基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

墨攻/酒見賢一

あらすじ
一人で何万かを相手に闘う。

感想


先に映画を見ていたため、ストーリーは大体把握していたのだが、小説は要点のみを凝縮して、さらに情報もつまっており短いながらも充実度は濃い。最初映画に、一vs二万みたいなキャッチコピーがついており一人で二万人を相手に戦う関羽とか張飛を集めたようなやつが主人公なのかと思いきや、軍師的な立場でちょっとがっくりきたのを覚えている。


映画はやはりありがちというか、何故か恋愛要素がからんできたり戦闘が地味だったりしてまぁそこそこは楽しめたのだが、こんなもんかというレベル。というかつまらん。小説は小説で、短編としてなら文句なしに傑作といえるだろうがこうして一冊になってこれしか入ってないとどうも燃えきれん。つっても先に映画を見ていたからかも知れぬが。闘いも、墨子がいかにして戦ったのかという解説書みたいに淡々と書かれているだけで、別に小説にしなくても墨子解説書みたいにして出せばよかったのに、と思わないでもない。長編として、という考えのもとに言っているが、これが短編集の中の一つとして紛れ込んでいたら傑作であることは間違いない。


個人的に短すぎたというだけだ。それから職人のプライドを書きたいとあとがきに書いていたがそれに愚直に過ぎた感がある。めんどくさい事柄を全部職人のプライドで片づけてしまったかのような不自然さはある。まぁ言葉をかえれば人間味がないということにもなるが、人間味がないから面白くないという評価はあり得ないわけで。人間味がないからこそ面白いということも当然ある。


なんだかよくわからないところは、弱きものを助けずして何が墨家か! とぶち切れて城に単身おもむくものの、その城の中では小を殺して大を取る、ということを平然とやってのける革離は行動が矛盾してないか? 小を殺して大をとるっていうことが出来ないからこそその小城をとりにいったのにその中で何故革離が自分が嫌ったその行動をしているのだろうか。それともこの矛盾を書く事がそもそもの目的だったのか、あるいは自分のこの矛盾だと思っている事は実は矛盾じゃないのか(勘違い)


それからラストはあまりにも微妙すぎる。 ぬかった! 人の心をもっとよく把握しておくべきだったわ! なんて矢で裏切られた後に思うとは・・・。万事を予想してやるのが墨家ではなかったのか。というか、そもそも裏切られないように、殺しておくべきというか今までのやり方だったら殺して当然だと思うのだが、殺さなかったのがそもそもしょーもない。今まで極悪非道にも役立たずの市民をエクスターミネートしておきながら梁適だけ殺さないのがそもそもの間違いである。革離が失敗したと悔やむ場面があるが

 『瞭姫を殺した事はこの場合誤りだったのだ。何事も教科書どおりにはゆかぬ』
 革離は一つ学んで、にやりと笑った。革離は墨子教団に属し、天志のもとに生きる思いがあったから死を恐れる必要はなかった。

別に瞭姫を殺した事が誤りだったわけじゃなくて、瞭姫だけ殺して梁適を殺さなかったのが誤りだったのじゃないのか。それにしても一つ学んでって死ぬから意味がないやん・・・。 天志のもとに生きる思いがあったから死を恐れる必要はなかったっていうのも何だか胡散くさい話である。そんなものがあっても死ぬときゃなんか考えるのじゃないか。とにかくこの終わり方には納得がいかん。むしろ根本的なことをいうのならばそもそも一人できたことが問題でありっていうかそんなことをいったら世の中のなんだってどこまでだってたどっていって根本的なものを見つけられるものだからやっぱ書くのはやめよう。


約150ページの本文のうち、ほとんど半分ほどが準備の描写にあてられるという、どれほど準備が大切かというのがわかる場面でもある。だが、戦いの場面は簡潔であり、十二だかの防御法も二つだか三つだかしかお披露目されなかった。地面を掘り進んでくる相手に、逆に穴を掘り返してやっつける方法、土を積み上げて壁を乗り越えようとしてくるやつらを撃退する方法、その二つだけだったか。というかその十二の秘策防御法の中に内部の裏切りをなんとかする秘策まであって、ちゃんと実行しているのに見逃す革離が悪い。墨家教団の中でもわりと役に立つ人材という設定なのになぜ一番重要な内部統制でしくじってやられるのか。あっ一人でいったのがそもそも無茶だったのか。つまり、わがままはやめた方がいいよっていう事か。なるほどなるほど。

 墨者が尊ぶのは「任」でなければならない。任とは任侠である。士が己を殺して他を益することである。

ふむ、ローズウォーターさんあなたに神のお恵みをみたいなものか。強烈な自己犠牲の精神。その心意気や良し! じゃなくていきすぎやりすぎはなんだってちょっとひいてしまうものである。正直ちょっとひいた。