- 作者: 森博嗣
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2009/06/10
- メディア: 文庫
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さて、本書は、常に営業場所を変え、行くたびに別の女の子とご飯を食べるサービスを提供している料亭に大学教授が色々考えながら通う話です。『孤独』とは何なのか、といったところが主なテーマだと思われます。登場人物は極端に少なく、女の子も毎回別々、一期一会なので最初から最後まで出てくるのは視点主である大学教授と、不思議な料亭の存在感のない女将だけです。現実にも関わらず、とても幻想的、抽象的な話で他の森作品と近いものを挙げるならば『スカイ・クロラ』だと思います。
その料亭は拠点というものを持っていませんので、行こうと思った時には必ず予約を取ることになります。そうした後、車が迎えに来て、毎回別々の場所へ案内されます。そこでご飯と一緒に、女の子(これも毎回別々)が出てきて、その子と一緒に会話をしたり、しなかったりしながらご飯を食べます。考えてみればご飯を人と一緒に食べるというのはひどくおかしな話なのかもしれません。どこかの部族では、セックスを他人に見られるのは良くてもご飯を食べているところを見られるのは異常に恥ずかしがる、といった例も見られるようです。『食べる』っていうのは生に直結している行為ですから、これを共にするというのは・・・えーとなんだろうな、安全の象徴というか…。うまく書けないな。
『孤独』というテーマ
全てが刹那的である、ということが孤独を増幅させます。たとえば一人っ子の自分は小学生ぐらいの時、友達とわいわい遊んだあと、家で一人になった時が寂しくて寂しくて兄弟が欲しいなーとずっと思っていたのですが、他人と過ごす時間というのはある意味孤独を増幅させるんですね。自分の場合は、次の日学校に会えますし、それがあるからこそ孤独は紛らわすことができます。ただ本書の設定のように、すべてが刹那的である、すべてが一期一会である、となると孤独は『次がある』というごまかしが効かないのでただただ、増幅させられていくことになります。以下ネタバレ
結局小山教授はどこに行ってしまったのか、ゴジラの夢の話は何を意味しているのか…。ゴジラは孤独の象徴だと思いますけど、そのまま考えれば小山教授はゴジラに魅せられて、ゴジラに近づきすぎて踏みつぶされて死んじゃったんですかね。社会から消えること。つまり人間関係をすべて取り去ってしまう事によって、重みをすべて消す。空高くどこまでも飛んで行けるのだ、という話にもなってきます。真の孤独とは社会から消えることでしょうか。行くたびに孤独が増幅されていくのですから、行きつく先は死しかないのかな。死んだら孤独も何も無くなっちゃうような気がしますが、いきている限り人間とのつながりを消すのも相当苦労しそうですし。しかし途中、孤独は破滅、自殺からもっとも遠いものであると考えていると書いてありますのでよくわかりませんなー。文庫の解説を読んだら何か書いてあるのかな。孤独に近づきすぎると、小山先生のようになる、つかずはなれずが良い、そんな感じですかね。