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基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

大人と子供の境界線はどこ?──惑星のさみだれ二巻を読んだよ

コミック

惑星のさみだれ 2 (ヤングキングコミックス)

惑星のさみだれ 2 (ヤングキングコミックス)

 一巻でよく話がまとまっている。「イヌの騎士」という副題が示す通り、東雲半月の物語。テーマとしては、大人と子供、継承、とかそんな感じ。作中に何度も継承を思わせるエピソードが挿入されて、ラストへと強引に持っていく。考えれば、風景に関する名前の登場人物が多い。夕日に、氷雨に、半月に三日月に。五月雨という名前には雨が入り、父親のペンネームにも蝉時雨。朝比奈一家にはみな雨の字が関係している。うむむ。そのせいかどうか知らないけれど、風景による演出もあったりする。夕日と三日月の初邂逅の時に突然降ってくる雨とか。一巻は頻繁に書かれていたビスケッツハンマーが、登場人物がその風景に対して当たり前の感覚を持つのと同時に決めゴマでしか書かれなくなったりとか。そしてやっぱりメタ的な自己言及のセリフがぼちぼちと。物語の後半からガンガンと流れてくる死亡フラグ的予感にひきつられてノコノコとついていってみれば予想通りガツンと殴られる。なんだろうこの感覚。どう考えても死亡フラグなのだが出来ることならば予想よ外れであってくれという期待と予想がまぜこぜになって。しかし事が怒ってみればそりゃぁーそんだけ死亡フラグ立てれば死ぬよなあ、という感じで。ここにきて外したらそれは単なる意地悪でしかないよねっていう。あとなぜか氷雨さんは正面を向いてガツンとやるコマが多い、気がする。

大人って何だろう

 成人式です。一応大人とされる年齢ですが、まあ、成人した瞬間から大人かと言えばそんなことありえねーですよな。この作品に出てくる大人論といえば「こんな人になりたい…って思わせるような子供達のヒーロー それが大人や」とか「出来ることと出来ないことの区別をつける その中で最善を尽くす」とかそんな感じで、しかしそんなこといったら世の中には大人なんていう種族はほとんどいませんよなあ。何十人に一人、ぐらいの割合ではなかろうか。ぼくは大人とは、自分の生きることの意味を自分で作り出せる人だと思っていますが。カミュの言葉を借りて言えば「いかなる上位審級も規矩として機能していない局面で、なお適切に行動することができる能力」を持っている者が大人かと。違う言い方もしておくならば、「起きたことを起きたままに受け入れることが出来る人」。子供とは、何か起きたこと、事件に対して責任の所在を求める人であろうとぼくは思います。システムの中に生きるのが子供で、システムを作り上げるのが大人とかそんな感じ。内田樹流。なんだか惑星のさみだれの内容からズレてきているような。ま、いいや。話をもとにもどすと、夕日君の立ち位置というのは何だか安定していない。大人でもなく、子供でもないという立ち位置なのかと思ったのですが、まあ描写とか見ると完全に子供側ですよな。さみだれも完全に子供だし。二人ともしかし、半月さんから色々教えられて共に成長したので良かったです。小物感がハンパない夕日さんが人間的に成長しちゃうのはちょっとあれだけど、せっかくなら小物のまま突っ走ってもいいんじゃない、とかちょっと思ったけど、でもそれは読むの辛いよなーと思った。そういえばこの巻の途中で誕生日が挟まれるのも、やっぱり色々と関係してますよね。少年漫画じゃあまり歳をとるということがフューチャーされることが少ないので微妙に気になりました。ルフィも映画で17歳・・・だっけ? 最後の冒険してたけどね。

 それにしても朝比奈姉妹はとても可愛らしくていい。不思議な眼の書かれ方をしている。みんな猫の目みたい。そしてこの作中で書かれている大学の風景が、ぼくがオーストラリアで通っていた大学とそっくり…というか完全に同じなのだが、これは単なる偶然なのであろうか。まあ偶然かな。わりとありそうな形してるし。もう出かけるのでまたあとで追記。あ、しかし主人公の妹の名前、小石ちゃんてのが妙に変だなーと思っていて、こいつはいずれ主人公達がつまずくきっかけになるから小石ちゃんなんだな! と勝手に予測した。何て微妙で安直!