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基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

「非日常」を奇跡的に生き延びてきた英雄と、「日常」を生き延びるすべを知っている比呂美が出会った時に、何かが起きる!──アイアムアヒーロー 3巻

アイアムアヒーロー三巻が発売されました。一人の弱気で鬱々とした男が、ヒーローになっていく物語だと思われます。一巻と二巻の感想はこっちに書いています。現実も怖いけど、非現実にもパンチ力があるし……──アイアムアヒーロー - 基本読書 いやーそれにしても、相変わらずべらぼうに面白い! 一巻の始まりが冴えない漫画家アシスタントの描写を淡々とする場面なので「また漫画家漫画?」と思ったりもしたのですが、全然違った! そこで描写されていた漫画家の日常は、一から崩壊させる為の描写だったんや!! と気が付いた時の衝撃たるや!

圧倒的な一巻

一巻の凄いところは、主人公の何にもない日常だけで話をほとんど一巻もたせているところだと思います。この「アイアムアヒーロー」という物語が、いったいこれから何を物語るのか、それが何一つ明らかにされないまま、男の日常が淡々と描かれていく。その日常の中に細かい予兆がちりばめられているのだけど、初読で何の情報も仕入れずに読んでいるとなにがなんだかわからない。しかし日常だけでも充分に読ませる世界観を持っているのです。

らき☆すたのようなふわふわとして幸福な日常と、笑えるトークを書いて持たせている訳ではない。一度は漫画家になったが打ち切られ、今はアシスタントをやっているが年齢は35歳……、再度デビューを狙えど編集者からは冷たくされ、年齢のこともあってか八方ふさがり。アシスタントの職場ではキモイ同僚に「一人言をやめろ」とウザがられ、唯一の救いの彼女は前の彼氏の話を嬉々とし、それに強く不安を感じる……というような、そういう、何の未来もなく、じめじめして、情けない人間の日常なのです。

それがなぜ読ませるものになっているのか? たぶん、そこにはリアリティがあるからです。リアリティという言葉、私はまだよくわかってないので使いたくないのですが、凄くダメ人間で、絶望的な状況にいる主人公の英雄を見ていると、「自分もこうなるかもしれない」あるいは「こうなっていたかもしれない」とかすかにでも感じてしまう。「自分」を内包している主人公だからこそ、目が離せないのです。

とても映画的な描写

一巻でのラストをかなり効果的に見せているのが、この漫画の映画的な演出だと思います。カメラが、ず―ーっと主人公に寄り添っている感じなんですよね。何て事の無い日常を、全て撮っている。一人家に帰ってきて、一人寂しくご飯を食べて、一人言を延々と呟いたり不安に襲われたりといった描写を延々と続け、移動の場面に至るまで綿密に全部描写されている。たとえば家から職場までの移動も絶対に省略しない。そのおかげで、世界が凄く身近に感じるという効果はあると思う。そしてそこまで密着した世界観が一巻のラストで崩壊する……。以下ネタバレで三巻。
三巻の肝はやっぱり、「日常の恐怖」と「非日常の恐怖」が同時に襲いかかってくるところだと思うんですよね。一巻では先程書いたように執拗に日常における将来への不安、人間関係の恐怖を中心に世界観を構築して見せて、一巻のラストから二巻にかけてではゾンビが出現することによって、丸ごと崩壊させてみせる。作中では一度も「ゾンビ」という単語は出てきませんけれども、「噛まれたら身体中の血管が出てきて、知性を失い、違う人間を噛む」症状なんて完全に「ゾンビ」以外の何物でもない。

この「周りがなんだかわかんないけどどんどん崩壊していく」というパニック物の基本が、本当にうまいんですよね。ゾンビが段々と周りに増えていくところが、あくまでも「個人の視点」から忠実に描写されている。これを可能にしているのはやっぱり、一巻で周到に張り巡らせた「英雄の日常を移動まで書く」ことで、「昨日は安全だった通路が今日は安全じゃないんだ」という事が直感的にわかるようになっている。本当にうまいな、と思います。

ホラーが怖いのは、それが「何が何だかわからないから」です。妖怪の正体は何が何だかわからないから怖いのです。英雄の視点はまさにこれに則っている。たとえばハリウッド映画なんかだと主人公は「何かを知り得る立場」にいることが多いのですが、英雄は逃げ回るばかりで何かを知ろうとすることはない。三巻に至るまでずっとそうなのです。何にもわからないまま事態が進行するので、めちゃくちゃ恐ろしいです。

で、そんな周りがヤバイ状況なのに、三巻になってまた「日常の恐怖」がぶり返してくるんですね。恐怖というよりかは、とんでもない事態が進行しているのに、妙に日常的な事を気にするんですよ。日本中ゾンビだらけになろうとしているのに、電車に乗った時にキセルをしてしまったことを気にしてスイカを置いて行ったり、タクシーに乗ったと思ったら一緒に乗りあわせた客が発症してヤバイはずなのに、運転手とのんきに世間話を始めたりする。

なんでそんな事をするのかといえば、たぶん現実で起こっていることを認めたくないからなんじゃないでしょうか。崩壊してしまった日常を、なんとかして元通りにたてなおらせようとしている。まるでヤバイ状況でも無視して世間話をすれば、日常が戻ってくるようにふるまう。しかし、三巻にしてようやく主要人物らしき子が出てくるわけです。その子は樹海の近くに林間学校で来ていて、そのせいで今世間で何が起こっているのかを知らない。「日常」を保った子と、「非日常」をいやと言うほど体験してきた英雄。その対比がここでは面白い。「これからどうなっていくんだ?」という意味で。

英雄はヒーローになれるのか?

三巻で一番英雄がかっこ悪かったのは、電車の中でみのもんたそっくりのゾンビから皆を守る為に「男だから」と言うだけの理由で先頭に立たされた時の対処の仕方ですよ。

「…アイ アム ア……ヒーロー。」と言いながら土下座!! 

確か熊に襲われたら首をガードして亀になるって何かに書いてたような……とかなんとかいって、誰かを守ろうなんていう気はさらさらない。自分が助かることだけしか考えてません。英雄にとって今まで周りにいた人間はてっこ以外は自分の恐怖の源で、だからこそ守るなんていう発想も湧かないのでしょう。

しかし三巻の最期で、英雄はある決断を迫られる。「目の前の女の子を助けるか否か」。女の子はまだ人間がみんなゾンビになりつつあることを知らずに、英雄は知っている。一人で逃げればこの場は逃げられるでしょうが、守ろうとすれば守れるかもしれない。とりあえず英雄がヒーローになれるかは、ここでの決断にかかっているといいでしょう。

また女の子……比呂美と言いますが、彼女はたぶん「恐ろしい日常を生き延びる」方法を知っている子なんですよね。学校ではイジメられているにも関わらずひょうひょうと受け流し、英雄が恐怖で死にそうになっている夜の樹海に対して、「私はこっちの方が、ずっと落ちつくな…」と言ってみせる。

「非日常」を奇跡的に生き延びてきた英雄と、「日常」を生き延びるすべを知っている比呂美が出会った時に、何かが起きる! と三巻を読んで思いましたとさ。うん、たぶんそのどちらも克服しようとするのがこの「アイアムアヒーロー」のテーマなのじゃないかなと思うんですよね。何にしろまだ三巻。話はプロローグです。今後が一番楽しみなシリーズかもしれません。映画化してほしいなぁ。

アイアムアヒーロー 1 (ビッグコミックス)

アイアムアヒーロー 1 (ビッグコミックス)

アイアムアヒーロー 2 (ビッグコミックス)

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アイアムアヒーロー 3 (ビッグコミックス)

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