基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

ガラスの街/ポール・オースター

 ニューヨークは尽きることのない空間、無限の歩みから成る一個の迷路だった。どれだけ遠くまで歩いても、どれだけ街並みや通りを詳しく知るようになっても、彼はつねに迷子になったような思いに囚われた。街のなかで迷子になったというだけでなく、自分のなかでも迷子になったような思いがしたのである。散歩に行くたび、あたかも自分自身を置いて行くような気分になった。街路の動きに身をゆだね、自分を一個の眼に還元することで、考えることの義務から解放された。それが彼にある種の平穏をもたらし、好ましい空虚を内面に作り上げた。世界は彼の外に、周りに、前にあり、世界が変化しつづけるその速度は、ひとつのことに長く心をとどまらせるのを不可能にした。動くこと、それが何より肝要だった。片足をもう一方の足の前に出すことによって、自分の体の流れについていくことができる。あてもなくさまようことによって、すべての場所は等価になり、自分がどこにいるかはもはや問題でなくなった。散歩がうまく行ったときには、自分がどこにもいないと感じることが出来た。そして結局のところ、彼が物事から望んだのはそれだけだった──どこにもいないこと。ニューヨークは彼が自分の周りに築き上げたどこでもない場所であり、自分がもう二度とそこを去る気がないことを彼は実感した。

人間が完全に孤立することは可能なのか

 この小説は「社会から完全に人間が孤立することは可能なのか」ということを実験しているように、読むことが出来ると思う。森の中で引きこもったサリンジャーでさえ、人間の社会から完全に消え去ることはできなかった。誰にも存在を知られることがなく、常に誰の印象に残ることなく、ただ社会から消え去る。そんなことが出来るのだろうか? 誰にも何も告げずに、誰も入ってこないような森の奥地へと赴き、そこで暮らし始めれば、そりゃ出来るだろう。出来るだろうといってもそれが実際にできるかどうかは別問題で、そんなアクティブな行動力があるのならば最初から消えようとさえ思わない気もする。しかしというかだからというかこの物語の主人公が自分自身を消し去る場として選んだのは、ニューヨークという街だったのだ。木を書くすなら森の中とでもいうのだろうか。ガラスの街というタイトルに表されているように、乱反射して実体が捉えられず常に変化を続けているこのニューヨークという街は、一人の人間が隠れるには充分すぎる迷路だったのだ。ニューヨークに住んでれば孤立していないじゃないかというがそれは違う。そこにいるからといってそこに存在しているとは限らないのだ。何もすることはなく、誰とも関わることもなく、誰も彼らを個人として認識しない。意志の疎通が出来るとも思わない。それこそ孤立というものだろう。

あの音楽のなかにいること、あの反復の輪のなかに引き入れられること。おそらくあそここそ、人がついに消えうる場だ。

運命とは何か

 この物語のそもそものはじまりは間違い電話だった。つまりまったくの偶然からこの物語は始まった。そしてまったくの偶然で始まったにしては、ダムが決壊したかのように、一人の人間の運命が大きく変わってしまう。間違い電話がかかってきたりなんかしたせいで、この作品の主人公のクインは「自分以外の人間を演じること」をはじめてしまったのだ。そしてその結果段々と「自分自身を失っていく」。ハムレットで王子は、親の仇を打つ為に狂ったふりをするが、段々とどこまでが演技で、どこからが本気なのかその境界線上があやふやになってしまっていくが、そのようにして一人の人間が段々と街に溶け込んでいくその描写はまさに圧巻であり、ある意味でこの物語はホラーでもあるのかもしれない、と思った。

 しかし偶然で始まったと言っても、この流れはある意味必然であったといってもいいのだ。主人公のクインが「自分以外の誰かを騙ること」は電話がかかってくる以前からの、彼の習慣でありその理由は「もう自分自身でいることに耐えられなくなっていたから」だ。なぜもう自分自身でいることに耐えられなくなっていたのかと言えば、妻と息子を失っていたからでありその事件もまた──。このようにして全ては偶然でありながらもまるで必然であったかのように、未来からみると見える。その事を意図してこの小説はすべてが終わった後、この事件の顛末を知るものが書くという体裁を取っているし、だからこそ「偶然」こそが「必然」なのだという本書の出したある意味での運命に対する答えに、リアリティが生まれるのである。

終わりに

 素晴らしい文章で(最初に引用した文を読めばある程度わかるだろう)、さらさらと読めるのでわりと誰にでもオススメできる一冊でした。でも村上春樹が嫌いな人にはちょっとオススメできないかも。解釈できそうなパーツがばらまかれて、多くの事がすっきりと理解できないようになっていることがまず一つあるし。柴田元幸さんの訳ということもあってか、かなりの村上春樹っぽい文章と会話になっていたように思います。まあでも、私は大変好きでした。やっぱりオースターはいいなぁ。

ガラスの街

ガラスの街