基本読書

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キャラが立つってどーいうことだろ?──惑星のさみだれの女の子が可愛すぎて死ぬ

惑星のさみだれ 4 (ヤングキングコミックス)

惑星のさみだれ 4 (ヤングキングコミックス)

 面白すぎて四巻読み終わった後何か書くこともなく五巻読み終わってしまった。

キャラクターが立つ、とは

 あやういあやうい……。一気に消化してしまったら、読み終わって後悔してしまいそうです。色々想像しながら読むのが楽しいので。それにしても、ほんとに面白いです。面白すぎて、悶絶しています。キャラが三巻で一気に増えてどーなることかと思ったのですが、四巻では各キャラクターのエピソードを掘り下げて五巻では早くも本筋に戻してきました。もうね、みんなキャラが良すぎですよ。みんな一人一人主人公! キャラが立っている、というのは物語における面白さの一つの要素なのは言うまでもありませんよな。しかしそもそも、キャラクターが立つというのはどういうことなのか……。これについては、色々と語っている人がいるので「キャラが立つとは」とかで検索してもらえればいいと思います。まあ簡単に言えば「登場人物に個性がつくこと」でしょうか。ここに「魅力的な」とかが入るんでしょうけれども、そのあたりは人それぞれなので。個性ってのはなんなんでしょうかねえ。まず真っ先に目に入ってくるのは見た目ですよね。みんなそれぞれ顔身体の形が違うわけで、人と違うところを個性というのならば、まず何よりも先に得られる個性ってのは外見です。その点この作品は強いですよ。特に女の子とかみんなかわいすぎて死ぬ。内面の個性がどう形作られていくのかはよくわかりません。たとえば白道さんがコスプレイヤーであるという点は個性だとは思うのですが、なんというかそういう属性だったらつけようと思えばいくらでもつけられるわけです。白道さんはコスプレイヤーであり、たまねぎが好きであり、バイクも好きであり、かまきりが苦手であり、…(最初の以外ウソ)こういう設定がだらだらと語られていった場合に、個性が生まれるのかどうかといったら…うーん? 生まれるには生まれるんでしょうけど、なんか面倒くさいですよね。いくらでもつけたせるし、だいたいたまねぎが好きだからなんなんだよっていう話ですよ。わかりやすいキャラの立ち方っていうのはもっと根源的なものなのじゃあないですかねえ。キャラクターの「人生観」みたいな。「この状況だったらこいつはこうするだろう」という規定、ルール、そういうのが提示された時に、読者の側で「こいつはこうするだろう」ちう予測が出来るようになって、そうなった時初めてキャラクターを自分のものにした、「キャラが立った」という言い方をするのじゃあないかなあ。あくまでも個人的な話でした。

こっから女の子のどこがかわいいかを語るよ。

さみだれ

 マイベストワンキャラクター。今のところベストバウトは三巻5ページと五巻145Pのさみだれ。特にね、細かい表情が素晴らしい。この作品、一巻の頃よりかはダイブ安定してきましたけれども、顔がコマごとに結構違ったりするんですよ。輪郭が微妙に違ったり、眼の書き方が違ったりで印象が一変して見える。さみだれはキャラクター設定自体、「地球を滅ぼそうとする悪を倒す勇者でありながら地球を滅ぼすのが目的」という矛盾したものを持っていて、悪い顔をする時と通常バージョンのさみだれと子供さみだれといっぱいいてそのギャップがやヴぁい。この辺の感覚、萌えとはやっぱり違うと思いますね。というかぼく萌えがなんなのか全然わかんないんで可愛いとしかいえないのですけれども…。

 魔王モードの時はあんなにえらそうなんですけれども、五巻で家族のごたごたが表面化するとやはり16歳なのだな、ということが見えてきて、145Pの絵なんかもいつもより子供に見える。そのすぐ後、147Pで夕日と並んで立っているところとか見ると、ちんちくりんでとっても弱弱しく見えます。最強の魔王が普通の少女に切り替わっている、この瞬間がたまらん。なんなのだこれは。ステキやなー。絵についても書きたいんですけれども、スキャナとかで取り込まないとわけわかめなことになりかねないのでやめます。

夕日はかっこいい

 女の子じゃないですけど、五巻でいうと、夕日がだんだん大人の男になっていくのもとっても素晴らしい。じーさんに電話するところなどはほっとしました。最初は驚くほどの小者っぷりを発揮していた夕日くんがまさかこんなに成長するなんて…。今までの夕日くんは、世界を愛す事が出来ないのを自分にトラウマを植え付けた「じーさん」のせいだと思って、じーさんが悪いといって責任を全て押し付けていたわけですが、その壁が倒れた。世の中「誰か特定の個人の責任」なんていうものは存在しないんですよ。起こっている事件のほとんどは、複合的なファクターが組み合わさって起こる。

 何の映画だったか失念してしましましたけれども、映画の最後に車の事故を逆戻しでとった場面があって、「事故が起こった瞬間から逆戻りして跳ねられる人が家を出たところ」まで巻き戻るんです。道を歩いて、落ちているものを拾ったり、信号にひっかかったり、道を聞かれたり、そういうことがすべて起こった後で、たまたまタイミングが悪く車にひかれてしまう。じゃあ、その人が車にひかれた時に、責任があるのはひいた人だけでしょうか? 道を聞いた人が道を聞かなければ、その人は車にひかれなかった。誰も何も落とさなかったら、ひかれたその人が何も拾わなかったら、車にひかれなかった。それら全てが組み合わさって、一つの結果を出す。もちろん人を轢いてしまった人が「責任を取らなくていい」開き直って、こんなの全部偶然の一致だ、と叫べばいいという話ではない。もう二度とそういうことが起こらないように、失敗から学ばなければならない。しかしその事故が起こった時に、「おまえのせいだ!」と責任を相手だけにあると叫ぶ人は、失敗から学べないのである。夕日は、学んだ。かっこいい!

白道さんもかわいい

 白道さんも、巨乳のくせに(偏見が)考え方がめちゃくちゃ理性的なところにしびれます。三巻で戦力外なのにもかかわらず戦場に行こうとする夕日を一瞬でノックアウトするところとか感激しました。そしてそんな理性的なキャラクターなのに、コスプレイヤーっていうところがまたいいですね。コスプレイヤーっちう設定、自然と色んな服装をさせられるからまったく素晴らしい! わんだふる! 髪型も自由自在や! もうみんなコスプレイヤーになってしまえばいいのに!!

 あとこれ一番重要なのですけれども、いつも笑ってるんですよね。表情の変化が面白い作品でもあるのですが、しかしどのキャラクターも、笑顔の場面が一番グっとくる。ぼくが笑ってる人が好きなだけかもしれないですけれどね。反対に怒ってる人は嫌いだし。ま、誰でもそうか―。

 髪が白くて服も真っ白なので、明らかに魔王と対立する役目を背負わされているところが悲しいです。悲しくて仕方がない。夕日くんに惚れるわ、五巻の時点で早くも魔王の意図に気がついてしまうわで死亡フラグ立ってないですかねー。四巻で表紙になってたんで、そこで死んでしまうかと戦々恐々としていたのですが、これから先彼女が死んでしまうかもしれないと思うと怖くて読み進められないんですけど…。