基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

哲学者たちの死に方

メタルギア ソリッド ピースウォーカー

メタルギア ソリッド ピースウォーカー

METAL GEAR SOLID PEACE WALKER

 つい先日出たばかりの、『METAL GEAR SOLID PEACE WALKER』をプレイしています。今までのメタルギアシリーズでは、難易度をEasyにし出てくる敵はみんな撃ち殺していくという「スニーキングのスの字も見えない小学生プレイ」であっという間にクリアしていた私ですが、そろそろ私も子供ではないのですし、もうちょっと本来のゲームの趣向にそったプレイ内容……そう、「誰も殺さないスニーキングミッション」としてメタルギアソリッドをプレイしようと思ったのです。しかし開始してから初めてのミッションで「いきなり十回GAME OVER」を喰らい、一面で10回は無いだろうこの野郎!! とさすがにキレてしまいました。キレた私が最初にとった行動は、敵の一人を手にしっかり馴染んだM16でぶち殺し、アラームを鳴らし、通路に陣取って出てくる敵を一人ずつ作業のように撃ち殺すというものでした。その時に、ふと思ったのです。「ああ、こいつらにも家族がいて、夢とか希望とかがあって、一日の終わりには仲間と猥談とかしながら日々を過ごしているんだな、そいつらをこんなもぐら叩きみたいにして俺は殺しているんだな。こいつらは、幸せなのかな」と。

哲学者たちの死に方

 そんなことを考えたのも『哲学者たちの死に方』なんていう辛気臭い題名の本を読んでいたからなのです。わけのわからない話の枕で申し訳ないけれども、しかし哲学者たちがガンガン死んでいくのを読んでいたら、死について考えないわけにはいかないのです。たとえそれがゲームの中の死であろうとも! そういう「メメント・モリ(死を忘れるな)」の連続が本書の肝であり、哲学によって死を学んだ哲学者たちの死に方を通じて、私達自身の死に方を学ぼうというのが本書のコンセプトであると思われます。本書には様々な哲学者が出てきて、彼らが死に対してどのような心構えを持っていたか、生前にどんな思想を披露したかということが端的に語られます。なので哲学者のお勉強にもなります。

 学ぼうといってもしかし、哲学者たちの死に方は、決して安らかなものばかりではない。たとえばヘラクレイトスは牛の糞のなかで窒息死した。プラトン寄生虫に寄生されて死んだ。アリストテレスは、トリカブトで自殺したと報告されている。エレノアのゼノンは、刺し殺されるまで僭主の耳に噛みつき、勇ましく死んだ。ドゥルーズ肺気腫の苦しみからのがれるためにパリのアパートから飛び降りた。ニーチェは気が狂って死んだ。カントの最期の言葉は「もうたくさんだ」であった。「哲学を学んだからと言って誰もが死に打ち勝てるわけではない」という端的な事実が、哲学者たちの死を巡ることによって見えてくる。

 個人的に私が一番幸福な死に方だなぁと思ったのはウィトゲンシュタインです。ウィトゲンシュタインは、担当医の妻であるベヴァン夫人と毎晩六時には一緒にパブに生き、死ぬ直前まで原稿を書き続けた。ウィトゲンシュタインの誕生日に、夫人は電気毛布をプレゼントし、そして「ご長寿お祈りいたします」と言った。ウィトゲンシュタインは彼女の背中を見ながら、「次の誕生日は迎えられないでしょう」と答えた。夫人はウィトゲンシュタインが死ぬ夜、夜通し付き添い、「友人が明日見舞いにきてくれる」ということを言った時の返答を聞いた。「彼らに言っておいてください。私の人生は素晴らしいものであったと」。死ぬ間際に「良い人生だった」と振り返ることができること、それが幸福な死に方ではないだろうか。であるならば、良く死ぬためには良く生きなければならないのだ。そして当然もぐら叩きのようにして私に殺されていくメタルギアソリッドの兵士達は幸福であるはずがなかった──

哲学者たちの死に方

哲学者たちの死に方