基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

マイナス・ゼロ/広瀬正

っちょ、おまっ面白すぎる。日本版夏への扉とでも言おうか、だが個人的に言わせてもらえば夏への扉よりも、好きである。そりゃ日本人なのだから日本版と海外版があれば日本版の方が好きだろうと言ってしまえばそれまでなのだが。

優れた作品はいづれも、ミステリ的要素を持っているといったのは誰だったか、その言葉が正しいかどうかは知らないがこの作品に限って言えば当たっている。
じょじょに謎が解けていくのはまさにミステリー。

批判する点を、わざわざ探そうという気にならない。驚天動地の展開に続き、最後の最後で見事今までの伏線を回収していく。ところどころ挟まれるユーモアたっぷりの描写に、今読んでも古さを感じさせない文章。いつ読んでも違和感なく読めるように、という努力をしてきた星新一が解説にて褒めていたように、マイナス・ゼロの文章も、不思議と風化していない。昭和の町並みが浮かび上がってくるような数々の描写には、それだけで楽しませる程の魅力がある。


絶賛してもし足りないぐらいなのだが、いったいどこから絶賛したものか、絶賛するならば、その全てなのだが全てというといったい何をどうやって絶賛すればいいのだ?とりあえずタイトルから誉めとくか? マイナス・ゼロ、すばらしいタイトルだ。これ以上ないってぐらい。



最初の方に出てきた、主人公にお金を融資してくれた正体不明の人、なんていう伏線も、夏への扉を読んでいたせいか、一瞬で主人公と気づいた。夏への扉と、似てるなぁ。重要なことではないが。
いつか融資してくれている人の正体がわかったら、お礼をしなくちゃいけないと思っていた、だから今日はたらふく飯を食おう、みたいな一瞬のユーモアがいたるところにあって、たまらなく楽しい。あとがきラスト一行もユーモアたっぷりに締めている。


いきなり啓子と結ばれてしまい、というか18歳差って・・・などと思いながら読んでいたのだが、これまたいきなり俊夫が昭和に飛ばされてしまって死ぬほどびびる。


こ、これからどうすんだ!? せっかく啓子と結ばれてハッピーエンドだったのに・・!? との心配するこちらをよそに、タイムマシンいっちまったからもうこっちで暮らすしかない、さてどうしようと前向きで笑った。


お前あきらめが速すぎるだろと、もうちょっと動揺しろと、なんで読んでいるこっちの方が動揺しているのだといいたくなったが、この後も俊夫の諦めの速さはこのままなので受け入れる。確かにハッピーエンドからはじまったので、これからいったいどうやって話が展開していくのだろうと心配だったのだがまさか昭和に飛ばされるとは・・・。


当然、ラストはまた主人公が飛ばされた時点に戻って、啓子とあらためて結ばれて終わるのだろうと凡庸な予想をしながら読んでいたが、大きく裏切られることになる。しっかし啓子、とてもじゃないが十七歳には思えんぐらいしっかりしている。これが書かれたのは1982年ぐらいだが、当時はこれぐらい十七歳の女の子はしっかりしていたのだろうか? 今よりはしっかりしているイメージがするが・・・。

恐らく、伊沢先生と過去で出会い、伊沢先生のことがそこでいろいろ明かされて、未来へ戻るという展開になるだろうと予測していたのだが大きく裏切られることになる(二回目)

いきなり徴兵にとられるのである。まさかという他ない。しかも普通なんとかして逃げようとするだろうが、二年か一年ぐらい大丈夫だろうといいながら戦争に行ってしまうのである。俊夫のあきらめの速さがここでも発揮されている。
さて、それじゃあここから戦争編が始まるのかと思いきや次の章でいきなり俊夫が戦争から帰ってくる。しかも十年近くたっている。さらにさらに、伊沢先生すでに死んでいる。なんてこった、いったいぜんたいどうしてこんなことに。

すでに俊夫の年齢がかなり高くなってしまったことから、この時点で未来に戻っても啓子と再び結ばれることはないのではないか、と考えがっくりする。この作品には完膚なきまで野ハッピーエンドを望んでいたのであって、それは啓子と俊夫が結ばれる以外の結末ではあり得ないと思っていたからである。


戻ってきたら、伊沢先生が住んでいた場所には、すでに乃川
さんが住んでいる。しかも女性一人で。この時点で、結ばれることが確定してしまいかなりがっくりきた。啓子ENDはなしか・・・と。それどころか最初に出てきたおじじが主人公だということまで判明してしまう。およそ幸せな結末になりそうにない。

ところで俊夫、平気でいろんな活動をしているが、タイムパラドックスのことを本気で考え出したのはかなり後半である。普通真っ先に考えつくのではないかとは思ったものの、俊夫は別にSFを読んでいたわけではないのである。今でこそバック・トゥ・ザ・フューチャーやらターミネーターやらでタイムマシンのこともよく知られているだろうが、当時SFに興味がない人がタイムマシンや、タイムパラドックスのことを理解しているはずがない。

戦争に行く前の俊夫、のんびりしているとしかいいようがない。ヨーヨーをつくって失敗してみたり車を買ってみたり野球観戦したりと遊び呆けている。おまえ、ほんとに未来に還る気あるんかいと突っ込みを入れたくなる。

娘の啓美にSFを借りて、親殺しのパラドックスなどについて興味を持ち始めたところで、ひょっとしたらこいつ、未来を変えるために何かやるのかもしれない、もし成功すれば望んでいた啓子と俊夫が安全に結ばれるハッピーエンドが見れるかもしれないとわくわくしながら読む進む。

結局ぐずぐずしていて未来を変える事はできなかったが、実は妻が記憶を失った啓子だったと判明する。ハッピーエンド! この感動を言葉にする事は出来ない。どうしても語るならば本文を全部書かなくてはならないだろう。そんなこと当然出来るはずもないので、かいつまんで話しの流れをたらたらと書いてきた次第である。あくまで全体として面白かった。どこかをかいつまんで話すなんて、出来るはずもない。

しかし俊夫と啓子もかわいそうなものだが、巡査もなかなかどうして悲惨なやつだ。いったいこの先どういう処遇を受けるのか想像もつかない。多分、元の時代に送り返されるのだろうがそういった描写が、俊夫が過去に滞在していたときにまったくされていないので不定である。

 夜が明ける。
 新しい未来が開かれようとしている。
 そして、新しい過去が開かれようとしていた。

何故「マイナス」ゼロなのか。本当ならゼロの章では、俊夫と俊夫が再開する場面になるのではないか? 何故その場面はマイナス・ゼロで、ゼロは俊夫が戦争から帰ってくる章なのか。戦争から帰ってくる章がゼロなのは、俊夫と啓子が時の流れを超えて再び一緒になることが出来た時だからだろうか? とすればその後の章はプラス・ゼロになるっていうかプラス10とかになるんじゃないだろうか・・・。 ゼロにマイナスとつける意味がよくわからんなぁ。