基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

自閉症者だからこそのユニークな読書体験を描き出す、「読み」の探求──『嗅ぐ文学、動く言葉、感じる読書──自閉症者と小説を読む』

この『嗅ぐ文学、動く言葉、感じる読書』は、副題に入っているように、本書の著者が自閉症者と共に色んな小説を読んで語り合ってみたという、ただその体験を記しただけの本である。体験記と文学評論のあいのこのようなもので、何か、これによって自閉症者と読書にたいする普遍的な傾向を見出したりするような本ではない。

自閉症といっても症状は多様であり、数人をとりあげて一緒に本を読んだところで、普遍的な何かを言えるわけではないから、それは当然だ。では、なぜそもそもの話、自閉症者を対象とした個人的な読書会の体験記が書かれなければいけなかったのか。

理由としては、著者には自閉症を持つ息子がいること、英文学の教授であること、ニューロ・ダイバーシティ(神経多様性)についての取り組みを行っていることなどいろいろあるが、最重要なものに、自閉症者らがいわゆる神経学的な定型発達者とは異なる読み方を提示してくれるのではないか、という仮説の探求がある。

自閉症者と文学を読むというこのプロジェクトを始めた当初から、私の狙いは、自閉症の欠陥にばかり目を向ける習慣的なやり方を取らず、感覚で対象と関わる彼らの才能──そしてもちろん、感覚の強さ──が読書のプロセスに生産的に寄与するのではないかという点を探求することにあった。

自閉症者にはコミュニケーションの障害、想像力の障害、社会性の障害の3つの障害があるとされてきた。他者の内面を類雜し、理解して、気づきを得ることが難しいのだと。他者の心の状態に思いが及ばないのだとしたら、自閉症者は小説の中に現れる登場人物らの心の動きや、比喩に隠された意味についていくことなど到底できそうにないと思える。だが、自閉症者が書いた文章が増えていくにつれて、自閉症者らが文学作品を感情豊かに、そしてユニークに読み解いていくこともよくわかってきた。

本書は基本的に一人につき一冊のテーマ本(『白鯨』、『儀式』、『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』『心は孤独な旅人』、『ミート』『ジ・エクスタティック・クライ』)が設定され、それを細かく読み解いていく過程が記されていく。これまでの研究から、自閉症者はものを考える際に(定型発達者からすると)異常なほど後頭部の感覚野に頼っていることがわかっているが、そのおかげか、彼らの中には、文字に実際に触れ、情景を立体的に捉え、匂いを嗅いで音を聞き、と物語を「感じながら」読むことができる人が多い。彼らは文学作品の理想的な読者なのかもしれないのだ。

自閉症者らと著者の感想戦の合間には、その時一緒に読んでいるのがどのようなタイプの自閉症者なのかという紹介と、自閉症に対するステレオタイプな見方(たとえば、彼らには共感能力が欠けているなど)を覆していく様子が、最新の研究や知見と共に語られていく。「自閉症者と一緒に読んでみた」だけでなく、自閉症の現在について、ざっくりとではあるが知ることのできる一冊にも仕上がっている。

ティトと『白鯨』

最初に取り上げられていくのはメルヴィルの『白鯨』で、著者の相手は読書会当時19歳、言葉を話すことができない古典的自閉症児のティトである。重度の自閉症者にはほとんど内省をしたり深く考えたりする力はないと思われていた当時、見事な知的能力で何冊もの本を書いて(当時すでに3冊)自閉症者として有名な青年であった。

ティトの世界の感じ方は(定型発達者であるニューロティピカルからすると)特異で、たとえば新しい環境の中で、簡単に情報の統一をはかることが難しいという。たとえば船をみたとき、大カテゴリとしての船があるな、と認識し、そこから帆や甲板を認識していくのではなく、それらを無視していきなり船板の木目に注目するようなものだ。細部に焦点があってしまうので、意図的に見すぎないようにする必要がある。これは、音などでも同じで、音が聞こえる時に、環境中のほかの音よりも人の声を優先することができない。川のせせらぎと友達の声が区別されずに入ってくる。そのせいで、口で言われたことをただ理解することも容易にはいかない。

こうした彼の世界の見方、感覚は、『白鯨』を読む際にも反映されていく。たとえば、『白鯨』の語り手であるイシュメールは、見張りに立つ間、本来求められている鯨や海やマスト・ヘッドという観念を忘れ、『「いま……享受している生命とは、おだやかにゆれうごく船からさずかった生命にほかならぬ。海をとおしてさずかった生命……にほかならぬ」』と見張りとは関係のない感覚の中に沈み込んでいく。これにたいして、『ティトによれば、イシュメールのこの言葉は自閉症者が感覚の中に我を忘れるようすを限りなく見事に表現しているという。感覚は気持ちを苛立たせることも多いが、感覚に魅了されることも同じくらい多いのである。』

ティトはこの時、『白鯨』になぞらえた一つの詩を送っているが、そこで彼は、自分に届く声は音の周波数であり、意味は把握されぬままに通り過ぎていってしまうという自閉症者における会話の状況を見事に描き出している。このように、彼らは17ヶ月 を通して一つ一つのシーンを丹念に拾い上げ、詩を書きながら精読していく。これは、「細部」に注目しそこから全体像に至る、自閉症者的な読み方といえるだろう。

文学という調停

本書でもう一つ重要なのは、ニューロ・ダイバーシティ(神経多様性)の観点だ。たとえば、自閉症者は音や視覚で情報が押し寄せた時、抽象化や一般化がうまくいかず情報をそのまま受け取ってしまう。一方、定型発達者であるニューロティピカルがそうならないのは、抽象化や一般化することで情報を省略することができるからだが、これはある意味では細部が失われることを意味している。自閉症を、ただ治すべき障害として捉えていると、自閉症が持つプラスの側面が見えなくなってしまうだろう。

どちらが良い、悪いというものではなく、ニューロティピカルと自閉症者、どちらにもプラスとマイナスがあるし、障害として排除するのではなく、それを認めよう、というのがニューロ・ダイバーシティの基本にある。そして、著者は、文学は自閉症者とニューロティピカルにとって、調停の手段として機能するのではないかと書く。

自閉症者は感覚が思考を圧倒し、ニューロティピカルは思考が感覚を圧倒する。だが、文学は感覚と思考を結びつける。文学は、言葉によって読者の脳の非言語的な領域を活性化させ、体験をシミュレートさせることを狙うが、これは自閉症的な世界の認知の仕方に近いものだ。一方、感覚が過大な自閉症的認知からは、文学を読むことで、感覚を超えて思考に至る訓練になるのではないか。『文学は、言葉による安息の地、故郷のようなものになりうるのではないかと私は考えるようになった。』

おわりに

最後に収録されているテンプル・グランディンとの読書会では、自分の仮説を立証することと本の構成のために、意図的に誘導じみた質問を重ねていて、おいおい、そりゃルール違反じゃねえのと微妙な気持ちになったりもしたが、総体的には魅力的かつ、示唆に富んだ一冊だ。特にディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を読む章はSF好きとしてもおもしろかったのだけど、気になる人は読んでみてね。

辺境作家と歴史家の「ここではない何処か」を追求する読書会──『辺境の怪書、歴史の驚書、ハードボイルド読書合戦』

辺境の怪書、歴史の驚書、ハードボイルド読書合戦

辺境の怪書、歴史の驚書、ハードボイルド読書合戦

『世界の辺境とハードボイルド室町時代』で自由に世界の辺境と中世日本にさまざまな共通点を見出してみせた高野秀行さんと清水克行さんだが、それが売れて加えて二人の仲も良すぎたので、こうやって第二弾も出た。これがまた、前作とは大きく異なる方向性ながらも前作と同様に”超時空比較文明論”になっており、二人がやたらと勉強熱心・知識・知見が旺盛なこともあって魅力的な読書会本に仕上がっている。

 歴史をひもとけば、地球を駆けまわれば、私たちの社会とは異なる価値観で動く社会がたくさんある。「今、生きている世界がすべてではない」「ここではない何処かへ」という前著のメッセージに共感してくれた読者の皆さんの期待を、本書も裏切らない内容であると思うし、前著を読んでいない方々にもきっと楽しんでもらえるのではないかと思う。私たちの読書会の三人目の参加者として、どうか新たな超時空比較文明論を楽しんでもらいたい。

第二弾とはいえ、続いているのは高野さんと清水さんが話をするという形式だけで、内容はうってかわって二人読書会である。各回、お互いに相手に読ませたい/相手の意見を聞きたいと思う一冊を提案しあい、それをじっくり読んで3時間ほど喋り倒していく。次の課題図書は、一つの対談が終わった後に飲み屋で決めたそうで(当然、その前に考えてある程度ピックアップしてくるわけだが)、前後で繋がりのある本が選ばれているのがおもしろい。具体的に取り上げられていくのは次の八冊だ。

『ゾミア―― 脱国家の世界史』、『世界史のなかの戦国日本』、『大旅行記』(分厚い上に全8巻!)、『将門記』、『ギケイキ』、『ピダハン―― 「言語本能」を超える文化と世界観』、『列島創世記』、『日本語スタンダードの歴史』。町田康『ギケイキ』だけテーマ的には連続しているものの小説で、あとはノンフィクション。僕が読んだことのある本から考えると(対談の内容を読んでも)一筋縄ではいかない本ばかりで(そもそも大旅行記なんか8巻もあるし)、課題本選書の時点で威圧感が凄い。

二人読書会の難しさ

一冊の本をテーマに”二人で”語り合うというのは、僕も何度かやったことがあるが、これがなかなか難しい。お互いが旧知の間柄で話題に事欠かない、バックボーンが共通している──といった要素があればいいが、そこまでではない相手だと純粋に本の内容からどれだけの知見を組み上げられたのか/発想を別の箇所へと飛躍・結合させられるかの勝負になる。必然、結合・飛躍させられる情報もなく、読みも浅いとなると「どうだった?」「おもしろかった」「どこがおもしろかった?」「えーと、こことか」「そこよかったね……」ぐらいで話が終わって残念な感じになってしまう。

その点二人はさすがに凄い。まず選書はお互いの専門・あるいは知見と関連付けられそうなものが多くその点で安定感がある。清水さんは日本中世史の研究者だからその点でのバックグラウンドは膨大、高野さんは大量の「世界の辺境を歩き回ってきた」知見、体験があるから、どんな情報を与えられても「それはそういえばね……」と実体験と紐付けてオモシロ・エピソードや発想の飛躍に繋がるエピソードが飛び出してくる。『ゾミア―― 脱国家の世界史』で語られていくような場所も、『大旅行記』で語られていくような場所も、高野さんは行ったことがあるからネタが尽きない。

また、二人は持ち前の知識だけでそれをやっているわけじゃなくて、毎回周辺書や関連書を何冊も読み込んできているからこそ。「この回ネタ切れじゃね?」感もなく最後まで「あ、そんなふうに繋がるんだ」と驚きながら読み通すことができるだろう。

あ、そんな風に繋がるんだ

たとえば、トップバッターである『ゾミア―― 脱国家の世界史』は、中国西南部から東南アジア大陸部を経て、インド北東部に広がる丘陵地帯「ゾミア」。その地域に暮らしている、「未開で遅れている人々」とこれまで捉えられてきた山地民は、実は他国家から自由を求めて避難してきた人々だったのではないか──という一冊。

もうその時点でだいぶ本がおもしろそうなんだけど、ゾミアの人々は国家の介入を避けるためにリーダーを作らず、文字を持たないのも逃亡した際にあえて捨てたんじゃないかと本では提起されており、そこから高野さんが「中国から東南アジアに移動してきたヤオという民族は、意味はわからずとも儀式のとき漢字を使う」のだと話題を繋げ、清水さんが「日本では中世を経て幕藩体制がシステマティックに出来上がっていたけど、それが可能だったのは人々の識字率が高かったから」と指摘される。それは確かに逃げてきた人たちにとっては文字を捨てたほうが良いかもしれないよなあ、と世界の辺境と日本史の多方面にわたって納得が深まっていくおもしろさがある。

個人的に一番おもしろかったのはイヴン・バットゥータ著『大旅行記』の回。これ、イスラム法学者イヴン・バットゥータが21歳でメッカ巡礼の旅に出て、30年かけて当時のイスラム世界のほぼ全域を練り歩いた(とはいえインドには8年もいたらしい)後に編纂された本なのだが、そもそも全8巻をお互い読んできただけで凄い笑 さすがに8巻もあるのでお互いの持っている話題もひときわ多く、ランナーズハイのようなものでテンションも高い。先日本書の著者二人に加え司会にHONZ編集長内藤順を加えたトークショーがあったのでノコノコ行ってきたのだけれども、やぱりこの『大旅行記』の話が大いに盛り上がっていた。なんでも、5巻が一番おもしろいそうだ。

たしかに5巻あたりのインドの話は本当におもしろくて(僕が読んだわけじゃなく、トークショーや本の中で語られている内容が)、当時のインドでは入国のとき「永住」が条件になるから、一度入ったら基本的に出られない(だから8年もいた)とか*1、当時の王様がド畜生で人に恵みを与えることを誰よりも好んで、血を流すことを最もお好みになっていて、と滅茶苦茶残虐な拷問をしていた話が出て来る。トークショーで嬉々として拷問の内容について語っていた清水さんが印象的であった。

おわりに

というわけでもうけっこう書いてしまったのでこんなところで終わりにしておくが、まだまだ『ピダハン』回とかおもしろい内容が山盛りなので、読んで確かめてみて欲しいところ。トークショーでは二人の読書スタイルの違いからはじまって、本書で取り上げられている8冊を順繰りに振り返っていく形式だったのだけれども、実際にこの本の”三人目の”参加者になったように感じられてとても楽しかった。

*1:日本も少子化問題解決のために入国の条件を「永住」にしたら解決じゃんと思ってしまった。

誰得読書会@新宿付近 7月23日 課題本:『BLAME! THE ANTHOLOGY』の参加者募集

冬木糸一と申します。たまに読書会を開いておりますが、これはその告知記事/参加者募集記事になります。

日時:7月23日(日) 9:00〜11:00(朝早いので当然二次会とかはありません)
場所;新宿付近(連絡いただいた後、場所をとって情報連絡致します)
会費:1000円ぐらい(場所代、飲み物代含み)

課題本:BLAME! THE ANTHOLOGY

BLAME! THE ANTHOLOGY (ハヤカワ文庫JA)

BLAME! THE ANTHOLOGY (ハヤカワ文庫JA)

huyukiitoichi.hatenadiary.jp
やること:みんなで『BLAME! THE ANTHOLOGY』を読んできて、語る。基本的に短編を一つずつ、あーでもないこーでもないと一人ずつ感想を言い合っていく形式になります。その際に点数を10点満点でつけていき、最終的に全員がつけた合計点数が一番高かった物については誰得賞が贈られます。
参加締切:8名参加受付した時点でいったん募集を締め切ります。8名に達した場合はここに追記します。

連絡先:ついったー⇒http://twitter.com/huyukiitoichi
もしくはめーる⇒huyukiitoichi@gmail.com のどちらでもよいので連絡してください。この記事のコメント欄でもいいです。

参加の場合はその旨を。
ご質問がある場合はご質問を投げかけてください。

囚人だって本を読む──『プリズン・ブック・クラブ コリンズ・ベイ刑務所読書会の一年』

プリズン・ブック・クラブ--コリンズ・ベイ刑務所読書会の一年

プリズン・ブック・クラブ--コリンズ・ベイ刑務所読書会の一年

本書『プリズン・ブック・クラブ--コリンズ・ベイ刑務所読書会の一年』は、読書会を"男子刑務所で"一年間行ってきた著者のアン・ウォームズリーによる体験を綴った一冊になる。欧米では気軽に、さまざまな形で読書会が行われているせいか、読書会の体験記本は無数に出ているが、「刑務所」で行われているのは初めて読んだ。

「会」とついていると身構えてしまうかもしれないが、親子で課題本を決めて集まって語り合うのもいわば読書会だし、気の知れた友人たちと月に1回ぐらい集まって本について語り合うのも読書会だ。各地でそうした「ブッククラブ」がある状況が羨ましいなと思って僕も読書会を自分で運営していた時期がある(大学生の時だが)。

本は読むのは朗読などの場合を除けばどうしたってひとりだが、3人いれば3通りの読み方があり、「この作品がおもしろい/つまらないのはなぜなのか?」という単純な問いかけであったとしても突き詰めて話し合うことで読みの違いが明確になる。登場人物の行動は善か悪か? 自分だったらどうしているのか? と普段と違う、読書会でなければ話さないであろうテーマを語り合うのは楽しいものだ。

刑務所ならではの読書会

「刑務所」で行われる読書会が本書の特異性だとはいえ、刑務所の中にいる人間が本を読めないなんてことはないのだから、最初は普通の読書会とどこが違うんだと疑問を持っていた。しかし孤独で、逃避できる場所が少ない刑務所だからこそ、人が本を求める気持ちは外よりも強いのか、多くの人が"切実に"読んでいる。また、カナダの刑務所という場所柄か、人種や出身地が多様なので黒人と白人についてのテーマなど一触即発の空気になるのも刑務所ならではか(荒くれ者ばっかりだしね)。

収監され「自由を奪われたもの達」だからこその視点も生まれてくる。たとえば『ありふれた嵐』を題材にした会では、受刑者らが冤罪によって警察に追われる主人公に対して「まずは弁護士に相談すべきだったな」とか、「ムショにいたことのあるやつなら、殺人現場の凶器に触れちゃいけないことくらい誰でも知っている」といって先輩風吹かせながら刑務所あるあるネタを話していくのも独特でおもしろいところだ。

読書会は、小説やノンフィクションが課題図書として取り上げられ、自主的に集まった受刑者らがその本についてどう考えたかを語り合っていくオーソドックスなスタイルで進行する。本書では、「それがどんな本なのか」が提示されたあと、受刑者らの議論がまとめられていくので取り上げられている本を一切読んだことがなくとも安心だ。読み終えた時には読みたい本が増えていることだろう。

取り上げられている本も日本語に翻訳のあるメジャーな物が多いのも良い。記事末尾に本のリスト代わりに目次を載せておく。*1

まるで一緒に参加しているような

著者の手によってうまく議論の過程がすくい上げ、再構成されていくので、まるで自分が読書会に参加しているような感覚になるのも本書のおもしろさである。たとえば、『ニグロたちの名簿』という本を取り上げた会で奴隷制度へと話題がうつれば、「白人としての集団的責任を感じた」という人もいれば、「白人というだけでほかのやつらの責任を負わされたらたまらねえぜ」という人も現れる。

イスラーム教の女性抑圧を糾弾したヒルシ・アリの回想録『もう、服従しない』を課題図書にした読書会では次のような議題が持ち上がる。

 話し合いの時間が残り十五分になったとき、どんな読書会でも意見が百出しそうな質問をフィービーが投げかけた。ヒルシ・アリがイスラーム教に背を向けることになったのは、少女時代に読んだ西洋の小説に影響を受けたからではないだろうか、と。

こうした具体的な疑問にたいして、「著者にとって西洋の小説が重要な役割を果たしたとわかる描写が2ヶ所ある」といってページを挙げる参加者があらわれるかとおもえば、また別の参加者は「こんなことを言っている箇所もある」とその説を支持するか、「違うんじゃないかな?」と新説を提起するために新たなページを指定する。

そうした議論を続けていくうちに、「同じ学校にいたほかの少女たちは、なぜ彼女のような行動に出なかったのだろう?」と新たな疑問につながって──と、議論が議論をよび、多様な価値観が一同に介し話題が次々とつながっていく読書会ではよくある(これがまた楽しい)光景が、本書では生き生きと描かれていくのだ。

読書会にありがちな課題

読書会あるあるでおもしろいのはそうした「まるで一緒に参加しているような」生き生きとしたおもしろさだけではなく、マイナス側面の方も綿密に描かれていくところだ。たとえば課題本を渡され、持ってはいくものの会には現れない者、読み終えずに手ぶらで参加する者、他人に構わずひとりで喋り続ける者、宗教や人種などのセンシティブな話題になった時のコントロール方法、誰も本をおもしろいと思わなくていまいち盛り上がらない時などなど、読書会にはありがちな無数の課題に直面していく。

これについて著者やボランティアの人々は、受刑者のうちに特別な読書大使を数人任命することで、参加者へと読んでくるように促しをかけたり、参加者をそもそも絞ったりという案を無数に考えだしていく。課題図書は論点が多くなりそうな本の方が良いだろうか、など「課題本の選定」まで含めて描かれていくので、本書を読むと読書会がどのようなプロセスの積み重ねで成り立っているのかもよくわかるだろう。

おわりに

本書で読書会に参加した受刑者らメンバーたちの中には、その後読書の習慣ができたひともいれば釈放されたのちにまた同じように罪をおかして再収監されるようなひともいる。ま、読書会は人間矯正システムでもなんでもないのだからそれは当然だ。というわけで、読書会は何もかもを善い方向に変える魔法のシステムではないが──少なくとも「とってもおもしろいものだよ」というのを本書は十全に伝えている。

読了後はたぶん誰しも読書会を主催/参加してみたくなるだろう。日本でも近年は無数の読書会が開催しているから、地名+読書会で検索してみるか、いきなりそれはハードルが高いと思うのであればまずは友人や家族を誘って、カフェなんかに陣取って「身内」読書会をやってみるのもよいだろう。このブログの「読書会」タグをたどってもらえれば、レポも上げているので小規模な会の雰囲気はわかると思う。

*1:約束は守られた『スリー・カップス・オブ・ティー』 ,あなたは正常ですか?『月で暮らす少年』『夜中に犬に起こった奇妙な事件』 ,Nで始まる差別語『ニグロたちの名簿』 ,きれいな朝焼けは看守への警告『かくも長き旅』 ,夏に読んだ本 ,読書会という隠れ蓑『ガーンジー島の読書会』 ,グレアムとフランクの読書会『サラエボのチェリスト』 ,この環境に慣らされてしまったのさ『戦争』 ,虐待かネグレクトか『ガラスの城の子どもたち』 ,今日一日を生きなさい。『怒りの葡萄』 ,刑務所のクリスマス『賢者の贈り物』『警察と賛美歌』『賢者の旅』 ,三人の読書会『第三帝国の愛人』『天才! 成功する人々の法則』 ,島の暮らし『スモール・アイランド』 ,もうひとりの囚われびと『もう、服従しない』 ,傷を負った者『ポーラ──ドアを開けた女』 ,容疑者たち『ありふれた嵐』『6人の容疑者』 ,善は悪より伝染しやすい『ユダヤ人を救った動物園』 ,史実を再構成する『またの名をグレイス』 ,最後の読書会『またの名をグレイス』ふたたび ,巣立っていったメンバーたち

【アラサー読書会告知】2015/08/01@渋谷 東浩紀『クォンタムファミリーズ』

クォンタム・ファミリーズ (河出文庫)

クォンタム・ファミリーズ (河出文庫)

日時 :2015年08月01日(土) 15:30~ だいたい二時間ぐらい?
場所 :渋谷のどこか
会費    :場所によって変動するので別途ご連絡します。500~1500円ぐらい。
二次会など :予定なし
参加条件 :年齢制限は特にありません。精神的アラサーとしてきてください。
その他 :アラサーならこれを読めという本を持ってくること(交換します)

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誰得読書会『SFマガジン700【国内篇】』開催レポート

誰得読書会@渋谷付近 5月24日(日)16:00−18:00課題本:『SFマガジン700【国内篇】』の募集告知 - 基本読書⇐を実施してきましたのでいつもどおり開催レポを書きます。今回はまあ本がちと新刊から外れていることもあってそんなに集まらないんじゃないかなあと思っていましたけれども結果的に五人での開催となりました。毎度多くても七人ぐらいしか募集をかけないので五人というと適正人数でじっくり、ある意味ではだらだらと話が出来て楽しかったです。ちと時間をキリキリに詰めてしまったのが(飲み会とかもないので)残念ですが、まあまたやりますので。

SFマガジン700【国内篇】は本としては、これまで書籍収録されていない、第一級の人気作家のSFマガジン以外では読めないものを中心に集めていることもあって傑作選というわけではない。資料的価値というか、「おお、本に入ったのか」「読みたかったアレが読める」的な部分での旨味が大きい。特に目玉としては秋山瑞人さんの『海原の用心棒』が収録されていることで──これが傑作。SFマガジン700【海外編】はどれも平均点の高い作品群だったがテッド・チャンの『息吹』が飛び抜けて面白かったように、【国内編】ではこの作品が白眉でしょう。

読書会とはいったい何をやる場なのか──ということがよくわからないかもしれないので一応そのあたりを解説しておくと、誰得読書会ではほぼ課題本は複数人の作家が作品をよせるアンソロジー作品になることが多いので、各人が短編毎に5点! とか6点! とか点数をつけていく感じです。そこで、その点を付けた自分なりの根拠を述べる。別になんとなく、ひっかかるものがなかったからとか、単にもうぜんぜんつまんなかったから、とかそれだけでもいいわけですが、けっこう人によって点数がばらける。その上で点数とそれにまつわる根拠をあーでもないこーでもないと言い合うのは楽しいですよ。

今回は全体的にトリッキィな作品が多く点数をつけるのが難しいかったかもしれませんね。伊藤典夫さんのは小説ではなくてエッセィ(のしかも上下のうち下だけ)だし吾妻ひでおさんの漫画は自分の過去のSFマガジンにまつわる体験を綴るショートコミックエッセイだししょっぱなはいきなり手塚治虫の漫画で筒井康隆のは実験小説の極致みたいな感じでとても一見したところ小説とは思えません。年代も古いのは1963年、1966年ぐらいと本当に古い。【海外編】の時も思いましたけれども、短編はアイディア勝負なところもあってか、時の劣化(継承され、より洗練された形でフォローされたりするので)を受けやすい印象。

手塚治虫の「緑の果て」は「ソラリスやん。ソラリス。あれ、でもソラリスとどっちが先なんだっけ……?」と話題になったり平井和正さんの『虎は暗闇より』は周囲の人間の隠された欲望を解放してしまう能力者のお話なんですが「まあ、時代を考えればなかなか面白いよね……」どまりだったり。僕としてはけっこう発展性があって、長編とかにしたら面白そうだなと思う短編なので(能力的に面白いし)高評価ですが。でも実際には似たようなのは既にあるんだろうな(平井和正さん自身の手によるものもあるかもしれないし)。貴志祐介さんの初期作品である『夜の記憶』は、後に洗練された形で世に出る『新世界より』等の萌芽が感じられるSF作品ながら、まあ後期の作品を知ってから読むと「面白いし、ワクワクさせてくれるが、惜しい!」という感じ。

最多の合計44点を獲得した秋山瑞人『海原の用心棒』は鯨と乗組員を戦闘で失って一機取り残されたAI持ち潜水艦の物語。鯨らはなんでかわからないけれども、岩鯨と呼んでいる謎の敵に襲われている。若きスピードアイと、レッドアイと名付けられた潜水艦は、お互いの言っていることもわからないまま岩鯨らの襲撃を受けるのだが──、といった感じで物語が幕をあける。ハイテンション・海洋バトルSFといった感じでまたえらいところにボールを放ってくるなという作品。雌鯨がちゃんとツンデレヒロインじみてたりして(鯨なのに)かわいいのが「さすがだぜ秋山瑞人」と話題になってました。

むかしから人間以外の動物がまるで人間みたいに(ただしその人間以外の何かの特性を物語として取り込みながら)戦う作品が好きなんですけど(サバイビーとか。でもこれ動物じゃねえな)鯨バトル、熱い(一言)。猫を命がけのバトルに叩き込ませたりする秋山瑞人さんではあるが、鯨に変わってもなんら変わりなく熱い。純粋に戦闘の描写が、一匹一匹の鯨の覚悟キマってる感が、いちいちカッコイイ、カッコイイのだ──というなかなかソレ以外の感想が出にくい作品である。作品の根幹に関わる部分がわざとボカされていたりして(敵が襲いかかってくる理由、自陣営に敵と同じ班がある鯨がいるという謎の伏線っぽいもの)「これはいったいどう繋がるんだろう、なぜ襲いかかってくるんだろう」という部分についても提案がなされたりしていろいろ深読みも面白い短編です。

もう一つ評価が高かったのが、最後に収録されている円城塔さんの『Four Seasons 3.25』。隙間理論という、過去が確定されている部分、たとえばAとBがわかれた、というのは「事実として確定されている」としても、そこに至るまでの不画定な事実をちょこちょこっと変えたり、道筋をずらしたりして、徐々に「確定している部分以外の隙間」の歴史改変を行なうことで「AとBがわかれた、かもしれない」と事実を多少捻じ曲げることができうるのではないか──みたいななかなか笑えるロジックが鮮やかな四季と共に語られていく。

これについては誰が得するんだよこの書評のdaenさんが強烈にグレッグ・イーガンの『順列都市』内でメインアイディアとなる塵理論の話を語って、えーと、塵理論の方がスゴイ! みたいなことを言って読書会は幕を閉じました(ちゃんちゃん)。塵理論に関しては、順列都市 / グレッグ・イーガン - 誰が得するんだよこの書評 不死は実現可能!?― 猫でもわかる塵理論 - 誰が得するんだよこの書評 このあたりの記事は必読かと。これもう7年前の記事ですが、今読んでも気合が入っていて面白い。

本の交換会

紙の動物園 (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

紙の動物園 (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

さあ、というわけでオススメ本の交換会もやってきました。僕としては断然『紙の動物園』を持ってきたかったんだけど、これは使う可能性があるので渡せず。他のSFも、ちょっと使うので(SFマガジンの記事書き仕事とかで)持ってこれない! なんてこった! となったので秘蔵の『駄目な石』平方イコルスンを放出しました。SF関係ない、殆どは女子高生のなんだかよくわからないかけあいというか、日常ですらない何かなんだかよくわからない行動を描写した漫画。会話のセンスやコマ割り、構図のよさが抜群で読んでいるとトリップする感がある。
駄目な石 (書籍扱い楽園コミックス)

駄目な石 (書籍扱い楽園コミックス)

これと交換したのが同じく楽園漫画の『蟹に誘われて』panpanya  でこっちはこっちでまたおかしな女子高校生ぐらいの女の子が狂ったような世界にいる話だった。楽園の中でも突き抜けた部分があのこじんまりとした場に集まったのが恐ろしかったです。位置原光Zさんの『アナーキー・イン・ザ・JK』とかめちゃくちゃ好きだから持って行っている可能性すらあった(電子書籍だから渡せない)。
蟹に誘われて

蟹に誘われて

次は伊藤計劃トリビュートか、年刊SF傑作選が出たタイミングでやろうと思うのでぜひ参加してくだされ。個人的な繋がりのほぼ存在しない集会なので、みなほぼ初対面状態で入りやすいかと思います。飲み会とかもないし。

誰得読書会『NOVA+ バベル: 書き下ろし日本SFコレクション』開催レポート

本日、SF短編アンソロジー『NOVA+ バベル: 書き下ろし日本SFコレクション』で読書会を開催してきました。告知記事はこちら⇒誰得読書会@新宿付近 10月25日(土)課題本:『NOVA+ バベル: 書き下ろし日本SFコレクション』のお知らせ - 基本読書

天気もよく気温もそこまで寒くなく良い感じだったかなと。誰得読書会では基本的に短編アンソロジーを軸にして、一人一人がその短編につけた点数(10点満点)’とその点数の根拠、感想を言い合って回していくスタイルでやっています。今回八人にご参加いただきまして、これはかなり多い方ですね。今回の課題本NOVA+は、これまでずっと出されてきたNOVA全10巻をいったん終わりにして、新しく一から新生し、プラスがついて蘇ってきたアンソロジー。第一発目ということで執筆陣もみな一球入魂気味だったり癖がありすぎたりする短編を書いており、一編一編のエネルギー量がとても高かったけれども読書会自体もそうした作品のエネルギーに負けじとテンションが高かったです。

NOVA+の執筆者は掲載順で宮部みゆき、月村了衛、藤井太洋、宮内悠介、野崎まど、酉島伝法、長谷敏司、円城塔という布陣。僕個人としては、長谷敏司『バベル』、野崎まど『第五の地平』あたりはみな平均的に評価が高いだろうという予想、なので藤井太洋『ノー・パラドクス』、円城塔『Φ』あたりの作品の良さを語れたらいいなと思っていたのですけど、メンツ的にみんな評価が大きく分かれ、あまりSFを読まない方からのSF観・評価や、逆にハードSF押し、自身の専門分野観点からのリアリティの欠如の指摘だったり、読み方・愉しみ方の多様さが面白かった会になりました。

会の流れとか、盛り上がったポイントとかの概略

宮部みゆきさんの短編「戦闘員」の間口の広さと、ジジイ小説としての完成度の高さ(老後暇になった老人が何をするのかという現代的なテーマ性もある)、これまでの宮部みゆき作品で共通して書かれてきた年寄りと子供との相関などなどをはじめとして、月村了衛さんの機龍警察は果たしてSFなのか!? そしてシリーズ未読者はこの短編だけを読んでわかるのか? と話題になったり(読んでない人の方が若干多かったかな?)序盤から大盛り上がり。

藤井太洋さんの『ノー・パラドクス』は一読して話の流れや理屈を飲み込むのが大変困難であり、後に出てくる野崎まど作品との関連で「図が欲しい、ないとわからない」や「あると逆にわかりやすすぎてしまうのでは」といった議論から、作品の根幹であるタイムトラベル理論や作品中で説明されている理屈の説明がホワイトボードを使ってわからない人向けに解説が入ったりして、なんか読書会っぽかったですね(ぽかったってなんだ)。非常に評価の高い人もいれば、低い人もいてそのどっちの言い分もわかるという良い作品です。僕はこの情報の塊で読者を殴りつけていくスタイルは大変好きでした。

宮内悠介さんはスペース金融道シリーズに連なる短編で、作品のコミカルさ、金融ネタなどを話すのが楽しかった。作中で描写される金融ネタ、これがアリなのかナシなのか? ホラとして成立しているのか? ありえるとしてどのような形がありえるのか? といったところや、過去作との関連・比較してこれはどうなのか? といった議論に。続いて野崎まどさんの『第五の地平』、これも藤井太洋さんの作品ばりに評価が割れた部分もありましたが、純粋に面白く、文章は軽快で、図まで含めた大法螺と真面目さの両立が評価され大絶賛。作品解説というよりかはどこで笑ったか、どこが特に面白かったかという話で盛り上がりました。

酉島伝法さんの『奏で手のヌフレツン』は造語のオンパレード短編。造語をつくって現代地球とは似ても似つかない世界を構築し、まるでついていけない描写が続きながらもやっていることはだんじり祭であるという摩訶不思議な短編で話題もやっぱりこの描写は受け付けられるのか」、はたしてこの描写は本当に面白いのか、話がよくわからん、漫画化したら面白いんじゃないか、著者はこんなものを書いていて嫌にならないのかとやんややんや言い合っていく。描写の一つ一つがやはりみな印象的なようで、ここでは様々な描写が取り上げられていました。

次に、長谷敏司さんのバベルが今回の読書会では野崎まどさんの作品についで得点数が高かった作品。組織内の理屈と組織内個人の理屈が相反し、この時個人が感じるストレスや、どうしたらいいのかといった普遍的な葛藤にSF的な回答を与えていくのが話の骨子であり、バベルというタイトルの作中で語られている内容への解説や主人公以外のキャラクタが記号的すぎるのではといった議題、こんなビッグデータの活用ができるのかと、他にも語ることがいくらでもありかかなり白熱した話が繰り広げられ、全体として好評でした。あとお話の下敷きにSF作家クラブ周りのごたごたがあったらしい〜という話からの、ただし問題としては普遍的な部分へ落とし込まれていることが作品に影を落とさずに成立させているといった話も出ました。

最後に円城塔さんの短編『Φ』ですがちょっと時間がなくなってしまったので一人一人の感想は飛ばし気味に。三時間あっても八人で語ると時間が足りない。段落ごとに文字数が減っていくという小説内ルールについては当然ながら筒井康隆『残像に口紅を』への言及などを取り上げつつ、円城塔さんの独自性はどこかを語ったり、単純にグラフィカルな面白さの話だったりとこの作品も全体的に評価が高かった。

僕個人の記憶を元に書いているので、実際はもっと面白い話題やポイントがたくさんあったはずですが、とりあえずざっくり書いてみました。思い出したら追記します。僕個人の感想は明日あたり記事をわけてそこそこ詳細に書いていこうと思っています。

誰得賞

というわけでまとめると今回一番点数の高かった野崎まど『第五の地平』には第十回だ誰得賞が贈られます。ぱちぱちぱちぱち。いつもであれば誰が得するんだよこの短編賞というひどい賞も最低得点の作品に贈られるのですが、今回はどれも力作だったこともあり見送りました。これまたぱちぱちぱちぱちですね。これだけレベルの高い短編アンソロジーだとは読む前は正直思っておらず、嬉しい誤算でしたね。よかったよかった。

話題にあがった本

みな熱心に話をしていて、都度都度「こんな本を思い出させる」とか「こんな本も面白い」と関連書籍の名前があがりますので、僕が覚えている限りですがここに列挙していきます(どちらかと言えば今回の参加者向け)。

宮部みゆき「戦闘員」で話題にあがった本;岸恵子『わりなき恋』
月村了衛「機龍警察 化生」で(ry;機龍警察シリーズ、パトレイバー
藤井太洋「ノー・パラドクス」;ブライアン・グリーン『隠れていた宇宙』『エレガントな宇宙』、ミチオ•カク「パラレルワールド―11次元の宇宙から超空間へ」「サイエンスインポッシブル」
宮内悠介「スペース珊瑚礁」;他のスペース金融道シリーズ(そのうち単行本化?)、宮内悠介「ヨハネスブルグの天使たち」、ダグラス・アダムス『銀河ヒッチハイクガイド』
野崎まど「第五の地平」;野崎まど「独創短編シリーズ 野﨑まど劇場」
酉島伝法「奏で手のヌフレツン」;弐瓶勉「シドニアの騎士」、小林泰三「海を見る人」、筒井康隆「幻想の未来」
長谷敏司「バベル」;長谷敏司『My Humanity』、小川一水「第六大陸」
円城塔「Φ」;筒井康隆「残像に口紅を」グレッグ・イーガン「順列都市」

などなど。また思い出したら追記していきます。


NOVA+ バベル: 書き下ろし日本SFコレクション (河出文庫)

NOVA+ バベル: 書き下ろし日本SFコレクション (河出文庫)

  • 作者: 宮部みゆき,月村了衛,藤井太洋,宮内悠介,野崎まど,酉島伝法,長谷敏司,円城塔,大森望
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2014/10/07
  • メディア: 文庫
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読書会『SFマガジン700【海外篇】』の開催報告書

昨日8月3日に大阪駅周辺にて『SFマガジン700【海外篇】』を題材にして読書会をやってきました。無事6名の方に参加表明いただき(当日体調不良1名発生により読書会自体は5名)、だんだん賑わってきました。この読書会、正式名称は誰得読書会というのですが、最初の方は2人とかザラだったのでこうして人数が集まるようになったのはたいへん嬉しいことであります。知らない人ばかりの読書会に飛び込むのは結構勇気のいることだと思うのですが、だいたいみなすぐに打ち解けられるので面白いです。

開催自体は「この日にこの本をテーマにしてやります。やり方はこうです」とだけ決めて告知をブログなりツイッターなりで行い、人が集まってくるのを待つだけでいいので、主催者側は簡単です。場所も東京だったらルノワールのマイスペースがかなり安く借りられるし、6人程度だったらあらかじめ場所を確保する必要はあれど喫茶店で大丈夫でしょう。今回も場所は大阪付近の喫茶店に場所をとって行いました。二次会の手配などが入ってくると面倒なことになると思いますが、面倒なので僕はやっていません。

今回本は『SFマガジン700【海外篇】』ということで、実はこれ「今まで文庫などに収録されていない短編」を集めたもの。それゆえ面白さ的に微妙なものが揃うのではないか、と思っていたのですが平均的に面白いもの揃っていて、かなり良いアンソロジーでしたね。さすがに50年近く前の作品とかは古臭さが際立って今読むと面白くなかったりするのだけど、曲者あり傑作ありで読書会も盛り上がりました。

誰得賞

読書会の形式として、各短編ごとに自分の感想と、点数をつけているのですが今回の最も点数が高かった短編は1位が『息吹/テッド・チャン』でした。ぱちぱちぱち。第九回誰得賞の受賞作となります。今回はすごかった。5人中得点の入り方が10,10,10,9,9となり、その誰もが大絶賛という誰得読書会始まって以来のハイアベレージ。これまでで一番大絶賛を浴びた短編および最高の平均点だったでしょう。事実その内容は、非の打ち所のない完璧なものでありわずか25ページのうちにこの宇宙の終わりとそれでも終わらない知性へ思いを馳せざるをえないような、そんな想像力の飛躍をさせてくれる面白さがあります。

第二位が39点で『ポータルズ・ノンストップ/コニー・ウィリス』数々の賞を受賞しているエンターテイメントSFではぶっちぎりの人気を誇るコニー・ウィリスの楽しさが前面に出たような短編で、めちゃくちゃ面白かった。しかもこれの凄いところは、この短編がSF作家ジャック・ウィリアムスンへのトリビュート・アンソロジーで寄稿されたものってことなんですよね。普通こういうのって「トリビュート・アンソロジーを目当てにしている人達にとって」面白いものであることが多く、こういうフリー部門での面白さはやはり減じてしまうことが多い。それを吹き飛ばす普遍的な面白さを持つ、ミステリな構造を持ったSFで(SFネタがミステリオチにつながる)非常に上手い一編。

マジで誰が得するんだよこれ賞

さて、心苦しいですが一番点数が低かったものも発表しておきましょう。『遭難者/アーサー・C・クラーク』でした。第九回誰が得するんだよこれ賞を授与されました。ぱちぱちぱちぱち。おま、SF界の巨匠に何を言ってるんだという感じですが、実はそこまで評価が低いわけではなかった。50点満点で19点。この読書会では割合最低の評価となると「6人全員が0点をつけた」とかわりとあるのですが、そうかんがえると最低が19点というのはけっこうすごい。全体的に平均の高いアンソロジーだと最初に書きましたが、こういうところからもそれがわかります。

評価自体は──クラークのファーストコンタクト物。それが劇的に描かれるのではなく、両者が一瞬接近するといった形で書かれている、ただほんとに「それだけ」であり、異星生物側の思考が描写されているところなどちょっと面白いところはあるけれど、全体的に古臭く今読むと何も面白くないといった評価が多かった。発表が1947年、しかもデビューの翌年ということで決してクラーク自身の評価に傷がつくようなものではありませんが、まあ記念的な物として読むとなかなか面白いかんじ。

作品の評価

僕が個人的に好きだったのはル・グインの『孤独』。ぶっちゃけあんまりSFであることを必要としない、なんだったら設定をそのまま未開部族の研究者とかにしても何ら問題ないようなものなんですが、それでも僕はこれが息吹を除けばこの短篇集で一番おもしろかったな。お話はわりあい単純で、文明が未発達の星に調査のためにやってきた家族が、娘と息子はその土地に馴染んで「魔法が存在する」世界観を形成していったのに対し母親は科学文明に早く戻りたいと願っている、そのズレが物語の軸になっていく。母親からしたらこんな危ないところからは調査が終わったら早く出て行きたいし、未開部族がいうところの「魔法」は科学でしかない。

それでも娘からすればそこは自分の価値観の源であり、今更科学文明へ戻れと言われても困る。「科学」の結晶である宇宙船やさまざまな技術も彼女にとっては「魔法」としか思えない。親と子の確執でどちらの言い分も非常によく理解でき、感情的に罵り合うのでもなく二人が自分たちの納得するぎりぎりの線を担って対話をしていくのがよかった。ル・グインはやっぱりゲド戦記などでもわかりますが、「架空の世界」を構築していくのが半端無く上手い。魔法を信じる世界と、科学を信じる世界の両立が、たいへん素晴らしかった。

あとはやっぱり『息吹』ね。テッド・チャン。テッド・チャン大好きな人からの短編評価として「これまでの中でも最上位」とあったり。その評価は僕も変わらず。どんな話なのか? 我々が暮らす世界とは全く別の世界。冒頭の段落の文章から引用すれば『ここに刻むこの文章は、わたしが生命の真の源を理解し、ひいては、いずれ生命がどのようにして終わるかを知るにいたった、その経緯を記したものである。』となる。この世界は我々の世界とは異なるので、この文章を書いている生命体は空気から生命を得ている。毎日空になった肺を自分の胸郭から取り出し、空気をいっぱいにみたした二個の肺を消費する。

単純な事実から、この世界が実は「いつか終わるのではないか」という仮説が導き出されていくのだが……。観察された個々の事実から、意味を普遍化させ、もっと広い範囲に適用させてみせる。目の前の事象を抽象化し別の事象にも当てはめることができるかもしれないと考えられるのは知性の、想像力の力の源だ。その普遍のプロセスによって、この我々の世界とは全く異なる成り立ちを持った世界が我々の世界と接続をとげる瞬間がもう素晴らしい出来。わずか25ページの短編なのだが、後半部のドライブ感は圧巻で、この短篇集はぶっちゃけ、この息吹を読むためだけにでも買って読んでもらいたい、それぐらいの短編(ハードル上げすぎた)。

最後に本の交換会も行いました。みんながオススメの本を持ってきて交換する形式。今回はみんな持ってきたのはSF。特に縛っているわけではないのだけど。長谷敏司作品がかぶった(本はかぶらず)のがちょっと笑った。
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ではでは。これで興味をもってもらった方がもしいらっしゃいましたら、次回もまたこのブログやツイッターで告知しますので是非参加してくださいね。今回は大阪でしたが、東京でも開催しています。

SFマガジン700【海外篇】 (ハヤカワ文庫SF)

SFマガジン700【海外篇】 (ハヤカワ文庫SF)

  • 作者: アーサー・C・クラーク,ロバート・シェクリイ,ジョージ・R・R・マーティン,ラリイ・ニーヴン,ブルース・スターリング,ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア,イアン・マクドナルド,グレッグ・イーガン,アーシュラ・K・ル・グィン,コニー・ウィリス,パオロ・バチガルピ,テッド・チャン,山岸真,小隅黎,中村融,酒井昭伸,小川隆,伊藤典夫,古沢嘉通,小尾芙佐,大森望,中原尚哉
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2014/05/23
  • メディア: 文庫
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読書会の形式についていろいろ考えてみる

むかし読書会についてはこんな記事を書いたことがある⇒読書会について - 基本読書いろんな形式で読書会をやってきての雑感で、ざっくりとした要約としては「長編一冊を複数人、あまり仲良くもない人間でもたせようとすると間がもたない。」っていう大きな問題がひとつあり、その解決策として有効だと思ったのは、「スゴ本オフ形式(たとえば音楽、のようにてテーマを決めてそれについて各自がオススメ本を持ってきてプレゼンする)」「ビブリオバトル形式(スゴ本オフにゲーム性をもたせたかんじ。実際はいろいろちがうけど)」「(アンソロジーだとなおよし)短篇集で語り合う短編形式」の3つだってところ。

ちなみにノンフィクション系の読書会であるとか、難解な本を全員でディスカッションしながら読み進めていく勉強会系読書会などいろいろあるがひとまずここでは小説系の読書会についてのお話。スゴ本オフ形式もビブリオバトル形式もどちらも面白いが、参加者同士がその場で深く語り合っていくという感じにはならないのではなかろうか。短編形式は一つ一つの短編についてわりあい時間をとってあーでもないこーでもないと参加者が語ることができるけど、ただ人数にあっという間に限界がきてしまう。昨日やった読書会でも6人で16編もやろうとしたらさすがに時間が足りなかった⇒読書会『さよならの儀式 (年刊日本SF傑作選) (創元SF文庫)』の開催報告書 - 基本読書 

もちろん大人数になってもチームを分ければいくらでもできるけど、せっかく集まったのにチームが分かれるんじゃあんまりおもしろくないと思う。チーム替えなどが行われても結局折角集まった人間が分割されている状況に変わりはないし、何よりそういう分割させてやる形式の読書会は20回ぐらい試した経験があって、あまり楽しくなかった。こっちは盛り上がっていないのにあっちは盛り上がっている……とか嫌だしね。読書会では体験したことがなくても合コンで似たような思いを経験した人も多いのではないか。

他にどんな形式がありえるのか

というわけでここ数年は忙しかったこともあり、短篇集メインの読書会形式でやっていたのだが、できれば他にもいろんな形式でやってみたいとは思う。やりづらいといっても長編を語り合いたい場合だってあるし。こっちはしかし主催者側の難易度があがるんだよね。ようは論点をあらかじめ幾つか用意して、ディスカッションのような形で話が進まないとあっという間に終わってしまうから。開始十分でみな自分の感想を語ってしまって「わたしはこう思いました」「うん……そうですね。」「そうですね。」「そうですね……」 「……ほかは……もうないですね……」となって無理矢理話題をひねりだすような読書会を僕は何度も経験しているので、もうやりたくない。

一冊の長編だと厳しいが、シリーズ物だともっとやりやすいだろうと思う。まだ完結していないシリーズであれば「これから先どうなるのか予想」とか「好きなキャラクタ、嫌いなキャラクタ談義」とか「一番好きな巻はどれか」とか話の広がりがある。実はこれを『天冥の標シリーズ』でやろうと思って、記憶があやふやな人向けの単巻オチまで書いた全あらすじとか、議論になりそうなお題のリストとか、作中のあやふやな部分のまとめの資料とか作ったんだけど、募集までかけたものの途中でやっぱり面倒くさくなってひっこめてしまった。でもたぶん開催したら面白かったと思うな。準備は大変だけど。

他には作家縛りだったら間が持つだろうなと思う。問題は人が集められるかどうかってところか。でも集まるかどうかはとりあえずおいておこう。好きな作家、それも多作な作家であればあるほどいくらでも話すことは湧いてくるものだ。好きな作品を語り合ってもいいし、嫌いな作品を語り合ってもいい。筒井康隆語りとか超したいし。

海外ではどうやっているのか

しかし本当に長編でやるのは難しいんだろうか? アメリカやイギリスではどうも読書会はずっとポピュラーな存在のようで、いたるところで読書会が行われている。何しろ読書会系のサイトだけでもものすごい数がある⇒BookMovement | Tour BookMovement はいろいろ見た中ではもっとも使いやすいウェブサイトで、他の物はこっちを参照⇒Book discussion club - Wikipedia, the free encyclopedia 。で、これらはどうもあまり凝ったことはしない。難しく形式を考えたりもせずに、ざっくりとやる一冊をテーマに決めることが多いように思う(もちろん探せば凝った形式などいくらでも見つかるだろうが、全体の傾向としての話)。

こんな話だったり⇒さよならまでの読書会: 本を愛した母が遺した「最後の言葉」 by ウィル・シュワルビ - 基本読書、小説・映画だがジェイン・オースティンの読書会のような雰囲気が一般的なのだろう。ようは「テーマ本と主催者がいて、そこに都度都度参加者が集まってくる」ではなく、「4〜6名ぐらいのBook Clubがまず結成され」、「その4〜6名ぐらいのClubが定期的に集まる日を決めて、友好関係を深めながら、だらだらと本の話を肴にコーヒーでも飲む」みたいな感じ。気心の知れた間柄なので毎度毎度「いま何読んでいるの? そういえばこの前オススメしたアレ、読んでくれた?」と話し始めて読んでたらその話を始めたりといった感じでだらだら進んでいく。

もとより議論というか、自分たちの意見をガシガシ言うお国柄だからこそ成立する関係性かもしれないが先に読書会グループをつくりあげてメンバーを固定させてしまうような、こういう形式も、ありだなあと思う。何より誰も彼も負担が少ない。少なくとも一回はこういうBook Clubをつくってやってみたいが、いかんせん僕にはそんなことができそうな知り合いがまるでいないのが残念なところか。

音楽は「ライブの時代だ」といわれる(コピーされて音楽自体では金儲けができないから)。本もまるきり同じとまではいわないけれど、ライブ性への欲求は高まっていると思うので、ある意味本のライブである読書会についてもこれから先いろいろ検討してみたいところだ。