基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

夏の涯ての島/イアン・R・マクラウド

夏の涯ての島 (プラチナ・ファンタジイ)

夏の涯ての島 (プラチナ・ファンタジイ)

 グレッグ・イーガンと肩を並べる存在と呼ばれているので期待して読み始めたのだが期待にたがわぬ密度の濃さである。グレッグ・イーガンが論理の刃でこっちをバラバラにしようと迫ってくるイメージだがイアン・R・マクラウドの作品はまるで包み込むような詩的な世界で、読んでいてその美しい描写にため息が出てきそうだ。まったく別の作風を持った二人ながらも、ある意味極致とでもいうような行き過ぎた感が共通している。七つの短編が入っているが、そのどれもが単純にSFというよりはSFファンタジー、もしくはそれを二つ合わせてごちゃまぜにしたようなものである。SF的要素もたくさんあるけれど、そのどれもがギミックの一つというか、背景として存在しているだけである。イアン・R・マクラウドのインタビューでも、SFとファンタジーならご自分の作品はどっちより? という質問に対して、SFとかファンタジーとかそういうのは無意味だ! 区別なんかしない方がいい! と答えているし(たぶん、英語だから不安)参考:インタビュー(英語)

 解説でほとんどの作品に愛が盛り込まれているが、甘ったるさが感じられないと書かれている。愛が書かれている反面、その時には常に孤独の影が付きまとっているので甘ったるさが感じないのではないかと思った。出会ったその瞬間、恋に落ちたその瞬間にも常に別離の展開を予想させるのだ。現にこの七編の中でも、短編でありながらも出会い、そして別れが見事に書かれている。「わが家のサッカーボール」だけはちょっと違うかな? 誰だって出会った瞬間から別れは決定しているものであるが、実感をもって一秒一秒を大切に生きる事はなかなか難しい、そういうものをちゃんと書けるのがイアン・R・マクラウドの凄さなのではないかと思うのだ。

 またインタビューには作品と書くときに焦点を当てているのはキャラクターや物語というよりも、世界だと答えている。七つの短編、うち二つは同じ世界だがどの世界も非常に美しいし、物悲しい。作者が言っていたからというわけではないが、読む時はキャラクターがどうとかいうよりも、世界がキャラクターや物語に与える影響に注目した方が読みやすいだろう。この焦点がずれることによって何だか異常に読みにくくなると感じた。個人的に気に入ったのは人が変身能力を持っている世界を書いた「わが家のサッカーボール」それから薬で自分の身体を自由に変えることができるようになった世界「ドレイクの方程式に新しい光を」この二つを読んでいると作者は変化にたいして何かあんのかなーとか、想像してしまう。それからなんなのかよくわからないが何かをたくさん象徴していそうな「転落のイザベル」の三つである。「わが家のサッカーボール」が多分一番わかりやすくて読みやすくてエンタメしてるよなあ。