基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

アンチ優生学の立場で、遺伝がもたらす人生への影響を「平等」の観点から考え直す──『遺伝と平等―人生の成り行きは変えられる―』

近年、遺伝子研究が進展してきたことで身長や顔といった見た目の要素だけでなく、「学歴」のような生涯収入やそれに伴う生活の質に直結する部分も遺伝子の影響を受けることがわかってきた。しかしそうしたデータは気軽に世に出すと、何度否定されても議論が絶えることのない優生学や、何をもってして社会は「平等」や「公平」といえる状態になるかといった、簡単には答えのでない議論を呼び込むことになる。

しかし、実際に遺伝子によって学習能力や最終学歴に差が出るのであれば、議論が難しいからとか、遺伝による差が明らかになると優生学に結びつく可能性があるからと危惧し「遺伝的な差異をなかった/見なかった」ことにするのは間違っているのではないか。それ──遺伝的な差異による富の格差──がある前提で、平等についての議論を進める必要があるのではないか。けっして優生学に陥ることがないよう、アンチ優生学の立場を表明し、それでもなお遺伝的な差異を直視し、平等を目指すために。

本書『遺伝と平等』は、最新の遺伝子研究をもとに、間違いなく人類社会には遺伝による富の格差が存在することを示し、どのように設計をしたら遺伝的な差異がある人々に「平等」をもたらすことができるのかを議論していく一冊だ。

そもそも遺伝による差異が本当に学歴などに関わってくるのか。関わってくるとしても、どれぐらいの影響力があるといえるのか(世帯収入の方が重要なんじゃないの?)、相関関係と因果関係の違いといった基本的な部分を、双子研究やGWASなど数多の研究手法・データを通して抑えていく第一部と、差異が存在することを前提に、ではどのように平等を設計すべきなのかを議論する第二部にわかれている。

あなたは両親を選べなかった。そしてそのことは、両親が環境としてあなたに与えたものだけでなく、遺伝としてあなたに与えたものについても言える。社会階層の場合と同じく、遺伝くじの結果もまた、社会の中でわれわれが大切に思うもののほとんどすべてについて、人々がどれだけのものを手に入れるかを左右する、制度的な力なのである。p23-24

将来的に研究が進展して遺伝子が人生にどのような影響を与えるのかが今よりもはっきりとわかってくると、本書で書かれるような問題提起や議論を決して無視できなくなるだろう。本書は遺伝学という知識を、社会の敵ではなく味方として使いこなすための、現時点で最良の水先案内人になってくれる本だ。

本当に遺伝的な差異が学歴にまで反映されるの?

人間の能力と遺伝子に関する議論は相当にセンシティブなだけに本書では細心の注意をはらって研究やデータや因果/相関関係を扱っているので、かなり簡略化したここでの紹介だけでわかった気になられると危険なのだが、本当に遺伝的な差異が学歴にまで反映されるの? という最初の疑問点について簡単に紹介しておこう。

それを理解するために重要なのが、「ポリジェニックスコア」と呼ばれる概念とゲノムワイド関連解析(GWAS。個人のゲノムの全領域について、遺伝的な変異のある場所と表現系の関係を調べる手法)と呼ばれる手法だ。前者は、大雑把に説明するとひとりの人が測定された結果(身長や体重や富)に関連する遺伝子のバリアント(DNAの塩基配列に生じる差異のこと)をどれだけたくさん持っているかによって加算される数だ。

単純化していえば学歴に関するポリジェニックスコアが高い人は、数百万人といった人間を対象に行われた研究で関連するとみられる遺伝子のバリアント、SNPs(スニップスといって塩基配列における一つの塩基の個人間の差を指すが、遺伝子バリアントのより細かいやつと理解しておけばいい)を多数有していることになる。

現在学歴に関連するSNPsがすべて発見されているわけではない。サイエンス誌で発表された2013年の研究では、12万人6千人(端数省略)を調べて学歴に関する3つのSNPsを見つけ、その3年後には29万人を調べてさらにSNPsを74個、18年には1千200個以上見出し──と関連していると思われる箇所を見つけ続けている。身長で関連するSNPsは10万にもおよぶとみられるので学歴に関連するのがそれ以下ではなさそうだが、数多のバリアントがひとつの形質に関与している時、それぞれの小さな相関が足し上げられることで、人々のあいだで目に見える違いになって現れる。

で、結局ポリジェニックスコアが最終的な発現(たとえば学歴)にどれぐらい関与しているの? というのが気になるところなわけだが、本書では次のように説明されている。『学歴GWASから作られたポリジェニックスコアは、学校教育を受けた年数や、標準学力テストの成績、知能テストの得点のような成り行きについて、一般に、分散の十パーセントから十五パーセントほどを捉えている。(p.106)』

この部分だけ読むと、小さいね、と思うかもしれないし、大きいな、と思うかもしれない。アメリカで白人を自認する人々の学歴で、世帯所得によって説明できる割合は11パーセントなのだが、それとほぼ同じかそれ以上と考えると影響は大きく見える。また、これが遺伝と学歴の発現に関する唯一の指標というわけでもない。たとえば日本でもよく持ち出される双子研究(一卵性の双子は出生時には遺伝子がほぼ同一になるので、その後の差を研究する手法)では、学歴のばらつきは約40パーセントは遺伝子によるという推定が出てくる(研究によってばらつきはあるが)。

GWASで見つかった遺伝子で説明される分散と双子研究の推定にここまで大きなギャップがある原因はいまだわかっておらず、「遺伝子の行方不明」と呼ばれている問題だ。ポリジェニックスコアはまだ遺伝的バリアントをすべて測定できたわけでもないので、今後研究が進むとGWASによる現在の推定値は過小評価だったね、となるかもしれないし双子研究の推定値が大きすぎる可能性もある。しかし、どこに収まるにせよ、学歴の遺伝率がゼロでないのは間違いない。しかも、このまま何も変わらなかったとしても、遺伝子の影響は世帯所得と同じぐらいはあるといえるのだ。

平等をまじめに受け止める

で、本書ではその前提(遺伝の影響は最低でも世帯所得と同じぐらい重要な要因である)をおいたうえで、では平等や公平についてどう考えていくべきだろうかと第二部「平等をまじめに受け止める」で考えていく。たとえば誰もが同じだけの支援や機会を与えられることが公平か? もしくは、生い立ちの社会的条件や誕生時の偶然故に学校で苦労しそうな子ども個人個人に特別な支援が与えられるのが公平か?

一足とびに平等のための制度といった結論に飛びつくのではなく、遺伝学の知識を「排除」ではなく「平等」のために地道に使っていくのが重要だ。たとえばポリジェニックスコアが低く統計的にはドロップアウトしそうな子であっても、評判の良い学校では、ポリジェニックスコアが高いが評判の悪い学校に通う子と同じくらい学び続けられることもわかっている。遺伝データを活用し、そうした「環境」にはどのような違いがあるのかが分かれば、最終的な教育改革に繋がる一歩になるだろう。

おわりに

AIが発展したことで人間の仕事にはより高度なスキルが求められる。そのためにはさらなる「教育」のチャンスが必要だと語られることも増えたが、その大前提として、遺伝子は最低でも世帯所得と同じ程度には考慮される必要がある。そのためには、まず「遺伝による差異」が存在することを、社会が広く認める必要もあるのだろう。

平等とインクルージョンが必要だという主張を、遺伝的にはすべての人がみな同じだとか、遺伝的性質は人間の心理には影響を及ぼさないとかいう前提の上に打ち立てる必要はないのだ。修正されるべきは、人々がどんな遺伝的バリアントを受け継いでいるかによらず、この国の社会的・経済的生活にすべての人が十分に参加できるように社会を作り替えることに後ろ向きな、社会そのものなのである。(p333)

遺伝データが誤った使い方をされる危険性は常にあるが、遺伝による差異をタブー視して見なかったことにすると、見当違いの支援や対策に税金が投入されることにもなりかねない。ある人の学歴や収入が持って生まれた遺伝子にも影響を受ける──つまり、ある人の成功の大部分が運であることが知れ渡れば、サンデルによる『実力も運のうち』を代表とする能力主義にも議論は繋がってくる。本書(『遺伝と平等』)は現代において様々な領域につながる、重要な論点を持った本なのだ。

現在に至る種を広範囲にわたってまきつづけてきた悪魔的な天才──『未来から来た男 ジョン・フォン・ノイマン』

この『未来から来た男 ジョン・フォン・ノイマン』はその名の通りフォン・ノイマンの伝記である。1903年生まれの1957年没。数学からはじまって、物理学、計算機科学、ゲーム理論など幅広い分野で革新的な成果をあげ、史上最高の天才など、彼を称える言葉に際限はない。彼と同時代を生きた人物に、クルト・ゲーデルやアルベルト・アインシュタインなどそうそうたる人物が揃っているが、三人すべてを知る人物も、フォン・ノイマンが飛び抜けて鋭い知性の持ち主だと思っていたと語る。

実際、それが誇張表現ではないぐらい彼が一人で成し遂げたことは凄まじかった。その天才性は幼少期から発揮されていて、古代ギリシャ語やラテン語をマスターし、母語のハンガリー語だけでなくフランス語、ドイツ語、英語も話した。45巻の世界史全集を読んで、それから何十年も経った後でも第一章の内容をそらんじることができたという。晩年に至ってもその能力は衰えない。『フォーチュン』誌の1955年6月号に掲載された「我々はテクノロジーを生き延びられるか?」と題されたエッセイでは、遠隔通信の発展による紛争のエスカレートと共に、石炭や石油を燃やすことによる二酸化炭素の排出がこの惑星を温暖化させることへの危惧も語られている。

彼は気候変動への危惧をのべるにとどまらず、表面の塗装によって太陽光の反射量をおさえ、地球を意図的に暖めたり冷やしたりする発想──今で言うところのジオエンジニアリング──を語っている。しかも、そうした高度な気候制御は、想像だにされたことのない気候戦争の各種形態に適しているとまで指摘しているのだ。

コンピュータへの貢献、ゲーム理論やセル・オートマトン理論の想像など、何が必要なのかを把握し、未来からやってきとしかいいようがないぐらい、現代に必要な技術や概念をもたらした男なのである。それはもちろん原子爆弾のような破滅的な産物ももたらしたわけだが、それも含めてわれわれの生活の至るところに彼の痕跡が残されているからこそ、死後70年近くが経つ今でも彼のことを知る意義は大きい。

今や科学者、発明家、知識人、政治家に取り入れられてきた彼の見方や発想の影響は、人類という種は何者なのかについての私たちの考え方に、私たちの社会的および経済的な相互交流に、さらには、私たちを想像を超えた高みへと引き上げる可能性もすっかり破滅へと導く可能性もある機械にまで及んでいる。身の回りに目を向ければ、ジョニーの指紋が至るところに付いていることがわかるはずだ。

フォン・ノイマンが成し遂げてきたこと。

彼の成し遂げてきたことの要約をすると、最初の業績は量子力学の数学的な土台の構築に貢献したことだ。それが22歳の時。その後、1930年にアメリカに移住し、いずれ戦争が起こると予測していた彼はその時に備えて弾道や爆発の数学を研究。その功績もあって後に原子爆弾開発・製造のためのマンハッタン計画にもオッペンハイマーからじきじきに請われて参加し、ここでも当然目覚ましい成果をあげている。

たとえば、ロスアラモスで原子爆弾の開発に携わった科学者が大勢いるなか、「リトルボーイ」を上回る威力の「ファットマン」がプルトニウムコアの圧縮によって起爆するよう爆薬の配置を定めたのはフォン・ノイマンだった。

計画に加わったのと同年に、経済学者のモルゲンシュテルンとともにゲーム理論に関する研究も行っている。ゲーム理論は囚人のジレンマやナッシュ均衡とともに今では経済学の分野で名前をきくことが多いが、応用範囲は政治学、心理学、進化生物学(まだまだあるが)と広い。たとえば動物の利他的な行動が起こり得る理由についての研究もゲーム理論を軸に発展してきた面があるなど、今もなお「対立と協調」を数学的に考えるにあたって重要な概念である。これでも彼の業績は終わらない。

設計に携わった原爆が広島と長崎に投下された後、フォン・ノイマンは電子計算機の開発に向かうことになる。爆弾から計算機への転身は領域としてかけ離れているようにも見えるが、無関係ではない。フォン・ノイマンは30年代から計算処理に関する関心を抱いていたが、それは弾道計算や爆発のモデル化に必要となる計算量が膨らんでおり、当時の卓上計算機の力が及ばなくなるとすでに見込んでいたからだ。

フォン・ノイマンはプログラム内蔵型コンピューターの構成をはじめて記述するが、その構成には5つの「器官」が存在する。加算や乗算などの演算を行う「中央演算」装置、命令が適切な順序で実行されるように制御する「中央制御」装置、コンピューターのコードと数値を格納する「記憶」装置。残りの二つは「入力」と「出力」装置だ。彼が作ったフォン・ノイマン型アーキテクチャは今なおコンピュータ(スマホもノート/デスクトップPCも)の基本的な構成法の一つであり続けている。

また、単にコンピュータを作るにとどまらず、情報処理機械が特定の条件下で増殖、進化できることも1948年の講演で示し、こちらはオートマトン理論として結実していく。これも実はコンピュータと関連している。優れた性能を発揮する人間の脳は自分を勝手に作り上げる。だから、自己増殖する機械の仕組み、アルゴリズムを考えることは、彼にとっては脳のようなコンピュータを作ることに繋がっていた。

その後、脳とコンピューターとのあいだに見られる仕組みの類似点に関する彼の思索が、人工知能の誕生に一役買って、神経科学の発展に影響を及ぼした。

フォン・ノイマンの実績の多くはすぐに実用化や役に立てられてきたが、この分野で彼が成し遂げたことの真価が発揮されるのは、さらに未来になるだろう。たとえば、自己複製を繰り返し指数関数的にその数を増しながら宇宙を探索する探査機を考案したのも、この男なのだ。

フォン・ノイマンの最後

どんな天才であっても病には勝てない。彼は1955年に骨肉腫を発症し、そのままあれよあれよというまに転移は進む。娘のマリーナが死に向かう父にたいして、「何百万人という人を死に追いやることについては平然とじっくり考えていられる」のに、「自分が死ぬことになるとだめなのね」と問いかけたが、これにたいしてフォン・ノイマンは、「それとこれとは全然違う」とシンプルに答えている。

ノイマンは日本人の戦争意欲を完全に喪失させるためには、歴史的文化的価値が高い京都に原子爆弾を投下すべきだと主張するなど、目的を達成するための合理的思考がいきすぎた人物でもあった。本書には彼の善性についても触れられているが、悪魔か天使かといった、どちらか一側面だけの人間でないのは間違いない。

このふたつは水面下で戦っていた。フォン・ノイマンは性善説の勝利を望み、できるだけ寛大かつ高潔であろうとした。だが、経験と理性は人間の善意を信じすぎるなと彼に教えていた。

そうした、天才の複雑性が、本書にはしっかりと描き出されている。

最後にがんは脳に転移し、知力は徐々に落ち、7+4のような単純な計算問題も解くのが難しい状態だったという。誰よりも頭の回転が早かった男は、その頭が働かなくなっていった時に何を考えたのだろう。

日本の競輪、その特殊性と、だからこその魅力についてを英国人記者が語る──『KEIRIN: 車輪の上のサムライ・ワールド』

この『KEIRIN: 車輪の上のサムライ・ワールド』は、英国人記者が語る日本の競輪論である。日本でどのように競輪が生まれ、育ち、危機を乗り越え、そして日本ならではの独特な魅力はどこにあるのか、それを一冊を通して語り尽くしていく。

なぜ英国人記者が日本の競輪を語っているんだと疑問に思うかもしれないが、その理由は簡単で、著者のジャスティン・マッカリーは日本研究で修士号を取得し、読売新聞で編集者や記者として活躍。その後ガーディアンに入社し日本特派員として活動する、日本在住歴が30年にも及び、同時に競輪の熱狂的ファンだからだ。

本書の「はじめに」は2017年に平塚競輪場で行われた日本競輪最高峰のレースKEIRINグランプリの描写からはじまるが、その熱量ある文章は競輪について何も知らない僕の「英国人記者が書いた競輪の本〜? そんなんほんとにおもしろいんか〜?」という懐疑的な態度をあらためさせるに十分なものであった。

 平塚のバンク上では、深谷が両腕をまえに伸ばし、空を見上げる。渡邉は、白い手袋をはめた親指とほか指先を合わせて輪を作って口元を包み込み、あたかも古代の石器から霊薬を飲むかのごとく背中を反らせる。(……)平原はサングラスを調節し、桑原は両腕を天に突き上げる。各々がスタートぎりぎりまでヘルメットやジャージの袖を何度も何度も調整しつづける。選手のふくらはぎにはベビーオイルがたっぷりと塗られて光っているが、それは落車時に素肌とアスファルトの摩擦を減らすための予防措置だ。この時点で、半分の選手がハンドルを握っている。(……)

競輪は後述する特殊性により「日本文化を見せてくれる入り口」にもなっていて、本書は競輪を通した日本文化論にもなっている。競輪の歴史からはじまって、競輪学校でどのようなことが教えられるのか。女子競輪の誕生と成長、さらには競輪用の自転車を作る職人たちにまで話題は及ぶ。選手らへのインタビューを通して競輪の深い魅力を探ると同時に、初歩的な戦術・戦略の解説も行われていくので、僕のように競輪についてほぼ知らない人にも(というかそういう人にこそ)オススメしたい一冊だ。

競輪の歴史

最初に競輪の歴史について少し触れておこう。日本の土に自転車のタイヤが最初に触れた瞬間は、1865年にアメリカから横浜に到着したものだった。当初はごく限られた富裕層が購入できるもので、日本で行われた最初のレース(1894年鎌倉)に参加できたのは日本在住のアメリカ人だけ。初めて日本人が参加するのは1897年のことだ。

だが、それは競輪と呼ばれているわけではない。競輪の創設者は倉重貞助と海老澤清の二人で、この二人はスポーツをとおして労働者階級層の家庭生活を豊かにする考えを共有していた。二人は戦後1947年に国際スポーツ株式会社を設立。その後当時の社会党系の総理大臣片山哲を含む国会議員への働きかけがあり、1948年には自転車競技法施行。その直後の1948年の11月20日、日本ではじめての競輪レースが福岡県の小倉競輪場で開催される──というのが、かなり省略したが、大まかな流れになる。

競輪の歴史は順風満帆だったわけではない。戦後に産声を上げ、荒っぽい男たちが集う公営ギャンブルの性質があいまってたびたび暴動などの騒動が起こり、そのたびに競輪は失われる危機に陥ってきた──が、そのあたりの詳細は本書に譲ろう。

競輪はたんなるスポーツではない。それは、日本の近代史上最悪の暗黒時代に産声を上げた、国家が認める公共の慈善活動なのだ。

日本の競輪の特殊性

次に競輪とは何なのかの話もしておこう。競輪は競艇・競馬、オートレースなどに並ぶ日本の公営競技のひとつで、選手が自転車を漕いで一着をかけて競い合う、個人競技である。それぐらいはさすがに僕も知っていたが、日本の「競輪」の特殊性は、それが単純な個人競技「ではない」ところにあることはよく知らなかった。

たとえば、日本の競輪の特徴のひとつに「ライン」がある。レース序盤の周回で、選手たちは(関東や九州など、主に同じ地区出身の選手同士で)一時的なチームを組んで走る。レースではだいたい2〜3人で構成される2〜4組のラインが組まれる。高速で走るので自転車は風の影響を強く受けることで知られるが、「先行」の選手(たいていは経験の浅い若手が務める)は先頭について、同じラインの(大抵は自分よりベテランの)残りの選手を続かせる。先行の選手は風の抵抗を受け、仲間を守るのだ。

2番手以降の選手はただ風をよけてもらってお気楽に走ってるわけではなくて後方から捲って追い抜こうとする選手を牽制・ブロックしたり、熾烈にポジション争いをする役割を担う。最初にこれを読んだときは「個人の結果を競い合ってるのになぜ若手だからという理由で損をする状態を受け入れるんだろう」と疑問を覚えたが、別に先頭だからといって力尽きてしまうわけでもなく、逃げ馬のようにに逃げ切って勝つのも競輪の醍醐味だという。『先行選手が全体力を振り絞ってレース中ずっとリードを保って勝つ、競輪においてそれ以上にスリリングな光景はないといっていい。』

最初は一番若手の後輩として、同じ地区・地域・県・競輪場出身の選手の風よけになるために頑張っていたとしても、数年もすれば最年少ではなくなり、やがてもっと若いほかの選手が盾になってくれる。競輪選手は場合によっては50代でもプロとして活躍できるので、キャリア初期に誰かを助けることで、いずれ自分にかえってくる。

年功序列による「先輩・後輩」関係が個人競技にまで持ち込まれるのは、日本の文化的習慣に特有のもので、単純に素晴らしいとして本書で語られているわけではない(諸刃の剣という表現も用いられる)。ただ、このラインがあることで競輪にさらなる予測不能性が生まれ、観戦していておもしろくなっているのは確かだ。

オーストラリア、メルボルン出身の自転車競技選手で、日本の競輪レースにも参加しているシェーン・パーキンスは、レース中にはライン同士の争い──自分たちの足を引っ張ろうとするラインの存在がいることから、自分の位置取りと、複数の相手チームがどこにいるのかを理解しないと勝てない──によってレースは複雑になり、圧倒的なスピードがあれば勝てるわけではないところが「競輪の美しさだ」と語る。

正しいポジションを取れば、まずまずの脚力の持ち主であれば誰でも勝つことができる。脚力がそれほど優れていなくても、競争力と人間性で勝負ができるということです。脚力があまり強くないのに勝つ選手がいるとすれば、それが精神的な勝負であり、レース展開を理解することが重要であるという証拠です。だからこそクリスは驚異的だった。競輪のレースで彼は、何もないところから魔法のように何かを生み出すことができたんです。

おわりに

本書を読み終えてからすぐにYouTubeで競輪のレース動画をいろいろ観ていたが、想像以上にレースは複雑だった。ポジション取りは熾烈で、ほんの一瞬の間にブラフもかましながら、時に接触もいとわずに激しく体を入れて(たびたび転倒する)ぶつかりあう。本書を読むかどうかはともかく、競輪を一度も観たことがなければ、一度観てみることをおすすめしたい。下記は昨年のKEIRINグランプリ動画だ。
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生命の定義について、宇宙生物学からヒト脳オルガノイドまで幅広く扱われた一冊──『「生きている」とはどういうことか:生命の境界領域に挑む科学者たち』

「生きているものといないもの」を見分けるのは、直感的には簡単に思える。たとえば、人間や犬が生きていること、石のような無機物が生きていないことにそう異論は出ないだろう。しかし厳密に境界線を引こうとすると、ことは途端に難しくなる。

たとえば「自己複製するか」「自分で代謝活動を行うか否か」あたりの細胞性生物の特徴を「生命の定義」にしようとしても自己複製しかできないウイルスは生物とはいえないのかという話に繋がってしまう。しかも、ウイルスは近年の研究ではタンパク質の合成に関わる酵素を持つものもいることも判明している。

というわけで本書『「生きている」とはどういうことか』は、生命の定義を様々な分野、ジャンルを通してみていこう、という一冊である。最初に例にあげたウイルスは生物なのか問題も取り上げられるし、多能性幹細胞から分化誘導して作られたヒト脳オルガノイドはどこまで成長したら「生きている」といえるのか? から宇宙生物学まで、本当に幅広い分野を網羅している。対象は生物学にすら限定されず、たとえば生命の定義をめぐる歴史も随所に挟まれるし、脳死は死なのか、心臓が動いていたら生きているのか? という医療分野の議論までもが取り上げられていく。

著者のカール・ジンマーは長年生物学関連のポピュラー・サイエンス本を書いてきたライターで、本書も専門的な内容に終始せず、広範な取材と情熱的な筆致でぐいぐいと読者をひっぱってくれる。「生命とは何か」は生物学における明確な答えの出ない王道のテーマであり、その分書き手の力量がもろにでるが、本書は真正面からそのテーマを描ききってみせたといえるだろう。

ヒト脳オルガノイドは「生きて」いるか?

本書の第一部で取り上げられているエピソードは、ヒト脳オルガノイドについての研究だ。オルガノイドは「臓器(organ)のようなもの」を意味し、人間から皮膚のサンプルを採取して、細胞を一度幹細胞に変化させてから誘導することで脳の組織のごく一部をほぼ神経細胞だけで再現したのが脳オルガノイである。その大きさはだいたい数ミリのものがほとんどのようで、その言葉からシンプルにイメージされるような、「人間の脳をまるっと再現」したようなものではない。ほんの一部なのだ。

著者がこの件について取材に行ったのはサンディエゴの研究所であるサンフォード再生医学コンソーシアムだ。そこで研究者たちは数千にも及ぶ脳オルガノイドを所持し、宇宙ステーションに脳オルガノイドを送り込んでその影響を調べたりと、数多くの実験・研究を行っている。脳オルガノイドはニューロンが成熟するのに伴ってでたらめな電圧のスパイクを発するようになるのだが、時折ニューロンの全体がリズミカルに発火するなど、研究者をして「なんらかの秩序が現れてくるように思えた」と語らせるほどの秩序らしき行動がみえてくることもあるという。

電極に載せた脳オルガノイドに何らかのパターンを持つ電気ショックを与えると、それが活性化しはじめる(『入力されたシグナルに応えて、オルガノイドがみずからのニューロンを使って一致するシグナルを生み出すのだ。』)など、何かを学習する機能さえもある。それだけ聞くとそれもう何かが芽生えようとしてるやん! と言いたくなるが、まださすがに意識やそれに類するものは生まれていないと思われる。

しかし、研究を進めれば脳オルガノイドはもっと脳に近くなるのかもしれない。大脳皮質のオルガノイドができるのなら、網膜のオルガノイドを作って両者をつなぐことだってできる。それを続けていった先、脳の反応がより人間に近くなっていったとしたら、どこからが生きていて、どこからが生きていないといえるのか? 当然そう簡単に答えが出る問題ではないが、手がかりは本書でいくつか紹介されていく。

そのひとつは、シアトルのアレン脳科学研究所で所長を務めるクリストフ・コッホが語る、脳内の意識の状態を単一の数値で測るという発想だ。被験者の頭に磁石を付けて(一時的に脳波を妨げる)無害なパルスを送り込み、その反応で意識の程度を計測できるというのだ。覚醒したり夢をみている人の場合、パルスは複雑な経路で脳全体に広がるが、麻酔をかけられた人はもっと単純な反応を返す。同じことを脳オルガノイドでもできるかもしれない。その場合、脳オルガノイドを作る際はその計測の数値が、一定の値を超えないようにしよう──などの取り決めが求められるだろう。

おわりに

1900年代初頭に活躍した物理学者バークはラジウムを肉汁のスープに入れたら増え、変化する原初的な生命が生まれたと言って生命の起源をラジウムに求めたが(当然何の根拠もない思い込みだったが社会は騒ぎ立てバークは一躍時の人になった)生命の起源と定義をめぐる歴史はトンデモ話の連続でもある。本書にも単純な化学物質の組み合わせで生命を作ることができると主張する化学者クローニンのエピソードが(懐疑的なトーンで)紹介されているが、今後もバークのような例は絶えないだろう。

脳死は死だという医師もいれば、心臓が鼓動を続けていれば死ではないと語る医師も、視床下部が働いていれば脳死ではないという医師もいて、脳死の定義も揺れている。エンケラドゥスに地球外生命を探索する研究者は、生命の定義はあえてもたないようにし、『私は、系から生命を取り去っても有機化学でできることに本当に驚き、感銘を受けています。』と語る。医者、法学者、脳科学研究者、宇宙生物学者など、みなそれぞれの領域で「生命の定義」と格闘しているのが、本書を読むとよくわかる。

生命の定義そのたった一つの明確な答えを教えてくれるわけではないが、本書を読めば生命と非生命の境界線について、より明確にイメージができるようになるはずだ。

「健康で、長生きする」実践的なメソッドが全部まとまった一冊──『科学的エビデンスにもとづく 100歳まで健康に生きるための25のメソッド』

近年、栄養環境の改善や医療技術の進歩によって人間はより長く生きることができるようになった。ただ、ほとんどの人が望んでいるのは、「長く生きる」ことだけでなく、同時に「健康で」あることだろう。糖尿病などの慢性疾患を発病して、永続的な治療が必要ないのであれば、それが幸いである。

そうした状況と科学の進展も合わさってか、『LIFESPAN: 老いなき世界』など、近年「健康に、長生きする」ことにフォーカスした本が出るようになった。本書『100歳まで健康に生きるための25のメソッド』は、そうした数多ある健康長寿のメソッドを、科学的エビデンスと共にすべてまとめ、それを実践するために何をしたらいいのかのレクチャーまでしてくれる、実践的な「健康に、長生き」するための本だ。

動物実験や臨床研究、さらには百寿者に関する研究から、ヒトは大きな慢性疾患を発症することなく、100歳以上生きられることが明らかとなっている。(……)WHOの推定によれば、質の悪い食事、身体不活動、喫煙、過体重といった生活様式に関連した要因を改善することで、心血管系疾患、脳卒中および2型糖尿病の発症を少なくとも80%ほど予防できること、同様に、がんの発症も40%予防できることが報告されている。この値は、かなり低く見積もられた値であると私は考えている。pⅷ

僕も健康に長生きしたいのでいろんな本を読んで実践してきたが(たとえば週に最低でも150分の有酸素運動、食物繊維や野菜を多くとり、適切な睡眠など)、本書にはちゃんとそのすべてと、それ以上が網羅されている。もちろん遺伝的な部分で決まってくる部分も大きいし、ここに書いてあるようなメソッドをすべて実践することは難しいだろうが(僕も全部はとてもじゃないが無理だ)、読んで、できそうだな、と思うものを実践するだけで、随分と最終的な結果は変わったものになるだろう。

そういう意味では、すべての人に(遅すぎるということはないので、何歳であっても)おすすめしたい本だ。

たとえばどんなことが書いてあるのか。

では具体的に健康に生きるためには何をすればよいのか。ざっとその分類をすると、1.食べ物に気をつけること。2.適切な強度の運動を続けること。3.喫煙や酒などの悪習慣をできるだけ遠ざけ、定期的な健康診断などの予防的な行動をとること。4.メンタル面を守ること──あたりになり、各項目超細かく具体例が書かれていく。

たとえば食事について語った章では、何を食べればよいかだけでなくベジタリアンであることは健康によいのか?(結論だけ書くと、『ベジタリアンであることは、そのヒトの健康状態に対して大きな意味・影響を持たない。』p22)であったり、エネルギーの取得制限を実施することで健康寿命にどれだけの好影響が出るのか。また、体重を減らすとしてどのぐらいのペースで減らすべきなのか──などが語られている。

何を食べればいいのかについては、答えはシンプルで、「ほとんど加工されていない、食物繊維が豊富な食品」になる。野菜、豆類、ナッツ類、種実類、全粒穀物および果物などの摂取量を増やすことが重要だ。これらの食品群にはさまざまな種類の食物繊維やビタミンが含まれていて、満腹感が早期に生じやすく、減量に効果的だ。中でも食物繊維は重要で、食物繊維を1日あたり14gしか摂取していない人は、30g以上摂取している人たちに比べて、死亡リスクが30%高くなる結果が報告されている。

肉はとっちゃだめなの? と疑問に思うかもしれないが、肉は本書の中では推奨されている食べ物ではない。たとえば近年高たんぱく質食を推薦し、低炭水化物食による減量効果をうたう本も多数出版されているが、本書ではこうした食事には良いとされる効果(高たんぱく質食は空腹感をおさえ脂肪燃焼効果を高める)に対するエビデンスは「非常に弱い」とし、たんぱく質を摂れば摂るほど筋量が増える説も、『科学的な裏付けのない神話の1つである』として否定的だ(効果がないわけではないが)。

多くの研究データにより、高たんぱく質食の摂取は、ヒトの健康にとって好ましいものではなく、糖尿病や心血管系疾患の発症リスクの増大と関係することが示されている。2型糖尿病の発症リスクは、1日のたんぱく質摂取量が64gを超えて10g増えるごとに20-40%増加すると推定されている。(p95)

本書では牛肉、仔牛肉、豚肉、子羊肉といった赤肉系の摂取量は1週間あたり350g〜500gを超えないように制限すべきとしている。本書に書いている内容のほとんどをすでに実践済みの僕だが、唯一無理だ……と諦めてるのがこの赤肉系の摂取制限。今毎日一人で2〜300gぐらい肉を食っているので、とてもじゃないが守れない

肉の制限は僕にはどうしても難しいが、せめて食物繊維だけはとろうと思っている。ただ、食物繊維をサプリメントで摂取は危険であることを示す研究が示されていて、それにも気をつけたほうがよさそうだ。

運動について

もう一つ重要なのが無論のこと「運動」だ。有酸素運動は人間に有益な効果を与える。たとえば、骨格筋内のミトコンドリアの数および活性の増大。これによって脂肪をよりエネルギーへと変換し、多く利用できるようになる。有酸素トレーニングの実施は13種類のがんの発症リスク低減と関わり、前頭皮質および側頭葉の加齢による変性を軽減できる可能性もあり──と利点をあげたらきりがない。では、次に考えるべきなのは、どれだけ運動すべきかだ。

理想的には、エネルギー消費量が合計で300kcalを超える有酸素トレーニングを60分。これを週に3〜4回実施することだ。だが、現実的にはそんな時間をとるのは難しい。本書では、この問題を回避するすべとして、高強度インターバルトレーニング(HIIT)の実施を推奨している。これは、たとえばランニングやサイクリング、もしくは水泳を全力で60秒間行い、その後ゆっくりとした速度で4分間行って回復させるような運動のことだ。

これを最初は4セットほど行い、次第に6までそのセット数を増やしていく(合計30分)。その効果は、低〜中強度のトレーニングを45〜90分間やった以上の効果が出るという。6セットのHITTを週に2回実施しただけでも、週5回有酸素性トレーニング(45〜90分間)を実施した場合と同程度の効果が出るそうなので、時間が取れない人でもそう難しい話ではない。(ただ、やればわかるがこれは相当にしんどい。実際僕はしばらくHIITでやっていたが、途中で諦めて週4の有酸素トレーニングに切り替えている。)

おわりに

と、食事と運動の2つを軸にざっと紹介してきたが、これでも本書に含まれている知見のほんの一部だ。本書では他にも、より実践的で現実的な食事内容の提案(豆類そんなにたくさん食べれないよ〜〜という人のために調理法を紹介したり)、体を動かすためのヨガや太極拳などの紹介、メンタルを安定させるためのマインドフルネスについて、健康診断を何歳のときに何を受けるべきかなど網羅的に書かれている。

美味しいものをたくさん食べたい年末に紹介するような本ではなかったきもするが、誰でも読んだら得るものがあるはずだ。

世界から昆虫が減少しつつある現代の状況について──『サイレント・アース 昆虫たちの「沈黙の春」』

この『サイレント・アース』は副題に入っているように、殺虫剤や農薬などの化学物質の危険性を訴えた「沈黙の春」の昆虫をテーマにした現代版とでもいうべき一冊だ。

著者によれば、いま世界から昆虫の数が急速に減少しつつあるという。温暖化など環境の変化もあるうえ、森林の伐採など問題は絶えないから、昆虫の数が減っていること自体に違和感はない。では、具体的に何が原因で昆虫は減っているのか? 気候変動の影響? 農薬や殺虫剤の影響がいまなお残っているのか? その全部が複合しているのか? そもそも、昆虫の数は数はあまりに多いので正確に把握されていないとよくいわれるが、数が減っているのは本当なのか──など、昆虫の現在の苦境を中心軸において、無数の問いかけを本書では扱っていくことになる。

昆虫がいなくなると何が問題なのか?

昆虫が消えてなにか問題があるのか? と思う人もいるかもしれない。蚊やゴキブリが消えたらせいせいするだろう。だが、実際には昆虫は(そのすべてが、というわけではないが)生態系の維持に関わっていて、一見無関係で何の意味もなさそうな昆虫が消えてしまったとき、予想外のダメージを(生態系に)与える可能性がある。

たとえば昆虫は落ち葉や朽ち木、動物の死骸や糞の有機物の分解に深く関わっている。人間が栽培している作物のおおよそ4分の3は受粉が昆虫頼りだし、肉食の昆虫は作物の病害虫の駆除に役立っている。地中に穴を掘って暮らす昆虫は土壌に空気を通しているし──と、こうした「昆虫役に立っているケース」は挙げ始めれば枚挙にいとまがない。その活躍は人間の目には見えづらく、具体的にある昆虫が消えたときの影響を正確に測定することは難しいが、ごっそりとその数を減らした場合、これまでの生態系が正常に維持できるとは思わないほうがいいのは間違いがない。

著者のデイヴ・グールソンはマルハナバチをはじめとする昆虫の生態研究と保護を専門とする著名な科学者である。結局、いろいろと昆虫の種数が保たれている理由を挙げたが、それは政治家がそうした「昆虫が保護されることの人間のメリット」を重視するからであって、『正直に言うと私が昆虫の立場を守るために闘っている理由に経済はまったく関係がない。私が闘っているのは、昆虫のことをすばらしいと思うからだ。』と応えていたり、昆虫愛も炸裂した一冊に仕上がっている。

本当に昆虫は減少しているのか?

読み始める前に疑問に思っていたのが「本当に昆虫は減少しているといえるのか?」という点だった。だが、実際にはそれを示す研究は無数に存在する。

たとえばドイツのクレーフェルト昆虫学会の昆虫学者たちは27年かけて63箇所から重さにして合計53kgもの昆虫を集めた。そのデータをみると、1989年から16年までの27年間で罠につかまる昆虫の生物量(重量)が76%減少していることがわかる。目に見えて減っているが、一方でそれは重量だけだともいえ、反論も多く寄せられた。たとえば数種の重い昆虫が消え、小型の種に置き換わったのであれば、昆虫の種や、生息数自体は大きくは変化していない可能性もあるからだ。

しかしその後同様の、より本格的な研究が出て、昆虫減少の裏付けがとれはじめる。19年にはドイツの別の研究グループが150箇所の草原と140箇所の森林で100万匹を超える節足動物を数え、2700種を同定するなど大規模な調査を行っている。それによると、年間の減少率はクレーフェルトの調査よりも大きく、平均で節足動物の生物量の3分の2、種の数では3分の1、節足動物の全個体数の5分の4が失われていたという。森林における減少幅は、生物量で40%、種の数では3分の1強だ。

ドイツ以外の研究も生物量と種の減少を示している(オランダ、アメリカのカリフォルニア州、ガーナ、イギリスなど)。こうした昆虫の減少は地味で、我々はこれまであまり関心を払ってこなかった。昆虫の減少傾向を示すデータのほとんどは最も古いデータでも1970年代のもので、それ以前にははるかに多くの昆虫がいて──そしてそうした昆虫たちが、誰も知らぬままに消えていった可能性がある。

減少の原因はなんなのか?

なるほど、昆虫はたしかに減少しているのかもしれない。では、その原因は何なのか? 気候変動の原因が一つではないように、理由はいくつも存在する。

たとえばよく取り上げられるのはミツバチの大量死とネオニコチノイド系農薬の関係だ。ネオニコチノイドは浸透性農薬と呼ばれ植物のあらゆる部位に浸透する。だが、植物全体に広がる有効成分は当然ながら花粉や蜜にも入り込み、作物が開花すると、花を訪れたハチは殺虫剤を身にまとってしまう。農薬入りの餌を与えられたコロニーと農薬が昆虫していない餌を与えられたコロニーでは前者のほうが新たに誕生する女王の数が85%少なく、後続の研究も合わせてハチへの害が大きいことが確認されている。

そうした研究を受け、2013年にEUでは虫媒受粉の作物にたいするネオニコチノイドの使用が禁止されたが、「虫媒受粉の作物のみの禁止」では十分ではないこともその後わかってきた。ネオニコチノイドが使われた作物に近い場所に生えた野生のタンポポからもこの成分が検出され、どうやらネオニコチノイドの大部分(94%)は作物に取り込まれず、土壌や地下水に残され、周囲の環境中に毒素を累積させていることがわかってきたからだ。そうなると、ネオニコチノイドの屋外使用自体がリスクになる。

ネオニコチノイドが耕地の土壌や土壌中の地下水に蓄積されるのだとすれば、農地の縁辺部にしみ出ていく事態も予期されるだろう。作物が根からネオニコチノイドを吸い上げる量は作物の種類によって大きく異なることがすでにわかっているから、野生の花の場合もネオニコチノイドの吸収量は種類によって異なると予想される。

殺虫剤の濃度が高い淡水環境では昆虫の数も少ない傾向にある。オランダの研究では、汚染がひどい川ほど甲殻類や水生昆虫の種数が少なく、そうした虫を食べる鳥が減少するスピードが速いことがわかっている。

問題になっているのはネオニコチノイドだけではない。世界で最も広く使われている殺菌剤の一つであるクロロタロニルの使用がマルハナバチやミツバチに害をもたらす(特定の病気やコロニーの成長阻害など)ことがわかっているし、家畜の腸内の寄生虫を予防する目的でイベルメクチンを定期的に家畜に投与するが、これは糞の中に混じっていて糞虫やハエのごちそうを有害な物質に変えてしまう。他にも気候変動や除草剤の昆虫への影響なども本書では詳しく語られている。

おわりに

ではどうしたらいいのか。除草剤も農薬もイベルメクチンも使うな、ということなのか? といえば、そう簡単な話ではない。本書後半では中央政府がとるべき行動から、我々個人個人の行動まで、幅広い視点から環境保護にできることをリストアップしている。園芸や市民農園の愛好家としては、蜜と花粉がとりわけ多い花を育てて、ハナバナやチョウといった送粉者を助ける、庭では農薬を使わないようにするなど。

本書で述べられている対策は正直そう簡単にはいかないものばかりではあるが、昆虫減少による危機とその原因が明確になれば規制に真っ先に動いたEUのように、状況は変わっていくはずだ。そのためにも、昆虫の数の減少傾向とその環境への影響は今後より重要なテーマになっていくだろう。

過激主義組織はどのように人を勧誘し、虜にするのか?──『ゴーイング・ダーク 12の過激主義組織潜入ルポ』

この『ゴーイング・ダーク』は、12の過激な主義主張をかかげる組織に著者が潜入し内部を綴るルポタージュである。最近のこうした組織はオンラインで門戸を開いているものだから、著者もディスコードやスカイプと言ったアプリケーションを使って面談をしたりチャットのグループに入れてもらい、その実情をレポートしている。

著者が潜入するのは白人ナショナリストのような過激な主張を持つ人しかいないマッチングアプリから、親ISISのハッキング組織まで様々で、こんなコミュニティと思想を持つ人々がいるのか! と異なる常識が支配する異世界を探求していくようなおもしろさが第一にある。また、こうした過激主義組織の勧誘手法や、一度取り込んだ人たちに居心地の良さを与える戦略は似通ったものがあり、それをあらかじめ知っておくことは、自衛の手段にもなってくれるだろう。日本にも過激主義のコミュニティは存在するし、世界中の組織と誰もがネットを通して繋がる可能性があるからだ。

 わたしがこの本を書いた目的は、デジタルな過激主義運動の社会的な側面を可視化したいと思ったからだ。わたしたちの周囲では日々、過激主義者が新たなメンバーを訓練し、新たな標的を恐怖におののかせている。その結果は、ときに思いもよらぬかたちで、わたしたちの日常に衝撃を与える。

実際にどんな組織に潜入しているのか?

著者が第一章で潜入するのは、ネオナチと白人至上主義者たちの集うディスカッション・グループだ。著者は1991年ウィーン生まれの白人女性で、この組織を筆頭に、そうした属性がないと入れない組織(女性だけの組織など)にも数多く潜入している。

ディスコード上で展開するこのグループは世界各地から数十人のメンバーが参加していて、内訳としては10代から20代前半のアメリカ人にカナダ人、南アフリカ人にヨーロッパ人と多種多様。彼らは自分の遺伝子検査を行い、人々に公開して自分がいかに純血の白人なのかをアピールする。時々白人至上主義者にとっては都合の悪い結果が出ることもあるが、そうした時は、遺伝子検査は「シオニスト占領政府」の白人種を一掃する計画によって故意に歪められている、などといって納得するのだという。

彼らはチャットルームでの会話を「すごく面白いんだ」とか「頭の切れる人間がこんなにたくさんいるなんて」と前向きに語るが、飛び交っているのは「ユダヤ人どもをガス殺しろ。さあ人種戦争の到来だ」のような表ではいえない言葉である。

ディスカッションを観察し、音声チャットに耳をすますうちに、わたしにもだんだんとわかってきたのは、タブーを破る楽しさがどれほど退屈しのぎになるか、そして帰属意識がどれほど孤独を癒してくれるかということだ。

クローズドな場でキャッキャしているだけなら害もないが、こうしたグループの一部のリーダーたちは、白人種の国家を築くなど、壮大すぎる夢を抱いているという。

反フェミニスト女性らの団体

著者が第三章で潜入するのは、反フェミニスト女性らの団体だ。そこではノー・フェミニズムを掲げ、女性の価値とは男性に性的に求められることであり、性的価値を高めるべく行動しよう(セックスの回数が増えれば増えるほど女性の性的価値は下がるので、無闇矢鱈にセックスするのはご法度である)という規範が存在している。

彼女たちはそれにとどまらず、旧来的な女性と男性の価値観に回帰しようとしているようだ。たとえば女性は夫に付き従い、服従し、無条件に男性を喜ばせることを目的とする。なぜこのような思想を、特に女性が持つようになるのか読み始めた最初の段階ではわからなかったのだが、著者自身潜入当時は精神的に不安定で、調査の枠を超えてこのコミュニティに入れ込む様、その理由が実体験とともに描かれていく。

ここでは憎悪が他者ではなく自己に向けられているのだ。自分を責めたり、自分を侮辱したりする言葉を発してメンバーとつながることには、どこか妙な居心地のよさがあった──集団的な自己最適化が誘う、ある種の慰めが。

他にも、女性がパートナーの男性から攻撃的な言動や直接的な暴力を振るわれた時、こうしたコミュニティはある意味お手軽な答えと解決方法を与えてくれる。あなたが従順でさえあればすべては解決するし、伝統的な関係では男性は女性を“しつける“ものであり、おかしいのはそれを許容しない現代のフェミニズムなのだと。『男らしさと女らしさという考えが変化していること、また服従と支配の微妙なバランスをめぐる混乱が、男と女を本質的なアイデンティティ・クライシスに陥れている。』

攻撃対象にされる

著者は過激主義者らに対する意見を雑誌「ガーディアン」などにも寄稿しているのだが、それは当然極右組織の人々からすれば不愉快なものであり、著者が攻撃対象にされた時の体験談も本書では一章を割いて書かれている。たとえば、ある記事がきっかけとなって著者はイングランド防衛同盟という極右政治団体の創設者にして20万人以上のフォロワーを抱えるトミー・ロビンソンに目をつけられてしまう。

トミー・ロビンソンはもともとジャーナリストの家に突撃してそれを配信することで人気を得てきた人物だったが、彼が著者の働くオフィスをインターネットに配信中継しながら突撃してきたのだ。その目的は記事内容に関する抗議や話し合いではなく、ただ主流メディアへの攻撃の姿勢をみせることで視聴者を楽しませ、自分のメディアへの登録者数を増やすこと。いわば揉め事のための揉め事であり、不法行為なので警察を呼ぶとすぐに帰る。だが、攻撃がそれで終わるわけではない。

著者や著者が働いていたクィリアムという会社の同僚は、信奉者たちによる脅迫メッセージを受け、オフィスも閉鎖されてしまう。最終的には、クィリアムのCEOから著者にたいして、発言を撤回しお詫びをすると公式に声明を出してくれ、と脅しがなされることになる。もしも君の同僚に何かあったら、君はその責任を一生背負っていかないといけないんだぞというのだ。著者が自分は間違ったことを書いていないとつっぱねると、24時間も経たないうちに彼女にふたつの懲戒警告と解雇通知が届く。

この経験は、極右のメディア・インフルエンサーが組織や体制全体にどれほどの力を発揮できるかを教える一例だった。

おわりに

本書では他にも、様々な主義主張を持った極右集団の集会にオンラインで参戦し、ライブ配信やメッセージアプリを通じた新しい大規模な動員の実態を描く第九章「ユナイト・ザ・ライト」。親ISISのハッキング組織ムスリム・テックに入り、未経験者がハッキングの入門講座を受ける過程を描く第十一章「ブラックハット」など、オンラインで動員を行い、力を増していく組織の多様な姿が描き出されている。

じゃあ、我々はこのような過激さを増す組織に対抗することはできない……ってコト?! と思いそうになるが、最終章ではこうした過激主義組織にたいする対抗手段についても語られている。たとえば偽情報やプロパガンダの流布に対しては、実際にバルト諸国は謝った報道や誤解を招く統計を訂正する数千人のボランティア活動家がいることを紹介していたり、できることは数多くある。普段陽の当たらない過激主義組織の実態を暴き出した、迫真のノンフィクションだ。おもしろすぎて1月1日の年始に読み始めて、その日のうちに一気に読み切ってしまった

インディーゲームを作り続けていくための現場の知見と悩みが詰まった最良のガイドブック──『インディーゲーム・サバイバルガイド』

この数年、UnityやUEのようなゲーム開発エンジンが発展し、ダウンロード販売が当たり前になり、スマホのスペックが上がり自由度が増したなど複数の要因が重なって、少人数で制作・販売されるインディーゲーム界隈が大いに盛り上がってきた。

盛り上がっているとはいっても、よーしじゃあ自分もゲームつくるかあ! と入っていくにはハードルが高い。UnityやUEは手軽とはいえそれでもかなりの知識量や根気が求められるし、多くの人を楽しませるゲームを少人数で作ろうと思ったら、数年単位の時間はかかる。本業を持って片手間で制作を進められればそれが一番安全だが、それだといつまで経っても完成しなかったり、モチベーションを保つのも難しい。

ゲームを作ると一言でいっても、そこにはプログラムやグラフィック以外の多くの知識と手間も求められる。本書『インディーゲーム・サバイバルガイド』が取り扱っているのは、そうしたゲーム制作における具体的な開発以外の部分の情報、ガイドである。それも、ゲームをただ開発してストアに登録するだけではなく、それで食っていく、マネタイズのためにどうしたらいいのか、という知見が豊富に含まれている。

たとえば、作ったゲームをどう宣伝すればいいのか。プレスリリースを打つときに、何が必要なのか。キービジュアルの作成方法。パブリッシャーとの契約やイベントに出展する方法やその意味、税金や法人登記について。モチベーションを保ち続ける方法、海外展開の場合は翻訳家の探し方、収益の得方、販売計画の立て方、法律をおかさないためのTIPS、声優への依頼の仕方や相場観、デザイナーやシナリオライタに仕事を発注する分業のやり方、ゲームプラットフォームの手数料など、ゲーム開発に必要な、プログラミング周り以外の情報がここで網羅されているといっていい。

有名なインディーゲーム開発者らの対談

おもしろいのは、そうしたTIPSの合間にインディーゲーム開発者らの対談が挿入されていることだ。ほぼ個人で作っている人もいれば、少人数チームを組んで制作している人も、フリーランス的に働きながらその合間にゲームを作っている人もいて、と様々なスタイルの開発者がいて、どの対談もゲーム制作において参考になる。

たとえばカニ同士の対戦ゲームで大会が開かれるまでになったゲームである『カニノケンカ -FightCrab-』の開発者ぬっそさんと、猫耳少女のアンニカの冒険を3D環境で描き出し話題になった『ジラフとアンニカ』の斉藤敦士さんはどちらもゲーム開発会社に就職して経験を詰んだ後に独立してゲーム開発で食っている人たちで、経験があるからこその見積もりや見込み、また不安が語られていてまたおもしろい。

まだ環境が整備されているわけではないうえに、インディーゲーム開発は長ければ5年以上かかったりもするので、個人でゲームを開発して食っていく人生を選択することは、かなりの博打要素を含んでいる。それをどう軽減するのかが独立にあたっては重要だ。斎藤さんの方は、会社に勤めている最中にインディーゲームイベントに出していくうちにパブリッシング提案が5社ぐらいからきて、契約金もしくはミニマムギャランティーの話があったので2年位は生活が大丈夫かな、という目算があったからこそ退職に踏み切ることができたという。そのへんの見積もりの立て方というか、ダメだった時の退路を確保してこの道を選ぶのが、インディーゲーム開発を継続的に続けていくためには必要なことだ、というのは本書を通して繰り返されることでもある。

私がちょうど会社を辞めたときって、『ジラフとアンニカ』が50%くらいできていたんです。ちょうどそれくらいの進捗を出している人向けにいうと……みんながみんなこのやり方がいいかはわかんないんですけど、私は「あと2年で完成させる」とまず期限を切ったんです。2年間ぶんのスケジュールと予算を立てたんですよ。50%もできていると、あとはなにが足りなくて、なにを作らなくてはいけないかがある程度わかると思うので、そこを全部細かく書き出しました。誰に頼むかとか、ここにはこれくらいお金がかかるとか、計算して出しました。

一度ゲームをリリースして、ヒットしてお金が入ってきても(『ジラフとアンニカ』も『カニノケンカ』もインディーゲー界隈ではヒットしている方)、次作はどうしようか、という悩みもあるわけで、そのへんの不安も赤裸々に語られている。

現場の知見

対談では、実製作者たちならではの現場の知見が対談に多く盛り込まれているのもおもしろい。元チュンソフトの和尚さんと、『くまのレストラン』などで知られるDaigoさんのスマホゲーム開発者同士の対談では、ワールドワイドで遊んでもらえる可能性のあるゲームの場合、そもそも発展途上国でお金が払うことができなかったりすると広告を見れば最後まで遊べるアプリはすごく喜ばれるし、(ゲーム制作者側としては広告を入れるのは恐怖だが)そもそもユーザも広告モデルに慣れてきているとか。

投げ銭機能を入れても誰も課金しないから、ゲームクリア後にお金を払うことでスタッフロールやクレジットに名前を載せられる仕組みを開発したり、「課金の代わりに広告を(連続で)200回見てくれるなら遊んでもいいよ」システムの導入だったりと、マネタイズに関しての実験的な話が勉強になる。200回も広告なんかみねえだろ、と思いながら読んでいたのだが、そこにまた別のミニゲーム要素を追加することで広告を見るほうへユーザの行動を誘導していたり(具体的な手法は読んでほしい)、それもABテストで実施していたり、経験豊富なゲーム開発者ならではの手順を踏んでいる。

おわりに

他、対談では少人数のゲーム開発会社を立ち上げて制作を行う『グノーシア』の川勝徹さんと『ALTER EGO』の大野真樹さんだったり、フリーランスとして仕事もこなしながらゲーム開発を行う『アンリアルライフ』のhako生活さんと『in:darkインダーク』を出したおづみかんさんの対談だったりと、ゲーム開発を持続的に行い、マネタイズするためにはどうしたらいいのかについて、異なる視点の知見が溢れている。

『グノーシア』は複数人でプレイされる人狼ゲームをひとり用に落とし込んだゲームだが、こうしたチャレンジングなゲーム(データとして需要の確証がとりづらいこと、ひとりで遊ぶ人狼ゲームのデザイン上のノウハウがわからないことなどが参入障壁として挙げられている)を出せることこそがインディーの必要性なんだ、という話も対談中にはあって、「インディーだからこそできること」の観点がまたおもしろかった。

超具体的な本なだけに誰もが必要とする本ではないが、これを読むと個人・小規模ゲーム開発がより身近に感じられるようになるだろう。これからゲーム開発エンジンも発展していくだろうし、インディーゲームはこれからもっとおもしろく、数も増えるに違いない。本書を読んでインディーゲーム開発者が増えてくれれば、一介のゲーマーとしても素晴らしいことだ。

歴史の影で忘れ去られていた女性暗号解読者たちの活躍に光を当てる一冊──『コード・ガールズ――日独の暗号を解き明かした女性たち』

近年、ロケットのための計算に明け暮れていた女性たちを描き出したノンフィクション『ロケットガールの誕生』や、ディズニーの初期で制作に関わった女性たちの活躍を取り上げた『アニメーションの女王たち』など、歴史の影で見過ごされてきた女性たちの活躍を取り上げるノンフィクションが増えてきている。

今回紹介したい『コード・ガールズ』も、第二次世界大戦中に米軍に所属し暗号解読に従事した女性たちの活躍を取り上げた、流れに連なる一冊だ。第二次世界大戦時に暗号解読で女性が活躍していたという話は、本書を読むまでまったく知らなかったが、実は1945年には※陸軍の暗号解読部門1万500人のうち、約7000人、70%が女性だったし、海軍にも4000人の女性暗号解読者がいた。両者を合わせれば、女性は1万1000人で、当時アメリカの暗号解読者総数2万人のうち半数以上にのぼる。

終戦後、暗号解読者たちがどのような仕事をしていたのかが公表され、ニューヨーク州選出の下院議員ハンコックは議場で『わが国の暗号解読者たちが……日本との戦いにおいて、ほかのどのような男たちの集団と比べても劣らぬほどの、あの戦争を勝利と早期の終結に導くための貢献を行ったと信じている』と述べた。その時も、それ以降も言及されることはなかったが、その構成員の大半は女性たちであったのだ。

なぜそんなに女性が多かったのか?

そもそも、なぜ暗号解読部門に女性が多かったのかといえば、状況は複雑に絡み合っているが、まず暗号解読の重要性が、第二次世界大戦に突入するにあたって飛躍的に高まっていたことがあげられる。そして、そのわりにアメリカのインテリジェンス機関は脆弱で、日本にまんまと真珠湾攻撃を許してしまうような状況にあったので、立て直しにやっきになっていた。また、女性側の動機としては、教育を得た女性の働き口が少なく(教師ぐらいしかなかったという)、大学で高度な教育を受け、それを活かす先を求めていた女性がそれなりの数いたことなども関係している。

そうした状況が合わさって段階的に女性の登用がはじまったわけだが、特筆すべきポイントとして、1941年にアメリカの海軍少将が名門女子大の学長に暗号解析の訓練を受ける学生たちを選抜してくれないか、と手紙を送ったことがあげられる。学長は他の女子大にも働きかけ、最終的にはクラスで上位一割に入る、アメリカにおけるトップ層の女性たちが集められることになる。彼女たちは秘密裏に集められ、外では暗号解析に関わる言葉を発すことを禁じられた。

 海軍あるいは陸軍の呼びかけに応じた女性たちには、置かれた環境は異なってはいても、いくつかの共通点があった。頭がよく才覚があり、女子教育がほとんど奨励されず、その見返りもあまりなかった時代において、状況の許すかぎり学問を身につけようと努力していた。数学か科学か外国語のどれかに習熟していた。三つとも得意な者もたくさんいた。忠実で愛国心があった。冒険心があり意欲的だった。それでいて、足をふみいれようとしている極秘の職務につくことで世間からの賞賛を得ようとは望んでいなかった。

女性にたいする教育に逆風が吹いている状況でなお学ぶことを諦めなかった人々である。そんなに優秀な女性たちがいたのであれば、なぜそのことがそれほど有名になっていないのか? という次の疑問がわいてくるが、当時は引用部にあるように、女性が積極的に賞賛を得ようと望んだり、実際に評価を受けることがない時代だった。上層部にもいかず、歴史を記録したり回顧録を書いたりといったこともなかった。

最近になって立て続けに、このような失われそうだった女性たちの歴史に光をあてる本が出ているのは、今書き残さねば、もはや当時のことを語れる人物が完全にゼロになってしまう、という危機感もあるのだろう。

暗号解読という仕事

通常、暗号は元の文章や単語を別の数字や単語に置き換え、そこにいくつもの変化を加えて送信する。たとえば、一度暗号化したものをさらに別の方法で暗号化したり、暗号化した内容に乱数を加えたり、暗号化した横向きの文章を、縦向きで送信するなど。そんな複雑な工程を経たものを、単純なひらめきや才能で簡単に解読できるわけもなく、暗号解読者らは神経と時間をすり減らしながら地道に向き合っていく。

暗号解読にもっとも有用な能力のひとつが記憶力であるが、優れた記憶力をもつひとりの人間よりも唯一望ましいのは、優れた記憶力をもつ大勢の人間である。敵の通信を個々のシステムに分割すること、点在する偶然の一致に気づくこと、索引とファイルを整備すること、莫大な量の情報を管理すること、ノイズのなかから信号を拾うこと、といった暗号解読のプロセスにある個々のステップをふむことで、直感的な飛躍が可能になった。

本書では、具体的に日本が用いていたパープル暗号などが実際にどのような手法で暗号化されていて、それを女性らがどう解き明かしていったのかという技術的な内容にも踏み込んでいて、本格的な暗号ノンフィクションとしても読みごたえがある。

おわりに

暗号解読者たちは、自国の誰よりも早く戦争に関するニュースを受け取る人たちでもある。たとえば、日本の降伏を伝える通信で、暗号解読者と翻訳者は、それがスイスの日本大使館に送信された時すぐに傍受・解読し、アメリカの誰よりも先にその情報に触れた。その時の喝采や盛り上がりも、本書では丁寧に触れられている。

依然として世の中には女性は理数系に向いてないという偏見が存在しているが、このように暗号解読に主力として従事していた女性たちを知れば、そうした偏見も覆るのではないだろうか。彼女たちの活躍は、アラン・チューリングなど暗号解読において伝説的な名声を残している男性らと比較して、まったく劣るものではないのだから。

オランダ史上最悪の犯罪者と呼ばれた兄を告発した妹による、壮絶なる体験記──『裏切り者』

本書『裏切り者』は、映画にもなった「ハイネケンCEO誘拐事件」の実行犯として知られ、その後も犯罪を重ね「オランダ史上最悪の犯罪者」と恐れられるまでになった男ウィレム・ホーレーダーについて書かれた犯罪ノンフィクション/体験記である。

現在ウィレムは逮捕され、終身刑を食らっているのだが、彼の罪を告発し終身刑にまで追い込んだのは実の妹で、本書の著者であるアストリッド・ホーレーダーなのだ。本書は著者が幼少期を過ごした1970年代から、ホーレーダー家がどのような家庭環境だったのか。また、著名な犯罪者の実の妹として日々を過ごすとはどういうことなのか。兄を告発すると決めた決定的な理由、そして告発を決めた後の戦いが、まるでスパイ小説か映画のような緊迫感の中で描かれていくことになる。

とはいえ、実の妹なんだから信頼されているだろうし、別に告発もそんなに難しいことじゃなくない?? と思っていたのだけどこれが思った以上に壮絶な関係性で、妹だから許されるとか殺されないとか、そんな保険が一切存在しないことが読み進めるうちにわかってくる。何しろ、最終的に告発は成功し終身刑にしたといっても、ウィレムは多数の殺しを厭わぬ仲間を抱え、獄中から妹の暗殺指令を出すことに成功したせいで、いまだに著者とその家族は心安らかに過ごすことができないのだ。

著者自身も最終的にそうなることは予測していて、数年に渡る情報提供期間中、バレたら殺されるのは間違いないので命を賭けて立ち向かっていく。正直、オランダで有名な犯罪者といっても聞いたことないし、あんまり興味ないかな〜と思いながら読み始めたのだけどおもしろすぎて一気に最後まで読んでしまった。

どのような家庭で育ったのか。

ウィレムと著者ははどのような家庭で育ったのか。ウィレムは後に犯罪者となって家族中に迷惑をかけるのだが、迷惑なのは彼だけではなく、その父もであった。浴びるように酒を飲み、母の交友関係に口を出し、仕事をやめさせた。絶え間なく恫喝し、毎日ボスは誰だ? と怒鳴りつけ、ボスはあなたです、と答えさせていたという。

著者は4人きょうだいの末の子で、上にウィレムを含む二人の兄と、姉が一人いる。父に殴られ、恫喝されるのは子供も同様で、散々な幼少期を送っていたようだ。ある時父親に反抗的な態度をとり、出ていけ、と言われこれ幸いと母と姉と兄と共に出ていって、4人で家を借りて暮らし始めたら周囲の圧力を使ってまた戻るように仕向けさせる、父に習って兄二人も妹を殴っていうことをきかせようとするなど、とにかく、特に幼少期に関しては母親以外すべてが最悪の家庭環境という他ない。

状況が変わるのは著者が15歳の頃で、いつものように父親が暴れていると、(著者の)兄のヘラルトの中で何かがぷつんときれたのか、父に猛然と向かっていき、顎をきれいに拳でぶちぬいて、その独裁に終わりを告げる。一家は家を出て、ウィレムはその後地下の犯罪組織に自分の居場所を見出すことになる。

ウィレムに受け継がれた暴力

父親から逃げることに成功した著者らだったが、次に家族を支配するのはウィレムだった。ウィレムがハイネケン誘拐事件を起こし逮捕されたことで、ホーレーダー家は一切無関係だったにも関わらずやりとりは監視されるようになり、世間から「犯罪一家」とみなされるようになった。『メディアは世論に熱烈に同調した。反論はするだけ無駄だった。私たちは「悪」であり、更生は不可能とされた。どこへ行っても、私たちは犯罪者の「親族」であり、独立した個人ではなかった。』

ウィレムは逮捕されたとはいえ数年程度で出所し、犯罪社会に舞い戻り、契約殺人の請負人としての彼の名は高まっていくことになる。彼は何件もの殺人に関与していたが、具体的に著者が実の兄を刑務所に送り込まねばならぬ、と決意するようになったのは、かつてはウィレムの親友で彼と共にハイネケン事件に関わったコルの殺害に兄が関与していることに気づいてからだった。コルは兄の友人であっただけでなく、著者の姉であるソーニャの旦那でもあり、著者自身も親交の深い人物だった。

当時、ウィレムはかつての父のように暴力と恫喝できょうだいを従わせていたが、著者と姉は(コルを殺すきっかけとなったであろう)ウィレムと日々過ごすうちに、コルを裏切っているという罪悪感に苛まされていく。一方、ウィレムを告発するのは家族にたいする裏切りだ。だが、人殺しを放置するのは社会に対する裏切りでもあり──と著者はさまざまな立場の「裏切り者」となるジレンマを抱えている。

もちろん、最後には告発という結論に至るのだけれども。

 昔は違った。
 兄のために命を差し出したに違いない時代もあった。
 ハイネケン誘拐事件のあと、家族全員が白い目で見られていた頃には、兄が私たちに吹き込んだ、家族への忠誠心に関する「私たちvs社会」という虚構を完全に信じ込んでいた。
 しかし、ウィムが自分の家族を殺せることに気づいたとき、私は悟った。敵は外の世界ではない。彼なのだと。

カッコいい女性たち

こうして著者はウィレムを告発し刑務所に送り込むための行動に出るのだが、その道のりは苦難の連続だ。何しろ、かつての親友さえも平気で殺す男なのである。妹であってもバレたら殺される。一気にかたがつく問題でもなく、証拠のために兄との会話を盗聴したり、兄の愛人とコンタクトをとって仲間に引き込んだり、情報を集めながら数年がかりでその時に向けて準備を進めていくのだ。

メインで告発をしたのは、著者とその姉と、兄の愛人で同じく恫喝の犠牲になっていたサンドラという女性陣なのだけれども、とにかく彼女たちがカッコいいのも読みどころの一つ。たとえば下記は、著者がサンドラをウィレムの情報提供者仲間として引き入れようとしている場面だが、現実の会話とは思えないほどにキマっている。

「あなたはどう思う?」
「それは、私も自殺したいかってこと?」
「まあ、そんなところね」私は笑みを浮かべた。
「ええ、のるわ。若くて美しいうちに死にたいとずっと思ってたから」彼女は言った。
 サンドラには風変わりなところはあったが、非常に強い意志の持ち主だった。一度やると言ったことは、かならず実行した。

おわりに
自分が一切関わっていないことで、ひどく人生が損なわれていき、終身刑という達成を得ても、殺し屋に命を狙われる恐怖は消えない。あまりにも過酷な人生という他ないが、それでも彼女は肉親の人殺しを止めるために動いたのだ。それも、ウィレムに対する愛情を持ったままに。それがまた本書の凄まじさを増している。

犯罪ノンフィクションとしては最高峰のレベルでおもしろいので、ぜひ手にとって見てね。

『半分世界』の石川宗生による、なんでもないバックパッカーを描き出す紀行文──『四分の一世界旅行記』

四分の一世界旅行記

四分の一世界旅行記

この『四分の一世界旅行記』はSF・奇想短篇集の『半分世界』でデビューし小説家として活躍する石川宗生によるバックパッカーとしての旅行記である。四分の一世界旅行記と題されているように、訪問する場所は中央アジア、コーカサス、東欧の15カ国。世界一周でもなければ、アマゾンの奥地にひそむ巨大ナマズを見つけるみたいなビッグ・テーマがある旅ではない。気ままで地味な旅行記だが、それがおもしろい。

いまのご時世、インターネットに情報は溢れかえっており、旅先でそうそうピンチに陥ったりすることもない。言葉が通じなくても、スマホで翻訳すればやりとりできる。ある意味、アクシデントもなけりゃあ未知のない現代は魅力的な旅行記を書きづらい時代である。実際、本書でも本当にたいしたことは起こらないのだけれども、その分、旅の細かなディティール──何を食べたとか、どんな人と出会ったとか、ちょっとした困りごと、悩みごとだとかそこでどんな会話がかわされたのか──、ようは、いきあたりばったりなバックパッカーたちの生態が詳細に描き出されていく。

そして、たしかに劇的なことは起こらないが、旅先における些細な日常のことだって、見方を変えればその一瞬、その瞬間にしか起こり得ないことなのだ。たとえばたまたま通行できるかわからない難所があり、そこをどう切り抜けるかとか。人との出会い、別れ。そうしたすべてはその時その場所にいなければありえないものである。本書はそうした、「なんでもないが特別な一瞬」を丁寧に切り取っていく。

石川宗生の書く小説は、たとえば道路側の半分が消失した丸出しの家と、なぜかそこで私生活丸出しで暮らす家族4人と、それを観察しいったいこれはなんなんだとワイワイ議論する観察者たちの物語「半分世界」のように、どこからこんな着想が湧いてきたのだろう? と思うような奇想によって彩られている。本書は旅行記とはいえそうした奇妙さが溢れていて、章ごとにまるで短篇小説を読むようによむこともできる。

旅のディティール

旅の記録が始まるのは中国のウイグル自治区にあるカシュガルからタシュクルガンへと向かう道中。何でも、タシュクルガンにいくのはそう簡単な話ではないらしい。

ある人はタシュクルガンに行く途中の検問所で追い返されたと語る。ある旅行代理店の人間はそんなことはない、個人でもいけるという。また別の旅行代理店の人間は外国人の個人旅行は禁止されているという。誰に聞いても少しずつ異なる答えがかえってくるので不条理文学の世界に迷い込んでしまった感があるが、そんなある時著者は滞在中のホステルで中国人らと知り合いになり、彼らの中にはタシュクルガン行きの許可証を取得している人もいたので、急遽タシュクルガンを目指す旅行グループ「チーム・タシュクルガン」が結成されるのであった……。とこんな感じで、いきあたりばったりで、いろいろな人と出会いながら前に進んでいく旅が描き出されている。

中国人たちとどういう話をするのかといえば、政治の話から蒼井そらの話までさまざまで、そうしたどうでもいいことがしっかりと書かれているのがおもしろい。たとえばこんな宴会のシーンとか。

 こと中国で絶大な人気を誇るのは、言わずとしれたセクシーアイドル蒼井そら。
 中国語読みは「ツァンジンコン」らしく、酩酊の果てになぜかみんなしてアメリカ合衆国の応援「ユー・エス・エー!」のリズムで唱え叫んだ。
「ツァン・ジン・コン!」
「ツァン・ジン・コン!」
「ツァン・ジン・コン!」
 カシュガルの夜空に響きわたる蒼井そらの名。

ただ蒼井そらの話だけしているわけではなくて、中国のチベット侵攻についても突っ込んで聞いていたり「よく仲良くなっているとはいえ中国人相手にそんなこと聞けるな」と思うが、わりと突っ込むべきところは突っ込んでいくスタイルである──。そして、もちろんそうやって一緒に旅をした相手ともすぐに別れがやってくる。共にタシュクルガンへと向かった中国人らと、いつか日本に行くから、君もまた中国に来いよな、というよくある別れの会話の後に訪れる述懐は、旅の寂寥感に満ちている。

 そういえば、自分が旅をしていると実感するのはいつもこういう別れのときだった。「また会おう」という日本だったら現実的な言葉も、異国ではひどくたよりなく感じてしまう。旅はそんな儚い約束の連続で、果たせた約束より、いまだ果たせぬ約束ばかりが増えていく。
 でも中国と日本は近いし、モリくんとはいずれまた、きっと。

旅あるある

道中、こうやって様々な人と出会っていくのだけれども、合間合間に「旅あるある」が語られていくのもおもしろい。たとえば、タシュクルガンへ向かう道中にあるカラクリ湖と出会った時、その風景を前にして『テレビやガイドブックで見慣れた有名な観光名所よりも、道中の名もなき景観のほうが感動したりする。』と書いたりする。

あまりにも居心地のいいホステルに出会うとまるで沼にハマったようにそこからしばらく動けなくなってしまうとか、『旅先で魅力的な国の話を聞き、行ってみたい国が初春の枝葉のように広がっていく』とか。世界一周旅行者などの長期旅行者がたどるルートはかぎられているので、世界を旅しているにも関わらず旅人同士で共通の知り合いがたくさんいる、というのも意外であった。著者も、出会った人と別れたかと思いきやその後ひょっこり再会するのを繰り返している。たとえばある時、著者は旅の道中で顔なじみになったナギサちゃんという女性としばらく旅をするのだけど、いったいこの二人はどういう関係なんだろうとよみながらドキドキしてしまった。

なんてことのない仕草が、センセーショナルな出来事になる。

些細な断片でも、それは特別な記憶になりえるのだということが本書を読むとよくわかる。たとえば、アルメニアを訪れた著者は、旅人仲間からの紹介で在アルメニア日本大使館の職員らとの飲み会に参加するのだが、そのシーン(下記)が、また、なんでもない風景なのに、「遠い世界にもリアルな人間が生きていて、そこならではの日常があるんだな」と想像させてくれるのだ。

 たとえばひとりの女性はマオちゃんの話に聞き入りながら、厚焼き卵をおいしそうにほおばっていた。もうひとりの若い女性はそのテーブルの端っこですこしばかり物憂そうにビールを飲んでいた。そしてひとりの男性はその和解女性のことをやたらといじっていた。中学生の男子が気のある女子にちょっかいを出すように。
 そうした人間味あふれる仕草のひとつひとつが、ぼくにとってはセンセーショナルな出来事だった。

いま、世界はとても旅ができるような状況ではないが、だからこそこういう本を読んで旅をした気分の片鱗だけでも味わうのも悪くない。逆に、旅に行きたくなって苦痛を味わうことになるかもしれないけれど。巻末には宮内悠介との対談もあるので、SFファンも読んでみてね。

忘れ去られた女性たちの活躍を蘇らせる一冊──『アニメーションの女王たち ディズニーの世界を変えた女性たちの知られざる物語』

 この『アニメーションの女王たち』は、ディズニー・アニメーションの中で、アートに脚本にと活躍してきたにも関わらず、エンドクレジットにも表記されず、伝記などにも存在がほとんど残されていない、女性アーティストを焦点に当てた一冊である。

その立ち上げの時期、最初の女性の参画からはじまって、『白雪姫』から『アナと雪の女王』までを通して、ディズニーと女性アーティストの関係性は一直線に成長してきたわけではない。差別や平等の観点からいうと、今はディズニーが立ち上げの20世紀初頭からするとよくなったといえるが、その歴史の中には多くの差別があり、一度女性の活躍が増えたと思っても、第二次世界大戦やウォルトの死による女性参画の後退など、大きな波があったのだということが本書を読むとよくわかる。

 歴史家が、ウォルト・ディズニー・スタジオで活躍した初期の女性として取り上げるのは、たいてい仕上げ部門の従業員だ。仕上げ部門は女性主体の部署で、アニメーターが描いた絵を、撮影用の透明シートにインクで直に書き写し、色鮮やかに彩色するのが仕事だった。仕上げ係には芸術的センスが求められたが、ディズニー・スタジオで女性が担った役割は、それだけではなかった。私は2013年にインタビューを行うまで、これほど多くの、自分の大好きなディズニーの名作に、女性が責任ある立場で携わっていたことも、彼女たちの与えた影響がほとんど忘れ去られていることも、まったく知らなかった。

ピーターパンに101匹ワンちゃんに美女と野獣に……これまで当たり前のように見てきたディズニーのアニメーション作品の中に、存在しないかのように扱われてきた女性がどのように関わってきたのかを知れば、作品をフレッシュな目線で思い返すこともできるだろう。立ち上げ時期の女性アーティストは亡くなってしまっているので、2015年に開始された調査は難航したと著者は語るが、本書には生き生きとした筆致で1930年代〜70年代のディズニーが描き出されている。

ストーリー部門に配属された女性

最初に取り上げられる女性は、ビアンカ・マジョーリーという1900年生まれの女性だ。油絵や美術解剖学を学び、ヨーロッパ各地でファッションの仕事についていたが、1934年、映画館でディズニーの短篇アニメーションを見たことで感動し、高校時代の知人であったウォルトに自分の漫画を同封した手紙を送ることになる。

彼女たちは手紙のやりとりを続け、最終的にビアンカはディズニーに採用されることになるのだが、当時女性といえば仕上げ係にしかいなかったところに、異例のストーリーアーティストの部門での採用となった。入社当時の1936年は、初の長篇アニメーション映画である『白雪姫』に着手していた時代で、ビアンカは短篇『子ぞうのエルマー』やその後継作といえる『ダンボ』などの作品に関わっていくことになる。

差別的な状況

ビアンカがストーリー部門に入ったのは例外的な事象で、当時のスタジオでは、応募した女性全員に「カートゥーン制作にかかわるクリエイティブな作業は、若い男性社員の仕事と決まっていますので、女性社員が行うことはありません」という定型の断り状が送られていたという。それを覆してビアンカの次にストーリー部門に入社する女性は、20代前半のグレイスという女性。しかし彼女もウォルトとの面接では「優秀なストーリー部門を育てるには何年もかかる。仮にそうやって育てられたとしても、結婚してやめてしまえば、教育の成果も無駄になる」と脅しをかけられている。

女性が入ったばかりのスタジオにおける、当時の差別的な状況を伝える逸話も多数紹介されている。たとえば、大勢でシナリオの検討をする会議に、グレイスが入ろうとしたところ、女性はシナリオ会議には入れません(女性が脚本家であるはずがない)と警備員に押し返された話とか。男性スタッフが名前を呼んだり口笛を吹いたりしてからかってくるとか、生きた豚がグレイスの机のつっこまれているとか、容姿のからかいとか。とはいえ、ウォルトは当時にしては女性を採用していて、ビアンカとグレイス二人の活躍におされる形で、3人目の脚本家ドロシーが入社する──と、入社していく女性たちと、彼女たちが作品でどの部分を担当していたのかが語られていく。

50人以上在籍するストーリー部門の中でわずか3人の女性の成し遂げた功績は少ないと思うかもしれないが、ビアンカは『ピノッキオの冒険』の脚本において、原作では悪童であるピノキオをどうにかして魅力的にしようと、人形が生命を欲する理由、「生きる理由」について深堀して情緒的な奥行きを与え、さらには『子ぞうのエルマー』の脚本経験を生かして、『ダンボ』でシンプルで美しい脚本を書いた。ドロシーは『白雪姫』で無駄を削ぎ落とし大きな貢献をはたし、ピーターパンにおいてはティンカーベルの生意気で女性的な造詣に影響を与えた──と、そうした活躍をしているのに、当時女性の名が作品にクレジットされることはほとんどなかったのだ。

大きな波

その後、順調に女性が増え始め、1940年頃には、スタジオの全従業員1023人のうち308人が女性で、この数字は当時アメリカ大半の企業よりも多かった。ただ、そのまま増え続けたわけではない。スタジオの従業員は過剰労働に加え給与が少なかったことから1941年には1000人規模のストライキが発生し、賃上げを要求。

だが、スタジオにも余裕があるわけではなく、アニメのヒットに恵まれず、しかも第二次世界大戦の苦境で財政難に陥っていたことから、要求にたえきれずに1200人もの人員が一時解雇された。その中にはシナリオ・ディレクターだったシルヴィアやビアンカも含まれている。当時の労働運動はかなり大規模かつ長期的なもので、痛みも大きかった。賃上げ要求がなされるのだが、根本的にスタジオにカネがないので、賃上げの代わりに従業員が解雇されてしまう。『双方が譲らず、交渉が熾烈を極めた7月下旬、事態は大詰めを迎えた。7月29日月曜日、社員全員が昇給し、シルヴィアの週給も120ドルに跳ね上がった。この幸運はいっときのことで、数日後にはスタジオの半分近くのスタッフがレイオフされた。今回はシルヴィアが戻ることはなかった』

当時の人の感情からすると失業は悲劇的だが、これが起こらなかったとすると=金がないから金をもらえなくてもしょうがないよな、と受け入れてしまうと、低賃金で酷使され続ける日本のアニメ会社のような体制になってしまうのだろう。このへんの、ディズニーを中心としたアニメ界隈の労働問題については『ミッキーマウスのストライキ!--アメリカアニメ労働運動100年史』に詳しい。
huyukiitoichi.hatenadiary.jp
 財政難に伴う大規模なレイオフ、コピー機の登場による仕上げ部門の削減、ウォルトがアニメーションよりもディズニーランドなど別方面への興味を持ってしまったなど理由が重なり、一時期は4割近くにまでいた女性の割合が1975年には1割にまで落ちてしまう──。もちろん、その後ディズニーはピクサーとの統合を経て大きく躍進をしていくのだが、そのへんは本書を実際に読んで確かめてみてもらいたい。

おわりに

この記事では触れていないが、本書の主要な登場人物の一人にメアリー・ブレアという優れた女性アーティストがいる。彼女は主にスタジオではコンセプト・アーティストとして活動、『シンデレラ』『不思議の国のアリス』『ピーター・パン』『眠れる森の美女』の色彩設計など作品の根幹にあたる部分に大きな影響を与えた。

彼女をウォルトは強く買っていて、彼女がスタジオを退職した後も、自分のアニメとは関係のないプロジェクトで幾度も仕事を依頼していたぐらいだ。そして、メアリーのイメージは今なおディズニーに残っていて、現代のディズニーにもその影響を受けているものがいる。たとえば、『アナと雪の女王』もそうやってメアリーの影響を受けたアーティストの作品のひとつだ。メアリーはディズニーの女性アーティストの中でも知られている方の一人だが、たとえ作品にクレジットされておらず、世間的に名前が知られていなくても、やはり彼女たちもディズニーの歴史・文化の中に確かに息づいている。そう実感させてくれる一冊だった。おすすめ!