基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

青い星まで飛んでいけ

これは表紙がよいですね。思わず買ってしまうぐらいには。小川一水先生のSF短編集。どれも凝っていて、良いなあと思いながら読み終えました。最初の三つは個人的な好みからは外れていますが、あとの三つは好きですね。べつに「これこれこういうのが好き」ってのがあるわけでもないんですけどね。いやあるのかな?

『占職術師の希望』という短編は「人の天職が何か見抜く」ことができる主人公が出てくるのだけど、あ〜テンテンくんだなあと思いながら読んでいました。一水先生はなんかこう、スペシャリストっていうか、職業人をこのんで書いているような気がします。その延長線上にあるのかな〜。

「天職があるのか」というのはなかなか難しい問題です。基本的な性向はどこまで人間を規定するのでしょう。さっぱりわかりません。まあ普通はそんなものないって考えるんでしょうけど、突然何の脈絡も理由も無くそれが好きで好きでたまらないってことが、ありますからね。「好き」っていうのは=才能であると僕は考えますが、「なぜ好きなのか」には基本的に応えられないじゃないですか。「なんかわかんないけど楽しい」ってそのなんかわかんない部分が基本的な性向、天職なのかもしれないですね。

あとこの主人公、人をみるとその人に二十写しになって、本来の天職をしている姿が見えるらしいんですが、たとえば何の役にもたたない才能だったらどうするんでしょうね。手を1分間の間に誰よりも早く叩くことができる天職、とかが二十写しになってたら、この主人公の目には高速で手をパパパパパパパパと叩いている姿が見えるんでしょうか? 人の天職がみえるっていう能力、結構凄いけど、僕はちょっと……いらないかなあと思いました(そんなこと誰もきいてない)。

『守るべき肌』というのが、二番目に気にいった短編です。人類が肉体を棄てて計算で成り立っている仮想空間で悠々自適になんでも可能にしながら日夜暇つぶしを行っているという、ディアスポラなイーガン的世界観。そして始まるエンダーのゲーム、っていう感じ。とてもよくできている(偉そう)。面白いです。ただ……特に突き抜けるものを感じなかった(すげー偉そう)。

表題作の『青い星まで飛んでいけ』が一番好き。何が好きなのかな、と考えてみると、単純なイメージが優れているのかなと。地球人類が生み出した、地球外知性を探して接触せよと命令を与えられて宇宙をさまよい続ける機械生命が主人公。この主人公の身体は、総体としては直径100キロの空間を占め、質量二億トンのハードとソフトの群れ、だそうです。

燃えるね〜〜。100キロの空間を占めたハードとソフトの群れが、自己を改築しながら宇宙をだらだらとさまよっているところとか、超かっこいいよね。そしてたったひとつ与えられた任務が、地球外知性を探して接触せよ、なんだから。実際にそうであるかとは関係なしに、SF的想像力っていうのは常に他の知性体を求めてきたのだなと思う。

まあ、実際もそうなんだろうと思うけど。宇宙関連の事業は、血眼になって地球外生命を発見しようとしているように見える。地球外生命がいたという小説は日本の観光名所ぐらい発表されても、地球外生命はいない、とする小説はめったにない(あったような気がするけど思い出せない)。

想像することも困難な広い宇宙に、生命が地球にしか無いっていうのは、自分には関係が無いことだけど、何やらとても寂しいと感じるのが理由だろうか? よくわかりませんね。

青い星まで飛んでいけ (ハヤカワ文庫JA)

青い星まで飛んでいけ (ハヤカワ文庫JA)