基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

他者の危機を目前にしたとき、関係のない人が即座に命を投げ出すことができるのはなぜだろう

そういえば『神話の力』の中には、少し前から気になっていた問いへの
ショーペンハウアーによる解答が話題にのぼって、それがなかなか面白かったのでここに個人的なメモとして残しておきます。

その問いとは、コニー・ウィリス著の『航路』のあとがきで触れられていたものです。

 死の謎は生の謎と表裏一体の関係にあるからです。タイタニック号の機関士たちは最後の瞬間まで船の明かりを灯しつづけようと奮闘し、世界貿易センタービルから脱出する最後のエレベーターの場所を若者に譲った老人は「わたしはもうじゅうぶん人生を生きたから」といい、ハートフォードのサーカス火事に居合わせた道化師たちは自分の命を危険にさらして子供たちを救い、ポンペイの灰の下から発掘された女性は、死から自分の子供を守ろうとするようにその体におおいかぶさっていました。
 死に直面した人々の勇気、自分の命が助からないとわかっているときでさえ、なにかを、だれかを救おうとする決意は、人間のもっともすばらしい特質であり、たぶんあらゆるものの中でもっとも大きな謎でしょう。──『航路』あとがきより

このあとがきで触れられているように、人はときとして自分の命が失われそうになっている時でさえも自分とはまったく関係のない他人を助けようとすることがあるようです。僕達は普通自己の保存を第一優先に考えると思われがちですけれども、時としてその理屈に合わない行動をとってしまうのはなぜなのか。

それに対してのショーペンハウエルの答えはこのようなものだ。

 このような心理的危機は、ある形而上学的な認識──すなわち、私と他者とは一体である、私と他者とはひとつの生命の二つの外見であって、別々に見えるのは、空間と時間の条件下でしか形を経験できないという知能の限界の反映にすぎない、という認識──が飛び出してきた結果なのだ。人間の真の実在は、あらゆる生命との一体性と調和のなかにある。これが、危機的状況のもとで瞬時に認識されるであろう形而上学的真実です。ショーペンハウエルによれば、それこそ人間の生命の真実だからです。──『神話の力』P203

つまり僕達は僕達のレベルの物の見方の上だと誰もかれもがばらばらに生きているように見えるけど、もっと深いレベル、高い知覚の中で見るならば根っこで繋がってるんだよ、みんな一緒なんだよということでしょう。そうなるとイエスが言うところの「あなた自身を愛するように、あなたの隣人を愛しなさい」は「隣人はあなたなんだから」そうしろ、ということになるんでしょうなぁ。なんか結局利己的な人間と言う部分は変わっていないようで、「それはそれでなんかいやだな」と思ってしまうのは、欲張り過ぎというものでしょうか。どちらにせよ面白いな、と思ったのでメモっておきます。