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基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

努力と才能──「サイコスタッフ」を読んだよ。

コミック

サイコスタッフ (まんがタイムKRコミックス)

サイコスタッフ (まんがタイムKRコミックス)

サイコスタッフとは

 「サイコスタッフ」とは、「戦国妖狐」「惑星のさみだれ」などで知られる水上悟志先生の漫画作品で、この一冊で完結しています。良きボーイミーツガールであり、地球の存亡をかけたスケールのデカい話であり、超能力者がどっかんどっかんする話であります。そして一話につき一回はパンチラを晒します。ま、パンチラというよりかはパンモロなんですけど。「惑星のさみだれ」でもしょっちゅうヒロインがパンツをモロしており、著者の脳内が危ぶまれます。ぼくは何か意味があってパンモロしているのかと思っていましたけれども、たぶん単にパンツを描くのが好きなだけです! 一種の様式美、あるいは緊張感を解くための手段として利用されているような気もします。シリアスな場面を意図的に外してくることが多々ありまして、その類かもしれませぬ<パンツ さて、こっからネタバレするよ。

努力と才能

 この作品のテーマとして見出せるのは「努力と才能」です。主人公である柊光一くんは、生まれついて五十億人に一人しか持ってないちょーつよい超能力、念動力が使えます。ちょーすごいです。生まれたときから持っているので、つまり才能といえます。そんなちょーすごい生まれ持っての大天才、光一くんのところには、やっぱりちょーすごいんだからちょーすごいどっか遠くの宇宙からちょーすごい宇宙軍みたいな人が「仲間になっちくり!」とスカウトに来るわけです。超能力物と言えば、でかすぎる自分の能力を持て余して破滅に近づく──っていうパターンが多いような気がします。身の丈に合わない能力は身を滅ぼすのですね。しかし光一くんは、生まれつき最強の能力を持っていたにも関わらず、能力におぼれず、それどころか才能を否定して努力を肯定します。

 超能力なんか大したことねえよ
 努力で身につけたものじゃないし

 光一くんにとっての価値判定は、「誰かに与えられたもの」よりも「自分自身で手に入れたもの」が素晴らしい! というシンプルな分け方で厳格に区別されている。努力を平然肯定してのける光一くんに対して、宇宙からやってきたパンツヒロインはひたすら努力して、今現在の地位にいる、172の言語まで覚えました。しかし軍人の才能は戦場でこそ認められる、どれだけ努力しても、光一くんの能力がもたらす効果には到底及ばない。才能を持っている人間と、持っていない人間、その葛藤もこの作品の魅力の一つ。パンツは、報われない努力に意味はあるのかといいますけれども、はじめの一歩の鴨川会長の言葉を借りれば「努力がすべて報われるとは限らん。だが成功した者はすべからく努力しておる」仮に努力が報われなかったとしても、報われると信じて努力するしかないんです。「その他」の手段は、ないんです。

身の丈に合わない能力は身を滅ぼす

 宝くじで何億円というお金を当てて、不幸になった人というのもいると思います。何億円といえば、普通に働いていたら決して目にすることはないお金です。本当に運だけで手に入れたお金、言ってみれば生まれ持った才能みたいなものですよね。親から受け継いだお金でも一緒かもしれません。そんなお金を持っているからって、幸せになるとは限らない。その理由はたまたま手に入れたお金が無くなったらもう一度自分で稼げるだけのスキルがないせいで常に自分の金が無くなる不安と戦わなきゃいけなくなるからでありましょう。

 たとえばぼくが突然明日三億円を手に入れたとしたら、正直扱いに困ります。三億円手に入れたぜ! やった! もう働かなくていい! 努力ももうやめよう! と思えればいいんですけどその時たぶん「でも、もしお金が無くなっちまったら?」と考えると思います。そして考えてしまったが最後、ぼくは常に「何かのきっかけでお金がなくなる恐怖」と戦わなきゃいけなくなる。なぜならそれが無くなってしまったら、もう今までの生活はできなくなるわけであって、何億円もお金があって自由に使える状態を「自分のかくあるべき状態」と考えている限りぼくはそれを失う不安から死にたくなるでしょう。仮にぼくが三億円失っても自分で簡単に稼ぐ能力があったり、金なんか消えてなくなったって何の問題もないね、とへらへらしていられればそれは「強い」ということになるでしょう。揺らがない。そしてそれが出来るのが、光一くんなのですね。

 他人にではなく自分に誇るために生きたいんだ
 それは生まれついての超能力にあぐらかいてちゃできねえんだよ

 最後に能力を失った光一くんが一言「そうか」とだけいってすぐに受け入れるのは、だからめちゃくちゃかっこいい! 宝くじに当たった結果を、自分の力で手に入れたものじゃないからと口で言うだけは簡単で、もしそれが無くなってしまった時に平然と受け入れられるかっていったらやっぱり難しいと思うんですよ。偶然にせよ何にせよ、それを持ってしまったんですから。普通だったら見えない世界を知ってしまった。だのに、ちゃんと自分を保っていられる。成長ストーリーで段々とそういう人間になっていく通常の超能力物と違って、最初から、超能力が無くたって特別なスゴイヤツだったってーのが、まったく面白いところです。要するにこの作品は、自分の存在証明を賭けた闘いだったんですね。「特別な超能力を失っても、自分を保てるか」の闘い。結局、「五十億人に一人」よりも凄い「六十六億人に一人」の自分の特別な部分を見いだして、幕を閉じる。でもそれって、たぶん誰にでも見つけられるもの。

家族の絆

 家族の絆、親子関係というのは「惑星のさみだれ」でも重要なテーマになっていますが、しかしこの作品でもかなり重要な位置をしめているかと。なぜなら光一くんはこの作品の中では確かにすでに完成された精神を持っているといってもいいですけど、その過去には自分を更生させてくれた両親の存在があったからです。いうなれば、この作品の影の主役は光一くんのご両親ですよね。二人がいなかったら、光一くんはヘイヘイホー! と宇宙軍についていっていたかもしれない。母親の役割が大きいのはもちろんなんですけれども、父親も壮絶にかっこいい!

 母親が不治の病だとしった光一くんが、森で暴れ回る場面があります。
 そこで光一くんは、超能力を使って木をばっこんばっこん切り倒していて、そこに迎えに来てくれた父親にも木をおもいっきしぶん投げる。
 木なんて簡単に言いますけど、一本の木です。相当でかい。二、三メートルはあるでしょう。そんな木が飛んできて、しかし親父殿は自分の真横を過ぎ去った木に何の動揺も示さずに光一くんのことを黙って抱きしめる。

 光一くんが自分のことを傷つけるはずがないと信じていたのか、あるいは光一くんにだったら傷つけられたって全然平気だと思っていたのか、どちらにせよスゴイ話です。
 父親のこの行動と、そして母親の死というファクターが、光一くんを普通の人間として育てた。普通じゃないものをもった人が、普通に育つということがどれだけ大変なことか! いや別にぼくは普通じゃないものなんて持ってないからそのへんしらねっすけど! そんなこんなで、おもしろかったです。しりきれ。