基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

シッダールタ ヘルマン・ヘッセ

あらすじ
シッダールタが悟りを得るまでの話。


感想 ネタバレ無

今まで読んでなかった事が悔やまれる。 読む時期に意味があるとは思えないが、もっと若い時に読んでいたらどうだっただろうと考える。

多分今とそう変わってないだろうが、同じような事を考えていたから。

内容に感化されて読んでいて腹が痛くなるぐらいには集中して読んでいた。

久しぶりになかなかの集中力を発揮できた。

読んでたら危うく仏教の門をたたきに行くところだった。危ない危ない。つーか、仏教について詳しくないのだけれども、仏教っていうのは輪廻を否定しているのかね?仏教にも輪廻っていう概念があったような気がしたけれども。

まぁ、色々難しい事を抜きにして、内容的に感動させられた。 150pしかない薄っぺらい本なのに、凄い。

さすがはヘルマン・ヘッセといったところか。手塚治虫のブッダを思い出したなぁ。って当たり前なんだが

ネタバレ有

シッダールタが、普通の生活に慣れてしまい、金に執着して悩むところを読んでいてかなり腹が痛くなった。 苦悩がそのまま伝わってくる感じ。
こんな事めったにあるものでもないなぁ。 泣かされるより、こっちのほうがずっと意味があると思う。




ところどころ、昔考えてたことと一致してる部分があって、自分が肯定された気分になった。

「さぐり求めると」とシッダールタは言った。「その人の目がさぐり求めるものだけを見る、ということになりやすい。また、その人は常にさぐり求めたものだけを考え、ひとつの目標を持ち、目標にとりつかれているので、何物をも見出すことができず、何ものをも心の中に受け入れることができない、ということになりやすい。さぐり求めるとは、目標を持つことである。これに反し、見いだすとは、自由であること、心を開いていること、目標を持たぬことである」


高校生ぐらいの頃から、将来の目標を持つことが素晴らしい、目標を持っていない人間は早く目標を持つべきだ、といわれ続けて、それに反発し続けてきたものなぁ。

いろいろな所で、何になりたいの?と聞かれ続けて、普通の事を言っとけばいいと気づいたけれども、その前は何でそんな事を聞かれなくちゃいけないんだと怒りに満ちていた気がする。

もし仮に弁護士になりたいと思い、ずっと勉強し続けていたら、ひょっとしたらほかに何か別の道があるかもしれないのに、弁護士にしかなれなくなってしまう、可能性を縮める行為だと思う。

一つの真理は常に、一面的である場合にだけ、表現され、ことばに包まれるのだ。

一面的なものではないと、言葉にできないということか。三次元に生きる者の、さだめか。

人から聞いた話だけれども、三次元に生きる人間は二次元の事しか理解できないという。三次元を理解したかったら、四次元の世界に生きるしかない。言葉とかは、つまり二次元的であるという事だろうか?

シッダールタは川をずっと眺めていて、時間は実在しないという結論にいたったわけだけれども、時間が流れるっていう表現が色々なところで使われるけどこの流れるっていうのは、川から来てるんじゃないかと読んでいて思った。 もっとも、こういうのは大抵はずれるのだけれども。

何かの小説で、時間は外を流れているのではなくて、個人個人の中に時間があるのだというのを読んだけど、同じようなことかもしれない。

最終的にシッダールタが悟ったこととは、すべては川であるということだったか。

ああああ要約しようと思ったけどうまくできない。

しょうがないから引用しよう・・・。

「これは石だ」と彼は戯れながら言った。「石はおそらく一定の時間のうちに土となるだろう。土から植物。あるいは動物、あるいは人間が生じるだろう。昔なら、私はこういっただろう『この石は単に石にすぎない。無価値で、迷いの世界に属している。だが、石は変化の循環の間に人間や精神にもなれるかもしれないから、そのゆえにこれにも価値を与える』。以前ならたぶん私はそう言っただろう。だが、今日では私はこう考える。この石は石である。動物でもあり、髪でもあり、仏陀でもある。私がこれをたっとび愛するのは、これがいつかあれやこれやになりうるだろうからではなく、ずっと前からそして常にいっさいがっさいであるからだ。──これが石であり、今日いま私に石として表れているが故にこそ、私はこれを愛し(略)」


つまり、石は医師でもあるということですね(駄洒落)・・・つまんね・・・・

というか、これは輪廻を否定してると思うのだが、いやでも石が変化の循環にあるのを否定するのは別に輪廻しているわけではないのか。

川はどこに行っても同じ川であるということが、全てのキーだなぁ。

俺は俺でありながら、石でもあるし、何でもあるということか。

星の王子様の話の中に、この世に無数の星があるけれど、その中の星のどこかに自分の大切なものが置いてあるけれどその星がどれかわからないとしたら、自分はこの世にある無数の星すべて大切に思えるだろうという話があったけど、それと近いものがある気がする。

見た目はぼろいものでも、その中には何か大切なものが内在しているのだと考えれば、何にでも優しく接することができるな。


それから、何事も失敗させないとだめだという話もあったけれど、まったくその通りだ。 どんな事でも失敗させたほうが何より学ぶのが早い。危ないからといってやらせなかったり、難しいからといってやらせなかったり、どうせ出来ないからといってやらせなかったりする最近の親のやり方には正直いって反発しか覚えない。

失敗しなかったら何がいけないのかわからないままだ。できないからといってやらなかったらいつまでもできない。 そういう事だろうな。それぐらいは、さすがにわかる。

何気に決めセリフ的に繰り返される言葉
「私は考えることができます。待つことができます。断食することができます」
「それだけですか」
「それだけだと思います!」
「それが何の役にたちますか。たとえば断食することが──それが何の役に立ちますか」
ここまで本に実際に書いてあったこと
ここを読んでいたら、2chの有名なコピペを思い出して吹いてしまった。
こっから想像
面接官「特技は断食とありますが?」
シッダールタ「はい。断食です。」
面接官「断食とは何のことですか?」
シッダールタ 「食べないでいることです。」
面接官「え、食べない??」
シッダールタ 「はい。おなかが減っても我慢します」
面接官「・・・で、その断食は当社において働くうえで何のメリットがあるとお考えですか?」
シッダールタ 「はい。大いに役に立ちます。食うものがない時は、断食が人間のなしうる最も賢明なことです。たとえばシッダールタは、断食することを学ばなかったとしたら、きょうのうちにも何かの勤めにつかねばならないでしょう。あなたのところにせよ、どこにせよ。空腹がそれを余議なくさせるでしょう。しかし、シッダールタは静かに待つことができます。彼は焦燥を知りません。困る事を知りません。ながいあいだ飢えに包囲されても、それにたいして笑っていることができます。断食はそういう役にたちます」
面接官「いや、当社では食うのに困るような給料ではないですよ。それに断食するのは危険ですよね」
シッダールタ 「でも、10日間ぐらいなら余裕で耐えられますよ」
面接官「いや、10日間とかそういう問題じゃなくてですね・・・・・・」ふざけないでください。帰ってください。
シッダールタ 「あれあれ?怒らせていいんですか?使いますよ。断食」
面接官「いいですよ。使って下さい。断食とやらを。それで満足したら帰って下さい。」
シッダールタ 「シッダールタは別にお前のとこで働かなくても大丈夫なんだよ。断食はそのためにあるんだ」
面接官「何のために来たんだよ」


だめだ、面白くない。