基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

ストーカー/A&B・ストルガツキー

 きみは悪から善をつくるべきだ、
 それ以外に方法がないのだから。
                             ロバート・P・ウォーレン

これを読み始めたのと同時に、同名のゲームのプレイ動画をみはじめて、なんか設定が似てるなぁ・・・まぁ同じ文字の意味だから似たような内容になっちまうのは仕方ないのかなぁ・・・とかふにおちない感じで見ていたのだが、原作扱いだったようで。さもありなんという感じである。日本英語だと単純に厭な意味なのだが、英語だと獲物に忍び寄る者、という意味らしい。自分は探求者と似たような意味だと思っていたのだが、全然違った。

内容は素晴らしいという他ない。一文一文の情報量が多くて、流し読みしながらだと物語が全然頭に入ってこない。一つ一つの描写が驚くほど的確で、まるで目に見えてくるようだ。さらには考え方に非常に感化される。シンプルにファースト・コンタクトテーマのSFと判子を押されているがそれだけでは全然ないのだ。少なくとも生涯正直ではあった男が、ありとあらゆるあやふやなめんどくさい概念にケリをつけて終わる。これを真剣に読んだ人間ならば、誰もが最後の場面に対する絶賛は惜しまないだろう。

この小説の死のイメージもやはり走馬灯なのである。色んな人のいろんな作品を読んだけれど、死のイメージはだれもかれも今まで歩んできた道が表示されるものなのだ。そう考えると死とは生そのものであると言える。生のうちに生の限界はあらわれないなんていう難しい問題ではなく死が生であるというのを難しい書物からではなく、幾つものただの小説、物語から受け取ったことに何か意味があるのではないかとそんな気がする。

冒頭の引用文からもわかるように、善悪の物語でもあるのだが、善悪とたんたんと論じているわけではない。人生を書けば自然と善悪と、その他もろもろ決着のつかないあらゆる問題が浮き上がってくるものなのだ。善悪なんてわかんねぇ、俺は何で生まれてきたんだ? そんなの知るかよ勝手に生まれてきたんだよ。と次々と哲学的な問題をわかんねぇわかんねぇと言いながら突き進み、何でも願い事を叶えてやるというドラゴンボール的なものに向かって俺の魂を見ろ! と叫び、すべてのものに幸福を! といって終わる。

いろいろな読み方が出来る小説であることは間違いが無いことだ。いや、それはどの小説についてもいえることだが、特にこのストーカーにおいて根強いのは、どの読み方もあっているような気がするところである。解説で異常な状況のもとで、人がいかに人間らしく生きられるかを問う物語でもあるといえると書いている。確かにそうとも言えるし、そうでないとは決していえないのだろう。

危険な場所にもぐって、命がけで価値あるものを取ってくるという単純な構図は、寝慣れたベッドですやすや眠っているかのような安心感を与えてくれる。その終着点が何でも願いの叶う黄金の玉だというのも興味深い。まるで冒険譚のテンプレートのようなあらすじではないか。実際読んでみるとそう単純にはいかないのだが、人の欲望が渦巻いている。健康を求めるものがいれば、特に何も求めずに、日々のつまらない問題に追われている人間もいる。飯がまずいだとか金がないだとかだ。最終的に泥まみれになりながら、黄金の玉にたどり着いた主人公が願った事はさっきも書いたようにすべてのものに幸福を! だったわけだが単純に幸福を願っていたわけではあるまい、と思っている。誰もが幸福になることは何よりつらいことだ、という前提の元で、それでもすべての人類に対する幸福を求めざるを得ない、考えることをやめた魂の根源にあるものを吐きだしたら出てきてしまったというような終わり方ではないか。