基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

真夏のオリオンの試写会に行って来た。

まずはあらすじ

 日本人の手によって書かれた一枚の楽譜『真夏のオリオン』が、64年の時を経て今、あの夏のすべてを語り始めた…。1945年8月14日 第二次世界大戦・終戦前前夜─太平洋。巨大戦力を誇るアメリカ駆逐艦に日本最後の希望「イ-77潜水艦」が挑む。海上の知将vs海中の天才。知力の限りをつくした究極の攻防戦が今、始まる!

監修・脚色 福井晴敏

 監修・脚色が福井晴敏ということで観に行って来た。終戦のローレライは、実は視聴していない。原作に思い入れがある身からしてみれば、どれだけ良く出来ていようともがっかりすることは目に見えていたので。そしてわざわざ今回『真夏のオリオン』を見に行ったのは、原作を読んだ事がないからである。というかそもそも日本における戦争物が全く好きになれなくて、何を見ても白けてしまうのだ。そういった数々の困難を乗り越えて、見に行くほどの動力を福井晴敏監修・脚色、から分け与えてもらったわけである。 うーん…でもねえ…。正直いって終戦のローレライ以降の福井晴敏はなんだか色々やっているんだけど、どれもこれもなんかスカっているような気がしてならない。小説もばりばり書いているからいいのだけど。O.pローズダストもそんなでもなかったし。

で、どうだったの?

 これが難しい。正直いって突っ込みどころはたくさんあって、日本で戦争物、しかも潜水艦、なんてことをやるんだからそれはまあしょうがないんだけど。あと一番自分が変だなあと思ったところがあってね。まあそれは後で書くか。どう考えてもネタバレだし。うーん、とにかくいい所もたくさんあるんだけど、同じぐらいダメなところもいっぱいあってなんともいえない。潜水艦物の映画なんてほとんどないから、潜水艦が好きな人は見ればいいんじゃないかな? あと玉木宏が好きな人も、っていうぐらい。

潜水艦物の魅力はどこにある?

 潜水艦物のどこに魅力を感じるか? っていったら、戦闘中の緊張感なわけですよ。たとえば戦闘機同士の戦いだと、決着はかなり一瞬でついてしまう。歩兵戦闘でも同じで、一瞬で決着がつくということはない。これが潜水艦になると、敵が魚雷とか打ってくると探知できるわけ。距離500メートル! とかいってソナーで探知して、そんで船首上げろー!! とか艦長が死に物ぐるいで叫んでさ、
 距離400!
 間に合うか!?
 距離100!
 間に合わないか!!!?
 回避成功しました!
 みたいな。こういった緊張感がキモであって、もう一つのキモが、船同士の戦いって集団戦なんだよね。一つの艦に人間がいっぱいのってて、そんだけ人間がいたらいっぱいミスもあったりするんだけど、全員が本当に死にそうな顔してうおぉぉぉ取舵いっぱぁぁぁぁーい! って叫び人間がいたとおもったら横でソナーをひたすら読み上げてる人間がいて、魚雷を発射しようとして、発射できませぇぇぇーん! とか絶望的な声で叫んでいる人間もいるわけ。そういうね、人間がいっぱいいて、そのキャラクター達が非常に立っている場合凄い相乗効果を生んでこっちもうぉぉぉぉー! っていう気になるわけ。とにかく自分は、そういったところに潜水艦物を読んだり観たりする時は惹かれる。今回はポイントの1つ目は割と良かったんだけど、人間関係がもう全然わからない。あらすじだと海上の知将vs海中の天才なんて書かれているけど、ライバル関係にある相手なんてほとんど描写されないから感情移入しようがないし、味方側もエピソードが貧弱すぎてどうにもこうにも。いや、確かにエピソードはあるんだけど弱い。なんというか、こういう意図がある演出だったんだろうけど深読みしないと伝わってこない! てなところで。

なんでイタリア語なの?

 一応ネタバレ。あらすじにもあるとおりに、日本人の手によって書かれた楽譜『真夏のオリオン』というものが出てくる。それは主人公の玉木宏にあてて、恋人が書いてくれた楽譜で『何故か』イタリア語でタイトルと、メッセージが書いてある。これを玉木君は託されて潜水艦の中で読むんだけど、当然イタリア語だから読めないわけ。たまたま潜水艦の中に居合わせたエリート君に読んでもらって、内容を把握できたけど、そもそもなんでイタリア語で書いたの? っていうことが全然わからない。エリート君が潜水艦にいなかったら読まれないままだったよ! だって普通ラブレターとか書くときに、自分も相手も日本人なのに英語で書いたりしないじゃん。流水先生とかだったらやりかねないけど。凄く不思議だったなあ。