基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

ぷりるん。―特殊相対性幸福論序説

びっくりした。同作者の作品は、『薔薇のマリア(それも途中まで)』しか読んでいなかったので、「こんなんも書けたのか!」と。まあでも考えてみれば、薔薇のマリアもこんなような話だったっけか。適当なことを言えばファンタジーを現代に移し替えただけ、っていう話かもしれない。びっくりしただけじゃなくて、ちゃんと面白かったです。何が面白かったって、なんか出てくるキャラクターがみんな「小学生男子マインド(好きなのに、いや、好きだからいたずらしちゃう!)」を持っていて、お互いに激しく傷つけあいながらなんとかかんとか立ちあがって行くところの、なんかもーどーしようもねーなーってところがね。特にちゃんと立ちあがって行くところが良かったです。その構成。お見事!

ストーリーを簡単に紹介しておくと、一人の論理的思考をする主人公(でもちょっと鈍感)が、すぐ上で書いたように小学生男子マインドを全開にしていじめてくる女の子達にめちゃくちゃにいじめられるお話です。たとえばクラスのアイドルでとってもかわいい桃川みうという子は、主人公に「好き」と言って何度もデートしておきながらも他の男の子にもちょっかいを出して、というか性的に自制がまったくついていなくて、それを一々主人公に電話で報告してくる。一回だけならまだしも、毎晩毎晩。気が狂ってますなあ、と思いながら読むのだけれども、そもそもその行為が「好き」だからこそ出てしまう行動なので、ジレンマを感じる。あと絶対に「ぷりるん」としか喋らない、「おまえはゲームのNPCか!」と言いたくなるような女の子が出てきたりして、「ぷりるんってなんだ?」という謎は、このお話を読み進める原動力にもなる。

そのジレンマこそ、小学生マインド。わたしもそういえば昔は、好きな子にわざとイジワルなことをしていたような気がする。好きだっていう歌手をバカにしてみたりして。たしか、中学の1年生ぐらいの時まではそんなことをしていたはずだ。どんな心境の変化でわたしがその行為を辞めたのか、今なら分析することが出来る。凄く単純なことで、「なんでおれ、好きな子にイジワルなことしてるんだ! まったく逆効果だよ!!! ばかじゃないか!」と気がついたからだ。そんなこと、少し考えればわかりそうなもんだが、小学生ぐらいの頃はうまく考えることができないのだ、たぶん。

そもそもなんで、イジメたくなっちゃうのかというと、きっと「少しでも自分のことを意識してほしい」からなのだ。ほんとうだったら、好意を持ってこっちに振り向いて欲しいのだけれども、考えもあまりしない子供のうちだとその方法がよくわからなくて、確実な方法、赤ちゃんでいえば「泣く」に相当する「わざと相手を怒らせるような」ことを言ってしまう。それが男子だけなのか、女子もみんなそうなのかはわからないけれど(わたしは男子だから)ちょっと成長して、その行為が何の意味もないことに気がついて辞めることが出来ても、いつかふと気がつくと駄々をこねたりしたくなっている自分が居るような気がする。まるで重力に引き寄せられるみたいに。気がついたからと言って、無くなってしまうわけではないのだ。

それを思いとどまらせるのは、普通にただの自省だけれども、この『ぷりるん。』に出てくる女の子達はうまく行う事が出来ない。家庭環境、トラウマ、みんなそれぞれの事情があって、自分でもおかしいと気がついてはいるものの、辞められない止まらない。そうやって自省が聞かない女の子達も悲惨なんだけど、いじめられる対象の男の子も相当悲惨なんだよねえ。四人分のトラウマを一身に受けているわけだから、それはそれは。でも主人公のユラキくんがえらいのは、そんなクソッたれた状況の中でも、相手を理解しようと頑張るところなんだよね。しかし、そうやって依存されている方はいったい誰に頼ったり癒されたりすればいいんだろう。そんな状況に対しての救いが、「ぷりるんとは何か」と同時にわかって、えがったえがったです。

ぷりるん。~特殊相対性幸福論序説~ (一迅社文庫)

ぷりるん。~特殊相対性幸福論序説~ (一迅社文庫)