基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

書評について本気出して考えてみよう

 ただいま熱心に書評を勉強中なのです。もうちょっと面白い、マシなものを書きたい! と思った時に、しかしぼくには圧倒的に自分が何を書いているかへの認識が足りないことに気がついたわけで。書評……のようなものを書いている自覚はあるのだけど、書評がなんなのかわからない。そんな宙ぶらりんの状態で、面白いものが書けるか!! 書けない!! だから書評を勉強する! のでまずは豊崎由美の256作品もの書評を集めたこの一冊、「そんなに読んで、どうするの?」を読む。何百作品もの書評を書いてきた人ならば、恐らく書評を書く自分なりのスタイルを持っているだろう。それをパクらせてもらうのだ。

そんなに読んで、どうするの? --縦横無尽のブックガイド

そんなに読んで、どうするの? --縦横無尽のブックガイド

とりあえずまあ、あらすじについて。

 まず第一に、書評とは書を評価するのとはまた別の軸で、その内容を他の人に紹介する必要がある。当たり前のことだけれども、だから書評の中ではその本についてあらすじなり何なりを書かないといけない。そして、その段階を踏まえてやっと面白いポイントである個々人の解釈へと踏み込むことが出来る。しかしこれが曲者で、既読の人は当然話を知っているのだからあらすじを読むのが退屈で、未読の人はただ本の裏表紙に書かれているようなしょぼいあらすじを読ませられてもよくわからんし別に面白くない。ぶっちゃけこの書評集を読んでいて、一番の難関は「あらすじをどう面白く語るか」だと思ったので、そこを考えてみたいが……。

 しかし、豊崎由美さんの書評、あらすじが面白いかと言えば別に面白くないんだよね。ただ、解釈を交えながらのあらすじ解説になった時、多少面白くなる。「これこれこういう筋があって、それはこういう社会的意図を明らかにしていく」みたいに。やっぱり、あらすじをずらずらと書いてもその文は死んでいるんだよなあ。

 毎回毎回解釈を織り込んであらすじが書けるかっていえば、それもまた無理だなっていう話ですよ。そして、あらすじを説明してからでないと、その先の面白ポイントである独自の解釈へと踏み込んで行けない。だから、ちゃっちゃと短い文章で、作品の要点だけうまく抜きだす読解力が必要なんだな。あらすじ紹介なんて長ければ長いほどつまんないんだから。その点でいえば、豊崎由美さんはうまい。100文字ぐらいでパッパと説明して、そのあとに独自の読み方で読んだ内容をシンプルに教えてくれる。やっぱりそこは面白い。自分語りになりすぎず、本の内容とうまく絡めて面白い部分を要約してくれる。時には物語の解釈も入れるし、なるほど、これがプロの技か。でもそれは、練習するしかないよなあ。

 でもあらすじ紹介が大抵の場合つまらないっていうのは、書評の限界を表しているのだと思うよ。一冊の本に寄りかかって表現しなければいけないという限界が、やっぱり書評にはある。それがあらすじの紹介だろう。

始まりと終わりはわりと決まっている。

 始まりは読み始める部分なのだから、当然重要だよね。たとえ相手が友人だったとしても、その日一番最初にあったらまずは挨拶をして、まあ天気の話でもしながらじょじょにディープな話へと移って行くのと同じように、初めの文章は誰でもスルっと入っていけるようなものでなくちゃあいけない。漫画でも、最初にアップで家をうつしたりして、その次のコマから家の中や家にいる人を描写するでしょう。そんな感じ。どんな文で始めると入りやすいのか。やっぱり天気の話みたいに、誰とでも話せそうな書きだしがいい。そうはいっても毎回天気の話で書評が始まったらそれはなんかアレだろう。「ちょっと、もう天気の話はえーよ」と誰もが思う。だからそのあたりは、工夫しなければなるまい。豊崎由美さんのやり方だと、「この作家の作品を読むと〜〜な気持ちになる」というような本の内容に触れない抽象表現で始まったり、いきなり作品のあらすじからはいったり、小話を挟む「お涙ちょうだい系の作品ばかり話題になるニッポンの読書会ですが〜〜〜そこでオススメしたいのが、」だったり。まあここも工夫次第であろう。

 終わりはシンプルだ。褒めて、終わればいい。もしくは適当になんらかの結論をでっちあげて終わればいい。何にしろ、「ああ、これで終わりなんだな」ってことを実感させる終わり方にすればいいってことだろう。それにしても、とかそういえば、とか適当なことをでっちあげて締めればいい。たとえば、こんな風に。

 そういえば、まだ飯食ってなかった。食ってこよ。

 あ、ちなみにまだ続きます