基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

アンドロイドは電気羊の夢を見るか?/フィリップ・K・ディック

やべ、ひょっとして早くもディックの傑作から読んでしまったか? これを読んだあと、PKディック作品を読んで、まあ面白いけど、電気羊の方が面白いよね、なんていう結果になったりしないだろうか? ていうかPKディックって略すとどうしてもPKサンダーを思い出しちゃってどうにもいかんね。

流れよわが涙と違い、あまり神林長平と似ている、とは感じなかった。流れよ我が涙は、特に警察の書き方、プラスセリフ回しがよく似ていると感じた。今回話の中核を担っているアンドロイドも、神林長平は一度ならず書いているが、まったくの別物という印象が強い。やはり何を書き表そうとしているかの違いが、根本的な違いとなって表れているのだろう。出発点が同じでも到着点が同じとは限らない。

タイトルの、アンドロイドは電気羊の夢を見るか? だが、最初はアンドロイドは夢を見ないという設定でもあるのかと思っていたが、どうも違うようだ。アンドロイドは電気羊を飼いたいという将来の欲求を持つだろうか?という意味だと受け取ったのだが、違うかもしれない。
また、SF的ギミックがあふれかえっている。基本的に、ギミックや細かい設定、世界描写には興味がないのだが、しょっぱなから出てくるムードオルガンを筆頭に、共感、動物がほとんど絶滅してしまった世界では、生きている動物を飼う事がステータスになる、などといった設定には大いに心惹かれる。

レッシュが俺に検査をしろ、と申し出て、拒否されたことによって自分がアンドロイドかどうか自問し始める一連の流れは鳥肌が立つほど真に迫っていて、感情が乗り移ってくるかのようだ。必死にリスを触っているときに感じる心の動きを説明して、自分で自分を納得させようとしている場面が、特にすばらしい。犬でさえも人間の中で暮らし続けていると、自分も人間なのだと勘違いすることがあるというし、人間だと思いこんでいながら実はアンドロイドだったという事も、もちろんあるだろう(本書の場合記憶の入れ替えという行為によって行われているが)アンドロイドという事を誰にも明かさずに、人間の中で生活し続けたらあるいは自分さえもだませるかもしれない。

この世界の未来は容易に想像できるな。人間とまるっきり、まったく見分けのつかないアンドロイドが出来上がるだろう。そうなってから、はじめてアンドロイドと人間の倫理と道徳について協議が行われるだろう。いつになっても人は倫理と道徳について語り合うのではないか。今だって、科学の進歩に倫理感がついていっていない。なにしろ本当にその問題を考える事が出来るのは、実際に問題に直面している人間だけだ。本書でいえばリックやらレッシュやらのハンターだけである。倫理的問題の、一番の問題は真面目に考えることもできない一般大衆さえも考慮した結果にしなければいけないからではないか。

その次におこることは、人間を超えたアンドロイドが生まれることではないか。科学の進歩は止めることができない、というような内容の発言をしたのは誰だったか。なんにしろ進化し続けるだろう、止まる事を知らずに、そうなってはじめて、アンドロイドは人間を支配するというのが、たった一つの未来、というような気がする。

解説に書かれている、本書のアンドロイドは我々の住む世界の、迫害された人間をなぞらえているものに他ならない、などといった作中のものを現実世界にあてはめて考えるという行為が大嫌いなのだが(たぶん、作者が言っているならともかく、他人がえらそうに解説しているのが気に喰わないだけだ。実際作者が書いた事を全部理解出来るのは、作者だけだ。あるいは作者さえも理解できていないかもしれないが。他の人間がいくら頑張ろうが作品を五十%も理解しているかどうかあやしい、と自分は考えている)、この部分だけは、その通りかもしれないと納得してしまった。

 ディックにとって、アンドロイドとは、内面的に疎外された人間──つまり、分裂病その他なんに限らず、現実の世界(人間的な関わりあいと感じた方の世界)に接触できなくて、内に閉じこもり、機械的な生活を送っている人間──の象徴なのだ。
                ──アンガス・テイラー

分裂病という部分はなるほど、と思った。PKディックが精神病に長いことかかっていた、という情報を知っていたからかもしれない。

この世界での、アンドロイドが存在しているのは良い事か悪い事かの判定は、ピンボケであるイジドアに託されていたのではないか。余計な概念に惑わされない、偏見にこりかたまった大人とはまた違った、いい意味でも悪い意味でも純粋な視点がイジドアにあったのでは。イジドアは途中までアンドロイドに尽くしていたが、アンドロイドには感情が無い事に気づきショックを受ける。その直後にリックが現れたからよかったようなものの、ショックを受ける前にリックがきたら身体を張ってアンドロイド達を守ったかもしれない。
そうなっていたら結末はまた違ったものになっていたのではないかと思うと面白い。
考えてみるに、言うほどイジドアも純粋ではなかったか? アームガードが言ったように、イジドアがアンドロイド達をかくまったのは単純に、イジドア自身も迫害を受けていたのであって、同じような立場にあるアンドロイトド達を仲間だと思い好いていただけだったのかもしれない。が、心情描写を見るにただ、一緒にいてくれるのがうれしくてという風にもとれる。まぁわからん。

物語は一見ハッピーエンドで終わるが、単純なハッピーエンドとはいえないだろう。それは実際に起きた出来事を並べてみてもそうだ。確かにリックは六人のアンドロイドを狩り、6000ドルを手にして、平和な日常を取り戻したが、その6000ドルは山羊を買うのに費やされ、殺されてしまった。妻はいっけん優しくなったが、本質的な部分が変わったとは到底思えない、一時的なものとしか・・・。恐らくまたもとのヒステリックなバカ女に戻るだろう、そしてリックは離婚を考えるかもしれない。それだけにとどまらずリックはこれから先アンドロイドを殺すたびに罪悪感を抱くだろう。それだけの苦労の後に手に入れたものは束の間の平和と、電気ヒキガエルだけだ。だが問題はそんなところにはないのだろう。精神的な変化は、金には変えることのできないプラスだったのかもしれないし。ただ、このラストは切ない。日常への回帰、主人公はもういいおっさんだが、成長したな。