基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

本は、これから

『本は、これから』というお題にて、37人の出版関係者の方々が6ページ程で短く書いて寄せ集めた一冊。僕は元々こういうアンソロジー? というのですか? いつもは「複数の著者が書いた本」が苦手で、敬遠してしまうのですけど今回はなんとなく読みました。長かったので収納
雑誌なら抵抗なく「気に入らない作家や箇所は読まずに飛ばす」ことができるんですけど、一冊の本は気持ち悪い感覚が残る。なぜなら雑誌は「続いて行くもの」だけれども本は「完結しているもの」だからだと思います。でもたまに我慢して読むんですよね。で、まあつまんないわけですけど。だから嫌いなんですけど。

37人が誰か、どんなテーマかについては目次を下に載せておいたのでそれを参照。主な目的は池澤夏樹内田樹最相葉月鈴木敏夫、長尾真、成毛眞松岡正剛、あたりだったのですが、結局全部読んでしまいました。人によりけりだけれども格別面白いわけではないし、さすがに37人もいる上にページ数が少ないと言っていることが被るんですよ。

でもやっぱりここに集められているのは筋金入りの本好きで、何を言っても凄く共感してしまうんですよね(僕は本好きじゃないかもしれないが)。そういう意味では、凄く楽しめました。また同時に、このような掲載方式で「大勢の意見をならして、平均を求められること」も重要なのかなと思います。

特に本書は池澤夏樹さんが編集したこともあって、同年代の方々が多いです。言ってしまえば、おじんおばんばっかり。平均年齢へたしたら60いくんじゃねーのってレベル。ある意味では「この世代に特化した人間の本のこれからについての平均的な意見」が本書を読めばだいたいわかるという利点があるでしょう。

ここに集められた文章全体の傾向を要約すれば、「それでも本は残るだろう」ということになる。あるいはそこに「残ってほしい」や、「残すべきだ」や、「残すべく努力しよう」が付け加わると考えてもよいかもしれない。*1

というわけで内容へ。「それでも本は残るだろう」という意見は、「俺たち私たちが居る限り物質としての本は絶対に残る」という覚悟の現れとしての意見が多かったです。同時に「本には本にしか無い良さがあるから残る」という論拠の人や、「本は希少な物となるだろうが伝統工芸品として生き残る」派の人や「そもそも電子書籍について語らない」派の人などが居ました。

要するに先程引用したように、大勢を占めているのは「電子書籍と紙の本は両方とも生き残るよ(様々な理由で)」というところでしょうか。そりゃそうでしょうね、と思います。いくつか気になった論拠をピックアップしてみます。まず内田樹せんせーが語る電子書籍の難点。

電子書籍はこの「読み終えた私」への小刻みな接近感を読者にもたらすことができない。紙の本という三次元的実体を相手にしているときには、「物語の終わりの接近」は指先が抑えている残り頁の厚みがしだいに減じてゆくという身体実感によって連続的に告知されている。だが、電子書籍ではそれがない。仮に余白に「残り頁数」がデジタル表示されていても、電子書籍読書では、「読み終えた私」という仮想的存在にはパーティへの招待状が送られていないのである。

なるほどこれはたしかに。私たちは読書を始める時に「これを読み終えた私」を想定し、そこに向かっている「読みつつある私」が変化していき、最後に最初に想定していた「読み終えた私」へと進んでいくのである、電子書籍のデジタル表示ではそれがない。

二つ目に上げている難点が、「宿命的な出会いがない」点だという。要するに書店で引き寄せられるようにとある本を買ってしまうような出会いのこと。私たちはそのような本を「偶然」買ってしまうわけだけれども、その中の一節に自分の運命を変えてしまうような文章があると私たちはこれを「宿命だ」と感じる。

電子書籍は、「今読みたい本」を瞬時に手に入れる為には優れた手段だけれども、最初の「偶然的出会い」がなければ「宿命的な出会い」という思い込みもなくなってしまうというのである。人にオススメされたとか書評を読んだなどの「人為」を介在してしまうと「宿命の出会い」にはならないんですね。

正直な話、そうはいっても、たとえ「人為」を介在しようが「人が勧めてくれたことまで含めて宿命の出会いだと思えるんじゃないの」と思ってしまいます。正直内田樹せんせーと僕の「物質としての本に対する幻想」は大いに違いがある故に、100%納得することは難しいです。

予想外に長くなってしまった。しかし「本」という物質の利点を電子書籍と比較すると、やはり物質であるところにあることは言うまでもない。物質であるということは、身体で触れて、覚えることができるということだ。「なんとなく本のあの部分」などといってぺらぺらっとめくったりすることも、本でなければ出来ない。

電子書籍になれば、当然物質性は失われるのでそのような利点は受けられなくなる。だからまあ、無難に「電子書籍はその利点によってはやるけど、本も残るよね」となる。

ただ最後に「本は、これから」について(偉そうに)僕の考えのようなものを書けば、「電子書籍になろうが、本のままだろうが、人間は読書を必要とするし、必要とする以上それに最適な形が常に見いだされ続けるだけだ」と言う事になると思う。

本は、これから (岩波新書)

本は、これから (岩波新書)

■目次
序 本の重さについて 池澤夏樹
電子書籍時代 吉野朔実
本の棲み分け 池内 了
発展する国の見分け方 池上 彰
歩き続けるための読書 石川直樹
本を還すための砂漠 今福龍太
本屋をめざす若者へ 岩楯幸雄
書物という伝統工芸品 上野千鶴子
活字中毒患者は電子書籍で本を読むか? 内田 樹
生きられた(自然としての)「本」 岡粼乾二郎
本を読む。ゆっくり読む。 長田 弘
装丁と「書物の身体性」 桂川
半呪物としての本から、呪物としての本へ 菊地成孔
電子書籍の彼方へ 紀田順一郎
実用書と、僕の考える書籍と 五味太郎
永遠の時を刻む生きた証 最相葉月
綴じる悦び 閉じない夢想 四釜裕子
誰もすべての本を知らない 柴野京子
変わるもの、変わらないもの 鈴木敏夫
三度目の情報革命と本 外岡秀俊
私(たち)はなにをどう売ってきたのだろうか 田口久美子
最悪のシナリオ 土屋 俊
「追放本」てんまつ 出久根達郎
図書館は、これから 常世田 良
地域に根づいた書店をめざして 永井伸和
電子書籍のもつ可能性 長尾 真
和本リテラシーの回復のために 中野三敏
「買書家」の視点から 成毛 眞
届く本、届かない本 南陀楼綾繁
電子書籍がやってくる 西垣 通
出版という井戸を掘る 萩野正昭
「本ではない本」を発明する 長谷川 一
本と体 幅 允孝
大量発話時代と本の幸せについて 原 研哉
紙の本に囲まれて 福原義春
読前・読中・読後 松岡正剛
しなやかな紙の本で、スローな読書を 宮下志朗

*1:p.2