基本読書

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人は、,なぜ約束の時間に遅れるのか 素朴な疑問から考える「行動の原因」

これはかなり面白いですね。本書で紹介されるのは行動分析学という、ヒトがなぜそのような行動をするのかを人の心(怠惰である、記憶力が悪い、頭が悪い、だらしない)に求めるのではなく、環境に注目して「なぜ?」と問いかける学問。

たとえば本書の題名についている「なぜ約束の時間に遅れるのか」については、よく「遅れる人間はだらしないから遅れるのだ」といって済まされる事が多いけれど、他に原因が認められるのならばそちらを認識して正すことが重要になる。たとえば約束の時間に遅れる原因を列挙してみると、「道に迷ったりなどの遅れを考慮に入れることが出来ていない」ことだと分析できる。あとは遅れない為には時間の分析をすればいいだけの話だ(非常にシンプルな話にすれば。)

もうちょっと複雑にすると、タイ人はよく約束の時間に遅れてくるくせに対して悪びれもしないらしいが、これも行動分析学で説明できる。東京で待ち合わせをすることを考えてみれば、電車は時間キッカリに来るので、電車にさえ間に合えば場所がわかっている時に限りあまり約束に送れることはない。しかし乗り物が車になれば話は別で、正確に何分に着くと言う事がわかりずらい。

タイのバンコク市内は世界でも有数の渋滞都市であるという。人のほとんどが車で移動するからだけれども、そうなると約束の時間に遅れることにルーズなのもわかる。「間に合わないことが多いから」だろう。同時に日本人がなぜこんなに約束の時間を守ることに煩いかと言えば(少なくとも僕にはそう見える)電車が時間通りに来るからだといえる。

考えてみれば世の中にはこのような「問題を正しく把握できていない」事例が数多くある。勉強が出来ないことを「頭が悪いから勉強が出来ないんだ」と問題を認識してしまうと話はそこで終わってしまう。ただよくよくその環境を見てみれば、勉強法が間違っているのかもしれない(まずほとんどはこれだろう)、あるいは基礎をやらぬまま先に進んでいるからなだけかもしれない。もしくは「親が毎日勉強しろと煩く言う」ことこそが原因かもしれない。

だからこそこの『行動分析学』は重要といえる。傘をよく忘れてしまう事例から見る「随伴性」という考え方も面白い。傘を忘れて、家に帰った時に「また、なくしたの!」と怒られるから「やめよう」などといって考えるのが随伴性である(よく理解してないから説明がマズイ)要するに、取った行動がどのような結果を引き起こすかのことを随伴性と言っているのだと思う。

節約のために家の電気を消さずにいると毎回怒られるような家族がいれば電気を消すようになり、いなければさほど気にかけない、といった感じだ。傘を持って帰らないと家に帰った時に毎回怒られている人は次第にちゃんと持って帰るようになるだろう。また、傘を置き忘れてしまう原因は考えてみれば当然のことだが「普段傘を持っていないから」という理由が挙げられる。

解決策は常に身体から傘を離さないようにすることだろう。「記憶力が悪いから忘れる」などと問題を間違えて認識していると、一生傘は手元に残らない。犯罪も同じだと考えると少々怖い気がする。今の犯罪者は捕らえられると刑務所の中で反省をしきりに促せられるが、犯罪者のほとんどが環境にあるのだとしたら? 釈放されて同じ環境に戻されたらまた同じことを繰り返す。

本書が凄いのは、もう一歩先へとお話を進めている点だろうと思う。行動分析学を応用した事例としてよく出されるのが、「男子用トイレにハエのシールを貼ったらそれだけでトイレが綺麗になった」ということ。要するに、「トイレを綺麗に!」などと張り紙をするより「ハエに当てるとなんとなく嬉しい」というプラスの随伴性の方が効果的なのだ。

しかしこれって、結局のところ先行する事象があって、人間はそのあとをくっついて回っているだけなのですよね。ハエのシールがあって、当てるとちょっと嬉しいから当てる。自分の意志でハエのシールを狙っているような気がしても、実際はそうじゃない。傘を手すりにかけていれば忘れてしまうし、煩く言われなければ部屋の電気は消さない。

人が約束の時間に遅れてきてむかむかするのも結局はそういう環境にあるからで自分の考えさえも環境、随伴性に影響を受けているにも関わらず普段はそうと意識することはない。「自分で判断し、自分で決断している」と思っている。一番気をつけなければいけないのは、「自分」への過信をやめることだ、と読んでいて思った。

人は、なぜ約束の時間に遅れるのか 素朴な疑問から考える「行動の原因」 (光文社新書)

人は、なぜ約束の時間に遅れるのか 素朴な疑問から考える「行動の原因」 (光文社新書)