基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

素晴らしい能力を持っているからと言って幸福な人生が送れるとは限らない

ここ最近ずっと能力について考えています。能力って、速く走る能力とかピアノが弾ける能力のことではなく、たとえばテレポーテーションとか自分の後ろからなんかおっかねー幽霊みたいなのが出てきたりする方の能力です。超能力とか、そんな風に言うアレです。なぜそんなものについて考えているのかと言うと、今週の日曜日に大田区のどこかでやる文学フリマというイベントで「能力者バトル特集──基本読書」というものを出す予定なのですが、特に何も考えずに「能力者バトル特集だ!」と決めてしまったので何も書くことが思い浮かばないのです。

で、まあぐだぐだとうーんうーんと考えていたわけで、試しにこんな問いを自分にしてみました。「もし超能力を得ることが出来るとしたら、どんな能力があったら、幸福に、日々便利に過ごせるだろうか?」と。たとえばテレポーテーションがあればもう満員電車に乗らなくてもいいし、車に乗ってきたから今日はお酒飲めんわ〜〜とかいう嫌な葛藤を味合わなくてもよくなる。たとえば自分の身体をゴムのように伸び縮みさせることができるようになったら、私は坐ったままで色々なことが行えるようになるでしょう。ただし、少し考えればわかることですが、能力を得るということもあんまり良いことばっかりではないなーと思うのです。

たとえば、とあるビルで大火事が起こっているのをニュースで中継していて、その最上階に幼い子供が取り残されていたとします。もし私にテレポーテーション能力がなければ、なんてこった! と思うだけでそれ以上どこにも進展しないでしょう。がしかし能力があったらどうか。911の事件が起こった時も、私は家の中でなんてこったなんてこったと思っていただけですが、テレポーテーションが使える私は「行くべきか、行かざるべきか」と悩まなくてはいけないのです。行けるし、行けばビルの中に残っている人を助けられるのです。でもそれはやっぱり大変なことだろうし、人にテレポーテーションが使えることがバレたらやっぱりなかなか面倒なことになるでしょう。いかなかったらいかなかったで、とっても後味が悪いです。能力がなければそれで終わった問題が、能力があるからこそ発展してしまうのです。

うむ、だからどういうことが言いたいのかと言うと、人よりすぐれた能力を持っているからと言って幸福にはなれないということなのです。人よりすぐれた能力を持っていると言う事は、人よりも多くの、大変な厄介事に巻き込まれると言う事なのです。つまり、素晴らしい能力を得たからと言って、幸福になれるとは限らない。幸福の字を分解してみると、『幸』というのは『幸いの原因が自分の中にない、偶然的な、他より与えられたにすぎない』ものをさしており、『福』は『原因を自己の中に有する、即ち自分の苦心、自分の努力によってかち得たる幸い』のことをいうとか。どちらがいざという時頼りになるかは言うまでもなく。漫画やアニメなどで語られる「能力」というのは、基本的にすべて前者なのですよな。

ちなみに絶対的な超能力を持ちながらも、それを「自分で身に付けたじゃないから大した事ねえ」と言ってのける超かっこいい男が主人公の漫画が水上悟志先生の『サイコスタッフ』です。能力を否定してみせる能力物というのは、あまり読んだことが無かったので面白かった。オススメです。

サイコスタッフ (まんがタイムKRコミックス)

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惑星のさみだれ 9 (ヤングキングコミックス)

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