あらすじ
中編が5つ入っている。
「夏の硝視体」
夏の区界の大途絶が起きる前の日常を書く。
「ラギッド・ガール」
数値海岸の技術がどのようにして生まれたか、その中心人物たる人間を書いた作品
「クローゼット」
ラギッド・ガールの後日譚
「魔術師」
なぜ、大途絶が起こったのかを書いている。
「蜘蛛の王」
夏の区界を襲ったランゴーニの過去が語られる。
感想 ネタバレ無
これはやばいです。一つの世界を考え続けた挙句の果てにこの世界があるとしか思えない。仮想世界系のSFでこれを超える傑作は出てこないんじゃないだろうかというぐらいの出来だと思う。
ラギッド・ガールは直訳でざらざら(ぼろぼろ?)の女という意味。読めば意味はわかる。
これほど複雑な話なのに、何故、この人はこの行動を起こしたかの論理展開が凄まじい。納得を通り越して共感を呼び起こす。登場人物にキャラクターがあるというよりも、一つの論理として配置してそれがうまく組み合って物語が出来ているという印象を受ける。
ちなみに一番好きなのは魔術師。飛浩隆の書くバトルシーンは小説家の中では一番好きといっても過言では無いのだが、蜘蛛の王よりも、物語の核心の一つに迫るこの話は他とは違った重みを感じる。
作者が自身の最高傑作というラギッド・ガールも、凄く感情を動かされる作品だった。あわわわわわという感じ・・・わからんな。
ネタバレ有
『夏の硝視体』
ジョゼとジュリーの出会いの物語。
後半に来る中編の怒涛の展開と比べて物静かに進行していくといった感じ。それと、特別な視体だと思われる、コットン・テイルとの出会い。
コットン・テイルはこの先にもまだ出番があるのだろうか・・・・めちゃくちゃ気になる。
『ラギッド・ガール』
魅せ方がなんとなく、アメリカ的(ハリウッド的?)な演出の仕方だなと感じた。一気に話を進行させないで、過去の話が話のところどころで出てきて、最終的に現在とつながるというところがそう感じた原因。
直感像的全身感覚という謎の言葉が出てくる。瞬間記憶能力と同じようなものかとおもったらレベルが違った。説明を本文とつかって簡単に書くと
「網膜に映る映像が完全に固定されると、とたんに人間は物が見えなくなる。それを回避するために、無意識に眼の筋肉を動かし像を細かく変えている。
人間はその微細な差分、たえまない変化の上でのみ物を見ることができる。脳は秒四十回のレートで世界を輪切りにし、その落差を──フレーム間の再を環境データの変化として取得する。私たちの認識の最小単位はそんなスライスの断面だ」
要するにこの人間の認識の最小単位ですべての認識を行っているという事らしい。さらには、まるでビデオを見るようにその認識を行った時点まで意識を後退させたり、早送りさせたり停止させたりできるという。
こんな事が出来たら、もはや人類ではないなぁ・・・。
情報的似姿というのはなんだという説明もここで行われている。
情報的似姿は意識をコピーしたものばかりだと思っていたが、そうではないらしい。
「意識を仮想世界にコピーできるか──これは設問としてはあいまいすぎるよね。何をコピーするのか。コピーとはなにか。意識のシュミレータを創るというんなら、これはひどく難しい。意識とはたぶん設計図に書き落とせるような構造は持っていない。それはむしろ、パラパラ漫画として成り立っているようなもの。
ひとつの現象というべきものじゃないかな。あるいは電気が流れるとき必ず発熱をともなうみたいに、情報が受け渡され代謝されるとき起こる現象──それを意識と呼んではどうかと」
つまり日頃読んでいる意識(魂?)というのは、人間がある一定の条件を満たしたときに現れる現象のようなものだと、人間の意識とは、その長い生存という状態変移の上にたまたま浮かび上がった模様にすぎないという事らしい。
まぁ発生条件がどうであれ、発生している事に間違いはないのだからどうという事もないな。
しかし、最後の本物だと思っていたアンナが実はお前は似姿なのだと告げられるシーンは鳥肌物。
『魔術師』
過去にはアガサのみの防御網として活動していたHACKleberryが未来ではAI保護にまでかかわっている。
HACKleberryのカリスマ的存在であるジョバンナ・ダークは認知モジュールがばらばらになるという病気をおっていた。その解決策の一つが、脳を破棄して視床カードを脳の代わりにさして、生きるという方法。
HACKleberryのカリスマであり、世界にみちあふれる数値海岸への憎悪を一身に体現するこの危険人物は、
ジョヴァンナ・ダークは──
一個の情報的似姿にほかならない。
どかーんと来た!保護活動に熱心になる理由がどかーんときた・・・。なぜここまで必死なのか、諦めないのか、その原動力は何なのか、ここにきてストーンと落ちてきた感じがする。
「この物理世界で、私が人間としてみとめられるなら──ぜひそうあってほしいのだけれど──、区界のAIたちだって、理不尽な虐待を受けるいわれはない。抗議し、拒否する権利がある。発言できないのであれば、だれかが代弁しなくてはならない」
カリスマを感じる。そういうセリフまわしなのだろうけど。このあとのどのようにして、区界の電源を落とさせずに大途絶を起こしたかの説明は長くなりそうなので割愛。
いつも、いつまでも、たえまなく欲望を発し、その鏡像を見ること。見つづけること。それが「生」の別の名なのだから。
『蜘蛛の王』
ランゴーニの誕生編 ランゴーニの居た世界は、すべての区界の中心のように書かれているが、そこがよく理解出来ない。 現実世界で数値海岸が一つの企業からしか出ていないのなら、区界のまとめた場所があったとしてもおかしくないが、色々な企業が出していると思われるのに、それをまとめてどこにでも行ける区界があるというのがよく理解できない。 それか、そもそもまとめて置いてあるという発想がおかしいのかもしれない。
ただたんに唯一行き来出来る場所というだけで、ただの登録機関なのかもしれない。
しかし本当に飛浩隆が書くバトルシーンが好きだなぁ。なぜかなぁと考えてみると、どうも描写が細かいのが原因かもしれない。一つひとつの動作が描写されてるゆえにわかりやすい感じになってるのか。しかし全部それだとくどくなってしまうのでそこの緩急の付け方がうまい気がする。
この辺でおしまい。