基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

果しなき流れの果てに/小松左京

あらすじ
太古の時から様々な進化を人間はしてきた、しかしその進化は果たして自分達だけの力で果たしたものだっただろうか? 時の流れとはなんだろうか?


感想 ネタバレ無


傑作すぎる。最高だ。小松左京はこれで2作目だけれども、個人的にはさよならジュピターよりは断然こちらのほうが・・・。

作り込みに関しては、こんな荒唐無稽な話にもかかわらず、よく調べられている。しかし、もっと簡単に説明出来るような所を、雰囲気を出すためにわざと難しく解説してないか?と思った部分もあった。


時の流れを扱った作品ということで、未来に過去に移動しつづける。その結果、飽きさせない急展開で、さらにそれが無理矢理な急展開に感じない感覚をうけた。

凄いと思ったのは、読んでるときに感じる、気迫とかエネルギーとか、本気度とかなんでもいいのだけれども、そういった類のものを感じるわけである。
読んでる最中に、こ・・・こいつ・・・本気だ・・・(作者が)と感じる。本気っていうのは伝わるもんなんだなぁとこの作品を読んで思った。

それからテーマ?というか、一連の流れの中にある目標というのが、今までに無かった感じで面白い。というか、こういうテーマを書いた作品が今までほとんどないんだから、何をやっても新しい感じってのはそうなんだが。それに知らないだけでたくさんあるのかもしれない。

まあそういうのがあるから読書がやめられないんだが。

ネタバレ有


「フィードバックするのさ」と野々村は、ホアンの腕をつかんでいった。「二十五世紀で、三十世紀で、達成された認識を、全面的に一万年前の世界に、フィードバックするんだ!一万年前の世界に、三十世紀の科学と知識をうえつけるんだ─── 一万年かかってやっと到達できる知識を、もう一度もどしてやるんだ。」

「歴史がかわっちまうぜ」

「歴史を変えて、なぜいけない?」


言ったー! 歴史を変えて、なぜいけない? 格好良すぎる。 ドラえもんの世界でいうと、タイムパトロールがいて、こいつらはそれに逆らうテロリストのような位置づけか。

しかし、やはり時を正確に認識するという事は、人間をやめるという事になるんだろうか。本書でも最終的に、宇宙と一体化したような人がおるし・・・。

手塚治虫火の鳥のラストも、不老不死になって、意識だけの存在となり、最終的に地球と一体化して自我もなくなってしまったけど、階梯があがるごとに、認識が引き上げられていくと、最終的に一つに統合されてしまうという考え方にいたるのは、当然の結果かもしれない。

認識があがるっていうことは、見えない物も見えるようになるって事で、時間の流れを多次元的にとらえられるようになったり、人間と同じ考え方では、価値の無いもののほうが増えるだろうから、よりスリムになっていくんだろうな。そして最終的に一番スリムな形が意識のみなのか。


「時間と認識」より

     認識ということを考えると、時間には、過去、現在、未来の三次元の相のほかに、高さ、という次元が考えられるのではないか?そのもっとも、端的な啓示は、われわれが未来に進めば進むほど、過去というものは遠く、正確に認識できるようになっていくということである。

認識をあげるための一つの方法は、ただ時が過ぎるのを待つことである。という事ではないかなあ。

本文ではこうある

人間が手に入れようとして、いくらあくせくしても、どうにもならないことがあります。未来がそうです。明日は、ただ待つことによってしか手に入りません。────今の所は・・・・


今のところは・・・

それから運命とかいう言葉が大好きなんで、運命について語ってるセリフも少し抜き出しておこう・・・ というか作品を通して運命というのもかなり語られている。運命なしには語れないだろう。

     人間は、あくまで人間的連帯の、熱い共通の心臓の鼓動をまもるべきだ。そして、運命というやつはいつでも、人間の「生命」の外側からやってくるもので、人間はそれと闘うために連帯する。───どんなことがあっても、人間が、他の人間に対して、「運命」のごとくふるまってはならない


地球が太陽の爆発に巻き込まれて今まさに破滅しようとしているとき、生き残る人間の選別が行われた。 その時、選ばれる人間を人間が決めてはいけないという意味の言葉。 どうしようもない運命の告知者は機械こそがふさわしい。

しかし、人間がほかの人間に対して、運命のごとくふるまってはならないというのは、のちの歴史を変える云々の所がひっかかるな。最終的にこのセリフを言ったやつが歴史を変えるという、人間の運命をほかの人間が変えるというのを目標に活動するんだから。

いや、しかしこのあとに現れた未来人達こそがすでに運命を変えて、ハンスをそのレールに乗せようとしたものからのがれたのだから、結果的にそうなってしまっただけで、最初は運命を変える者たちから逃げるという選択肢を選んだのだから、やはり正しいのかもしれない。

そもそもこの世界では未来人(タイムパトロール)達は基本的に運命と同義語だから、こいつらに歯向かう事がすなわち自分の運命を自分で決めるということと一緒か。


そして、途中のエピローグ2によって、結末はわかっていたが、やはり100億年の旅を終えて帰ってきた野々村と長い時を待ち続けた佐世子の邂逅は泣ける・・・・。

これにて終了。