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工学部・水柿助教授の逡巡/森博嗣

工学部・水柿助教授の逡巡 (幻冬舎文庫)

工学部・水柿助教授の逡巡 (幻冬舎文庫)

あらすじでも

 最初にお断りをしておくが、この作品は小説である。さて、水柿君、この巻で予想どおりN大学工学部助教授のままミステリィ作家になる。きっかけはとくになく、なんとなく書き始めたら、すぐに書き上がった。それをミステリィ好きの妻、須摩子さんに見せたが、評価はあまり芳しくない。それで出版社に送ってみたら、なんと、本になることになり、その上、売れた! 時間があれば小説を書き続ける毎日、そして幾星霜、水柿君は、すっかり小説家らしくなったが……。

とりあえず感想から

 前回は水柿君が大学に就職し、スマコさんと結婚したあたりで終わった。そしてここからいよいよ(自分が)待望の水柿君小説家デビュー編である。さて、本作、まず最初にスマコさんとの長々とした会話の応酬から始まる、正直いって本書の楽しみといえばスマコさんの変人っぷりと、水柿君の変人っぷりであって、その二人が会話しているのだから面白さはスパークである。つかみはばっちりオーケー。主観的な面白さでいえば一巻の1.5倍程面白かった。どこに.5倍する要素があったのかといえば、まるっきり小説の世界に対して門外漢だった水柿君が驚く、小説的常識の数々である。

 例をあげよう。たとえば水柿君、小説家デビューした時に編集者から〜〜日までに書いてくださいませんか? といわれるのだが、律儀にちゃんと書きあげて渡す。とても無理なスケジュールだったが、無理をしてこなす。水柿君はほとんどの小説家がそんなにうまく締切を守るとは知らないのだ。それから出版社が経費を受け持つ取材旅行なるものがあるのだが、水柿君、小説を書くのにそんなものが必要だとは露ほども思っていなかった。他には、初めての講演会で、授業の講義では三分の一は寝ているのに何故こやつらは誰も寝ていない上に、こっちを食い入るように見つめてくるのじゃ…!? などなど。とにかくカルチャーショックの連続で、読んでいて非常に面白い。なんだろうこの感覚。例えて言うならば、はじめてのおつかい的な面白さだろうか?(この比喩は生まれながらにして期待されていない)

 それから何度も言うが、面白いのはスマコさんである。スマコさんが水柿君の小説にケチをつける場面があるのだが、その小説とは読者からしてみれば周知の『すべてはFになる』から始まるS&Mシリーズのことであって、ダメ出しをするたびに笑ってしまうのである。脇役の女の子が、でしゃばりすぎるとか。金持ちのお嬢様で美人で頭もいいってそんなやつがいるはずないとか。金持ちのお嬢様だったら殺人事件に首つっこんでないで、もっと男を侍らせて面白おかしく人生を楽しめばいいとか。げらげらげら、である。もっとだ、もっと笑わせてくれ。

出版への流れ

 1.送りつける
 それからなんといっても業界のあまり表舞台にあがらない部分が明らかにされるのが面白い。たとえば水柿君、とある賞に原稿を送りつけるのだが、これはもう周知のごとくメフィスト賞である。もちろん明言はされていない。メフィスト賞が他の各賞と違っている点はたくさんあるが、応募期間が決められていない持ち込みのような制度である点は中でも際立っている。そのおかげで、送りつけた後に反応が返ってくるのも早い。そう、まあそれで、メフィスト賞らしきものに水柿君は出来上ったものを送りつけた。

 2.電話がかかってくる。
 そう、突然電話がかかってくるのである。水柿君は当然とる。水柿君、のちにばんばん本を売る売れっ子になるので、この時点で編集者もダイヤを逃さないように必死である。本社は東京で、水柿君は名古屋。水柿君が自分で東京へ行くと言っているのに、頑として聞かず名古屋までいちもくさんにかけてくる。ダイヤともなればそれぐらいするのが当然である。のちに出版社に莫大な利益をもたらすのだから。

 3.打ち合わせをする。
 まあこの辺は適当に。がんがん話は進み、もうすぐに出版されてしまう。出してしまえばこっちのものである、という考えだろうか。それ以降水柿君は、言われるがままに小説を量産する驚異の小説家となって世の中に飛び立っていくのである(もちろん、小説家として世界に飛び立っていくと言って本当に飛び立っていったら変な人になってしまう)。まあそんな感じである。

一家に一人、水柿君。

 さて、水柿君の話をしよう。本当はもうちょっと別のことを書こうと思っていたのだが思ったより分量が増えてしまったので、次巻の感想に回そう。書こうと思っていたのは、森博嗣の捉えどころのなさ、みたいな内容である。ここに書いておかないとすぐに忘れてしまうのでメモっておく。どうせ誰も読んでないので、このブログ上ではやりたい放題である。どうでもいい前置きはそれぐらいにして、水柿君の驚異的なスペックについて本書ではさりげなく触れられている。

 わざわざさりげなく、と書いたのは水柿君がそれを驚異的な、つまり普通ではない、つまり尋常ではない(しつこい)能力だとは全く考えずに書いているからである。そう、水柿君という作家は、まるで自分ではなんてことない普通の人のように、常に自分を描写しているのだがそれはとんでもない誤解であって、とてつもない人間なのである。名言で色んな偉い人も言っているように、自分から実力を誇示するようなやつは三流だ。水柿君のようにさりげなく、いやらしく触れるのが正しいやり方である。

 水柿君の執筆速度、一時間におよそ六千文字。
 驚異的である。自分はこのブログ、大体三千文字ぐらいが適正であろうと思っている。それぐらいが、パっとみた時に美しい、と自分が考える量だからだ。正確にはかったことはないが三千文字書くのに自分の場合は、大体なんとか動画の作業用BGMを一つ聞き終わる。40分ぐらいのものが多いから、時速に換算すると五千文字ぐらいか。結構書いているが、別に何も考えずにタイピングしているだけなので当然といえる。とても同じ速度で小説は書けない。さて、一時間におよそ六千文字というと原稿用紙にすると二十枚程度。四百枚の長編ならば、二十時間でかけてしまう。つまり、突然ミステリィが読みたくなっても、一家に一人水柿君がいれば、二十時間後には面白いミステリィが読める。とっても便利である。

水柿くんはネタ切れしない。

 ネタが切れないそうである。うーん、たとえば小説家になりたくて、とっておきのネタをいくつかたくわえてから満を持して小説家になった人の場合。いくつかがいくつにもよるのだが、所詮有限であり、書いていればいつか無くなってしまう。もちろん無くならないぐらいたくさんのネタを持っている人もいて、その人は正真正銘、『凄い人』である。奈須きのことかね。

 そこは水柿君、昔から小説なんてほとんど読まないし、書くことに別段楽しみも感じていない。ネタのストックなんて皆無である。ネタ帳も持っていない。それでも突然書きはじめて、出版社に送りつけて賞をもらった。えらーい小説家の人たちが言う、小説家になる一番のやり方であるとにかくたくさん本を読むこと、という道からは真逆を突っ走っている。実際、普通の人が(普通の定義はまた今度)やるにはいいのかもしれないけれど、水柿くんには当てはまらない。

 水柿くんが言うには、ネタが最初からゼロ。つまり毎回ひねりださなければいけないので、ネタ切れになることがないのである。常にネタ切れ状態ともいえる。その状態でずっと書いてきたので、もう慣れたのだろう。誰にでも役に立つ方法かどうか知らないけれど、これがマスター出来て、一時間で六千文字書けたら水柿くんになれる・・・!