基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

昴 (1) (ビッグコミックス)

昴 (1) (ビッグコミックス)

 普通に感想を書く。
 読み終わって色々感想を読んでいたら、どうも昴の人間性が好きになれない、という人が多いようだった。確かに「天才」として書かれている昴は人の意見なんてほとんど聞かないし、自分のやりたいことばっかりやっているし、周りの人間を利用するだけ利用して、謙虚さの欠片もない。そういうことに、読み終わって他人の感想を読んで初めて気がついた。たしかにそう言われればそうだ、凄く嫌な奴だ昴、と今しみじみと思っている。ただし、読んでいる間はそんなことまったく考えていなかった。いつもはこの作品のテーマはなんだとか、この作品のいったいどんなところが面白くて、どんな物語の構成をしているのかとか考えているけれど、本書だけは「ストーリーなんかもうこの際どうだっていいじゃないか」と考えていた。それは何故か。

 絵によって表現された瞬間、動きがダイレクトに伝わってくるからじゃあないか。昴を読んでから普通の物語を読むと、いったいこのゴチャゴチャした筋書きにいったい何の意味があるんだろう、と疑問に思ってしまう。物語など関係なく、ただ絵の表現によってこちらにダイレクトな感覚を伝えてくる作品を知ってしまったから。読んでいない人にこの感覚を、文章で伝えるのは不可能に近いのではないか。人は普段言葉でコミュニケーションを取るから何でも言葉で伝えられると思いがちだが、絵や写真が伝えてくる「視覚情報」の方が人間に訴えかけてくる力は強い。たとえば恵まれない海外の子供に募金を! と言葉を尽くして街頭で立って訴えかけるよりも、数年前に話題になった「ハゲタカが痩せた子供が死ぬのを傍で見守っている写真」を見せて募金を募った方が圧倒的に集まりやすいだろう。

 こんな風に、ダイレクトに何かを伝えられるんだったら物語なんかいらないではないか。十一巻あたりで、昴は観客をZONE状態に引きずりこんでやる、と宣言するが、それは作者の宣言でもあったのではないかと読んでいるときに思った。読者を絵の表現によってZONE状態に引きずりこんでやるぞっみたいな。十巻で、昴の踊りを視た観客が「はじめてだ…ダンスで、なんでこんなに・・・集中を強いられるなんて。」といって驚愕している場面がありましたけど、それはまるっきりこちらのセリフだ。漫画の表現でこんなに集中したことはない、というぐらいこちらも集中している。作中の観客と同じ感覚を得ながらも、メタな視点での共感を煽るというすげえ事態が十巻では起こっていた。いや、ほんとに漫画って凄いな、言葉って、不便だな、と読み終わって数日たっても茫然としています。そのせいで最近漫画評論系の本ばっかり読んでるし。