基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

神話の力

傑作。ただどこから説明していいのかさっぱりわからないのでぐだぐだ。また文庫が出たら読み返して何とかしようと思います。

本書『神話の力』はビル・モイヤーズとジョーゼフ・キャンベルの「神話」についての対談が主な内容である。ビル・モイヤーズは基本的にキャンベルの聞き役で、キャンベルというのはあの「スター・ウォーズ」の製作に多大な影響を与えたと言う「千の顔を持つ英雄」の著者である。ちなみに松岡正剛さんの書評を読めばだいたい内容が把握できる。→松岡正剛の千夜千冊 『千の顔をもつ英雄』上下ジョゼフ・キャンベル

ちなみに本書にも、『千の顔を持つ英雄』ほどではないだろうけれども、英雄についてのお話は読むことが出来ます。端的に言ってしまえば、キャンベル氏のやった功績の一つは「英雄」にパターンを見つけ出したことではないかと思う。松岡正剛さんの言葉を借りれば英雄のパターンとは『(1)「セパレーション」(分離・旅立ち)→(2)「イニシエーション」(通過儀礼)→(3)「リターン」(帰還)。』になるし、本文中の言葉を借りれば

「英雄の旅の本質は、そんなものじゃない。理性を否定するのが目的ではない。それどころか、英雄は暗い情念を克服することによって、理不尽な内なる野蛮性を抑制できるという人間の能力を象徴しているんだ」──P20

とまあ、そういうことにもなります。人間は負の部分を克服できるのだと証明してみせること。そして英雄物語にある共通のパターンを提示してみせることによって「物語には基本元型」のようなものがあるといっているわけです。しかし「なぜ今、神話なのか?」。本書が出版されたのは1992年ですから、本書の問題意識と役10年後の現代の問題意識は違っているかもしれません。しかし本質は変わっていないのだと、そこにこそ「神話の力」があるといいます。

なぜなら、何千年も前にも人間は存在していたけれど、その精神の構造は現代に至るまでにほとんど何も変わっていない。相変わらず生まれてきたら死ななくちゃいけないし、結婚はするし人間関係の軋轢も絶えません。そしてだからこそ、何百年も受け継がれてきた神話、伝統の物語にはそれだけ「人間の精神の正しいあり方に合致した」ものがあるのではないかというのです。

「人間の精神の正しいあり方」とは何なのか? そんなこと、誰も言葉で説明できません。なぜなら言葉は不完全なものだからです。自分の考えている気持ち、感じている感情をすべて言葉にすることはできない。しかし人間はまったく知らないのに対しては、「イメージ」の方がよりよく理解できるのです。そこで神話の出番です。神話とは、「人間には知覚できなく、言葉では表現できない究極の真理」の隠喩なのです。神話は「究極の真理」の一歩手前にあるものなのだ、というのが本書の基本的な主張です。

 いや、神話は絵空事ではありません。神話は詩です、隠喩ですよ。神話は究極の真理の一歩手前にあるとよく言われますが、うまい表現だと思います。究極のものは言葉にできない。だから一歩手前なんです。究極は言葉を超えている。イメージを超えている。あの生成の輪の、意識を取り囲む外輪を超えている。神話は精神をその外輪の外へと、知ることはできるがしかし語ることはできない世界へと、放り投げるのです。だから、神話は究極の真理の一歩手前の真理なんです。
 そういう経験と共に、ということはその神秘とあなた自身の神秘を知りつつ人生を生きるのは、大事なことです。それは人生に新たな輝きを、調和を、大きさを、与えてくれる。神話的にものを考えることは、あなたがこの「涙の谷」において避けられない悲嘆や困苦と、折り合いをつけて生きるのを助けてくれます。あなたの人生のマイナス面だとかマイナスの時期だと思われるもののなかに、プラスの価値を認めることを神話から学ぶのです。大きな問題は、あなたが自分の冒険に心からイエスといえるかどうかです。

余談ですが正直いって最初は「神話は究極の真理のメタファーだ」とかいう、確かめようのない根拠のない妄言に懐疑的だったわけですが、今でも懐疑的なわけですが、しかし考え方の一つとしては全然有りだと思います。むしろ積極的に全肯定したいぐらいです。僕自身本を……まあ人よりはそこそこ多く読んで、かなり助けられてきた部分もある……かなりというとだいぶ過小かもしれないですけど。うん、だから「どうなのかよくわかんないけど積極的に肯定したいなぁ」と思って読んでいました。余談終わり。

「神話は究極の真理の一歩手前なのだ」の続きですが、だからこそ神話を読み、学ぶことによってより善く生きることができる、神話は先生なのだ、それが神話を読む意味だ、ということでしょう。そして同時に物語を読む意味にもなる。現代において「スター・ウォーズ」が神話の英雄譚を忠実になぞらえているように、細かい文化的差異を物語は採り入れていくものなのだ。差異を取り入れて、たとえば聖書とスター・ウォーズのようにまるで見栄えが違うものになっても、でもその根っこの部分は何も変わっていない。そこにこそ神話の力があるのだ。

最後にちょっと感動した部分を、キャンベル氏は神話を読む意味とは上で書いたようなこととは別に、もうちょっと独特な言い方をすれば「生きている経験」を得るためだと言います。私達は「なぜ生まれてきたのか」とか「生きている意味」を追求するが、人生とはそれだけではないと言っているのですね。その部分の引用です。

生きているという経験です。意味は知性に関わるものです。ひとつの花がある、その意味はなんでしょう。禅にはブッダの教えについてのこんな話があります。ブッダは弟子たちの前にただ黙ってひとつの花を持ち上げて見せた。すると、弟子たちのなかにひとりだけ、ブッダがなにを言おうとしたのかわかったことを目で示した人がいたそうです。さて、ブッダその人が「こうしてきた人[如来]」と呼ばれています。意味なんてありません。宇宙の意味とはなんでしょう。ノミ一匹の意味とはなんでしょう。それはただそこにある、あるいはいる。それだけです。そしてあなた自身の意味とは、あなたがそこにいるということです。私たちは外にある目的を達成するためにあれやこれやすることに慣れすぎているものだから、内面的な価値を忘れているのです。「いま生きている」という実感と結びついた無上の喜びを忘れている。それこそ人生で最も大切なものなのに。

日常的な雑事、テストでいい点をとろうとか、お金を稼ごうとか、そういう外の目的にばっかり追いやられて自分自身について考える時間はあまり今まで持てなかったなぁーと思います。しかしここまで達観できたら素晴らしいと思うのだけどなかなかそうもいかぬもんだなぁ。

あ、ちなみにこれの文庫版は6月23日ぐらいに早川文庫から出るそうですよ。解説はなんと今をときめく明日をきらめく冲方丁先生です。必読!

神話の力 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

神話の力 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)