基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

秘曲 笑傲江湖 第七巻 鴛鴦の譜/金庸

 「力のない正義は無力であり、正義のない力は暴力である」
                       (パスカル

 

 弱い人間は弱い場所で暮らせばいい
 将棋に限った事じゃない
 どの分野でも
 上で戦うには
 夢を見たいなら
 才能 
 努力
 なんでもいい
 とにかく 
 実際 
 テメェの 
 体の 
 中に 
 ハッキリ 
 実力が必要なんだ
               (ハチワンダイバー

 言っとくが、俺は最初からクライマックスだぜぇぇっ!!!!
                (仮面ライダー雷王)

傑作の定義は人それぞれだと思うが、自分の定義はこうである。


読み終わった瞬間に、自分はこれほどの作品にこの先の人生でいくつ出会えるか、と考えさせる作品。


ここ最近、このブログをはじめて約1年前、ちょうど神林長平の膚の下からはじまって250冊程の本を読んだが、傑作だと思ったのは膚の下とこの笑傲江湖の二作品だけである。素晴らしい。この割合でいうと125冊に1冊の割合か。実際はもっと低いと思われるが。


思えば一巻で読むのをやめてしまったのは、主人公が異常に気に喰わないからというのが理由の一つだった。何故気に喰わないのか、とあらためて考えれば、令狐冲のいう義に、実力が伴っていないからである。いくら令狐冲が正しいことを言おうが虫けらのような弱さの令狐冲が何を言おうがさっぱり伝わってこないのである。パスカルの言うとおりだ、「力のない正義は無力であり、正義のない力は暴力である」 さらにハチワンダイバー。上で戦うには、なんでもいいから実力が必要なのだ。一巻の時点で令狐冲になによりも足りないのは実力であった。


二巻からその実力が付き始める。独孤九剣である。笑傲江湖が自分の中で始まったのは令狐冲が独孤九剣を習い始めたところからであろう。令狐冲が強くなるたびに、令狐冲の発言が正しいような気分がしてくる。仮に正しくなくても、勝った方が正しいのである。


七巻まで読んだが、ここまで一巻でしか本文を引用してこなかった。普通一冊読めば、一か所ぐらいはここを引用しておこうかな、という場面があるものである。それはここまで書いてきた経験でわかる。だが笑傲江湖はそうではなかった。最初から最後まで同じテンションでずっと面白い(一巻除く)たとえば北方三国志であるならば、名場面といえばすぐに呂布の死亡場面が浮かんできたり、赤壁の戦いが浮かんできたりする。それはそこが盛り上がるように調整された結果である。孔明が効果的な登場方法をするように徐庶が出てきたりと、ちゃんとした伏線がそこかしこにちりばめられている。だが、それは準備が必要なことを示している。盛り上がらない場面があるからこそ、盛り上がる場面があるのである。


三国志のたとえをそのまま使うが、戦には大小があって、その中には命の危険が少ない場面もすくなからずあるし、そういうのは赤壁の戦いなどの大きな戦いに向けての休憩地点のようなものである。だが、笑傲江湖にはそれがない。まさに最初っからクライマックスである。最初の最初っから最期の最後まで令狐冲はいきなり死ぬか死ぬかの戦いばかりしてきたのである。自分なんか、令狐冲が死ぬはずがない、とたかをくくった嫌な読み方をしてきたが、それでもドキドキハラハラの連続であった。


令狐冲が何回死にかけたか、もはや数え上げるのもめんどうである。一巻につき三回ぐらいは令狐冲は、死を覚悟しているはずである。何回令狐冲が、俺はもう死ぬんだな・・・とつぶやくのを読んだかもう覚えていない。一戦一戦、令狐冲は死ぬような目にあってきたのである。闘いにつぐ戦い、戦争だって休憩期間のようなものがあるのに、こと令狐冲にいたってはそれはない。一秒も休まずに戦い続けている。それゆえ全七巻を通して、一か所も名場面というところがないかわりにトップスピードでおもしろさを維持し続けてきた理由である、と自分は考えている。いうならば全部赤壁である。


さらに多種多様なヒロインを配置している。幼馴染:岳霊珊 お姫様:任盈盈 後輩:儀琳
もはやこれは西尾維新では!? と疑りたくなるような布陣である。あとは妹とかがいれば完璧だったな! 


さて、七巻の内容に移ろう。


しょっぱなからいきなり岳霊珊が殺されてマジでビビル。てっきり岳霊珊をハーレムにいれてハーレムENDかと思ったのだが。そのルートはしょっぱなの岳霊珊の死によって終わってしまった。しかも死にひんしてなお、林平之を思い続けるというなかなかむかつかせる展開でこれまたイライラさせやがる。さらに林平之を助けてくれとまで。かといってここでやっぱり令狐兄さんが好き! なんていったって岳霊珊がこの笑傲江湖で一番の外道じゃね? という疑問が持ち上がるうえに令狐冲がその場合どうなってしまうかわからないため、死ぬ以外に選択肢がなかったと、あらためて考えてみると思える。


ついに岳不群の外道っぷりが頂点に達する。令狐冲を後ろから不意打ちをしてぶっ刺そうとする。おしくもかわされ、任盈盈にさらに外道をののしられる岳不群だが騙し打ちも背中からぶっさすのもすでに令狐冲は実践済みである。やっていることは同じなのに罵られる岳不群が少し可哀想でもある。いざというときのあわてっぷりとか、完全に小物だ・・・。かつては滅茶苦茶強かったのに・・・。読んでいて悲しくなった。


そしてまた令狐冲の盗み聞き展開である。今度は老婆に変身して儀琳の話を盗み聞き。ウソをつくのはいけないとかいいながら他人をだましまくっている令狐冲、なかなかあっぱれである。


さらにさらに、洞窟に閉じ込められて、何も見えない状態になった令狐冲の一言

 (そうだ、訳の分からないうちに殺されるくらいなら、一人でも多く殺してやろう)


およそまともな人間の考えることじゃねぇ。殺人鬼の発想だぜ。しかもおっこいつは名案、とばかりの軽い発想である。相手を憎み切っているような状態ならまだしも、別にそんなに憎んでもいないのに・・・。まぁこいつら誰ひとりとしてまともではないからいいのだが。しかもめったやたらに殺しはじめて、女を殺して任盈盈を殺したかもしれない! と慌てふためく様は全く無様である。というかこいつ脳みそが足りないと思われる。少林寺に襲撃した際も、アホのように正面突撃をするだけで指揮も何もあったものじゃなかった。こいつきっと現代日本にいたら高校にも入学できずに中卒で働きはじめていただろう。


というか、シュチュエーションがどんどん複雑になってきている。もはや令狐冲、最強といっていいレベルの強さを持っており、今までの緊迫感を維持するにはもはや強い敵を持ってくるだけでは足りずに、目を見えない状態にするとか、大勢で襲いかかるとか、動けない状況で襲いかかるとか、そういったちょっと凝ったシュチュエーションにしないと危機を演出するのが難しいであろうことを想像させる。


左は呆気なく死んだし、林平之も特に出番なく体中の筋を斬られ、岳不群も呆気なく死んでしまった。まぁこいつらと今さら令狐冲が一騎打ちしても令狐冲が圧勝するのは眼に見えているのでそれぐらいでよい。


ラストボスは任我行であることが決定した。どうにも煮え切らない戦いである、とこの戦いが決まった時は思った。令狐冲と義兄弟の中の門天やそのほか仲の良いやつらが大量に仁我行のほうにいるのである。煮え切らないのも当然といえよう。しかし多少恩義のある任我行に向かって令狐冲の外道がここにきて最高潮に達する。

 「任教主が恒山派を殲滅するおつもりなら、智恵を絞ろうが力で抵抗しようが、私は全力で当たります。向こうが人殺しをするのなら、こちらは爆死させてやります。しかし、私は断じて嘘をついて騙しはしません」

爆死させてやります 爆死させてやります 爆死させてやります おのれぇー! それが天下の豪傑のやることかああ!
向こうは人殺しはしても爆殺はしないよ! しかも任我行をだまして、爆死させてやろうとしているのにそれは嘘ではないというのだろうか? 仮にも一度仲良く闘ったのを忘れて爆殺しようとするとは・・・。恐らく任我行が生きていたとして、椅子にすわって爆死したら令狐冲はこういうはずである。

 かかったなアホが!


ダイアーさああん! うーむ・・中国の義はよくわからんなぁ。結局任我行はすでに死んでいて、任盈盈との和解が成立するというなんとも拍子ぬけなオチなのだがまぁ闘いを始めたら上で書いたように門天は令狐冲の味方をするかもしれないし、令狐冲と闘いたくないやつらがたくさんいるだろうからどうにも煮え切らない戦いにはなるはずなのだからこれでいいのかもな。


〜そして三年後〜


そこには元気に秘曲 笑傲江湖を演奏する二人の姿が! うむ、これ以上ないってほどのハッピーエンドだ。胸が温まるよ。笑傲江湖を最初に演奏した二人は立場の違いから、離れざるを得なかったけれど、この二人はついに立場の違いを乗り越えて一緒になれたんだなぁとジーンとする場面である。こっそりと二人の笑傲江湖にあわせて笛の音を混ぜる莫大先生が異常にいいとこどりすぎる。まじでいいキャラだな。脇キャラのくせに。


この巻の副題、鴛鴦の譜っていうのはいいね。おしどりふうふってか。いやぁーよかったよかった。本当に。これほどの作品に、次出会えるのはいつだろうか。