基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

『トロン:レガシー』を見たよ!

あらすじ: デジタル業界のカリスマ、ケヴィン・フリン(ジェフ・ブリッジス)が謎の失踪(しっそう)を遂げてから20年たったある日、27歳に成長した息子サム(ギャレット・ヘドランド)に父ケヴィンからのメッセージが届く。サムは、父ケヴィンの消息を追って父のオフィスに足を踏み入れるが、そこには衝撃的な真実が待ち受けていた。

前作と言われているトロンを見ていないので、僕の感想はだいぶ偏っている、と思って読んでもらいたいのですが、それにこの作品を面白いと思った人には読んでもらいたくないのですが、残念ながら大変つまらなかったです。脚本から何から何までどこかがおかしいとしか考えられない、そういうひどさでした。といっても何から何までつまらないのかというと、そうではなくなんとなくテーマ的なもの、やりたかったことのようなものは多く感じ取れます。成功しているかは別として。

ちなみにこれはどうも、『すごい映像美』がウリの作品のようで、「ハリウッドの脚本なら映像さえ良ければあとはまあそれなりに楽しめるものが出てくるだろう」と僕は思って行ったんですがね。そのへんの、僕のハリウッド映画に対する信頼感はなかなかのものがあります。「脚本はとりあえず大丈夫だろう」と。しかし騙されることになります。

それにしても映像が凄いとは思わなかったです。一緒に見に行った人は映像は凄かった、と言っていたので恐らく凄いところはあると思われるのですが、僕にはどこが凄いのかよくわからなかった。映像美はスルーしてお話でちょっと面白かったのは、ハリウッドによくある父親を憎んで、父親を打倒してその先に行こうとする親子関係ではなかったところ。

主人公のサムは偉大な父親をそのままちゃんと尊敬して、父親の意志を尊重しようと頑張っているいい子なんですよね。で、あるキッカケから父親は自分のつくったコンピュータシステムの中から出られなくなっている。サムはそこに飛び込んでいって二人で脱出を図る──そういう話なのです。親父との関係は途中ちょっとギクシャクするものの非常に良好で、「ハリウッドでは親父とは対立するもの」という先入観があった僕にはこれがとても不思議な感じでした。

一方母親は随分前になくなっているという設定が一瞬語られた後、あとはもう話題に上ることすらありません。正直言ってこの辺の割り切り方がちょっと怖い。なぜそこまで母性を排除しようとするのか。ヒロインの登場も随分と遅く、特にサムとの恋愛をしているところは描かれていないように思ったのに最後の方ではまるで二人は将来を約束した男女のようになっていた。いつのまに?

あとはザっとした感想として、かなりお話は破綻しています。恋愛描写らしい恋愛描写もないのになぜか突然主人公がヒロインと恋仲みたいになっていたり、作中の描写の一つ一つがさっぱりわからない仕様で満ちているのだけど「ゲーム世代のお前らなら特に説明が無くてもわかるだろ、な?」とでも言わんばかりの説明の無さ。サムはどんな異常な状況でもほとんどうろたえずに生き生きとしてサバイブしていくクレイジー野郎でその適応力の高さには唖然とする。

あとサムの父親は「禅の境地に達した」修行者という設定らしいのだが、「お前は私の禅の境地を乱した」などと息子に言ったり、怒鳴ったり怒ったりするので唖然としてしまいました。禅の境地ってやつは、僕の認識では絶対に心を乱されないから境地というのであって、簡単に乱されているようでは境地には至ったとはいえないのではないか? と思うのだけれども僕の禅の認識が間違っているのかもしれない……。

「完全を目指すことは可能なのか」「デジタルと現実」「現代アメリカの新たな父的イメージ?」「科学の発展が世界を救う」などなど、テーマ的には面白かったのですがどれもばらっばらな印象。また特に今この時代で科学技術の発展がもたらす進化を一心不乱に盲信するような描写はあまりに単純すぎて恐怖さえ覚えました(これはひょっとしたら勘違いかもしれない)。

偽禅の境地親父といい、個々のキャラの把握のしにくさと言い、適当な映画といった感じでした。ひどさで言えばドラゴンボールエボリューション程……とはさすがに言えないものの、それに近いぐらいめちゃくちゃだと思う。い、いかん久しぶりにこんなにディスってしまった。面白いと思った人には申し訳ござません。