基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

MORI LOG ACADEMY〈1〉

小説家の森博嗣センセーによって書かれたWEB日記の書籍版。最初から出版目的で書かれている為にクォリティは高い。WEBで連載している時に毎日楽しみに読んでいて、更新が終わって読めなくなってしまった時にかなり寂しくなったのを思い出した(亡くなる前に全部コピペして保存しておこうとしたが(セコイ)量が多すぎて断念したので書籍版をようやく今集め出したのである)。

こうして改めて読んでみても、考え方とその考え方のままに出される日々の生活におけるクールさは凄いと思う。日記であるから大半の描写は今日はどこにいって何をした、という描写なのであるけれども、思想がそのまま生活に現れているのがわかって、変な言い方かもしれないが、スーパーヒーローを見るような目で見て、感動してしまう。

本人も書いているけれども、「発想集」という言い方が正しいと思う。思いつきのような思考が、たくさん収められている。非常に多岐にわたっていて、どれもここに書き残しておきたいけれど、引用が大部分に渡ってしまいそうなので控えておく。引用は文章の場合(絵も最近は)割とお手軽にされている印象があるけれど、やはり書き手の側を考えれば好ましくないだろう。

それだけだと書くことがなくなってしまうので引用は出来る限りしないで、面白いとおもったところを一点だけ、書き残しておこう。あとがきで、この日記のポリシィとして「なるべく抽象的に書こう」ということを挙げているところだ。現代の情報の中で最も欠けているのが、この抽象的なものだからだそうだけど、どうなんだろう。

具体的/抽象的をそもそも厳密に分けることが難しいなと最初に思ったけれども、この考え方こそが「具体的」な考え方なのかもしれない。しかしそもそもなぜ抽象的な考え方が欠けているのだろう。森博嗣先生は貧しい時代には抽象的な議論をすることしかできなかった(具体的な議論には意味がなかったから)けど豊かさの実現によってそれがなくなったという。

なるほど。豊かさのせいで「具体的に物事を考えられるように」なったというのはありそう。成りあがりストーリーだって、かなり現実的に、具体的に考えればそれだけ可能性が上がる。具体的にすればするほど現実的になる。しかし欠けているという物事を「抽象化」する力っていったい何なのだろう。

先生は抽象化によって普遍的な価値が見いだせ、他人にも価値があるものになるという。具体的なものは価値が無いのか……と考えれば、それはたしかに価値が無さそうである。大望と言う意味での夢で考えれば、具体的な夢というのはごく個人的なものであって、他の人に適用できるものではない。

失われているのは、恐らくはそのような共通の理解、思想、考え方のようなものなのだろう。なんというか、これだけの事をちゃんと理解するのに僕の場合随分と手間がかかるものだな……と今ちょっと悲しい。僕は森博嗣先生のようには間違いなくなれないが、しかしその考え方に触れることはできる。それだけで今はいいかとも思う。

MORI LOG ACADEMY〈1〉 (ダ・ヴィンチ ブックス)

MORI LOG ACADEMY〈1〉 (ダ・ヴィンチ ブックス)