基本読書

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フェルマーの最終定理/サイモン・シン

暗号解読に引き続き、サイモン・シンの名前を有名にした最初の本。フェルマーの最終定理を読破。


あらすじ
フェルマーの最終定理にかかわった人間達のドラマ。


感想 ネタバレ有


私はこの本に関する誰もが納得する真に驚くべき感想を持っているが、余白が狭すぎるのでここに記す事は出来ない。

と、冗談はおいておいて。とてつもなく感動させられた・・・。暗号解読ほどかかわっている人間は多くないかもしれないが、その分重厚なドラマがあった。

フェルマーの最終定理が、パソコンの強大な計算力による力技によって解決されるようなものでないというのが誇らしく思える

アンドリュー・ワイルズと谷山=志村の名前を忘れる事は恐らく無いだろう。

特に、谷山=志村に関する話には同じ日本人として考えるところもあった。

しかし、本書で書かれている日本人だけをみたら、すぐに自殺をする民族というようにとらえられても仕方ない気がする。

谷山がよく理由もわからずに自殺したのにつづけて、その数週間後にその婚約者が

「私たちは何があっても決して離れないと約束しました。彼が逝ってしまったのだから私もいっしょに逝かねばなりません」


日本人の自分でさえ唖然としてしまうような内容なのだから、当然外国人からしてみれば、このサンプルだけで日本人というのを決めてしまうのはとても危険だなと思った。

しかしフェルマーの最終定理に日本人がここまでかかわっていたとは全く予想だにしない事であった。谷山の考えた事も凄ければ、志村もやる事はやったというある意味、物凄く格好いい人間としてサイモン・シンに書かれていた。同じ日本人としてとてもうれしく思う。

アイキュロスが忘れ去られても、アルキメデスは記憶されているだろう。言葉が滅んでも、数学の概念は滅びないからである。「不滅」とは愚かしい言葉かもしれないが、それが意味するものになる可能性は、たぶん数学者がいちばん高い。
                   G・H・ハーディ


谷山豊と志村五郎の名前は確実に歴史に残ったといえるだろう。

もしこんな本に若いころに出会っていたら、ひょっとしたら数学者を目指していたかもしれない。それぐらい魅力をうまく伝えられたと思う。

もちろん俺にはフェルマーの最終定理が証明されたといって、その証明を見せられても何がなんだかわからないけれども、それがどれだけ凄い事なのかを劇的に見せられたら、興奮せずにはいられない。 

しかし志村五郎にはしびれさせられた

「きみの意見では、いくつかの楕円方程式はモジュラー形式に関連づけられるというんだね」

「いえ、そうではありません」志村は答えた。「いくつかの楕円方程式ではなく、すべての楕円方程式です」


のちに、谷山=志村予想が証明されたときに、感想を求められた志村五郎がいったことは

「だから言ったでしょう」


日本人すげー!誇りが持てる。

しかし、何がこんなに面白いんだろうと冷静に考えてみる。一つに、フェルマーの最終定理が単純に人を惹きつける問題である。

一見中学生の証明の問題でも出てきそうな簡単な問題だが、その実350年もの間誰も証明できていないというそのギャップがすでに物語の序盤の引き込む力を持っている。

第二に、まるで小説のようなストーリーがすでに出来上がっている。谷山と志村の出会いがすでに小説の始まりのようだ。

第三に、単純にサイモン・シンの書き方、魅せ方がうまい。

3つもあったら面白いのは当然である。

しかしアンドリュー・ワイルズも凄すぎる・・・何年もの間、一つの事に集中しつづけるというのは並の人間には出来ないと思う。特に相談できる相手もなく、一人でやる?そんな事が本当に可能なのかと疑いたくなる。

「大人になってからも子供の時からの夢を追い続けることができたのは、非常に恵まれていたと思います。これがめったにない幸運だということはわかっています。しかし人は誰しも、自分にとって大きな何かに本気で取り組むことができれば、想像を絶する収穫を手にすることができるのではないでしょうか。この問題を解いてしまったことで喪失感はありますが、それと同時に大きな開放感を味わってもいるのです。八年間というもの、私の頭はこの問題のことでいっぱいでした ──文字どおり朝から晩まで、このことばかり考えていましたから。八年というのは、一つの事を考えるには長い時間です。しかし、長きにわたった波乱の旅もこれで終わりました。今は穏やかな気持ちです」

長くなってしまった・・・。しかしこれがやり遂げた男というものである。

この世に生れた以上、何かを成し遂げたいというのは誰しも思うことで、そして永遠に記憶されたいと思うのも人の常であるが、アンドリュー・ワイルズはそれをやり遂げたのである。数学の概念は生き続けて、概念と共にアンドリュー・ワイルズの名も残るだろう。それは本当に凄い事だと思う。

俺はまだ自分にとって大きな何かに本気で取り組んだことはないけれど、まだ長い人生それを見つけるにはまだ遅くはない。やる気というものを思い出させてくれた。




ここで終わりにしたいと思います。