基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

四季 秋 森博嗣

あらすじ
天才、真賀田四季の生涯、と思いきや、S&Mシリーズの西之園萌絵犀川が中心になってVシリーズの登場人物も交えての真賀田四季追跡作戦といった様相をていしてくる。

感想 ネタバレ無

S&MシリーズとVシリーズの重大なネタバラシ的な要素が盛大に盛り合わせてある。
大体、この四季があの二つの物語を一つに結びつけるひとつの架け橋のようなものであったと感じさせるに十分である。

秋は、春や夏とはうってかわって天才がほとんど出てこないので、そこそこの凡人が天才の思考を理解しようとしてどういった道筋をたどるのかというところも面白い。

4作で完結する作品の3冊目ということで、ワンクッション置いたかなという感覚を読み終わってから思った。ここらでちょっとテンションを普通に戻しておいて、最後でドカンと突き落されるんじゃないかとそういう期待を持っている。さてさてどうなることやら

というか、夏から時系列的にかなり飛んでしまったので最初はかなり面喰ったといえば面喰ったのだが、それでもやはり西之園萌絵犀川のコンビが面白い事もあって、相当楽しい事になっている。

ネタバレ有


犀川瀬在丸紅子の子供だと、まったくまったくもって気付かなかった。とんでもない驚きであった。そのことが書かれている場所を読んだあと、1分程過去の場面を回想してその手がかりをさがしてみたけれども、自力で発見するには材料が少なすぎたように思う。

しかし四季をの春と夏を読んでいれば十全に理解できただろうとは思った。自分はさっぱりわからなかったけれども。

これはどっかで気づけた人はいたのかなー。いただろうな。名前が一向に出てこない事や、林という苗字か名前か区別がつかない名前から推測することは十分に可能だったと思える。

四季に関する新しい情報といえば、死んだ娘を何故解体して持って行って、クローンを作ろうとしたということぐらいか。もちろんクローンを作るつもりなのかどうかもわからないけれども。

真賀田四季が自分の娘のクローンを作ろうとするだろうか、という点について考えてみるけれども、自分が死ぬために作るかもしれないという事ぐらいしか思えない。それかひょっとしたら、四季自身はもう体から解き放たれたのかもしれない。

体という存在はもう捨てて精神だけの存在になったとか、こんな話森博嗣の作品のどっかで出てきたような気がする・・・。娘の細胞を持っていったのは、そのための布石だおるかな。

それは真賀田四季の価値観であり、モラルだといっているけれども、それは自分の中でのルールだろうか。

「人は、自分が許せないときに、悲しくて泣く、そして、自分が許せたときに、嬉しくて泣くの」


これをいったときの紅子はいったい何歳なんだろうか。もちろん計算すればわかるだろうが、めんどくさいな。このときの紅子がとってもいい味を出してる。

扇風機と太陽の話とか。

「扇風機のように、前にしか風がこないのなら、こちらを向いてくれないと困りますけれどね。たとえば、太陽はどう? メキシコがはれていたら、その分、日本は損をしますか?」
「つまり、その差は、何ですか?」
「貴方が、太陽を好きになったか、扇風機を好きになったか、の差です」


しかもそれがその人の認識なのではなくて、自分自身がその人をどう認識しているかの問題だから、なおさら難しいとも考えられる。

まったく話は変わるけれども、とても句読点が多いように感じる。文章が長い時に句読点が多くなるのはわかるが、とても短いセンテンスで何度も使われている事が多い。それが短い文章をさらにリズムよく読ませるコツだろうか。

次は最終話 冬