基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

ブラッド・メリディアン/コーマック・マッカーシー

 おお、これは凄い……。気が狂ったような小説だった。どこが狂っているのかというと、まず文体。狂ってるなんてもんじゃない。セリフに「」が使われない、心理描写が皆無、出来事だけを淡々と連ねていき、一文に圧縮されているのにコンマをほとんど使わない。そのせいで、一文見逃しただけで場面が果てしなく飛んでいたり、誰かが死んでいたりして一行も目が離せない。正直言って私は読んでいて「そんなアホな」と思った。小説が小説たる真骨頂は映画やアニメや漫画では深く表現できない「心理描写」にあると信じていた私には、心理描写を排除して行動とセリフのみに焦点を絞ったこの作品を「小説」として駄作だと思わずにはいられなかった。同作者が原作の「ノーカントリー」が優れた映画だったように、映画になって晴れて傑作となるタイプの作品だと、そもそもこんな読みにくい小説を書くぐらいだったら最初から映画を撮れバカ野郎と思ったものだったが、読み終えたら気分が変わっていた。

 ある意味「心理描写」が出来る小説だからこそ、「心理描写」その他、コンマ等を排除した意味が生まれてくるのだ、と思った。このお話は19世紀半ばのアメリカ南西部を舞台にし、少年が十四歳で家出をするところから始まる。行くあてもない少年は各地を放浪し、「頭皮狩り隊」──インディアンを虐殺して頭皮を剥いで売る一団に加わって、人を殺したりだましたり裏切ったり殺したりしながら旅をする。言ってしまえば「暴力」が猛威をふるう物語であり、それ以外にはほぼあらすじは無いといってもいい。それが425Pもの間続き、最初は読みづらかった文章に慣れ、世界に慣れ、無駄で無意味だとしか言いようがない数々のエピソードを経ていくうちに、世界が途方もないリアリティを獲得していっていることに気が付く。「人間の記憶など不確かなもので実際にあった過去となかった過去にたいした違いはない」と「判事」というキャラクターは言い、それを読んでいるこちらは「それはまさにこの小説のことなのではないか」と錯覚していく。現実と見間違うほどのリアリティを持った物語は、それはもはや現実とどこが違うのだろうか。

 考えてみれば世の中にいったいどれだけ無駄なことがあるのだろう。たとえば私が明日の朝車に轢かれて死んだとする。信号は青で、車は酔っ払い運転をして突っ込んできた。さて、悪いのは誰だろうか、酔っ払って運転していた人間だろうか。それともその時その瞬間その場所を歩いていた私だろうか。もし今この瞬間私がブログを書かないですぐに寝ていたら、次の朝は寝坊もせずにその時間交差点を通ることはなく死ぬこともなかっただろう。出かけるときに何か忘れ物をしてとりにもどったかもしれない。もしくは電話がかかってきて、その電話に出ていた時間立ち止まっていて、時間がズレたかもしれない。だとしたら責任はその電話をしてきた人間にもあるのではないか、忘れ物をした私にもあるのではないか。そうやって考えていくと、私達の世界における出来事というのは幾つかの重要なファクターのみで出来上がっている訳ではないことが分かる。細かい、小さいディティールによって積み重なっていて一つの構造体を作っているはずなのに、物語を読むときに私達はしばしばそれを忘れる。特徴的な出来事のみが積み重なって、それで一つの到達点に辿り着くのだと思ってしまう。

 この小説には無駄が多い。本当に何も意味が無い出会いとか、会話などが書かれていて、そしてやっていることといえば「インディアンを殺して頭の皮を剥ぐ」とかいうキチガイじみた行為だ。読んでいて「あんた達そんな大変な目にあいながらインディアンの頭の皮をはいでいて何か自分の人生に思いを馳せたり疑問を抱いたりすることはないのか」と何度もツッコミを入れた。出てくる人物の内面が語られることはなく、主人公の少年も最初から最後まで「少年」と表記され個性をはく奪されている。「」でくくられない会話は、人間の会話でさえも自然現象の一つ、風景描写の一つとして捉えられていて、人間はこの世界において特別な存在ではなく、暴力も、死も、殺戮も、自然現象の一つなのだというように感じられる。それはなんだかバタフライ効果のように読んでいる時は感じられた。色々な因果関係が複雑に重なり合って、太平洋の向こう側のチョウチョの羽ばたきが地球の反対側で嵐を巻き起こすように、誰かのなんてことない行い、たとえばそう、電話をかけるとか、そんなどうでもいいことが、現在の虐殺に繋がっている。いてもおかしくはない。読み進めるにつれて、「なんてことない話の集合体」の重みがなんてことがない故に重要なのだと知り、最後にはその旅の果てしなさに気が抜けた。いやー「暴力」を扱った本としては「犬の力」と同じぐらいの傑作だと思いました。素晴らしいです。

ブラッド・メリディアン

ブラッド・メリディアン