロエと義理の父親の確執、いじめられ自殺を企てるケイトの救出、そして街に迫るすべてをなぎ倒す巨大な竜巻の出現……とクロエはその能力を発現してから一週間ほどの間で、数々の大きなイベントに直面することになる。しかも実はそのすべてがつながっていて──というプロットの出来はす抜群といったところ。

果たしてマックスは、レイチェル失踪の真相を突き止め、ケイトを救出し、クロエを救い出し、街に迫る竜巻をなんとかすることができるのか──ぱっと読んだ感じだと「竜巻版君の名は。かな?」と思うかもしれないが、時を戻し未来を変える度に何か別の形で不幸が現出し続け結果的にクロエが救えないので、死に物狂いでタイムリープを繰り返す話であり、百合版シュタインズ・ゲートといったほうが近いだろう。

マックスとクロエは最初のうち、普通に気持ちのいい女性の友情だなあと思ってプレイを続けていくと途中で二人でキスをしはじめたりして(これも選択次第だが)、「おいおい、ちょっとおもったよりも友情の範囲超えてるよね」と思えたり、百合というか共依存的だったりで、わりとそのへんの関係性もおもしろいところだ。

SF的におもしろいとこ

基本的に本作はオーソドックスな時間SFの流れを踏襲している。過去を変えることで、未来も変わる。だからマックスは自分の望まぬ未来が訪れた場合少し過去に戻って修正して、望む未来を引き寄せる。でも結果としてそれが望まぬ未来を引き起こすこともあり──という「カオス理論」やら「バタフライ・エフェクト」も重要な要素になってくるのだが、それはそれ、時間SFとしては一般的な題材でもある。

SFアイディア的におもしろいのはマックスが戻せるのはほんの短時間、おおよそ数分ぐらい? で、それ以上の過去に戻る場合には「自分が映っている写真」か「自分が撮った写真」を使う必要があること。写真に意識を集中することで、マックスはその写真の場面まで戻ることができるが、未来の意識を持ったマックスが行動できるのはその写真にとられた限定的な空間だけとなる。なので、いくらでも過去に戻り好きに未来を改変できるわけではない、というのが本作にうまい具合にマックスの行動に制限を与えて話をおもしろくしている。なんでもありじゃおもしろくないしね。

ゲーム的におもしろいところ

操作性は快適で、時間を戻すのも簡単にできるので気軽に色んな結果を試すことができるのがいい。とろうとしたビンを落として壊しちゃった、ぐらいで気軽に時を戻すので「もっとその能力大切にせーや」と思ったりもするのだけれども、それはそれとして気軽に時を戻せるのはスーパーヒーローになったみたいで心地よい。気軽にいろいろな選択をやり直せるからこそ、いざという時に選択をやりなおせなくなった時の緊張感も凄いことになるなど、ゲーム性とプロットの演出の相乗効果も素晴らしい。

アルカディア・ベイは架空の街だが、オレゴン州にあるという設定になっており、その緑豊かで牧歌的な、時代に取り残されているような田舎っぽい風景はノスタルジックな郷愁を思い起こさせる。また、選択をしやり直していくゲームだが、短期的には選択の結果が予測できない──良かれと思った選択が、かなり後に間違いだったとわかるケースなどもあって、そういう時の絶望感は”時が戻す能力があっても、万能ではない”というマックスの絶望感とシンクロしているのもゲーム的な魅力だ。

おわりに

総プレイ時間としては12〜15時間ぐらいだろう。そんなに時間がなくとも、長い映画を観ている気分でまだやったことがなければぜひやってもらいところ。なにげにマックスが古典的なSF好きでブラッドベリ・ファンだったりブレードランナーを観るシ~ンが入っているのもSFファンとしては評価が上がる。

前日譚ももうすぐ発売。続編も製作中だとか。燃える。

ライフ イズ ストレンジ ビフォア ザ ストーム

ライフ イズ ストレンジ ビフォア ザ ストーム

人類史に刻み込むべき神シリーズ──『ランス10』

ランス10

ランス10

発売されてから120時間以上プレイし続けてようやくクリアした……というか、”クリアしてしまった”。できることならば永遠に終わらないでほしかった。無限にこの世界で遊んでいたかった。しかし終わるからこそ、そんな気持ちも湧いてくる。

29年間最前線を突き抜けてきたゲーム・シリーズ

ランスシリーズの完結作『ランス10』とそのシリーズは、まさにそんな気持ちを抱かせてくれた理想のシリーズ作品だ。平成の元年にはじまって、約30年間にわたって紡がれ続けてきたこの作品は、その年月の中で幾度も形を変えながらもその魂は失われず、”ランスシリーズのおもしろさ”を開拓し続けてきた。『ランス10』はその完結作にふさわしい、超ド級の傑作だ。エンディングをいったん観た今、これほどの楽しみを人生であと何度味わえるのか……と考えてへこんでいるぐらいだ。

ストーリーを切り替えつつのシリーズタイトルなら無数に存在するが、一人の主人公、世界観、地続きのストーリーで書き続けて29年10作のナンバリングタイトルをゲームとして作り上げるのは並大抵のことではない。人間も時代も変化するからだが、アリスソフトとランスシリーズはその変化を乗り越えてきた。そこには無数の要素が関連しあっているのだろう。その最初からディレクターとして関わり続けたTADAさんの奮闘(30年作るのは本当に凄い)や織音さんの時を経るごとに時代に合わせて洗練されていく凄すぎるキャラデザ、主要開発陣、またランスがリリースされる度にその作品に引き寄せられチャンピオンソフトへと入ってきたスタッフたち。

また、表向きの世界観だけみると、本シリーズは”ファンタジィ”にあたるのだろうが、でも実態としてはゲームについてのゲームというか、ゲーマーについての物語というか、”ゲーマーの夢”の塊のような話なんだよね。そのメタ的な世界観・キャラは時代の巨大な変化に対応・耐え抜くことができるほどに自由度と強度が高く、加えてそこに作り込まれた世界観とシナリオが投入され、作品ごとにSRPGから地域制圧型SLGなどなどゲーム形式の挑戦があり、2dから3dへの変化もリメイクもあった。

ランスシリーズは、”ただ30年続いた”のではなく、”30年間ゲームとしてのおもしろさで最前線を突き抜けてきたからこそ、今こうやって最高の”完結”にたどり着いたのだ。第二部まで終えた今、完結作としてふさわしい出来、(やり始めたのは途中からだけど)付き合ってきて本当によかったと思えるシリーズで、感無量。

ざっくり10の話

そしてまずは10の話をしよう!”決戦”と副題に入っている通りに、物語はいよいよクライマックスへ。人類の諸国家・勢力を回って抱きたい女を抱きまくり各地の姫を自分の女にしてきたランスが、ついに人類圏へと進行してきた魔人から人類を守るため、全人類を率いて最終決戦へと向かう! これまでシリーズに出てきた100人以上のキャラクタがユニットとして出現し、人類を守るために戦うのだ──! 
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その難易度はまさに最終決戦にふさわしくやたらと高い。ボケっとしているとすぐに人類死亡率が10、20%と増えていき、各地で作ってきたランスの仲間たち、女たちもどんどん敵に殺され・犯されていってしまう。クリアボーナスを引き継ぐ周回前提の難易度、しかも引き継いでもかなり厳しい戦いが続くその難易度も相まって、プレイしている時は焦燥感が凄い。だが人類全体の戦いを描くシナリオは素晴らしいというほかないし、これだけ増えても誰一人としてキャラクタが没個性的にならず、やりとりはどのシーンを切り取ってもおもしろいのは神業という他ない。

簡単な世界観、ストーリー紹介。

10の詳細なレビューに入る前に、シリーズの概観を簡単に説明しておくと、”世界中の女とやりまくる”ことを目的とした男ランスが、そこらじゅうに出向いていって女を抱くために騒動を繰り返しているうちに、国を救ったり無敵結界を持ち人間には倒せない魔人を倒したりしていく物語である。人類の国家は1.リーザス、2.ゼス、3.ヘルマン、4.JAPAN、5.自由都市に分かれており(宗教団体だったり亜人種のすみかだったりが無数にある)、お互いに友好関係にあるとは言い難い状態にある。

ランスは各シリーズでそうした国家と関わり(そして姫を自分の女にして)、この世界でほとんど唯一の”人類圏でもっとも国家の中枢に顔がきく男”になっていくわけだけれども──。何しろだいたい一国家・一地域ごとに大ボリュームのゲーム一作分が割り当てられているので、登場キャラ数がとてつもなく多い。平気で一国あたり(男も女も含めて)30人単位でネームドのキャラが増えていき、しかもその一人一人に個性と背景ストーリーが存在していて、”シリーズ・ストーリーが進展するにつれてその膨大なキャラクタたちもまた行動し、変化していく”のである。

ランス10ではそのキャラクタがほとんど全員出てくるので、久しぶりに会うと「ああ、こいつは今こんなことやってんだな」とか「ああ、こいつは相変わらずだな」とか、「お前は相変わらず弱いな……」とか、「子供だったあの子がいつのまにか大人に……」と非常に感慨深い。というか、何気ないやりとりの中に30年の歴史が刻み込まれているので、別になんてことのないシーンで泣きそうになるんだよね。

魔人とそれに関連する情報について

この世界は人類の他に大量に亜種族・別種族がいるのだが、そのひとつが魔王・魔人で、人類は基本的に攻撃が通らないので完全に蹂躙される対象である。ただ、物語開始時点では”魔王”は存在すれども未覚醒の状態で、人類は魔人らと世界を真っ二つに分割し、それぞれの地域で生活を営んでいる。この世界の歴史からすると、珍しい”平穏な時代”だが、ランス10ではついに魔人・魔物が人類圏に進行。

10の主な物語としては、人類圏に侵攻してきた魔人をいかにして倒し、人類戦線を維持するのか。ボスである魔人ケイブリスを倒すのかといった点にあるが、その中で過去作から連綿と引き継がれてきた枝葉の物語があり、複数のゲームを一度に遊んでいるんじゃないかと思うぐらい大量のテキストが詰め込まれている。地底にいったり異世界にいって関西で暴れまわって警察・軍隊と戦闘したり、勇者と魔王システムの話が出てきたり、”この世界を作った神”についての話が出てきたり……。

そのあたりには本当に膨大な設定量があるのでここでは深く立ち入らないが、この世界の創造神との話はランス10の中でも重要な位置を担うことになる。なんというのかな、本作に限らずゲームって”ただそれ自体のおもしろさ”とは別に、”開発者が想定もしていないバグや遊び方を見つけてやったぜ!”という探求のおもしろさもあると思うんだけれども、ランスはまさにその体現者でもあるんだよね。

神々が設定した”ゲームルール”を逸脱してしまう、”バグとして”ランスが存在している。根幹にあるのは、”定められたルールへの抵抗”なんだなあと。

ゲームシステムについて

ゲームとしては、その規模もあるし、ここ最近続いていた3dではなく鬼畜王ランス的な地域制圧型RPGになるのかなと思っていたが今回はまた一言では表現しづらい独特のRPGシステムで、これがまたおもしろい。キャラクタは戦闘終了時の宝箱でランダム・ピックアップ(一部確定)のガチャ・システムが採用されており、戦闘は出撃可能な(最大7人)キャラクタを指定しAP(毎ターン2〜3回復)を使用して行動(APを消費する)を決定するシステム。マップ内の移動は抽象化されたマス目を移動する形式で、分岐ごとに違った恩恵やペナルティがあるので注意しながら進むことになる。
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まず莫大な数のキャラクタをガチャで出して仲間にしていくという発想がかなりハマっていると感じる。周回前提のゲームだが(周回ごとにCPが溜まって特典を受けられる)、周回ごとに手持ちのキャラクタが大きく異なるので、同じボス戦でも道中でも異なる戦略やキャラクタを使うことを求められるのが(難易度の高さと相まって)おもしろい。また、たしかに戦場に出てくるメンバーについては6人で固定なのだけれども、特にボス戦においてはくるくるとメンバが入れ替わることもあり、敵によってキャラクタに求められる性能が大きく異なるので必然的に入れ替えを多用することになる。最終戦にふさわしい”全員参加の戦争”の体験ができるのも素晴らしい。

戦闘が幅があっておもしろく、周回も楽しいのはいいがひたすら面倒なのはマイナス。マップを1マスずつ移動するたびにすでに見た膨大なイベントが発生するので「おもしろさ」以外の部分に費やされる時間量が半端ない。テキストスキップというかシーン・スキップが欲しかった。周回ボーナスも最初のうちは目に見えて強くなるわけではなく、難易度が高いので周回のたびにギリギリの判断を迫られるシーンも多い──がこれ自体は絶体絶命の状態から人類を救う感があってグー。

各エンディングのルート最終戦とか、ほんと久々に手に汗握り、乱数の神に祈りながらゲームしてたもんね。何度も何度もやり直したり、参戦ユニットを変えてみたり、付け替えのできる部隊ボーナスを変えてみたり──と土壇場になっても試行錯誤できる点もこの大量キャラクタがいるがゆえのおもしろさだ。また、通常進行時でも1ターンにつき1魔人討伐するところを、無理をすれば2魔人同時討伐できるようになっているのも自分で挑戦できる難易度変更・時短として素晴らしい。

シナリオについて

これまでランスが関わってきた全国家が団結、それもランスの元に集って、これまた大量に描かれてきた魔人を相手に戦争をするというのだからおもしろくないわけがない。『鬼畜王ランス』で”どこまでおもしろくできるのか”の全体像が明らかにされていたこともあるし。けどその”当たり前”をやるのがめちゃくちゃ難しい。大量のキャラクタを取り上げながら書き分け、やりとりを制御しつつ全勢力を盛り上げるべきところでは盛り上げ、きちんと風呂敷をたたまなくちゃいけない。

本作品は、それをやってしまっている。わりとぶっ壊れ性能をしているキャラクタも多いのだがみながそれぞれで好き勝手に動き回り、それでいて破綻なく物語は進展していき(あるいは破綻しながらも違和感を感じさせずに進み)、最後までランスはランスとして、この世界を貫きとおしてみせた。これまでほとんど勢力ごとのイベントが主で、他勢力の人間は助っ人参加だったので各勢力間の人間が一同に介してワイワイガヤガヤと会話しているシーンはそれだけでくるものがある。

特に目的を果たしたあとにやってくる第二部については”そこまでやってくれるのか!”と唸るしかない内容で、第二部の冒険を進めるうちに訪れるなんてことのないイベントの一つ一つが愛おしすぎて泣けてくる……。成功も失敗も、時には衝突も仲直りもし、戦友たちと仲を深め笑いあって時には恋愛もする──シリーズの最初から最後まで、すべてが本当に楽しい楽しい冒険だったんだよなあ。第二部で気楽な冒険だと思っていたら途中から難易度跳ね上がりすぎて絶望に沈んだりもしたが……。

これからシリーズをはじめる人へ

これからシリーズをはじめる人へ。実は完結作であるこの10からランスシリーズをはじめてしまってもいいと思う。作中に出てくる膨大な設定と歴史については本作では全部注釈がついているから「こいつ誰? どういうこと?」とおもってもそれを読めば歴史や設定が一通りわかるし、何よりこのゲームはおもしろいから、これをやれば当然過去作に手を出したくなるだろう。そこから過去作をやってもいい。

それ以外だと、1と3については手に入れやすい形でリメイクが出ているのでそれをやるか、シリーズ屈指の名作と名高い戦国ランス(第七作目)あたりをやるといいのではないか。8,9は前作までの話を踏まえた展開が多いので、最初の作品としてはあえては勧めない。また、同じく戦国ランスをやるとめちゃくちゃおもしれえ! となって手当たり次第にやりたくなるはずなので、好きなようにやるといい。

戦国ランス

戦国ランス

特にネタバレもない雑談箇条書き
  • 攻略情報が出揃う前にガンガン進行させてしまったせいもあるが、難易度高すぎて何度もやり直したのがキツかった(ケイブリス強すぎ&一部クエスト発生条件厳しすぎ&人類簡単に死にすぎ&勇者殺しすぎ&魔人二人抜きどこも難易度高すぎ&第二部の難易度ちょっと理不尽・運ゲーすぎて一回最初からやり直した)。
  • ある程度強キャラが解ってくると少数メンバに依存しがちだがそうすると別イベント&新しいルート開拓時に詰んだりして何度もやり直しを重ねることになる。結局、幅広い有用ユニットをレベル50↑にしておくのがいいという方針に。もっとも活躍してくれたのはキングハニー、魔物メイドさんだった(魔物ツエー)。
  • 立ち絵は個人的に毎回最高を更新してくるけど今作も最高だった。特に第二部の立ち絵・キャラデザがどれも凄すぎ。悶絶したわ。だが全体を通してエロが違和感を覚えるほどに薄い(キャラ個別CGもそうだし、テキスト量的な意味で)
  • 第二部で完膚なきまでにランス・シリーズの終わりを突きつけられてしまったので虚無感が凄い。ずいぶん長いこと『ランス10』が出るまでは生きねばと思っていただけになおさら(正直でないと思っていた)。仮に同世界観の話が出るとしても、もうランスほどにのめり込むことはないのだろうなあ……。こんなにシンプルで力強く魅力的なキャラクタには、もう出会うことはないだろう。
もう終えた人はこちらをどうぞ

huyukiitoichi.hatenadiary.jp

ずっとゼルダをやっている

ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド

ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド

ニーアオートマタをクリアしたところでちょうど任天堂Swtichが買えたので、そこから今度はずっとゼルダをやっていて本をよむ時間がゲームに疲れ果てた時間ぐらいしかない。まあそれでも読んでいるんだけどとにかくゼルダが面白いですね。
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いろんな人がその良さについては書いているから長々とは述べないけれども、やればやるほど新しくやることが湧いてくるし、メインストーリーを進める圧力は高くないから延々と冒険とサブクエをやっているし、開拓する地域は30時間ぐらいやった現時点ではまだまだ残っているしやめるにやめられない。今もゲームやりすぎて頭が痛くなったから渋々コントローラーを離して、この文章を書いているぐらいだし。

ブレスオブザワイルドのオープンワールドとしての新しさ、みたいな物は確かにあるんだろうけれども、それ以上に感動するのはどこにいっても創り手の意志を感じる隅々まで行き届いたデザインだ。高いところに苦労して登れば確実に何か得るものがある。それはアイテムではないかもしれないが、高いところに登ったおかげで空を飛んで遠くまで早くいけたり、行ったことのない新たな場所を発見したり。そして何かを発見したらそこに向かっていくわけだがその道中に必ずまた何かがある。

それはボコブリンの巣かもしれないし、村かもしれないし、泉かもしれないし、祠かもしれないし、マップ情報を更新する塔はこの世界では最も目立つオブジェクトだから必然的に目に入ってくるし──とそういう物にうひゃひゃと飛びつきながら、最初の目的地に着くまで、ただ歩きまわっているだけのことがめちゃくちゃに愉しい。その上、歩きまわれば歩きまわるほど自分=リンクは強化されて、より高い山に登り、より強い敵と戦えるようになっていくのだ。探索がさらなる探索を呼び込んでくる。

どこにでもいける、自由だ、というが、ただ何もない空間を自由に歩き回れても意味が無いので、重要なのは本作のように自由に"何をすべきか"、"それをやるだけの楽しさ"がきちんと設定されていることだろう。そのデザインがあまりにも突き詰められて、相互作用して繋がっているために、既存のオープンワールドに存在している要素であってもまったく新しく感じられるし、異常な感動に繋がっているように思う。
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その世界が生きているという感覚

あともう一個、オープンワールドゲー(これも幾つか定義があって、広義の方ではないが)を遊んでいる時に僕が好きなのは"この広い世界がたしかに存在しているんだ"と感じられる瞬間だ。たとえば『ウィッチャー3』だったら、シナリオの分岐を自分で選択して、歴史の流れが大きく切り替わっていく(王を殺すか殺さないかを選んだりして)時に"確かに自分がこの世界に関与していると"強い実感を得る。

今回のゼルダはその点についても極上で、たとえば道を歩いているとその辺にいるボコブリンが馬を追いかけ回した果てに乗っかってくるくる走り回っているところが見えたりする。天候が悪化して雷が勝手にぶち当たって死ぬやつもいれば、草木が燃えて勝手にダメージを喰らっていたりする。リンクに襲いかかってこない動物たちは、まるでそこで生きているかのように自然に動き回っている。わりとある要素だが、その作り込みがあまりにもきめ細かく"ああ、仮にリンク(自分)がログアウトしている時もこの世界はこのまま動き続けるんだな"と思わせてくれるだけの実在感がある。

やってもやってもいくらでもやることが湧いてくる、自分以外の人たちによっても"まわっている"と思わせられるこの感覚は、昔オンラインゲームにドハマリしていた時のことを思いださせるものがある(ラグナロクオンラインとか死ぬほどやったもんだ)。特に本作の諸要素や景色は、マビノギを思い起こさせる。いろんな意味で難しそうではあるけれども、いつかゼルダのオンラインゲームとか出たら、死ぬほどハマるだろうなあ…。まあそんな感じでゲームばかりやっているのでした。

そういえばSwitchについて

Switchについて。正直発表を聞いたときはえー、いまさら据え置き機としても携帯機としても遊べますってその程度のもんを自信満々に出されても困るわーぐらいに思っていたんだけれども、これが実際にプレイしてみると凄く良い。少なくともWii Uよりかはずっと良い。据え置き機系のゲームが携帯機としてはデカイ画面で、気楽に切り替えながら遊べる快感はやってみないとなかなかわからなかった。何しろトイレにまで持ち込めるから、トイレに持っていってことが終わった後もいまいいところだから……となかなか出れなくなったりする。ま、最高なのは間違いないけど、ソフトがないと宝の持ち腐れなので、魅力的なソフトがたくさん出て欲しいもんだ。

余談2。何をパクれるか

余談2。海外でもものすごく高い評価を誇っている本作なので、影響もこの何年かあとに出てきそうだが、意外と取り入れるのは難しいかもな、と思った。化学エンジンやどこでも登れるなど簡潔な部分はパクリやすいだろうけれども、個々の作り込みの部分(塔を発見し、その道中に様々なことが起こり、とイベントの頻度などのバランス)はパクろうと思って簡単にパクれるもんでもないだろう。結局、本記事中にも入れたような制作手法を取り入れることでしか達成できないような気もする。

被造物が自立する時──『NieR:Automata』

ニーア オートマタ - PS4

ニーア オートマタ - PS4

  • 発売日: 2017/02/23
  • メディア: Video Game
いやーおもしろいゲームだった。アクションは爽快で、人類がとっくにいなくなった廃墟の風景は美しく壮麗。それらを彩るボーカル多めのサウンドはずっと聞いていたいと思えるほどに心地よく、ストーリーとそれが生み出すヴィジュアル、プレイヤーが想起する感情はゲームでしかありえない独特な物で、端的にいって傑作である。
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世界観とか

舞台となるのは『ニーア ゲシュタルト/レプリカント』から数千年後の世界。異星からの侵略者によって残された機械生命体と、月に退避した人類により地球に残されたアンドロイドの戦いが長い間繰り広げている。主人公となるのは女性型のアンドロイド2Bで、機械生命体らとの激しい戦いを経て、世界の真実へと辿り着いていく。

ストーリィとしてはPS3の前作である『ニーアレプリカント』と繋がりがあるけれども、独立した作品なので未プレイで問題はない。ただ当然いろいろ関連はあるので、プレイ済みだと色々とニヤッとできるはず。ゲーム開発は質の高いアクションゲームをつくってきたプラチナゲームズが担当しており、さすがの構築力を見せてくれた。

ゲーム部分について

ディレクターの横尾太郎さんが「弾幕型アクションRPG」と独特な表現をするように各所でシューティング要素、弾幕要素が入ってくるがこれがまたサクサクしていて良い。アクションも単純な3Dで終わるものではなく、横スクロール型の2Dアクションになったり上下スクロール型のアクションになったりでくるくるゲーム性が入れ替わっていく。これが、ゲームが変わるだけではなく視点が変わることによって風景から受けるイメージもまた一変していくのがゲーム体験として素晴らしいところだ。
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見捨てられた工場の探索時に3Dで目の前の敵と一生懸命戦っている時には見えなかった美しさが、横からの2D視点になった時に見えた時の感動といったらない。うおお、こんな背景のところで戦ってたのか!! っていう。バトルフィールドも廃墟となった遊園地でジェットコースターの上で戦ったり、森の城みたいなところを駆け巡ったりと何度も行くことになるが、まったく風景に飽きることがない。

各種演出について

演出はもう神がかっている。またのちほどストーリィについて触れるが、一瞬一瞬の決め絵だったりシークエンスが異常に豪華。巨大工業ロボみたいな敵のワンアクション一つで感動するし、敵デザインは一体一体が秀逸で、廃墟が中心となった背景の力もあいまってすべてのシーンでスクショをとりたくなるぐらいにキマっている。

また、セーブ&ロードが実際にアンドロイドが行っている情報の転送/システムチェックとして表現されていたり、オープンワールドではよくある拠点間の瞬間移動が端末の転送(各地に置いてある身体に、主観データを転送する)という形で行われていたり、システムの破損やハッキングを喰らうとゲーム画面が歪んで見えづらくなったりといった、ゲームシステムをゲーム内に積極的に取り組んでいく仕掛けも最高。こうしたひとつひとつの取り込みがあるからこそ、ラストの演出が成立している。

アンドロイドは記憶データを定期的にバックアップしているので、任務中に死亡してもバックアップ時点からは復活することができる。しかし、バックアップされなかった部分の記憶は戻ってこない。それは人間にとっての死とは違うけれども、アンドロイドにとっては死ぬことと同じことだ、という作中の重要なテーマ的にオートセーブ機能を入れるのが難しかったのはわかるけれども、これはちょっとキツかった。時々死亡して30分ぐらいやり直すハメになるとがっかりするんだよね……。

ストーリィ、機械生命体と宗教について

人類に取り残されたアンドロイド達が、機械生命体たちと殺し合いを続けるというのがメインのプロットではあるが、じゃあプレイヤーは機械生命体を殺し尽くせばそれで終わりなのかといえばそう単純な話ではない。機械生命体たちは自分たちを生み出したエイリアンが消え、平和を愛する個体群など、様々な派生が生まれている。

"王"をいだき国家を設立した機械生命体群もいれば、エイリアンたちへの反旗を翻し自分たちこそが主人となろう機械生命体群もいる。さらにはカミを信仰し死ぬことで救われる独自の宗教を創り上げた機械生命体もいる。アンドロイド達は機械生命体に自我が芽生えていることを認めようとしないが、悲しい、つらい、苦しいといった感情表現を表す言葉を発しながら攻撃してくる個体もおり、いくら敵であると言われ、いくら機械生命体で自我が存在しないと言われても、"ツライ"、"シニタクナイ"と言いながら襲ってくる機械を殲滅していくプレイには強烈に心を揺さぶられる。

たとえそれがプログラムでしか無いと知っていても、人型のロボットが感情表現をすると、我々はそこに共感や同情を覚えて心動かされてしまうということは石黒浩さんの研究をはじめとして広く知られている。先の例もそうだが、本作はそれを逆手にとった演出が多く、"カミ! カミ!" と叫びながら溶解炉の中に次々と飛び込んでいく、感情があるように見える機械生命体たちの映像などのひとつひとつに、"そのトリガーを引いたのは自分なのだ"という、ゲームならではの衝撃を受けた。

機械生命体と宗教(それは被造物と創造主の関係はどうあるべきか、という話ともいえる)、というのは、果たして被造物は創造主に見捨てられた時、どのように自立すべきなのか? という問への答えが様々な形で表現される本作の中では、中心的なテーマのひとつでもある。たとえば、機械生命体たちは創造主であるはずのエイリアンと連絡がとれず、それぞれ自立の道を歩み始めている。その過程で産まれたのが、創造主を仮定する"カミ"や、トップを自分たちで置く"王国"の概念なのだ。

自立はアンドロイド達にとっても他人事ではない。人類はもう長いことアンドロイドに接触していない。組み込まれたプログラムによって人類に対しては親愛の情を抱いているが、彼らはそのくびきから自由になることができるのか。本作にはメインで5つのルートが存在するが、A,Bが定められた運命へと殉じる物語で、C,Dはその先を描きながらA,Bの裏にあった背景が明らかとなり、"自分で決める"ことへの道が描かれ、Eは──という感じでルートが進むごとにだんだんテーマが深まっていく。

周回ゲーと言われるので未プレイの人の中には勘違いしている人も多そうだが、ルートごとに時系列は進んでいくので(BはAの別視点からの物語で進まない、などの事例はあるけど)Aをクリアしたらあとはやりこみなのではなく、Eまでクリアして本当のゲームクリアとなる。僕が近年プレイした海外製含むゲームの中でも抜群にシナリオ/演出が優れているし、SFとして読んでも歴史に名を残す作品だと思う。ぜひ、PS4を所持していてアクションに抵抗がなければ(ただ、難易度easyにしていれば移動しているだけでクリア可能)プレイしてもらいたいところだ。

ちなみに、被創造物たちが創造主からの自立をはかる傑作として神林長平『膚の下』があるので、ゲームプレイ者で楽しかった人は是非読んでもらいたい。物語の冒頭に掲げられたエピグラフは、"われわれはおまえたちを創った おまえたちはなにを創るのか"僕はこの本を読んで完全に頭がおかしくなってこのブログをつくりました。

膚(はだえ)の下〈上〉 (ハヤカワ文庫JA)

膚(はだえ)の下〈上〉 (ハヤカワ文庫JA)

以下、完全にネタバレしてちょっとした感想。

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