基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

リアルのゆくえ──おたく オタクはどう生きるか

 「優れた批評家同士の対話は子どもの喧嘩と区別がつかない」という説が成り立つのではないかと思う今日この頃。そういえば、「テニスの王子様」というなかなかファンタジックなテニス漫画がありまして、中学生のテニス部員たちが超絶技巧をこらした技を使いまくる故に読者は「中学生でこれだったらプロはどれぐらいヤバいんだ?」と戦々恐々としていました。しかしある説が出てきてから、誰もが納得(したのか?)したものです。その説とは、「プロはお互いの技を封じる技を常に持っているから、一見普通の試合に見える」。同じことが、一流の批評家同士である大塚英志東浩紀のこの対談本に表れている、と言っていいでしょう。

 お互いに譲れない自己主張があって、しかしその自己主張に論破できないほどの綿密な論理を組み立ててたどり着いているので、二人とももはやその点をつくことができないんですね。いや、ほんとは論理の穴をつけているのかもしれないけれど、お互いある一点からは絶対に引こうとしない。大塚英志東浩紀に、「あなたが批評をやる理由はなんなのか」と問い続け、東浩紀大塚英志に「誰もやる人間がいないからやってるだけだ。ほんとだったら辞めたい」と言い続ける。しかしお互いに譲れない主張を持ちながら戦うっていうのは、厳密に陣営が決められ、ルールが決められているディベートならばまだしも、こういった一般のいわゆる「対談本」でそこまで執着するってえのが凄いですね。普通、まあエンタメだし、とか、楽しませないとね、みたいな気概を働かせて途中でどっちかが折れるんでねーかなーと思うんですが、絶対に折れない。絶対に譲らない。それでこそここまで二人とも生き残ってきたのかもしれないです。ぼくは読んでいて、東浩紀大塚英志の見る目がガラっと変わりましたね。批評界なんていう、あるのかないのかわかんないような地獄みたいなところで生き残ってきた男たちが、そんなやわな人間なはずなかった。それがわかっただけでも充分ですが、それ以外の話も凄く面白かったです。もうあんまり覚えてないけれども、それは話にインパクトがなかったというわけではなくインパクトがある話があまりにも多すぎてむしろ覚えきれなかった、みたいな。良かったです。