基本読書

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サマーウォーズの感想

 『時をかける少女』の細田守の最新作、サマーウォーズを観てきました。同時にエヴァンゲリオンをもう一度見たんですが、いやーこの二作品が同時に見られるのはもうちょっとどうなの。どちらも日本のアニメ界で最先端を走り続けているトップ作品ですよ。サマーウォーズは明らかに物語、フィクションのアニメとしての枠を拡大させましたし、エヴァンゲリオンはあのクォリティで作品を作り上げることが出来る重要な指針になっているでしょう。この二作品が映画館で見られる日本人は幸せすぎる…。

 まずサマーウォーズはOPが凄い。動画サイトで冒頭の五分が見られるのですが、一見の価値ありです。とにかく視覚的なイメージが強烈で、ブワァー! と来て、落ち着いて画面全体を見渡してみると常に『なんだこれは?』という謎に満ちている。アニメをあまりみませんけれど、それはやっぱり『アニメでしかできないこと』をやっているアニメが少ないからなのではないか、と思うんですね。アニメでやる以上、アニメでしかできないことをやってほしい。これはアニメだけに思っていることではなくて、たとえば小説の世界でも、文字でしかできないことをやっている作品が非常に好きです。そういった意味じゃあサマーウォーズは『アニメでしかできないアニメ』なんですよ。


 ネットをテーマに持ってきたのがまずその一。ネットの世界なら正直いって『なんでもあり』だ。このなんでもあり、が観たかったのだ、と映画を見ていて気がついた。最近読んだ『アンブロークンアロー──戦闘妖精雪風』も何でもありな物語で、何でもありをやるために一つの架空世界を立ち上げて地球と対比させていたのだけど、ネットを使えば現実感覚の延長で『なんでもあり』が出来るんだなーと。ネットは『自由』ですけど一応ルールもあって、それは間違っていることやアホなことを書いたり表現すると多数に糾弾されることです。というか、それはもうみんな気がついていて、色々とやってはいたのだろうけれど映像として魅せられたのが初めてだったという事で。攻殻機動隊のような電脳戦とはまた一線を画しているんですよね。

 ネットとコミュニケーションのあれやこれやも面白かったです。ネットって非常に便利ですけど、万が一の事態の時って割と簡単に『使えなく』なるんですよね。いや、それも今だけの話かもしれませんけれども。そしてネットが便利だからといってネットばかりに頼っていると、いざネットが使えなくなった時にオワタってなるわけで。そういうときはやはり人の力、リアルな人の触れあいが必要になってくる。今回は敵が攻めてきた、という状況ですけど、現実では災害などが割と頻繁にありますし、人のつながりが大事なのはどちらにせよ変わりません。やはり各所で言われているように、テーマとしてもアナログ、ネット否定ではなくもちつもたれつというか融合してる感じ。もう一つのテーマ、家族の方についてはなんかよくわかんなかったです。家族は世界の縮図ともいいますから、家族が団結して世界が団結する流れは非常にわかりやすく凄く興奮したんですが、幸福な家族の形態だなあと。幸福な家庭は①パターンしかないが、不幸な家庭は何パターンもある、みたいなアンナ・カレーニナの序文をなんとなく思い出しました。多分大家族って言う在り方が現代と逆行しているからなんでしょう。家族でさえも今や他人と割り切る時代ですよ。家族よりも自分の趣味が合う人間、一緒にいて苦しくない人間と過ごす。そしてそれは悪いことでもいいことでもないんでしょう。

 本作、ネタバレになってしまうけれど最後の方で何億ものアバターがたばになった敵キャラと、家族の一員が戦う場面があるのですが、その方法とは『花札』なのだ。世界を賭けた戦いが花札──馬鹿らし過ぎて、冗談とも思わないがしかし真剣である。アニメの可能性とか、未だかつてない、というのは多分どれもこれも『そんなバカな』と笑い飛ばされてしまうようなところから生まれるんだろうと思う。ネットでの様々な表現には心底感動したのだけれど、何でネット世界で普通に殴り合っているんだろう、と最初に滅茶苦茶びっくりした。何故わざわざ闘いを、そのまま直接的にアバターの殴り合いとして見せなくてはならなかったんだ? 

 時をかける少女サマーウォーズで好きだった点が、とても日本的なところ。人間一人一人も、風景も、花札とか、あぁー日本だなーと思わせてくれます。日本にいるのに日本が恋しくなるというのもおかしな話ですが、まさにそんな感じで妙になつかしくなりました。やはり凄いな、と。細田守、これから先の動向にも目が離せません。