基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

死にぞこないの青/乙一

人生はつねに複雑である。
複雑なる人生を簡単にするものは暴力よりほかにあるはずはない。
    ──芥川龍之介

私は暴力に対してひとつの武器しか持っていない。
それは暴力だ。
──サルトル

再読だが、内容を全く覚えていなかったのでほとんど一回目と大差ない。たしかに面白かったのだが、なんだかみょうに計算という言葉を意識してしまって純粋に楽しめなかったような気がする。たとえばわざわざアオを出現させたのはそっちの方が簡単だったからじゃないか、とか。羽田先生のキャラクター、新しい女の先生、どいつもこいつも教訓を教え込むために与えられた役割を演じるための人格があるだけで、深いところまではいっていけない。ミチオも、イジメられはじめた、いつも親しい友達でさえ離れて行ってしまうんだという教訓、そのためだけに存在している。わかりやすいのは確かなのだがわかりやすいだけだ。

なんでイジメなんかしたんだという少年の問いに「怖かったんだ・・・」とか言っちゃう羽田先生にはまったく失望したし、「がんばってる結果がこれなんだから、しょうがないでしょ」とかいっちゃう女の先生にも失望した。みんなは僕につらくあたるけれど、ほんとはみんないいひとなんだ、とかいっちゃう少年には失望を通り越して怒りすら抱いた。だがそういった少年の対の部分として、アオがいるのだからそれでいいのだろう。空の境界を思い出す。自分が書いた失望した点を全部改良したらどうなるんだ? 羽田先生は心の底からお前が憎かったからだよバーカ! と叫び、女の先生はドジっこを演出しているんだよバーカ!と叫び、少年はあいつらみんなうぜぇ死ね! と叫ぶ。 なんて最高な小説なのだろうか。求めているものはそれだ。どいつもこいつも負の感情をむき出しにして相手をののしりまくる世界が欲しいのだ。こんなあまりに予定調和の平和な世界はどうにも好きになれん。

かといって心理描写がゴミみたいかっていうとそうでもないんだよなぁ。少年がイジメられて、家で震えていたり吐き気がもよおしてきたり、母親が電話している相手が先生じゃないかと常に怯えているなんていうのは物凄く伝わってくる。羽田先生が陥っていくところは、地の文で心理描写されていないにもかかわらず行動で伝わってくるしでまったく素晴らしい。心理描写ではかゆいところに手が届く感じですばらしい。


教訓は、誰だって恐怖を発端にしてひどいことをするのだ、というまぁ別にあえて否定するような大層なものでもない。やはり理不尽に立ち向かう話は読んでいて燃えるものがあるのはたしかだ。やられたらやられっぱなしなのじゃなくて、自分を守るために相手を殺す覚悟を持つというその展開はやはり乙一らしく、文句が付けられない。結局暴力で解決するしかないのか? とも言いたくなるがサルトルも芥川もいっているように、暴力的な行為に対抗するためには暴力を使うしかないわけで。そういう意味じゃ邪魔だから殺そうっていうのはある意味究極のやり方である。メリットがでかいかわりにリターンもでかい。だが、そうやって邪魔ものを次々と消していったら独裁者スイッチじゃないけど、地球に人間がいなくなってしまうのが面白い所であってその辺はどうなんだろうね? 相手を殺して、たとえ懲役を食らおうが相手を殺せるのならばそれぐらいなんてことないね、っていう場合だった堂々と殺せばいいさ。あ、自分に関係ない人間でお願いします。