基本読書

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粘菌 その驚くべき知性

まさか粘菌の話が人間の知性の話にまで飛んでしまうとは思わなかった。

 二〇〇〇年九月、私たちは英国の科学雑誌「ネイチャー」において「アメーバ状生物である粘菌が迷路を最短ルートで解く能力がある」という趣向の論文を発表しました。それまで脳や神経系がない生きものでは、高度な情報処理はないと思われてきました。粘菌は、原形質と呼ばれる物質の固まりです。論文の最後では、それが「原子的な知性」を持つと書きました。

本書で紹介されている粘菌が迷路を解く能力は、かなり凄いものです。粘菌の最短距離を結ぶ道を水道管に例えると、大量の水が流れる水道管の場所はさらに管が太くなり、少量の水が流れるところはどんどん細くなっていってやがて消滅します。そのようにして、最短距離のみが残っていく。これは当然最短距離を巡った方が生存に有利だからと考えられています。

それならば、三点間ならばどうか。円形の入れ物に、ちょうど三角形になるように餌場所を用意すると、その時も粘菌は最短距離を結ぶのでしょうか。答えは否、であります。最短距離では一か所道が途絶えてしまうと断絶したままになってしまうので、一か所道が途絶えても繋がっていられる複数の経路を持った距離を結びました。

粘菌スゲェ! これ、実際に現実の鉄道網を作ったりするのにも利用されているそうです。ひええ。一〇〇年前の博物学者である南方熊楠さんの書き残した物には、こんなひええな記述があったりもします。

粘菌は、動植物いずれともつかぬ奇態の生物にて、英国のランカスター教授などは、この物最初他の星界よりこの地に堕ち来たり動植物の原となりしならん、と申す。生死の現像、霊魂等のことに関し、小生過ぐる十四、五年この物を研究罷りあり。*1

動植物いずれともつかぬ、は「生物なのか、そうでないのか」の問題でもあります。自己複製するものを「生命」とする定義ならば生命と言えそうですが、形態や構造がそれ程発達しておらず、均一性の高い体制、つまり「物のようでもあり、生きもののようでもある」不思議な生物なのです。

はたして、そのようなもの、あるいは生き物に知性はあるのか。著者の知性観からすれば、粘菌は知性を持っている、と言います。

人には意識がありますが、それよりも大きな領域を占めているのが無意識です。自転車に乗っている時に、どうやってバランスをとっているのか意識せずとも無意識で処理して行う事が出来ます。

遠くから飛んでくるものを手でキャッチする時に複雑な弾道計算を行う事もありません。ここで問題になるのは、「そのような意識されない情報処理まで含めて、知性なのか?」ということ。著者はそこまで含めて「知性だ」と言っているわけであって、粘菌に限らずあらゆる生物は知的であるというスタンスを持っているのです。

要するに問題は「生存のためのシステムを持っているか否か」であるともいえそうです。一定の電流を流して最も短い経路に最大の電流が流れるような物理システムを構築した場合、「電流が迷路を解いた」とは言わないけれど、粘菌の場合には「生存システムとして自発的に」迷路を攻略するので「解く」というのだ、と著者は言います。

人間の意識をこそ「知性」と呼ぶのだ、という向きもあるかもしれませんが、主観的な意識は他者に伝達不可能なごく個人的なものであって、客観的には人間の思考活動には「ニューロンの発火現象」という粘菌が目的地へと最短ルートを示すのと似たり寄ったりの現象しか見ることができません。

結局のところ人間の意識を客観的に観測出来ない以上(無意識の生存システムと大差がつけられない)、人間が「知性」を持っていると無理やり条件付けして、定義付けを行うと「無意識に行われる情報処理まで含めて」知性である、とするほかないのかな、と思いました。

粘菌という生物と無生物の間の話なのに(だから?)非常に哲学的なお話で面白かったです。

粘菌 その驚くべき知性 (PHPサイエンス・ワールド新書)

粘菌 その驚くべき知性 (PHPサイエンス・ワールド新書)

*1:p.057