基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

人間は考えるFになる

哲学教授の土屋賢二先生とミステリィ作家で当時はまだ助教授をしていた森博嗣先生の対談本。どちらも大ファンの上に、どちらも超KY(空気読めない)人間同士なので、はたしていったいどんな会話が繰り広げられるのか、と楽しみに読んだら、やっぱりどちらも凄く空気が読めてないというかそもそも読むべき空気が存在せず、お互いにわりとひどいことを言い合いながらもどちらも気にしていないようなところが面白かったです。

たとえば「友だちは必要か!?」という章で恨み・殺意などについて二人が話しているんですけど土屋先生の暴言っぷりがひどい。

 森  恨みというのも人間関係ですね、確かに。人間関係のもつれというのは、人間関係を求めるから起こるんです。

土屋  それはそうですけど、会社に就職したり結婚したりすると、どうしても人間関係ができてしまうわけですね。で、人間関係ができると、必ずもつれる(笑)。誰でも殺意を抱く瞬間があると思います。

 森  僕はあまりないですけど。

土屋  ないですか。じゃ、他人から抱かれてますよ、殺意(笑)。

じゃ、他人から抱かれてますよ、殺意(笑)。

怒られるぞ!! そんなこといったら!! それから森博嗣先生のおうちで対談が始まった時の土屋先生の第一声もひどい。

土屋  いやあ。凄い家に住んでるんですねえ。本はなくて鉄道模型と人形だらけ。まともな人間の家とは思えない(笑)。趣味の家ですねぇ。

まともな人間の家とは思えない(笑)。

怒られるぞそんな事言ったら!!

それからコンクリートの研究をしていた森博嗣先生に対して「コンクリートなんかやってないで、他のもの研究したら?」ってアドバイスしようと思っていたとか割と何でも言ってしまう人である。

まあでもそんなんでないと哲学的な議論なんか出来ないのかもしれない。ソクラテスも偉い知識人とされている人に「ねえなんで? それはなんで? あ、そうなの? じゃあそれはなんでなの?」と聞きまくって最終的に相手がわからないというと「知識人(笑)」といったうざい奴だが(偏見)そのようなずけずけしさが哲学には必要なのだ(今悟った)。

こんな話は別に本筋ではなく、他にも面白いお話がいっぱい。文系学生と理系学生の、先生に対する批判的な態度の違いなんか、自分もそうだったのでうんうんと頷きました。文系の学生は先生に対して批判的だけれども、理系はそうではないというお話。

主に工学の話ですが、工学は専門的なもので学生にはわからないけれど先生にはわかるわけで、先生の力が示しやすい、力の差が歴然としていて、もう教えてもらうしかないので自然とひれ伏す。

対して文系、特に哲学でいえば「どれだけ哲学の知識を持っているのか」本質ではないというんですよね。さらにいえば語学力も教師の方があるけれども、これも哲学にとっては本質ではない。実力が示しにくいんですよね。

女性のコレクタってあまりいないというお話も興味深い。僕の周りには意外といるような気がするんですけど、どうなんでしょう、少ないんですかね。

 森  これは後天的で社会的なものだと思いますけれど、以前聞いて興味深かったのは、女の子と男の子両方に人形を買ってあげる話です。男の子は気に入ると、次々同じ人形が欲しくなる。ウルトラマンを買うと、ウルトラマンタロウとかたくさん買ってほしい。女の子は、人形をもらうと、その人形の家が欲しくなる。人形の座る椅子が欲しくなる。小さな社会を作ろうとする。早く周りを囲って安定したまとまりを作ろうとする傾向があるというんです。

ふむう。どうなんでしょうね。そう言う風に感じたことは僕はまったくないんですけど。だいたい僕はウルトラマンを一つでも買ったらそれでウルトラマン系には満足して次にアンパンマンが欲しくなるようなとんでもねー飽き性の人間なので男の子の気持ちもわからんのですが。

趣味が同じ人ほどけっこう話が合わないというお話も。読書なんかだと顕著なんですけど、「読書が趣味です」と発言する人が二人いても三人いても四人いても、大抵読書範囲は重ならない(笑)。ここでのお話はそうではなくて、「好きだと言う事はほかの人よりも好きなジャンルについて嫌いなものが多いことだ」というお話です。

ジャンルにはまり込んでいくうちに自分の中でジャンルに対する一個の理想的な哲学が出来て行くのかもしれませんね。そしてその範囲外にあるものはあまり楽しめないか、嫌いになってしまう。「サークルが必要なのは、初心者のときだけで、方向性が決まってくると不要」などとも言ってますが、そうかだから世の中の大学サークルはいつも不穏な空気に包まれているのか、と納得してしまいました。

趣味人たちの哲学がぶつかりあって不穏な空気が溢れだしていたのですね。趣味が同じ人同士で深い付き合いをする時は十全に気をつけようと思いました。そんな感じ。おもしろかったです。世界中の人が全部この二人みたいに思ったことをずけずけ相手に対して言える人達だったらいいのにと思いつつ、そんな社会はちょっと嫌だなとも思いつつ。

人間は考えるFになる (講談社文庫)

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