基本読書

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生贄のジレンマ

小説。読み始めたらそこからはもう一気に止まらずに、最後まで読み終えた。上中下と三冊もあるのにね! 著者の土橋さんの作品、僕は格段「大好き!」というわけではないけれど、このぐいぐいと読み進めてしまう展開の妙はいつ読んでもほれぼれする。特に本書のテーマであるジレンマ。一般的にはジレンマは二つの問題があり、どちらを選んでも何らかの不利益があって決めかねる状況を言いますが、それすなわち「どっちに行くんだろう!?」というわくわくがあるわけで、いつにも増してあっという間に読んでしまう。

あらすじとゲームのルールを簡単に説明すると、学校に集められた卒業を間近に控えた高校三年生が、今から三時間後に全員死ぬと謎のバニーに告げられてしまう。生き残る方法は、手首に装着された器具を使ってクラスごとに誰かに投票して殺すか、あるいは校庭の真ん中にある高低のわからない(シャレ)深い穴に生贄を捧げるか……。穴に生贄を捧げた場合、24時間、三年生全員が生き延びることが出来る。

本書の主人公たちは様々なジレンマの岐路に立たされるが非常に単純化した形のジレンマは以下の質問にどう答えるかの葛藤にあるのではないか。「自分が生きる為に、他人を殺すことが出来るか」。もちろん親しい/親しくない 相手の状況、何もかも取っ払っての質問だが、しかしどうだろう。大多数の人は自分が生きる為なら他人を殺すと答えるかもしれない。ただ、人間の最大の美徳とはそういった状況でも、自己を犠牲にして他人を生かす選択をとることができる点にある。

自我があるからこそ、利己的にふるまうか、もしくは利他的にふるまうか、その狭間で揺れ動くのだろう。この問題が発展したところにあるのが、暴走する路面電車の話だ。あなたはブレーキのきかなくなった電車を運転しており、その先には五人の作業員だか魔法少女だかがいる。だがその手前に左側にそれるルートがあり、そこには一人の作業員がいる。あなたはどちらかに舵をとらなければならない。

ジレンマに陥ってしまう理由のひとつに、対立する原理があることが挙げられる。助けられるならばできるだけ多くの命を救うべきだ、という原理がある一方で、どれだけ正当な理由があっても人は人を殺すべきではないという原理もある。主人公達が最初にぶち当たるのはこの原理の対立であって、答えを出すのは非常に困難だ。だからこそ右往左往して苦悩する姿に大いに感情移入してしまうのだろうと思う。「自分だったらどうするだろう?」と考えて。

もちろん路面電車の話なども、「作業員がぴょんと避ける」ことなどを考慮していない点で単純化されすぎている。本書で主人公達が突き落とされる状況は、そういう意味ではあまりにも荒唐無稽で無茶苦茶な話だと思う。いったいどんな組織が高校三年生全員を、どのような手段で、何の目的で、などといった納得のいく情報は最後まで与えられない。

この点に関して色々解釈の余地はあるけど、本書でやっているような原理的な話を、ファンタジー要素抜きにして現代でやろうと思ったら、いちいち説明すればするほど余計ウソ臭くなってしまう。「作業員がぴょんってすればいいじゃん」と言われて「いやいや、実は作業員は足が骨折していてね……」「じゃあ手で這っていけばいいじゃん。」「いや手も骨折していて……」などと説明していたらキリがない。

説明を一切しないことで荒唐無稽な話になるがそれによって得られるものは大きい。欺瞞や社会的なおべんちゃらで覆われている日常における本質を得る為には、先入観を乗り越えることが必要で、その為には日常的にはあり得ない特殊な状況下を想定して想像する他ない。その上でエンターテイメントとして「アホな話w」とそっぽを向かれない為には荒唐無稽な話だからこそ現実的に感じられる心理描写が必要で、これが非常にうまいなあ! と感嘆した。

結局、ジレンマを解決するのは終わりなき対話、なのではないかと思った。