基本読書

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シュルレアリスム―終わりなき革命

病み上がりで体力があまりないのでリハビリ代わりに適当に書いて短く終わらせる。

シュルレアリスム」や「シュール」といった言葉をよく聞くけれど、いったいどういう意味なのかよくわからなかったのでこの『シュルレアリスム―終わりなき革命』を読んでみました。なるほど、よくわかんないけど、少しはわかったぞ! シュルレアリスムに関わった人たちを通じてシュルレアルスムとは何かについて学ぶ。

ただこれをひと言で説明しようとするとなかなか骨だなあ。引用してしまえばこういうことになる。

シュルレアリスムは、一九二〇年代、フランスで生まれた文化運動である。それまでの西欧の近代文明を根底から批判し、新たな人間の可能性を呈示し表現した文化運動である。若い詩人、文筆家、画家が中心だった。

シュルレアリスムが始まる直前にあったのは第一次世界大戦であり、当然この運動にも密接に関係している。自分たちが送り込まれた地獄のような戦争状況をみてきて、戦後になりなお反省しない社会へと怒りをぶつけたのだ。それがシュルレアリスム運動の始まりだったという。

「反省しない社会」に具体性を与えると、本書ではデカルト的世界といっている。「我は考える。故に我あり」という絶対の事実を元に理性的に物事を考えていける人間像が出来上がっていって、「我々は自然の主人勝つ所有者になることができる」といったデカルトの言葉に表されるように「自然を理性的な人間が活用していく」という偏った理性絶対主義の構図が出来上がった。

シュルレアリスムはこの流れへの反抗として生まれた。人間は理性だけの存在ではなく、本能的な、非理性的な部分を合わせ持っているのだということなのだと思う。シュルレアリスムと言えばまず話題にのぼる「自動筆記(何も考えずに文字を打ちこみ続けて倫理観や理性といった邪魔を排除して未知のものを表現する)」もこのようなところから生まれた。

そのような運動は芸術に多様性を与えることになる。理性至上主義の時代に理性では理解しきれない、何か不可解な物をこの世に生み出す。「なんだかよくわからないもの」が無くなった結果失われるのは「なんだかよくわからないもの」への接し方、感性、現実の世界の様々な見方。そもそも世の中が理性で理解できる合理的な物ばっかりになったらつまらないだろうというものだ。

それにしても面白かったのは革命家たちが芸術という手段を用いて「何か自分では思いもよらない限界突破したすげえもの」をこの世に現出させようと、どれもわりかし荒唐無稽でとっぴなやり方をやっているのにそのどれもがクソ真面目で本気だというところだ。よくそんなに、気が狂いそうになりながらやるよなあ、と思わず感心してしまう。

ただそのような人達がいたからこそ、今の芸術はあるし、シュルレアリスムもたびたび話題にのぼるのだろうし、その精神性は何度現実観の転覆がおころうと、新たな現実観の創出を目的として生き続けるんじゃなかろうか。シュルレアリスムは一つの革命システムになったのかもしれないと思った。

本書は入門書として最適なのかどうかよくわからないけどなかなか面白かった。

シュルレアリスム―終わりなき革命 (中公新書)

シュルレアリスム―終わりなき革命 (中公新書)