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ポストモダンの共産主義 はじめは悲劇として、二度めは笑劇として/スラヴォイ・ジジェク

最近なんだか読書傾向が偏っておらんかね冬木糸一くんと問いかける自分の声が聞こえたので「民主党がアレな今こそ、政治に関心を持って取り組まねばならん! 政治だ!」と思ってちくま新書から出たばかりの「ポストモダン共産主義 はじめは悲劇として、二度めは笑劇として」(なげぇ)を読んでみたらこれが大変難しかった。

それも何だか、日本の若手批評家福嶋さんが書いた本、『神話が考える』を読んだ時に感じたような、「難しい専門用語を無意味に、頻繁に使ってくる衒学的な」難しさだった。なぜこの人たちは他人の言質を雨あられのように引用しまくるのだろう。

そして、引用するだけなら全然いいとしても、何故それをこっちが当然知っているかのようにほとんど説明もしないで引用するのだろう。しかし頑張って読めばそこそこ面白いと言うのが憎らしい。

まあいいや、ちなみに本書は資本主義批判を展開しながら世界を真に編書くに導く行動原理として、コミュニズムを提唱していくのが主な内容となる。資本主義批判としてリーマンショックを引き起こしたとされる、市場への介入を嫌ってあくまでも自由市場を保とうとして失敗した例をあげている。

また、アメリカの証券取引業界では大物としてもてはやされていたマドフと呼ばれる男が、客から集めた金を全部すってはまた新しい客から集めた金で持って返すという前代未聞のネズミ講が成功してしまったと言う事実をもって資本主義を批判している。

前半部は全て上に書いたような資本主義批判であり、どこまで信じていいのかよくわからないなぁーと思いながら読むのが吉である。本書の冒頭にも、「本書が示すものは、中立的な分析ではなく、徹頭徹尾「偏った」分析である(p15)」と名言していることだし。
目次

序  最初の十年の教訓
第1部 肝心なのはイデオロギーなんだよ、まぬけ!
第1章 資本主義的社会主義
第2章 ショック療法としての危機
第3章 敵性プロパガンダの構造
第4章 人間的な、あまりに人間的な
第5章 資本主義の「新たな精神」
第6章 ふたつのフェティシズムのはざまで
第7章 コミュニズムよ、もう一度!
第2部 コミュニズム仮説
第8章 新時代の共有地囲い込み
第9章 社会主義コミュニズムか?
第10章 「理性の公的使用」
第11章 ハイチにて
第12章 資本主義の例外
第13章 アジア的価値観をもつ資本主義……ただしヨーロッパで
第14章 利潤から超過利潤へ
第15章 「われわれこそ、われわれが待ち望んでいた存在である」

むしろ本書の問題は後半部の「コミュニズム仮説」にあると思う。之は何も大いなる問題提起をしているというわけでは全然なく、単純に何を言っているのかさっぱりわからない。そもそも本書を読んだだけでは、こいつのいう「コミュニズム」がどんな政策なのか、どんな意味なのかが全然わからない。

それだけならまだしも、資本主義を批判して、「だからどーしたらいいの?」という部分がまったく書かれていないのだ。なんかかなりひどい本だと思う。資本主義ダメー、もう最悪、今こそコミュニズムだ! と声高に叫ぶのはいいんだけど、なんでコミュニズムなの? っていう問いに対する答えが「コミュニズム最高ー!」じゃお話にならない。

とりあえずコミュニズムが良いと言っている理由の一つに、世界には<大文字の概念>というものがあって(何なのかよくわかんにゃい)僕らは失敗してもその大文字の概念(不変の要素と言えるっぽい?)とやらに立ち返って、何度でも「うまく失敗」することによって歴史を進展させられることができる、だからコミュニズムがいい、というのがある。

で、不変の要素ってのは「四つの基本概念」で、それぞれ「平等主義の正義」「規律のためのテロル」政治における「主意主義」そして「人民への信頼」だ、って言っているんだけど、まあ意味分かんないなぁー。

ほんとに、「だからどーした」の部分が無くてもいい、「資本主義批判」を読んでおきたい、というぐらいの動機なら読んでも楽しそうですけど、「コミュニズムって何だろう〜?」と思って読み始める僕のような動機だとあんまり楽しめないかもしれないです。

ポストモダンの共産主義 はじめは悲劇として、二度めは笑劇として (ちくま新書)

ポストモダンの共産主義 はじめは悲劇として、二度めは笑劇として (ちくま新書)