基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

あなたの人生の物語/テッド・チャン

  • バビロンの塔

あまりにも各所で絶賛されていたために、最初に、バビロンの塔を読んだとき失望したのは確かだ。どこまでも続く塔を建設していて、てっぺんまで辿り着いたらそれは地上へとつながっていた。世界はつながっている。オチとしてはどうかと思わざるを得ない。さらにそこに至るまでの展開が全く面白くないのはどういうことだろうか。やつらがやったことといえば、バビロンの塔をのぼって、バビロンの塔がどんなものか絶賛して、穴ほって地面とつなげただけである。そこにいったいどんな面白さを追求すればいいのか、わからない。人々の描写は活き活きとしており、楽しげで、そこに至るまでの数々の描写は(陽が落ちるところとか)すばらしいものだったかもしれないが最後のオチが台無しにしてしまっている。というか、あまりにも意外性がない。ふむん、意外性が無いと書いたが、どうして意外性が無いかと考えるとぼやけてしまう。確かにそう感じたのだが。そういえば読んでいるときカリン塔がずっと頭に浮かんでいた、とそれは関係なくて。たとえば世界は繋がっているというようなこの根本的なアイデアというか、オチ? そのパターンねぇ、と感心はしても感動はしない、みたいな。

  • 理解

読んでいて、いらいらした。それというのも、半分近く投薬によって超人的な知能を得た主人公の能力がいかに凄いものか、いかに天才かを描写するのに使われているからだ。天才なのはわかった、能力が高いのもわかったから早く次の展開に移れと言いたくなる。まるでイエス・キリストがいかにすばらしい存在であるかを延々と描写し続ける聖書のように感じられた。その後同じ投薬によって高度な知能を得た人間との戦いになるのだが、その展開自体は大満足だったのだが戦いの内容がまたちまちまちまちまちまちまといらいらいらいらさせるようなこまごまとした戦いで、カイジやアカギのような心理戦でもなく、コンピュータを使った演算バトルでもなく、またしてもどちらの能力がいかに凄いかを披露しあうような、そんなバトルである。ブリーチでも読んでいるような気分だ。わかったわかった、お前らが凄いのはわかったから、結局どっちが勝つのだと、バビロンの塔でもそうだったが、オチに至るまでの過程が破滅的に面白くなく、さらにオチが究極に弱いと感じた。端的にこの「理解」のオチというか結末を言えば、やはりブリーチよろしく、先に自分の手のうちを見せてしまった主人公が負けた。そういや、全人類を超越した知能を手に入れたにも関わらず、移動にはタクシーを使わざるを得ないようなところは好きだ。

  • ゼロで割る

今度は今度でまったくびっくりした。
理解とバビロンの塔は、文章を読むのが苦痛というレベルだったのだが、ゼロで割るはうってかわって文章はするすると頭に入ってくるし、展開にはいっけん無駄がなく、まるでホンヤクコンニャクでも食べたかのように急にテッド・チャンが理解出来たような、そんな気分になったものだった。だが蓋を開けてみれば、すばらしいのは過程であってまたしてもオチで驚愕することになる。というか、オチがないではないか、これは。突然終わりを告げた。うんうん、それで? え?それで終わり? とびっくりしたあの瞬間を忘れる事は出来ない。簡単なあらすじを書けば、1=2を証明してしまって数学を葬り去ってしまった女性が、頭の中から1=2が離れなくなってしまい数学的な考え方が全く出来なくなってしまうというようなそんな話だ。

 「実証主義者たちがよくいってた言葉に、数学は同語反復だというのがある。でも、それはまったくの誤解だわ。数学は自己撞着なのよ」


勢いにのって自分の理論を説明する場面は思わず熱くなる。ただ、文字通りの意味で、数学を終わらせてしまった主人公の絶望がひたすらにうまいと感じる。本文でも引用されていたが、

 「もし数学的思考に欠陥があるとしたら、いったいわれわれは真理と確実性をどこに見いだせばいいのか?」


というところに行きつく。もはや数学は当てにならず、数字というのはピラミッド的な、証明の連鎖によってなりたっていて、一番の土台であるはずの証明が当てにならないとするならば、今までの数学はすべて崩壊してしまうということの重大さがよく伝わってくる話であった。


  • あなたの人生の物語


これは凄い。さすがに表題作になっているだけはある。過去と未来が交互に書かれていて、いったいどんな結末が!? とワクワクして読みすすめれば・・・。

カートヴォネガットを思い出す、という感想を散見して、考えなおしてみればスローターハウス5に出てきた時間の捉え方のことを言っていたのか。 読んでいる最中はまったく似ているとは思わなんだ、言われてみれば確かに。でもこの時間の捉え方って別にカート・ヴォネガットが元祖というか、一般概念化しているような気がするのだが。気がするだけで実際は違うかもしれない。

ここまでオチが気に喰わないか、過程が気に喰わないか、またはその両方かの両極端の短編が続いたので、どちらも満足させてもらえるこの作品の、完成度の高さに改めて驚く。勘の良い人ならば、光の屈折率の話が出てきたあたりで気づいたのではないか。さらに、ヘプタポッド達の言語が順序がばらばらというところでまたいくらかの人が気づき、勘の鈍い自分レベルの人間でも、251ページ

 ほんとうに、わたしがそんなセリフを吐くことになるのかしら?


のところで気づくだろう。ここで、あぁ! なるほど! 志望校に合格したかのような感動が襲ってきた。パズルを解き終えた時の壮快感というのともちょっと違う、ようするに収束感が凄い、といいたいのだがなかなか難しい話である。

言語もしくは概念をあらたにえたことによって、考え方が変わっただけならまだしも、世界の捉え方が変わるというのはある意味一つ前の短編、ゼロで割るとも同じだのう。


最初は光の屈折率の話やら言語学の話やら、いっけん難しそうな事をいっているがその実あまりにも初歩的なことしかやっていないのではないかと思い、馬鹿馬鹿しく感じていたのだが、最後の収束感によって全部帳消しである。


この話のどこが悲劇かって、中途半端に未来を知覚できるようになったことではないか。ヘプタポッドのように、未来に完全に身を任せきって生きていくということができない、未来を知りながらも変える事が出来ないもどかしい世界で延々と過ごしていかなければならないのだから。大人になってから言語を習得したからであって、人間の子供であっても生まれて一番最初に習う言語がヘプタポッドBだったならば、ヘプタポッドのように未来を知覚して、その流れに逆らえないことを当然として生きていくことが出来るのではないか。

そう考えると作中、ヘプタポッド達の贈り物が全部、地球にすでにあるものだということで不満そうだが、最大の贈り物はこの未来を知覚できるようになる言語だろう。この言語が広く人類に普及すればある意味平和になるのではないか? だが普及するかどうかは、また別のお話。

  • 七十二文字

この作品で使われている子供が生まれなくなるネタも読んだことあるな。
世界中の人間が、同時期に子供が生まれなくなるというSFだったが、タイトルは忘れた。
話は戻って七十二文字だが、半端な生物学についての知識がついてしまっているために、ありえないだろ、と突っ込みをいれてしまい、のめり込めなかったがそれでも面白い話ではある。だいたい一々あり得ないだろ、なんて突っ込んでいたらどんなSF作品もファンタジーも一転つまらない小説に化けてしまうのだから、ひどい言葉である。ありえないだろ、なんて作品を読んでいる最中に最も思ってはいけないことだが、思ってしまったものは仕方ねぇ。


人間を急速成長させる栄養素で、人類を何世代も交代させて未来に、人間がどうなるかを調べるというネタだが、進化のプロセスがどのようにして行われているかを知っていると、滑稽な話になってしまう。

人類は百万年だか、何万年後だか知らないが、人間の姿や機能は変わらないという論文が最近発表された、とニュースで読んだ。それによると、進化というのは過酷な状況下で生き延びるために遂げるもので、人間が今のままの生活を続けたら進化する必要はない、よって人間は変化しない、というのが論文での結論である。


さらに、ここからは論文は関係なく、利己的な遺伝子ネタである。突然変異というか、多少普通の場合と違った特徴をもって生まれてくるケースもあるが、その特徴的なケースが、種が繁栄するために役立つケースならばその遺伝子は後に残るが、邪魔にしかならないのならば子孫を残せずに廃れていく。進化というのは基本的にこの二パターンしかない、はず。まだあったかもしれないが。

故に試験管で急速成長させようがなにしようが人間に変化が見られるはずはないのだが、この短編では五世代後の人間は、種全体の生命力が尽きたのか、子供を産む能力がなくなるとしている。

金子龍一氏が書いた「大絶滅」で、恐竜が絶滅した理由(だったかどうかは忘れてしまったが、何らかの種が絶滅したのはなぜか、というもの)の仮設としてこんな話があった。

種族というものには基本的にタイムリミットが設定されており、エントロピー増大の法則というのは種族にも当てはまるのではないか、というものだ。確かに過去の歴史を見てみると、大絶滅というほどの絶滅はある一定周期にのっとって起きているのがわかる。そういうことからの仮説だったはずだが、大絶滅の中でばっさりと否定されていたが、詳細は全く覚えていない、なんてこった。でもこの指摘、カフカの「変身」で、カフカが虫になったっていうけど虫が人間サイズになったら潰れるから(笑)ありえなくね? というような野暮もいいところだ。

ようするにこの短編でいわれているのは種のタイムリミットである、長々とアホのように遺伝子ネタで語ってきたが、この短編は何も遺伝子ネタ一つで仕上がっているわけではない。名辞、言葉は力を持つ、というファンタジー設定がもう一つの主軸だ。この設定を使って、子供が生まれないという事態を改善していこうとする話である。野暮なことを言えば、言葉は力を持つというのは終わりのクロニクルでも使われていたネタだがどうでもいい。

正直疲れてきた・・・。どんどん書こう。ある一点を除きおもしろい。その一点を説明すると最終的に、人類に未来を残そうと活動する主人公と、スポンサーのような立場であるフィールドハースト卿の間で意見がわかれる。 もし子供を名辞の技術で強制的に産めるようになったら、産児制限を行おうというのがフィールドハースト卿の意見であり、主人公はそれに反対する立場だ。


ここでいう主人公の意見に全く同意する事が出来ない・・・。まさに力なき正義は無力、といったものか、子供を自由に産めないなんて間違っている! とまるでヒステリックな教育ママのように叫ぶだけで、解決策というものを提示しようとしない。制限することによって不幸な子供が生まれる事を防げるというのに、産めよ増えよを推奨しようというのだ。それも満足な食糧を提供できるのならばまだしも、食糧の用意もなしにだ。


そもそも、育てられもしないのに子供を産むような人間がおかしいのだ。利己的な遺伝子で書かれているが、基本的に野生動物が子供を産む時の数は、長年の間産み落とされ、死亡し、生き残り、その結果最適化されたギリギリの数なのだ。決して余計な子供を産む事はしないし、余計な子供を産んでも無駄なことがわかっているのだ。それをどうだ、人間様ともあろうものが欲求にまかせてパカパカと産み続けて、食わせられなくて死ぬ、知識がなければ人間なんてその辺の鳥にさえ劣っているじゃないか。

  • 人類科学の進化


普通人間を超えた超人類なんてものが出てきたら、排除しようという方向に話は流れていくように思うのだが、意外や意外、共存関係が出来ている。この超人類ってやつがどんなものなのかはよくわからないが、理解に出てきた超頭いいやつみたいな感じなのだろうか。

 われわれは超人類科学の成果におじけづく必要はない。超人類を可能にしたテクノロジーの数々は、もともと人類の発明したものであり、彼らの知性はわれわれと同程度であることをつねに認識しておくべきなのである。


ふむん、目からうろこというべきか。超人類がいかに凄かろうがそれを生み出したのは人類なんだからおれたちゃ同レベルだぜ、と。そういう論理を展開させた過去のジャパニーズコミックの科学者たちは大抵超人類側の怒りを買って戦争になるのだが、そうならないというのが逆に新しい。忘れちゃいけないのが、確かに超人類を生み出したのは人間かもしれないが、ある特定の人たちが生み出しただけだ、ということじゃないだろうか。超人類側からしてみれば、お前たちは俺たちのおかげで生まれたといわれても、お前のおかげじゃなくて科学者のおかげだよばーか、といいたいところではないか。

  • 地獄とは神の不在なり

世界観の説明というか、すべての説明がうっとうしく感じた。何度も同じ事を説明されているような、さほど興味をひかれない設定のオンパレード。ふーん、で? それがどうしたわけ? と思えば最後の最後で神を直視し、愛ってのは何もかも受け入れることなんだ! と勝手に悟って死んだ。

  • 顔の美醜について──ドキュメンタリー

顔の美醜を判断できなくする装置について、さまざまな立場の人間の意見をひたすら、ドキュメンタリー調に書いていく作品
ドキュメンタリーにした意味がちょっとわからないな。最初は面白かったけれど、結局カリーについていろんな立場の人間があーだこーだと言ってるだけで、あとはちょっと立場が変わっただけで基本的に同じ事を繰り返してるだけだ。ドキュメンタリーにした意味は? と問いたい。
個人的な考えを言えば、わざわざ人間に備わっている機能を制限するようなものを作る必要も、あまつさえつける必要も全くわからん。顔をさらすことによって常に他人の前の自分というやつが意識される。その際に、自分が相手からどう見えているかを常に意識することが、自分というものを形成していくのではないか?
外見に差異が無くなってしまったら自分というものが薄れて行ってしまうんじゃないかな。
結局、主人公的な立場の人間によって締められる。
カリーは別に悪くなくて、それを悪用しようとする人間が悪い。使うのも使わないのも個人の自由に任せるべきだ。

そりゃそうだ。その通りすぎて何も言えない。だが無難すぎて何とも思わん。


総括
こうして振り返ってみると、やけに最初の短編二作品に対しての評価がひどいのは、どうやらテッドチャンの文章にまだ慣れていないせいだったせいだろう。ひどく読みにくいなと思いながら読んでいたのだが、ゼロで割るからその違和感はなくなった。


あなたの人生の物語、からはジェイムズティプトリーを連想した、テッド・チャン最高! ともてはやされているものだから、まったく新しいものを提示してくれるのかと思ったがその実、既存のアイデアをいかにうまく料理するかがテッド・チャンの真骨頂なのではないかと読み終わった今ならば思う。


地獄とは神の不在なりと顔の美醜についての二つは個人的にはまったく面白くない。読むのが苦痛だったレベルだ。内容が面白くないというか、単純に根本的なアイデアに興味が惹かれない。
最終的に面白いと思えたのが、あなたの人生の物語とゼロで割るだけだったということを考えるにテッド・チャンとの相性は最悪といっていい。


前回から文章の推敲とやらをやってみることにしたのだが、あまりにもひどい文章とその稚拙な内容を読むと胸が痛い。文章がつながってなかったり、同じ事を繰り返していたり、さも当然のことを自慢げに書いているようなところなど他人のふりをしたくなるレベルなのだが、残念ながらそれは自分である。今回も推敲とやらをやろうと思ったのだがあまりにも文章が長すぎて断念した。もし仮に少しでも読んだ人がいるとすればすいませんと謝るほかない。今までの文章も含めてである。ついでに言えばこれからも推敲するかどうかはわからない。誰か代わりに文章を直してくれればいいのに。