基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

祈りの海/グレッグ・イーガン

祈りの海 (ハヤカワ文庫SF)

祈りの海 (ハヤカワ文庫SF)

 どれもこれも傑作短編揃いでほんともうどうしようもない。さすがにしあわせの理由をすでに読んでいたので、衝撃は幾分落ちた感じがあるもののそれで面白さが少しでも減じるわけではない。お気に入りの短編は毎日日替わりで別々の人間の意識に憑依してしまう男を書いた「貸金庫」他に「ミトコンドリア・イヴ」表題作の「祈りの海」ミトコンドリア・イヴも祈りの海も、結末に至るまでの過程が多少退屈だったが終わり方の素晴らしさにひかれる。どうしても短編というと、オチの爽快感重視になってしまう傾向がある。同様に貸金庫の終わり方も見事という他ない。とにかくいろんな設定がありながら、それでいてイーガンという強烈な核によってすべてが繋がっている感覚がたまらない。

貸金庫

 ありふれた夢を見た。わたしに名前がある、という夢を。ひとつの名前が、変わることなく、死ぬまで自分のものでありつづける。それがなんという名前かはわからないが、そんなことは問題ではない。名前があるとわかれば、それだけでじゅうぶんだ。

 日替わりで意識が人を移動する話。この短編は上の言葉で始まり、そして同じ言葉で終わる。当然読み始める前と読み終わった後で言葉から受ける印象は全く違ったものになる。確か一番最初に読んだときはこれから始まる未知の世界へのわくわくと、この文章の調子が完全に気に入ってどきどきしていたのだが最後にこの言葉を読んでみれば切ないとかそういった方向に変わっていた。読後感が最高である。

 それにしても日替わりで意識が移るというのは、移らなければいけない方も不幸だが移られる方も凄く不幸だよなあ。しかも移られる方はどうやら自分がたまに誰かに乗っ取られることを知っているみたいだし。移る候補は1億人もいるわけじゃなくて、100人ぐらいしかいないのだから100人の集合的無意識といえなくもない。というかある意味100人合わせて1人と数えた方がいいだろう。敵に回したらこれほど恐ろしいやつもあるまい。何人殺しても次のこいつが現れるのだから、それこそ無限の暗殺者である。そういえば自殺を考えたが、自分が死んでも次の自分に移るだけだから無駄だ・・・といって嘆く場面があった。だったらどんどん自殺して100人全員殺してしまって次がなくなれば自然消滅するのでは? と思ったがよく考えたら自分一人を殺すためだけに百人以上を道連れにしなくてはいけないわけで、並の精神力じゃできそうにない。

ぼくになることを

 そこはかとなく飛浩隆。まあコピーという話題が出てきただけで飛浩隆と結びつけていたら際限なくなってしまうけれど。まあでも乗っ取りとかそういう方面の話題になっていたから勝手に結びつけていたのかも知れぬ。短編に関して言えば、イーガンスタンダードとでもいうような真っ向イーガン。ストレートイーガン、ただし160km! みたいな! あまりにもまっすぐすぎて特に書くことが思い浮かばない。面白かった。

百光年ダイアリー

 未来日記。もしくはプッチ神父が夢見た世界。未来のことが日記で送られてくる。

たとえば5年後の未来、何が起こるか?
人類全員がそれを知っている。
『加速した時』の旅で、自分がいつ事故にあい、いつ病気になり、
いつ寿命が尽きるのか?すでに体験してここに来た。
人といつ出会い…そして別れるか?
戦争がいつ起こり、時代がいつ変わるのか?
自分が誰を恋し、誰を憎むのか?
自分はいつ子供を産み、子はどんな成長をするのか?
誰が犯罪を犯し、誰が発明や芸術を生むのか?
頭脳や肉体ではなく、精神がそれを体験して覚えて知っているのだ!

そしてそれこそ『幸福』であるッ!
独りではなく、全員が未来を「覚悟」できるからだッ!
「覚悟した者」は「幸福」であるッ!
悪い出来事の未来も知る事は「絶望」と思うだろうが、逆だッ!
明日「死ぬ」とわかっていても、「覚悟」があるから幸福なんだ!
「覚悟」は「絶望」を吹き飛ばすからだッ!   ──ジョジョの奇妙な冒険第六部より、プッチ神父

 プッチ神父に力説されると本当にそれが幸福のような気がしてくるなあ・・・。プッチ神父は全人類が未来に起こることを知っているという条件で話をしているがこの短編の場合、未来の自分が過去の自分にウソをつくことができるので完全に同じではない。この短編の世界では、未来に悲惨なことが起こるとわかった人間は明るく受け入れる人もいれば、救いを求める人もいるしこんな運命は認めないと騒ぐやつにわかれることになる。幸福か不幸かは正直よくわからないが、ただひとついえることがある。それは歴史の授業が今まで以上に、あるいは異常にめんどうくさくなることだ。ただでさえ人類の歴史が伸びるごとに歴史の分量が増えていくというのに、そのうえ未来までわかってしまったら多分未来も勉強しなくてはならないだろう。過去日本史、過去世界史、未来日本史、未来世界史とか、歴史だけで四科目になってしまうじゃないか! そんな未来はごめんだ!

誘拐

 何だこのイーガン版オレオレ詐欺は・・・とげらげら笑っていたら最後はやっぱりイーガン風になってびっくりした。何でオレオレ詐欺がこんな他者とは、アイデンティティとは、コピーとは、なんていういつもの話題にシフトしているんだ。心底びっくりしたぞ。コピーなんか絶対に作らないからねっ! コピーを作らせたいなら私の納得のいくちゃんとした理由をきかせろ! と怒る妻にむかってなぜなら私は君を失いたくないからだ、とか答える(口にはださないけど)のはやっぱり卑怯だよなあ。

ミトコンドリア・イヴ

 人類の遺伝子を何万年も前まで遡っていけば最終的にアダムとイヴにたどり着くんじゃね? 的な発想を頑張ってやる人の物語。それに付随して人類とは何か、みたいなでかい話題になっていく。元が一人だったのなら世界の統一になるだろうとか。文字通り人類みな兄弟。物語の大枠はとてもイーガンっぽいのだけれども(発想がいきなり人類の問題になっちゃうところとか)中身はイーガンっぽくない気がする。内容もほとんどミトコンドリア・イヴとは何か、とかそれがもたらす効果についてしか書かれていない。それゆえに終盤までちょっと退屈だったけれど、最後の数ページは主張が存分に表れていて気持ちが良い。短編でしかできないよね・・。

 「シンボルなんてみんな燃やしてしまえ!」ぼくは叫んだ。「男性も女性も、民族主義も全地球主義も。父祖の地も、地母神も、捨てるんだ──そのとき『幼年期の終り』が来る。先祖を冒瀆しろ、''いとこ''なんて糞喰らえ──自分が正しいと思ったことをするがいい、どうせそれは正しいんだから!」

 今までどちらかといえばおとなしい、こんなビックリマークをつけながら喋る人間じゃなかったのに突然の豹変でカタルシスが凄い。人と人が争う理由が何かっていったらそれは個々人の違いでしかない。宗教の違い、民族の違い、肌の色の違い、今までの戦いの全部はその違いが生み出したものといっていいだろう。何しろ誰一人として同じ人間なんていないんだから、どうとでもこじつけができる。仮に男も女も民族主義やら何までをなくしたって、考え方の違いで争いは起きるだろう。だったら本当に争いが起きなくなるのはみんな同じ形になって同じ考え方をするときになった時だろうなー、こえー。

無限の暗殺者

 途中まで頑張って理解しようとしていたおかげで大枠はつかめたけど細かいところがよくわかっていない。最後の部分の説明がよくわからんのだが、超平行世界では全ての可能性が存在している?平行世界に存在するすべてのターゲットを主人公がおっかけて殺そうとするが・・というストーリーで電気羊は夢を見るかを少しだけ連想したがやっぱりいつものようにアイデンティティについての短編だった。平行世界といっても失敗する自分と成功する自分がいる。その時は成功した自分が「わたし」なのだ、というのが最初のアイデンティティの取り決め。死んでしまったのは他人。じゃあ任務に成功も失敗しなかった俺はなんやねん・・・と絶望して、辿り着いた結論が

 ありとあらゆるかたちでわたしが生き、そして死ぬだろうというときに、わたしが引きかえさないことで、恥辱にまみれずにすむ者、それこそが──
 わたしというものだ、と。

祈りの海

 これもまた最後の方まであまり楽しめなかった。一人称の主人公が宗教について語るところとか、まるで自分が現実で宗教の勧誘を受けているかのようなうざったさ。それでも最期、すべてが偽りだったと気が付いてからの悟りっぷりは気持ちが良い。たとえ幸福感が偽りのもので、自分が楽しいとか、悲しいとか感じている感情が偽りのものだったとしてもそれが偽りのものだと自分が認識しているのだったらその人は自由だ! とね。いつもの結論だけれど、それがまた良し・・・。