基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

じーんとした──星新一―一〇〇一話をつくった人

 これは凄い。読み始めてからしばらくは星新一の父親である星一のお話が長々と続き、「こりゃ外れか」なんてことを思ったりもしましたが、そこが終わってからぐいぐいと引き込まれる。父親の話は、いわゆる話のタメだったのです。というよりかは、父親に関しての話を抜きにしたのでは、星新一のことは語り得なかったのだという事が後半になるにつれて明らかになります。父親から始まるほどの膨大な量の資料と取材、そして綿密な構成から立体的に立ち上がってくる星新一像。そのディティールはあまりにも細かく、それでいて読みやすい。私情をさしはさむこともなく、重視されているのは日記や取材といった事実であり、淡々と星新一の周りを記述していく。それはまるで人生を追体験しているようで、たいへん素晴らしかった。

「一〇〇一話をつくった人」

 副題として「一〇〇一話をつくった人」とつけられているのですが、恥ずかしながらあまり星新一という作家に触れたことが無いわたしにはその意味がよくわかっていませんでした。「きっと一〇〇一話以上作ったけど、キリがいいからこの副題にしたのだろう」ぐらいに思っていたら、全然違ったんですね。星新一さんは必死に、それこそ命を削りながらぴったり「一〇〇一話」を目指していたのです。ショートショートの代名詞として知られるようになってしまい、読者からはショートショートを求められ、その一方で量産された結果質が落ち、マンネリが指摘され「量」と「質」のバランスの兼ね合いが難しくなっていく。しかし求められている以上書かなければならない、その辞めどき、目印が、「一〇〇一話」という数字だったのです。その人生のほとんどをショートショートを作ることに費やし、作り終わったと同時に燃え尽きてしまった星新一の人生を表す副題として、非常に合っているな、と読み終わった今思いました。

 わたしがこの本を読む前に持っていた星新一さんへのイメージは、「簡単にショートショートを作れる天才で、SFの草分け的、伝説的存在」という非常に人間味のないものでした。まあ一、二冊しか本を読んでいない作家のことなんて、その程度のものでしょう。だからか、この本を読んで驚きました。天才的、というのは確かにその通りにしてもその才能が正当に評価されることがないはがゆさ、悩み、そして一度手に入れた才能を維持し続けることの大変さに苦しんでいたからです。「文学賞なんていらない、わたしは多くの人に読まれることを望む」といっていた星新一さんが、そう発言している影では編集者に「なんでぼくには賞がもらえないんだろうなぁ……」ともらしたところなど、わたしは読んでいて何度もじーんとしてしまいました。「ああ、こんなに凄い人でも強がりを言ったりするんだなぁ」と思って。

 「才能が認められなかった」というのは、ショートショートを作ることがいかに大変で、評価されにくいジャンルであるかの証明でもあるように思います。まず第一に、短くてすぐに読み終わってしまうのでその一瞬は凄く楽しくても、記憶に残らないのです。ましてや数を一度に読めば、一つ一つへの印象はさらに薄れ、ただ楽しかった、というだけの記憶が残ります。また作風として極限までわかりやすくされた物語は、わかりやすすぎる為に「何かが気になる」と心の中に残ることが出来ないのです。なんだかよくわからないけれど、そういう気がします。ただ星新一さんも、誰にも認められなかったわけではありません。筒井康隆小松左京という盟友二人は理解していました。その三人の関係っていうのは、なんだろ……往年のジャンプ漫画における「ライバル」のような、そんな感じがするんですよね。以下は筒井康隆が、星新一の文庫版の解説を書いた時のお話です。

 星さんからはとくにこの解説への感想はありませんでした。小松さんの解説も書いたことがありますが、そのときは星さんから、小松さんが喜んでいたよと言われたけれど、小松さんからはとくに何もない。本人は何もいわない。そういうものです。星さんの作品が論じにくいのは確かです。星さんもデビューの時は評価された。ぼくのときは丸谷才一が評価したし、小松さんは吉田健一がほめた。デビューのときは誰かが書いてくれるんですよ。でもそれからがむずかしい。ファーブルやグリムになればいくらでも論ずる人が出てくるんでしょうが……。星さんは、さみしかったんでしょうね。

 三人関係性、というのは何だか凄くよくわかるんですよね。なんていうか、SFファンというのはなぜかみんな作家と読者の間が近い。そしてファン同士も、どこか社会からズレていて、そのせいか集まるとやけに楽しそうで、歳の差があってもすぐに仲良くなれる。自分達の身の回りのことはあまり話題にせずに、空想や現実から乖離した話ばかりしてふざけている、いつまでも子供のよう。そんなイメージがあります。その原点、出発点になったのがこの筒井小松星新一という三人の在り方だったんじゃあないかな、バカな話ばっかりしているのに、急に現実の話、「解説書いてくれてありがとう」とか言いにくいんじゃないかな、とか読んでいて色々思いました。

 そんな星新一さんも前述したように晩年はショートショートを作るのにも苦労し、一〇〇一話を作ったにも関わらず、最後の方のショートショートも、軒並み質がよいわけでも賞がもらえたわけでもなかったようです。そのあたりで賞をたくさんもらっている筒井康隆さんや小松左京さんへの屈託もあったのか、交流も途絶えがちになり、出版社のパーティーにいっても若い人ばかりで知人はほとんどおらずほとんど話かけられることもなかったとか。星新一さんは、幸福だったのか。それとも不幸だったのか。なんだか色々なことを考えてしまいます。「星新一とは何だったのか」というのは、読み終わった今もよくわかりません。特にこの本から、教訓も導き出そうとも思わない。ただ「一つの人生を体験した」、今はそんな気分です。

星新一〈上〉―一〇〇一話をつくった人 (新潮文庫)

星新一〈上〉―一〇〇一話をつくった人 (新潮文庫)

星新一〈下〉―一〇〇一話をつくった人 (新潮文庫)

星新一〈下〉―一〇〇一話をつくった人 (新潮文庫)