基本読書

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われらが歌う時/リチャード・パワーズ

われらが歌う時 上

われらが歌う時 上

 読み終わった時に怒りさえ覚えた。こんな傑作を読んでしまって、次にいったいどんな本を読めば満足できるというのか。読んでいる間はまるで人生を追体験しているかのような感覚を覚え、最後には「生き切った」とでもいうような、凄まじい虚脱感に襲われる。長大な物語で、上下巻合わせて読み終えるまでに十一時間程かかったがそれだけの時間を費やす価値があったどころか、時間以上の衝撃やら感動やらを手に入れたのには間違いない。物理学、音楽、黒人と白人、家族、全部一緒くたにしてごちゃまぜにして全てを並列化して同時に存在させている。「今」がどこにもないのと同じように、この作品の始まりも終わりもどこにもなく、始まりは終わりに直結している。

 赤ちゃんは何になるのかと私が尋ねる。どういう意味? と両親が尋ねる。男の子か、女の子かって聞きたいの? それは生まれてみるまで誰にも分からない、と両親は言う。でも、すでに決まっているんでしょ? と私は言う。
 もちろん。両親は笑う。けどね、覗き見するわけにはいかないんだよ。生まれてくるまで待つしかないんだよ。

 始まった瞬間に終わりは決定されている。未来は決定されてしまっているが、覗き見するわけにはいかない。これが物理学と並行するようにして語られていくのであるが、それがまた巧妙。構成力のなせる技だ。父はまだ見ぬ孫のために、過去からメッセージを送りつける場面など、今までのすべてが繋がってくる感覚に圧倒されてしまった。今はまだわからないことでも、未来にはわかるようになる。すべてはそこに収束している。人生を追体験するかのような感覚を覚えると書いたけれど、何故だろうか。普通は集中して本を読むというと、時間を忘れて読みふけったとかが定番の文句だが、読んでいて感じたのは時間が引き延ばされる感覚だった。事故遭う直前に、時間が引き延ばされたように感じるような感覚を、本を読むことで体験していたのだ。本来であれば脳がピンチだからと判断して、強制的に行う手段であるはずのそれをパワーズによって操作されていた。その圧倒的な集中力でもって物語に引きずり込まされていたのだ。そんな事が出来る作家を、他に知らない。

 人種差別問題やら、キング牧師の演説を今まで多少なりとも知っていると思っていたが恥ずかしい話だった。何にもわかっちゃいなかったのだ。キング牧師の演説が持っている意味とか、差別問題に付随する様々な事件が持っていた意味など、どれ一つとして真面目に受け止めていなかった。またこの問題は、何も黒か白かという単純な問題で終わるのではなく、差別全般の問題にかかっている。世の中差別で満ち溢れているが、それに対する答えがこの作品の核でもある。

 ルースは息子の上にかがみ込むと、言ってしまおうとする。「惑星の数よりもたくさんの波長があるの」彼女の声は偏在しつつも、音程はしっかりしている。「どの方角に望遠鏡を向けても、必ず違った波長を見つけることができるのよ」

 波長は色のようなものだ。色を超えるのではなく、色の中へ。何もかもがこの世の中には偏在している。想像できることは全て存在している。何もかも、デイヴィッドは承知していたのだ。科学者は未来を想定して仕事をすることができる。この場面の美しさ、それからラストは、なにものにも代えがたい感動を巻き起こす。このラストはなんなんだしかし! それにしてもベタな展開も使えるんだなぁと思ったところがあった。ジョナとジョーイのおじいさんが、二人の活躍を切り抜きにして隠し持っていたところとかベタだなぁと思いながらも泣かざるを得ない。

 読み終わって興奮し、いてもたってもいられなくなって友人に勧めた時にこう聞かれた。で、その作品が最終的に言いたかったことは何なの? まるでそれがわかっていないとお前はその作品を理解したことにはならないし、それがわかったうえでないとどんな作品だって読む気にはならないとでも言っているかのようだ。答える事はできなかった。上で書いたように、波長の話をしてやればよかったのかもしれない。だがしかし、五人の家族の人生を書いた本に対して、それを最終的に言いたかったことなんていう単純なものに還元できるものだろうか。人生を生き切った人に対して、あなたの人生が言いたかったことは結局なんなの? と聞かれて一言で答えられる人がいるだろうか。何かが正しいとか正しくないとか、そういう話ではないのではないか。ラスト50ページを読んだら、もはや何も言葉はいらないはずだ。それはどんな小説なの? と聞かれたらこれは返答に困る。ただ一言、凄い小説だよと返すしかない。

 音楽家にとって最高の一瞬というのは、演奏し終わって拍手が始まるまでの沈黙、余韻、とにかく引ききった後のあの世界が停止したような感覚は味わってみなければわからないだろう。あの一瞬が長く続く程、音楽は素晴らしいものとなって回想される。本書を読み終えたときも、まるで演奏を終えたかのような沈黙の余韻にひたることができた。良い音楽が何年たっても愛されていくように、本書も、これから先多くの読者を巻き込んで愛されていくだろう。