基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

ライ麦畑でつかまえて/J.D.サリンジャー

ライ麦畑でつかまえて (白水Uブックス)

ライ麦畑でつかまえて (白水Uブックス)

 いやいや、参ったねこの小説には。何しろわけがわからないのに面白いんだから。冷静に考えたら面白いところが分析できそうな気がするんだけれども、やりたくないんだよね。そんなこと野暮っていうか、うむまあよくわからん。ただの逃げのような気もするし、何か深いことをいっているような感覚でもあるわけよね。たぶんただの逃げなのだろうけど。読み始めた時はこのうざったい鼻につく文体で最後までいくんかいな…!? とびびって、あとの方を読んでみたりしたけれど、どうもこのままずっとこの調子らしいと知った時は読む気をなくした。勿論最初だけの話であって、100ページを超えたあたりからは本を閉じてもホールデン君の語りが頭の中で繰り返されるんだよな。というか、本の中からホールデン君が自分の頭の中に移住してきたんじゃないかっていうぐらい語りかけてくるわけですよ。あのうざったい語り口調で。これには参った。しかしそれがなにを意味するかっていったら癖になるんだよな。サリンジャーの文体全部言える事だけれどとても特殊だ。

 面白いか面白くないか別にどうってことないかっていったらそりゃあもう文句なしに面白いんだな、これが。いやもうほんとに、これを超える作品ってのはそんなにないのではないかな。といっても何かと比較しないと超える超えないって概念が生まれてこないわけだけれども、何と比較するかってのがまた難しい。ナイン・ストーリーズと比較するのは何かが間違っているような気がする。本音を言えば比較なんてしたくない。個人的にどちらも素晴らしい作品なのだ。サリンジャーの作品には「突然」何かしたくなった、そういうことが多い。または終わり方が多い。ナイン・ストーリーズの作品たちでもその傾向は顕著だと思う。バナナフィッシュにうってつけの日の自殺や、エズメに捧ぐのような突然溢れてくる涙など理由は明確にその場では示されない。たとえばこの本でいえば

 突然、とても幸福な気持ちになったんだ。本当を言うと、大声で叫びだしたいぐらいだったな。それほど幸福な気持ちだったんだ。なぜだか、それはわかんない。ただ、フィービーが、ブルーのオーバーやなんかを着て、ぐるぐる、ぐるぐる、回りつづけてる姿が、無性にきれいに見えただけだ。全く、あれは君にも見せたかったよ。

 まあどれもこれもなんとなくわからんでもないっていうところがミソなんだと思うわけである。あくまで個人的に。たとえばこの場面でいえば、現実との軋轢に疲れきったホールデン少年が、無邪気に回転木馬で遊ぶフィービーの楽しそうな様子を見たら幸福な気持ちになっちまうだろうなっていうことも想像できるんだよな。実際はどうだかわからないんだけどさ。

 この本がどういう本かっていうのが、読み終わった後もさっぱりわかrない。特に筋という筋があるわけでもないし、オチをいったからどうなるっていう話でもない。とても語りづらい。語ることならばたくさんあるのだが、どれもこれもとりとめのない話ばかり。思いつくままに書いて行ってみるか。

 まずホールデン少年が寮生活をしているところから始まるのだが、これがまた読んでいるだけで怖気がふるうような寮で、とてもこんな寮生活は送れないだろうなとう寮なのだ。こんなの別に感じやすいホールデン少年じゃなくたってもう嫌だと飛び出していきそうなものだが、これは日本人だからかもしれない。

 重要な場面の一つに、崖から転がり落ちそうな子供のつかまえ役になりたいと独白するところがある。何だかこういう話を読んでいると、作者の理想の子供ってな感じでホールデンを書いているのではないかと勘ぐってしまう。そもそもサリンジャーの話の一つにこんなものがある(実を言うとどこで聞いたのか覚えてないのだが)。もう子供だけしか信じられない! というようなことをいって、隠遁して、子供たちを相手に暮らしていたがその子供に裏切られる(確かテレビクルーに居場所を告げたとかそんな感じだったような)。そのことに絶望してもう誰も信じられない! とばかりに隠遁してしまう。このことから考えると、このつかまえ役というのがサリンジャーのやりたいことだったのではないかなと思ってしまう。

 しかし崖から落ちそうな子供のつかまえ役になりたいといっておきながら、終盤では

 子供ってものは、かりに金色の輪なら輪を掴もうとしたときには、それをやらせておくより仕方なくて、なんにも言っちゃいけないんだ。落ちるときには落ちるんだけど、なんかいっちゃいけないんだ。

 さっきの話とは矛盾している。これはもしやホールデン少年の成長を表しているのでは、と勘ぐったりはしてみるものの、やはり違うかなーと。何しろ崖から落ちたら死んじゃうからね。そりゃあ落ちるときには落ちる、それを見ているのもいいけれど、死んでしまうような落ち方なら止めなければならないからな。息子が今にも殺されようとしているのに平然とみていた独歩なんかはあれはひどい男だよ。普通は死にそうだったらとめるもの。

 とにかくこの話の中で重要な役割を担っているフィービーの話にうつろうと思う。彼女が出てきてからこの物語には救いが生まれたのだ。何しろここまでのホールデンといったら列挙するのもつらいほど運が悪い男だったのだ。それがフィービーが受け入れることによってどれだけホールデンが救われたか、ついでに読者が救われたことか。この場面にフィービーのすばらしさがよく出ている。

 それから僕はレコードのことを話したんだ。「あのね、君にレコードを一枚買ってあげたんだよ」そう僕は言った。「ただね、うちへ来る途中で、そいつをこわしちゃったんだ」そういって、僕は、例のかけらをオーバーのポケットから取り出して彼女に見せたんだ。「酔っぱらってたんでね」
 「そのかけらをちょうだい」と、彼女は言った。「あたし、しまっておくわ」そう言って彼女は僕の手からそのかけらを受け取ると、それをナイト・テーブルの引き出しの中にしまったんだ。彼女には、僕も参るんだな。

 ほんとに平然と、何の迷いもためらいもなくゴミをとっておこうとする精神に泣けるわけだ。普通はちょっと迷う。え、とかあ、とか。好きな場面は3つほどあるが、その中でもこれは単純で凄い。ちなみにあとの二つは、ホールデン少年が公園で僕が死んだらみんなどうするかなあと想像する場面。もう一つは言うまでもなく最後の回転木馬の場面である。

 ホールデン少年の言いたい事は凄くよくわかる。世の中間違ったことだらけで、人間はウソばっかり言うしくだらない人間はいっぱいいるしとにかく世の中くだらないもので満ち溢れている。しかしだからといって共感はできない。しかも凄く共感できない。何か自分とは別の物を見ているような気がする。ホールデン少年を見ると、物語というものを強く意識させられる。詳しい事はあまり考えたくないんだな。何でか知らないけど。いやほんとに参った。内容が支離滅裂にもほどがある。まあしょうがないだろう。文章もかなりライ麦畑に引き込まれているようなちぐはぐな文章になってしまっているし、次にはなおっていることを祈ろう。最初の方でも書いたけれど、頭の中にホールデン少年が引っ越してきたような状態なのでちょっと頭がまずいのである。