基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

餓狼伝Ⅳ/夢枕獏

あらすじ
ぼこぼこ

感想

「人はあまりにも似た部分を他人に見た時 まず自分を見てるようで恥ずかしさを覚える・・・そして・・・似た相手を徐々に徐々に消し去りたいと思うほど嫌悪する。この二人の戦いは フ・・・ 真っさらだ ココではそこが見られる 人間の素の姿 人と精神と肉体は 人は精神は肉体は 人とは 人間とは 人間 人間とは どこまで戦える!!!!見せてくれ 見せてみろ!!!!!」
                                  エアマスター

見せてくれ!餓狼伝を読んでいるとむしょうにエアマスターを読み返したくなる。


やる事といえばやっぱり蹴ったり殴ったりだけである。非常に明快。読んでて一つ疑問に思ったのだが、総合格闘技という流れになってきてるように思うのだが出てきてる主な流派が、プロレスと空手だけってどういうことなのだろうか。それ全然総合格闘技じゃないやん。違うやん。松尾象山丹波も、他流派の武術をならっているが、根本にあるのは空手だし、梶原だって空手を習ってはいるけれど、あくまで習っているだけである。空手とプロレスとムエタイとサンボとが戦ったらいったいどれが強いのか?というよりも、単純にプロレスvs空手だけになっているのが惜しいといえば惜しい。


老いについて悩んでいるが、確かに重要な問題である。いくら強くなろうが老いたら煙のごとくどこかに強さなんてものは、蒸発してしまうものである。超美人百人だっていづれ百人のばばぁだ、旬は逃すな。解決策は実力を維持できるうちに悔いが残らないように死ぬほど闘っておけ、というところか。せいぜいがんばってください。


今回は特に、それほど、燃えるような戦いはなかった。堤城平は相手を二回とも瞬殺だし、松尾象山は相手を瞬殺だし、風間vs丹波丹波の圧勝だし、ふむ、全部瞬殺だな、そりゃ盛り上がりもしないかもしれぬ。恐らく次の巻で書かれるであろう長田vs堤がひたすら楽しみである。


風間vs丹波は描写がいてぇ対決であった。この戦いの中で風間があげた声といえば、「えげっ」と「えぎぃっ!」だけであった。どんだけいてぇんだと。三分で圧倒されてしまった、風間。いずれ成長して丹波を倒すダークホースとならないであろうか。そうしていつか丹波は思い返すのだ、何故あの時風間を完全に破壊しておかなかったのかと。


プロレス連中はそろそろ飽きてきた感がある。グレート巽松尾象山もなかなか闘わないし、生殺しのようなものだ。こいつらが闘うまで読むのがやめられないではないか。プロレスが何故真剣勝負をやらないのか、ってきかされりゃ当然の話なのだが、そういうことに考えがいかないあたりどうも考えなしに生活しているなと改めさせられる。そりゃ、毎日のように真剣勝負なんて体が持つはずがない、そして毎日真剣勝負が出来ないなら、食っていくこともできまい。毎日入れ替わり立ち替わり、プライドのような勝負を人間を変え続ければ出来るじゃないか、というあれもあるが、人が集まらないだろう。プライドだってK-1だってたまにやるからあれだけ人が集まるのだ。野球のように毎日やっていたら人が集まらないだろう。いや、ひょっとしたら集まるのか? やっぱり真剣勝負をやるだけの人間がそんなにたくさんいないからっていうのが一番の理由か。